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Detour 07-7in Sri Lanka
Colombo〜Hong Kong〜Osaka(11th)
飛行機に乗ることが今日の最大の仕事です。
幸いなことに時間だけは充分にあるので、少しスリランカについて考えてみることにしました。
『インド大陸が一粒の涙を落としたようだ!』といわれるように、現在もそれを悲しむかのように民族紛争が絶えることがありません。
これまでの、代々の植民地の歴史とともに、スリランカの持つ悲しい面でしょうね。
逆にいうと、それだけ、さまざまな香辛料や宝石という資源に恵まれていたからゆえのことになるのでしょう!
その忌々しい歴史から、生まれかわるためでしょうか、1972年新憲法発布を期に、それまでの国名「セイロン」から「スリランカ」へと、国名を変更しました。その、スリランカとは、「光り輝く島」という意味です。
統計上、けっしてスリランカは豊かな国じゃありません。
でも、私には今回の訪問で、スリランカが「光り輝く島」であるということを改めて確信できたような気がします。
しかも、輝いているのは、「物質的に豊かな島そのもの」だけじゃなくて、「輝くようなスリランカの人々をも含む島全体」だと感じたのです。
そして章の最後に、この国の“輝ける大統領”についても、ぜひ日本人であるみなさんに知ってもらいたいので紹介したいと思います。
「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む。」
故ジャワルダナ大統領
「軍部の駐留による被害やわが国の重要生産品である生ゴムの大量採取による損害は当然弁償されるべきである。しかし、その権利を行使するつもりはない。なぜならば、仏陀の“憎悪は憎悪によって止むことなく、愛のよって止む。”という言葉を信じるからである。ソ連の修正条項の我々が同意できない理由は、制約をつければ日本が宗主権と平等と尊厳を取り戻すことが不可能になるからである。」
1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議にセイロン代表として出席していたジャワルダナ蔵相(当時)は、仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求権を放棄、日本は自由に独立した国でなければと、ソ連の制限案に反対し、参加国に寛容の精神を求め、「アジアで随一の外交官」として賛辞をかち得たということです。
また自国のシンハラ人とタミル人との人権抗争の融和にあたっては、
「軍事力でどうやって安定がもたらされるか。世界各国が軍事増強をという欲望を捨てさえすれば軍縮達成の道は決して遠くない。」とも述べたそうです。
彼の主張は、一貫して、“仏教国として自由と平和を願うもの”だといえるでしょう。
もうここまで言えば、お判りでしょうが、スリランカの現在の首都スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテは、この偉大な大統領の名にちなんでつけられたものです。大統領が亡くなった現在でも、こうのようにスリランカ国内でもっとも有名かつ優秀な政治家と言えるでしょう。
そして我々日本にとっては・・・
『ある意味“現在の日本”があるのはスリランカ、いやこの故ジャワルダナ大統領のおかげである。』と言えるでしょう。
このことを、この今回の訪問中に知ったとき、私は素直に感動しました。そして、今は亡き大統領に感謝したのです。
ちょうど、シャマリーに出会ったときのようにね。
しかし、それと同時に、そのことについて何も知らなかった自分が恥ずかしくさえ感じました。
偉大な指導者。偉大な人間。
それは、まさしく『私欲を捨てて、真に相手のことを考え、思いやれる人』だと思います。
“イストゥー・ティー、故ジャワルダナ大統領”
“イストゥー・ティー、スリランカ”
そして、“アユー・ボーワン”
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