Detour 10-3in Middle East
Amman〜Petra( 5th)

 5時前に目がさめました。
大切なことがあると、“必ず寝過ごすことがない”というあれでしょうか?
とにかく何がなんでも今日ペトラに行けということでしょう。
さて、必要なものだけリュックにつめて、さあ出発です。



 さすがに、朝の5時半ともなると、街には人がほとんどいません。まだまだ辺りは暗いし、人が動き出すには早すぎますね。
目的のバスターミナルまで、バスもないようなので仕方なくタクシーをひろったんですが、これが大間違い!
『先客がいたら、その分、乗りあいタクシーのように代金が割り勘で安い。』と思ってたんですよ。
しかし、バスターミナルに着いたら、なんとまるまるの代金6ディナールを払わされて、何だか大損したみたいです。
そして、行ったら行ったで(6時間にはバス停に着いたんですが)ペトラ行きのバスはない・・・?
まっ、セルビス(乗り合いタクシー)でも値段的にはそう変わりません。セルビスにして3ディナール。
でもね、今度は逆に朝早いのが災いして、最低の4人が集まらないから出発できない・・・。
『どうしたもんでしょう、はぁ!』
どうやら、昨日“運”を使いきったみたいですね。

それでも、1時間ぐらいすると何とか4人が集まりペトラに向けて出発となりました。



 地元の人を除くペトラ観光に行くのは3人でした。私と、ドイツの人とインドの人。アンマンからぺトラ、時間的には3時間少々かな?10時過ぎに着きました。
ということは、3時間弱が私に残された時間・・・。
(午後の1時には帰る予定でしたから・・・。)

私は、アハマッドというインドの人といっしょにペトラ遺跡に入っていきました。
私が多少のヒンズー語を知っていたからでしょうか、先方も親近感をもってくれたんです。それに、私にとってもアハマッドはアラビア語が出来ましたから大助かりでした。

さて、何度も何度もいいますが『私はツーリストプライスが嫌いです。』(観光客料金、外人値段とかと言ってもいいでしょう。)
いや、み〜んな思っていることでしょう。
ここのペトラの入場料は“半額になって日本円で約2500円”なんですよ!
少し前は、入るだけで5000円かかってたんですよ。
ディズニーランドじゃありませんよ。そして、現地の人はその10分の1だというから『バカやってんじゃないの!』って叫びたいですよ!
でも、払わないと入れてくれないし・・・。
少し前(入場料が5000円のとき)は、入場門を避けた不法進入が相次いだそうです。それで、値下げをしたと聞いていましたが、チケットには“DECRESE 50%”(半額に引き下げ)とだけ書かれてありました。

 《ペトラ遺跡》

さて、入場門を入ると、まずはラクダとロバの歓迎(勧誘?)。
1時間とか、30分でいくらいくらと商売人が話を持ちかけてきます。
『もちろん無視!』
ただし、これは最後の最後まで、ほんと入場門を出るまで入れ変わりたち変わりでやってきました。

で、アハマッドはあっけなくロバに乗っちゃいました・・・。
インドなら、いつで乗れそうなものなのにね。



 初めに見えたのは、オリベスク。
『エジプトのオリベスクをまねて造ったんでしょうか?』

 《オリベスク》

そして1kmぐらい緩やかな坂を降りると、今度は岩の渓谷の前にやってきました。
これからが本番です。
インディージョーンズの撮影現場にも使われたほどの場所です。すごくないはずがありません。通路の両脇にそそり建つ岸壁は60m〜100mもの高さがあるようです。

 

この渓谷に入ると、下のほうまでは光が入ってこないからでしょうか、急に肌寒く感じます。これがまた1kmぐらいこれが続くんですよね。
そして今度視界が開けてきたときには・・・。
魔宮、いや失礼エル・ハズネが突然姿を現します。古代、ペトラ人が岩場をくりぬいて王宮を造ったその建物だそうです。後にローマ人に征服されるそのずっと前です。
そして、この地理的条件と、現地の人々がここへの進入者を防いでいたという理由で、近年まで、世界的にペトラ遺跡が発見されなかったというのが、またまた好奇心をかきたててくれるじゃありませんか。
『ここに入るものには祟りがある!』そんなことを言っていたのでしょうか?

  

そして次に視界が開けてくると、その右手には、巨大なお墓が4つ。右手には当時の人々のお墓跡と思われる横穴がそこらじゅうに設けられていました。かなり雰囲気が変わってきました。

 《四大墓》

 《名もなきお墓》

そうそう、ここまで来ただけで、かなり時間がかかってしまいました。
それほど、ペトラ遺跡が“でかい”ということですね。その地帯一体が、全部遺跡なんですから。

とりあえず、『この先に博物館があるのでそこまで行こう!』って私は思っていたんです・・・最初は!
でもね、ロバ引きの人の話やガイドブックで見るかぎり、「エド・ディルという修道院に行かなきゃ、ペトラまで来た甲斐がない!」とまで書いているんです。
これが、ロバ引きだけの話なら気にしませんが・・・。
でも、もうお昼、12時です。
もう帰らきゃ、1時までに戻らなきゃセルビスに乗れないかもしれません。

「ロバだと、ここから20分でつけるけど、山を登るんで歩くと1時はかかるよ。」
「・・・・・・」



結局、また歩き始めました。頂上目指してね。
 《登山道》
いざ、登り始めると、30分そこそこで登れちゃいました。
さすがに、噂通り修道院デド・ディルは立派なものでした。
大きさも先程のエル・ハズネよりひと回りもふた回りも大きいようでした。
そして、山の上にあるということでより神聖さを醸しだしていたように感じました。
それとね、そこには山をくりぬいた巨大な空間があるからでしょうか、不思議なことに修道院の前で声をだすと一面に音が反響するんですよ。大きな声だと、こだまになってね。
とても不思議な感じです。
ここはぜひお進めの場所ですね。


 《エド・ディル》

ここまできたら、もう退散!
時計を見ると、本来ならタイムオーバーの1時を過ぎていました。

でも、『もしかしたらもうしかしたら、セルビスがあるかもしれません・・・。』
時間に遅れた今、今更特別急ぐ必要はないけども、ゆっくりしている場合でもありません。

 《柱廊通り》



 そして、入場ゲートまで帰ってきたのは3時過ぎ。
もちろんセルビスはないそうです。いくら待っても無理だということです。
今は、観光の季節から言うと,いわゆる“閑散期”にあたり、「ただでさえお客が少ないのに、仮に他のお客を待っても4人集まらないだろう。」って言うんです。
残された道は、
@ここに泊るか
Aタクシーでアンマンまで戻る
Bアマンという近くの町までタクシーで行き、そこからバスに乗り換えるというものです。

初めこれを聞いたとき、“アンマン”の他に“アマン”という町があるのを知らなくて、『こいつ何に言ってんだ!?』って困っちゃいましたけどね。

もちろん、私はB番目の選択枝を選びました、ここからタクシーで6ディナールそして、バスでアンマンまで2ディナール。これなら来た時とそんなに変わりません。

その後は、何もなくアンマンまでスムーズに帰れましたが、大雑把にいって今日だけでペトラを見てくるだけで30ディナール以上つまり7000円以上使った計算になります。
『あれれ!?』思惑と大幅に違ってしまいました。
『中東は物価安いんじゃなかったっけ?』

そう、基本的に物価は安いんだけども、一歩道を外れるとその裏腹という側面があるのも確かですね。
『それとも、もしかしたらぼられているんだろうか?』はたまた、『急ぎすぎて、無駄なことばかりしてんじゃないでしょうか?』
2日目にして、不安になってきました。

さて、明日は朝一番でシリアの首都ダマスカスに向かいます。
明日も5時起きなんで今日も、早めに失礼します。

 《キング・フセイン・モスク》