Detour 10-6in Middle East
Damascus〜Baalbeck( 8th)

今日はのん〜びり過ごそうと思っていたんで、朝いつもよりゆっくり起きました。
それでも、いつもより時間があるので、7時過ぎからさっそく散歩に出かけました。

唯一の目的は、空港までのバスを調べることですね。
フールというアラビア式の朝食をとり、バス停を探していると、こんな声がかかってきました。
「どこに行くんだ?」
「ベイルートか?」

昨日一度はあきらめていた悪い虫がゴゾゴソと動き始めました。
「それもいいかな?直接バーベルックまで行けたら、この上望むことないのにな〜。」

物は試し!バス会社の人に聞いてみると、
「OK、OK!」そういって、オフィスに連れていかれました。
なんでも、シュトゥーラというところまで行って、そこからバーベルックに行ける・・・・。
でもでも、ちょっと待てよ。
『でも、シュトゥーラってどこ?』
手持ちの地図にも載っていないんですよね。
でも、ここまできたら行くしかないですね。
最悪明日までに帰ってこれればいいし。そんな気楽な(気まぐれな)出発でした。
ただ、この時点での誤算は・・・サンダル履きで出てきたことですね。
『どうしょう?』

バスは動き始めました。もう後戻りは出来ません。この先は・・・それは、神のみぞ知る!
1時間半ぐらいすると、もう国境に近づいてきました。
こっちの車はもちろんバスでも、普通道の郊外では時速100km超でぶっ飛ばしていきますしね。

ボーダーにつき、出国審査は恐ろしいほどの混雑そして長蛇の列。
さいわい、外国人専用の窓口は比較的空いていたので、そんな混雑の中でもわりと時間がかからずに出・入国もできました。
しかも、出国税とレバノンのトランジットビザは無料という大きなおまけ付きです。

 《レバノン国境》


基本情報
●正式国名:レバノン共和国
●首都  :ベイルート
●面積  :1万452平方キロメートル(岐阜県と同じ)
●人口  :400万人

●言語  :アラビア
●宗教  :イスラム教、キリスト教徒など多数
●時差  :日本より7時間遅れ(日本が正午のとき、アンマンは午前5時)



 両替のレートは、1ドルが1500レバノン・ポンド。いつもは、国境で両替するんじゃなく、のんびり街に出てから両替するのですが、なんせ今回は時間が限られています・・・。
そして、30ドルが45000レバノン・ポンドに変身!
そして、再出発。

そして、私の目的地シュトゥーラは、そこから国境からほんの15kmだけ行ったところにありました。
入国して最初の街といってもいいかもしれませんね。
バスを降りると、すぐさまタクシーの運ちゃんが群がってきます。
まっ、嘘か本当かという問題は別としても、"情報"だけは耳に入りますからね。
そして、彼らの言うことには、
「バーベルック行きの、バスはない。」
「タクシーで行こう!」

『う〜ん?』
「送り迎え、観光付きで3時間で帰ってくる!」と運ちゃん。
私は、その一言でタクシーをチャーターすることに決めました。料金は少し高めの20ドルです。

なかなか陽気な運ちゃんで、いろんなことを教えてくれました。
レバノンが内戦時代のこと。この一帯はハシシ(大麻)の栽培地帯だったんですね。ですから、今でもシリアの軍隊とレバノンの軍隊が共同で常駐しているんだそうです。もちろん、内戦の監視の役割もあってのことですが・・・。
それにしてもね、シリアからレバノンに来ると、その国土の豊かさに驚かされます。何度も言うようですが、今までは乾いた大地しかありませんでした。でも、今目の前に広がっているのは緑の草原。そしてその先には雪を抱いた山脈が連なります。

 《緑の大地》

普通の人が持つ中東のイメージとは格段の差があります。農業や酪農が"普通"に行われているのです。今はシーズンではないかもしれませんがブドウ農園、そしてアプリコットの木々には小さな白い花をつけていました。
どうですか、わかりますか?

 《アプリコット》



 時間にして40分ぐらいかな、バーベルックが現れてきました。バーベルック目印である、大きな4本の柱が見えてきたのです。
運ちゃんとは1時間半の約束で、遺跡の前で別れました。

 《バーベルック遺跡》

で、いざ入場。
入場料は12000レバノン・ポンド(1000円程度)
やはりこれがかなりの重荷になりますが、かといって避けられませんしね。

遺跡についての細かな説明はよしますね。
写真だけご覧ください。歴史的に詳しいことはほかの人にお任せします。

「遺跡に見飽きた人でも、この遺跡に見る価値を見つけるでしょう。」そんな言葉が、ホテルの"旅のノート"に書かれていました。まさしくその通り!
大きさといい保存の状態といい、遺跡として最高級の部類の遺跡でしょうねバーベルックは。

 《神殿入口》

 《神殿の壁跡》

 《大庭園》

 《バッカス神殿》

 《神殿のドーム部分》




あっという間に、1時間半は過ぎ去ってしまいます。
そうそう、出口のところですごいもの見つけました。わかりますか?

 《何でしょう?》

記念のスプーンとポストカードをお土産として、ほんとに短い滞在でしたが、今度はレバノンから出国です。
ほんの数時間の短い旅ね!でも、収穫は決して小さくありせんよ。

シュトーラまで戻り、今度はセルビス(6000レバノン・ポンド)に乗り替えました。
帰りは、行きほど混雑もしてません。
バーベルックから、総時間にしてたった2時間半でダマスカスまで到着!
でも、帰ってきたのは夕方の4時半でしたから、なが〜いなが〜い朝の散歩でしたね。



 さて、ダマスカスに帰ってきてからは今更ながら今日が金曜日、イスラムの休日だということ感じさせられました。ほとんどの店がお休みなんですよね。街ががら〜んとしています。民芸品を扱うクラフトセンターもそれは同様でした。
その中で、面白い店があったんです。マスターが、シリアの代表として、日本に来たことがあったんです。
何の代表かというと、京都で開かれたコンベンション(展示会)で、世界の珍しい民芸品の職人さんを呼んでそこで、民芸品を作ってもらったり、作ったものを即売するイベントがあり、その時シリア代表として日本に着てたんです。その時のパンプレットや写真も見せていただきました。意外な縁ですよね。

そこのそぐ側には、軍事博物館や国立博物館がありました。

その一体を抜け、また散歩していると、今度は公園にでくわしました。
なにが、興味深かったかというと、その公園に"さくら"が植えてあったことですね。
さっき、レバノンに行った時にも見たような気がしたのですが、車の中からでは確信がもてませんでした。でも、今考えると、やはりあれは"さくら"だったのでしょう。

夕暮れのダマスカスを見ながら、一人シャイ(紅茶)を飲みながら、ひと足早い花見をしてきました。優雅なもんでしょ!

 《ダマスカスの花見》



それから、"今日も"といっていいでしょうね、またウマイヤモスクにいくつもりでした。
今日は金曜日、イスラムの休日のお祈りの様子が平日のものとどういう風に違うのか見てみたかったからです。
そして、もう一つ気になっていたものがあるんです。
それは、昨日の晩、ホテルでポストカードを見ていた時のことです。
「あれっ?」
そこのあったのは、ペルシャ式のモスクのポストカード。
この装飾は、ウマイヤモスクのやこの辺にある普通のモスクじゃありません。
昔、イランで見て、そのきらびやかさやそのデザインの素晴らしさに驚いた"その"モスク、つまりペルシャ式モスクなのです。
ホテルの人に聞くと、それはウマイヤモスクのすぐ裏にあるといいますから、行ってみない手はありません。いや、ぜひとも見てみたかったんです。
さっきも言いましたが、今日はお祈りにはもってこいの日ですからね!

ウマイヤモスクを通りすぎ、その先の細くなった道をさらに進んでいくと、どうでしょ、人が次第にどんどんと増えていきます。そして、その中の多くは頭から足の先まで黒い布で覆った女性達の姿なのです。
普通ダマスカスの町中をあるいていても、実はそんなに多くのこういう女性はいません。ここにみ〜んな集まってきたかのようです。
おそらくこれが普通の人の持つイスラムのイメージなんでしょうが、今回ヨルダンとシリアの現在の姿を見てきて、改めてこの様子を見ると、なんともいえない"違和感"を感じさるをえません。
参拝道に建ち並ぶお土産ものや洋服屋さん、また出店の数々。
群がるチャドルの女性たち、子供たち、男たち。飛びかう客引きの声・声・声。

 《参拝道》

そして、その人の列の先には・・・イメージ通りのモスクがありました。
ウマイヤモスクに比べたら、極めて小さな建物といえるでしょう。
でも、その美しさには思わずため息がもれるほどです。

 《ペルシャ式モスク》

入り口では、靴を脱ぐことを義務づけられています。
その蒸せかえるような靴のにおいを通りぬけると・・・。

お菓子に群がる黒アリの如く、黒、黒、黒・・・・黒い服を身にまとった女姓たち。
そして参拝者たちが思い思いの過ごし方をしていました。

 《モスク入り口》

詳しいことはわかりません。でも、もしかしたらここはシーア派と呼ばれる人たちの聖域かもしれませんね。世界的に見ればスンナー派が大多数のなかにあって、シーア派のモスクとなるとイラン以外ではそんなに数も多くないんじゃないでしょうか?
まして、ここはスンナー派を生み出したウマイヤ朝の元首都なのですから。
しばし観賞あれ!



でもこういうのを見ていると、つくづく『イランに行きたいな〜。』って思っちゃいます。
ははは

"イスラム原理教"
そんな言葉は、このイスラムの世界には存在しません。
ただ、何も知らない人が先入観なくこの状況を見たら、「宗教に狂っている」と思うかもしれません。
それはただ彼らが、みんなよりも信仰に熱心で教えに忠実なだけなのです。
そして、「教えの拠り所はすべてコーランにある。」と言っているだけなのです。
「本来の教えから逸脱し、西欧文化との融合すべきじゃない。」と言っているだけなのです。
宗教革命はイスラムだけじゃなく、仏教でもキリスト教でも起こってきましたよね。
どうしても我々はアメリカ寄りなニュースしか手に入れることが出来ませんが、それを全くうのみにしていたら、自分の世界を狭める結果になるかもしれませんね。
話が少しずれましたが、みんなに聞いて欲しいことでもあるので最後に付け加えました。

さあ、もうこれで、今回の目的地の3件と"おまけ"、バーベルックまで見て回ってきました。
さすがに、もういいや!
昨日も言いましたが、『急ぐ旅はやっぱり苦手だな〜!』

『明日は、明日こそは・・・ダマスカスの古い町並みを歩きながらゆっくりしていようかな〜。』