

今福龍太 - 04/10/17 23:12:41
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サーバーのシステム移転に伴い、このeDebateページも下記に仮移転しました。
http://imbbs2.net4u.org/2/sr3_bbss.cgi?cat=15855mangrove
今後の書き込みはこのURLでお願いします。
さて、10月20日、秋学期最初の大学院ゼミに、特別ゲストとしてノーマ・フィールド(シカゴ大学教授・日本文学/思想)が来訪予定! 彼女は、ペリフェリア・文化学研究所の今年度のScholar in Residenceとして、小樽を拠点に12月半ばまで滞在します。主著である『天皇の逝く国で』『祖母のくに』(ともにみすず書房刊)はもとより、最近創刊された雑誌『前夜』巻頭所収の「戦時下の大学教室で原爆を考える」をぜひ読んでみてください。ノーマには大学院生を対象に、特別セミナーを3回ほどしていただく予定です。他に、11月3日の学部スペシャル・ウィークでのワークショップなども計画中。これらの企画に院生たちの参加・協力を募ります。
HANCHUN LIM - 04/09/22 17:23:25
電子メールアドレス:nitobe1@yahoo.co.jp
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ひさびさの書き込みですが、皆さん元気ですか。私事で申し訳ないですが、毎日修論の枚数稼ぎのために「勉強」にはなるけども、何の刺激もない本を読み、また自分自身もまったく「感動」のない論文を書いているところです。そんななかで昨日、松岡心平さんの『宴の身体』(岩波現代文庫)を読むことになりました。ご存知の方もおられるでしょうが、今福先生の解説付きです。わたしはいつものように焦燥に駆られ、「解説」から読むことにしました。そこには「大方」(テバン)や「鰍魚湯」(チュオタン)といったわたしにとってのソウルの記憶の痕跡としてはっきりと残っているいくつかの媒体と大統領弾劾をめぐる騒々しい韓国の風景が、いつの間にか「中世の二つの文化の衝突」へとシフトしてゆく。つまり、動かない身体をつくりあげた世阿弥の背後に朝鮮半島のきわめてアクロバティックなサムルノリの身体性を透かしてみている著者松岡心平さんの「歴史的想像力」について、解説者は次のように述べているのです。「『伝播』や『影響』といった、地域の近接性と歴史のディアクロニー(通時性)のなかに限定された思考装置を離れ、著者は異なった場所、異なった空間における民族のシンクロニー(共時性)のほうにより強い霊感源を見いだそうとしている。」今福先生のいうその「歴史的想像力」の有無によって、ある文化の「影響」を与えた側はそれが直ちに変にねじられたナショナリズムや愛国心につながってしまい、それらはいわばアイデンティティの拠り所になるのではないでしょうか。また逆に、文化の「伝播」されたほうはその歴史を封印する作業に取り込む。幾分飛躍的であることを承知のうえにその「歴史的想像力」にかんしていえば、亡くなるまえのサイードが「モーセはエジプト人である」というフロイトの想像力を論じ、わたしたちにメッセージとして残したということも示唆的であるとおもいます(『フロイトと非‐ヨーロッパ人』)。フロイトの歴史的想像力もサイードの新しい地中海人アイデンティティの模索も、いうまでもなく自分の命を削ってゆくような大きな知的・精神的な努力や苦労が必要です。しかし、だからこそそういった書籍に出あったとき、わたしは感性を動かされ「感動」するでしょう。「歴史的想像力」が力強いのは、支配的な文化やディスクールの内部に棲み込んで覇権をにぎる歴史のイデオロギーにたいして「ディスコンストラクティヴな力」として作用するからです。均質で空虚な時間を埋めて満たすために呼び集める事実ではなく、「状況配置」(ベンヤミン)すなわち歴史の或る状況=状態(シンクロニー)からわたしたちは歴史経過の全体をみつめることができるかもしれません。『宴の身体』本文ははまだ全部読んだわけではありませんが、ひさびさに刺激的な時間を過ごせました。「解説」のほうもわたしの読み方のレヴェルだけではないので、是非。
吉成秀夫 - 04/09/11 23:12:51
電子メールアドレス:cdx24630@par.odn.ne.jp
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リム君!今日は職場に来てくれてありがとう!こんどゆっくり語ろうね。
吉成秀夫 - 04/09/11 23:12:41
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Ryoji Kida - 04/08/02 02:04:03
電子メールアドレス:ryoji88@yahoo.co.jp
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マングローブの根が満ちひきする潮に姿を現したり隠したりしながら縦横無尽に泥の中に張り巡らされているように、あるいは古代の我々の祖先が沖縄のサバニのような船で風と潮をたくみに利用して群島を旅したその活動のように、このBBSが、最近のアメリカに見られる経済的に裕福な者たちだけに与えられる排除の原則を体現している町にならってパスワードによる閉塞的な空間に陥ることなく、僕のような正体不明人物の侵入を許されている開かれた場所として存在していることは、意図的なデザインなのかそれとも偶然なのか?
それが周到なひとつの挑発の装置であると読みとることは、このサイトの師の教えを受けた者には自然なことで、だからこそ我慢できずにうかうかとその挑発にのって声を発してしまう自分がいる。
この闖入者の出現に戸惑うなら、「まだauditorを卒業できないのか」と苦笑いする師に問うのもひとつの方法だけど、直にこの言葉と対峙する方がきっと面白い。この言葉が発せられているのは、イザナミの旅立った黄泉の国、瀬降りが山野を駆け、熊楠が粘菌にまみれ彷徨し、ニホンオオカミの生息が最後に確認され、部落出身の作家の作品の舞台となった路地裏のある、「地図の北が上である」というルールをひっくり返して眺めてみれば途端に得心のいく、日本の中のもっとも辺境の土地のひとつだ。
ブラジルやカリブ、琉球に繋がる札大の今福研究室が、もちろんそれらの名指しされた場所以外へも自在に繋がっていくという、おそらく多くの人たちには自明の単純な事実を示すためだけに、この場所に言葉を残します。感応してこの土地に導かれる者がいるなら客人としてもてなすとまでは行かなくとも、面白い小路を指し示すことはできるでしょう。
RaykoKoyama - 04/07/06 21:31:15
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今日の朝の感動が今も続いています。みなさん「松岡正剛の千夜千冊」をご存知ですよね?今日で999冊です。明日で1000冊です。今日の一冊は「オディッセイア」でした。松岡さんの一説です。
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さて、今夜は、ぼくにとっての「千夜千冊」終着の前夜でもある。オデュッセウスの航海とは較べるべくもないが、航海を終える者には、航海者のみが整えなければならない身支度というものもある。
よくぞここまで無謀なことを、4年をかけて航行してきたものだとおもう。今夜にかぎってはまだ何の感慨もないけれど、それでも、あと2夜を過ぎると、そこがどこかの波止場か船着場なのだろうという程度の、なんだか見知らぬところへ来てしまったような、懐かしいところへ戻っていくのだろうなというような、そんな予感も騒ぐ。エリック・ホッファーではないが、波止場にこそ日録は残されるべきものなのだ。
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旅に疲れて港に立ち寄っても、一休みしたら、きっとまた旅を続けられるのでしょう。
明日の千冊目が何の本なのか、待ち遠しいです。
HANCHUN LIM - 04/05/27 12:14:58
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「美の巨人たち」は金曜ではなく、土曜の夜10時からです。
HANCHUN LIM - 04/05/26 17:19:12
電子メールアドレス:nitobe1@yahoo.co.jp
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今週の金曜日、テレビ北海道の「美の巨人たち」で韓国の画家イ・ジュンソプの特集を放送します。個人的におすすめです。是非!
吉成秀夫 - 04/05/18 13:15:53
電子メールアドレス:cdx24630@par.odn.ne.jp
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うん、たしかにそうですね。すごい贈与。贈与交換がなされると、あんなに豊饒な空間ができるのかと思っていました。みんながみんな持ちうるものをそこに賭けていましたね。招く者のが場を贈与し、招かれる者がそれに応える。そのなかで、参加者全員に知の贈与がふりそそぐ。ポトラッチが自己破滅的な性格を帯びていくのは、自分と相手が贈与交換の循環のなかで混濁していき、まるでチビクロサンボと虎が木のまわりをぐるぐるまわるうちに、ついには全部溶けてチーズになってしまうような、そのチーズからうじ虫の天使がわきでるようなエントロピーが発動するからなのだな、と思いました。その後のエクスカーションも、土地と、記憶と、詩人と、人と、天気と、モノが、豊かにやりとりを続けていましたよ。こちらが精一杯がんばれば、それに応えるものがある。贈与交換を実践的に学ぶ、すばらしい饗宴でした。ありがとうございます。
HANCHUN LIM - 04/05/18 11:53:31
電子メールアドレス:nitobe1@yahoo.co.jp
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5月14日、一日だけではありますが、〈ペリフェリア〉創設記念シンポジウム(饗宴)に参加することができました。当日のシンポジウム参加者を拝見してみるだけでも、「一部知識人のなかで流行っているペリフェリア」、あるいは単なる専門的な知識や技術の持ち主たちによる高慢な学問のディシプリンという制度のなかにとどまらない、知のポトラッチ(饗宴)ともいうべきものがあったことは明らかでしょう。一日もしくは三日ではとても消化しきれない「学者=詩人」たち(これはポトラッチ=饗宴ならではの主宰者の気前の良さでしょうか)によって行われた饗宴は学問のディシプリンという富の破壊であったとおもわれます。このトリックスターたちによって客におくり与えられたポトラッチという完全な「贈与」が、贈与する主体の同一性を失わせるとともにそこに居合わせた客をも自己同一性への執着から解き放つ働きをしたことはいうまでもありません。
前半に行われましたひとりのトリックスターによる贈与はまさにその働きを見せてくれました。それは高良勉さんが自作の「かみぐとぅ」を琉球語で朗読してくれたときでした。最近、知人のかたから『サンパギータ』と『絶対零度の近く』をプレゼントされ、その詩集に日本語のひらがなで書かれた「かみぐとぅ」を何度か反復して読みましたが、なぜ詩人は「もう これ以下には落ちないだろう」という「絶対零度」の状況下において日本語で詩を書き続けたのか、というより書き続けられたのかがひじょうに疑問でありました(もちろん、「絶対零度」の世界が単に光りやエネルギーの世界の反定立ではないことは念頭においています。それは「固有性と 共有性の 境界がなくなる 色即是空 空即是色」の世界でありますから)。ところが、高良勉さんがそれを琉球語で朗読をなさったとき、瞬間的に頭に浮かんだのは、絶対零度の状況下であろうがなかろうが、そもそも詩人に書くことはできなかったのではないかということでした。それはドゥルーズ=ガタリが作家カフカについて「書かないことは不可能であり、ドイツ語で書くことは不可能であり、ほかの言語で書くことは不可能なのである」(『カフカ』)と述べたのとつながるものがあるでしょう。詩人もこのダブル・バインドの状況から逃れることは不可能であり、日本語で詩を書くことは「まぶい うとぅち しー ぬぎてぃ」した極めて個人的できごとが直接に政治にむすびつくようにさせていると感じます。
シンポジウム(饗宴)に一日しか参加できなかったことはとても残念でしたが、そこで現代のトリックスターたちによって行われた知のポトラッチ(饗宴)は??もともとポトラッチという消費形態は社会関係の階級分化と権力肥大化を抑制する未開社会の知恵であり、他者と共存するためのモノの使い方であった??、高慢に権力肥大化するディシプリンからいかにしてインターディシプリナリーへとシフトしていくかを教えてくれたような感じがします。
今福龍太 - 04/04/21 13:04:15
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国家を超え出る力を認めよ
テロという暴力に対抗するもう一つの暴力の行使のことを「テロに
屈しない」と意気まいてごまかし、大国の国益だけが突出して強行さ
れた不義の戦争の片棒を担ぐことを「人道復興支援」とすり替える言
説があまりに繰り返され、意味の水増し状態に達した感がある。上
滑った言葉の濫用は、その言葉が本来指向し、含みうる現実と意志と
想像力と可能性の複雑かつ厳密な配分を溶解して見えなくさせ、一枚
岩のイデオロギーを有無を言わせず強要して批判を平定するための紋
切り型へとすぐさま矮小化されるのが常である。
そんな意味の上滑りのなかで、あらたに無謬の正論のようにしてい
まや世論さえ支配しかけているのが「自己責任」という言葉である。
退避勧告の出ている戦乱の地にあえて入国を強行して誘拐・拘束され
た三人の自覚と責任を問い詰めるかたちで声高に唱えられているこの
言葉は、しかしある意味で国家のリーダーとその有権者の大多数と
が、自らの真の責任を放棄している現状において発せられている、と
いう点であまりにグロテスクに聞こえる。自衛隊のイラク派遣という
国家的決断が厳しく為政者に求める自己責任は、イラク領土内での自
国民の戦闘死はもちろんのこと、誘拐や拉致の新たな危険をもちろん
含んでいたはずである。そうした新たな危険を誘発する政治的決断が
行われているという自覚があるかぎりにおいて、NGO系の組織やまっ
たくの個人の立場で活動しようとする日本人がイラクにおいて拘束さ
れ、国家的な取引の道具とされかけたときの「責任」の第一の所在
が、当事者たる日本国であることは疑いをいれない。不承不承ともみ
えた国家による救助への行動が、たとえそれ相応の出費を伴うもの
だったとしても、その一部負担を誘拐された本人たちに求める、と
いった一方的な論理が、国家の責任を棚上げしたままに堂々と主張さ
れる現実は私には正気の沙汰とは思えない。そして、そうした状況を
政権与党を通じて支持した真の責任はまた、有権者である私たちにも
同じように振りかかっている。少なくとも、政府も国民も、国家の意
思と行動として今のイラクの現実を生み出した責任の一端を等しく負
うのであり、その限りにおいて、国家も国民も、すでに敗北している
可能性がある。
そもそもNGOあるいはNPOといった活動の本質的な意味は、それが
人道的であるとか、自己犠牲的であるとかいった倫理的観点から定義
されるべきものではなく、まさに文字通り、Government=政府(国
家)やProfit=利益(市場経済)という支配的な原理を超え出て新し
い社会関係と人間活動の領域を創造しようとする、人類のあらたな衝
動に基礎を持っている。今回の事件が、国家とその国民(すなわち国
家原理の二大構成要素)の関係のはざまに生まれつつある、国家原理
や市場原理を超え出ようとする脱国家と贈与経済の所在を私たちに突
きつけていることを決して見逃してはいけない。
イラクに留まって活動を続けたいと解放後の重い第一声を漏らした
彼らにたいし、政府関係者のあいだからは「イラクに亡命すればい
い」との声すら囁かれたという。だが、自らの領土内に亡命者を引き
受けるまともな法整備すら放置して、「亡命」という苛烈な実存にあ
からさまな無知と無頓着を決め込んできたこの国の指導者に、亡命な
る語彙を軽々しく使用する資格はない。どのような国家体制が、そう
した「亡命者」を輩出してきたかという歴史と現実に少しでも思い至
れば、日本という国家から亡命者が生まれることが、いかなる国家体
制の出現の結果としてあるのか想像はつくはずだ。「亡命すればい
い」という妄言は、逆に言えば、抑圧的な管理と統治によって厳しく
自国民にたいして国家イデオロギーへの無条件の忠誠を強いる体制
が、いまや彼らの無意識の理想になりかけていることを、はからずも
露呈してしまってはいないか。
旧世紀から引きずる「国家」という原理がいま創造的に脱皮してい
くべき時に、国家は、国家を超え出てゆこうとするさまざまな個人の
未知の力を認知することで、人類の新たな社会原理の探求に道を開か
ねばならない。
今福龍太 - 04/04/02 12:11:57
電子メールアドレス:volcano@ta2.so-net.ne.jp
コメント:
2004年度の大学院「表象文化特論」の掲示板です。今
年度はテーマを一新し、「群島論」の主題のもとにテ
クスト・映像を併用しながら鋭意展開します。詳しく
はまずシラバス
を参照のこと。このサイトでのディベートが例年に増
して盛り上がること、期待します。