いざ言問わん隅田川・梅若塚に雨が降る・隅田川七福神
浅野内匠頭屋敷跡・築地本願寺・レインボーブリッジ
| 言問橋 隅田川 浅草花川戸〜向島・業平にかかる橋 |
| 名にしおはば いざこととわん 都鳥 わが思う人は あるやなしやと |
| 在原業平(古今集)。伊勢物語「東下り」の段で有名な歌 |
| 言問橋はこの歌にちなんでつけらました。近くに東武線「業平橋」駅。「業平」の地名もあります。 |
| 昭和3年(1928)に架設。墨田公園からの眺望を考え、桁橋が採用されたという。この橋の架橋で上流にあった竹屋の渡しと枕橋の渡しが消えたのです。長さ236.8m、巾22m |
| 吾妻の地名の由来は、日本武尊が東征の帰途、足柄山から諸国を眺め、妃の弟橘媛を偲んで「あづまはや」と呼びかけたことによる。「伊勢物語」の作者もこの話を知っていて、妻を偲び、都鳥に妻の無事を問うたのです。 |
| 伊勢物語 第九段 |
| さらに東へと旅を続け武蔵の国(現東京都)と下総の国(現千葉県)の国境いに、たいそう大き |
| な川があった。隅田川という。その川のほとりで、ああずいぶん遠くきたなあと思ってしのんでい |
| たら、渡し守が「はやく舟にのれ、日が暮れる」というので舟に乗ったが、妙にわびしく、都に残し |
| てきた愛する人を思われた。そのとき白い鳥で、嘴(くちばし)と脚の赤い、鴫(しぎ)ぐらいの大きさ |
| の鳥が、水上で魚をたべているのに気が付いた。京では見かけない鳥なので船頭に尋ねたら、 |
| 「これは都鳥です」と答えたのを聞きて「都鳥よ 本当にその名のとおりであるなら尋ねよう |
| 私の愛する人は 変わりなく暮らしているだろうかと」と詠んだので同船の人も同情して泣いた。 |
| 毅然とした上の句から つぶやくような下の句へ なめらかに流れ余情たっぷりです。 |
| ・みやこどり ユリカモメのこと |
「雪月花 隅田」北斎 隅田川を持って第一とする江戸の雪景色。
| 梅若塚 隅田川にかかる白鬚橋の近くにあります。 謡曲「隅田川」の主人公。梅若丸は伝説上の人物であるはずなのですが、梅若塚が築かれ柳の木もあります。命日の陰暦3月15日(今は陽暦の4月15日)に木母寺で法要が行われます。
梅の字を”木”と”母”に分けて「木母寺(もくもじ・もくぼじ)」と呼ばれるようになりました。 |
| 曳舟 | 「名所江戸百景 四ツ木通用水引ふね」広重 向島のこの一帯は湿地に近い平地で、用水の流れが緩やかなので舟に綱をかけて曳く方法がとられた。 |
| 鐘ヶ淵 | 名の由来1、長昌寺の鐘が洪水で流された。 2、中世に陣鐘を落とした。3、普門院の半鐘を落とした。 4、法源寺の鐘楼が崩れて巨鐘が沈んだ。 8代将軍吉宗が、この話を聞いて、鐘を引き上げる様命令したが、鐘は水草にからまれて綱が切れてしまったとか、川底に渦がまいていて、危険なため断念したなどという話が伝えられている。 隅田川、荒川、綾瀬川の合わさる三叉の淵であった。 池波正太郎「剣客商売」秋山小兵衛は鐘ヶ淵に住みました。 |
| 隅田川七福神 |
| 都内最古の七福神めぐりとして有名な「隅田川七福神」は向島百花園を開いた佐原鞠塢が中心となり、谷文晁、国学者石川雅望、家人・書家下等千陰、茶道川上不白、狂歌師太田蜀山人ら文人・墨客により創始された。舟遊びで思いついたという。 百花園で舟を出し、これに各神社が出す小像を7体そろえて乗せ、七福神乗合の趣向を凝らした。また、武清筆の「隅田川七福遊」と題した宝船を出していました。 |
| 三囲(みめぐり)神社 恵比須・大黒 墨田区向島2-5-17 東国巡礼中の近江三井寺僧源慶は、荒れ果てた祠を目にします。弘法大師由来に祠の荒れように悲しみ、再建しようと自ら地面を掘ると、白狐にまたがった神像が出てきました。すると白狐が現れ、神像の周りを3度回って、消え去ったたのです。「三囲」の名はこの故事から怒ったと伝えられる。 三囲神社は三井(三越)家の守護神として知られ、恵比須・大黒の2神も、越後屋に祀られていたものだという。 「遊ふ田地(夕立)や 田を見めぐりの 神ならば」 其角 の句碑 俳諧の霊場として知られている。 |
弘福寺
布袋 墨田区向島5-3-2黄檗宗の寺で、名僧鉄牛和上が1673年に創建。黄檗宗は禅宗の仲でも中国様式を強く残す宗派で、重層の屋根、廂の蛇腹天井、円窓、月台、柱にかかる額など中国風の建築の特色がみうけられる。 |
長命寺
弁天 墨田区向島5-4-4鷹狩の途中、腹痛を起こしこの寺を訪れた3代将軍家光は、境内の井戸水を汲んで薬をのんだところ、たちどころに痛みが消えたため、喜んだ家光がこの井戸に長命水と名を与えたという。そのことから寺の号を長命寺と改めたという。 長命寺の桜餅:江戸時代から続く、町の名物。 |
百花園
福禄寿 墨田区東向島3-18-31804年佐原鞠塢によって開かれました。今東京に残る名園といわれるものはほとんどが大名屋敷ですが、百花園は向島情緒を楽しんだ町人文化の庭です。11代将軍家斉も評判を聞き訪れたといいます。 福禄寿は隅田川七福神めぐりの開催期間のみ、開帳されています。 |
白髭神社 寿老人 墨田区東向島3-5-2天暦5年(951)慈恵大師が関東に下った際、近江の白髭大明神の分霊を、ここに祀ったという。祀神は道案内の神「猿田彦命」で、千客万来を祈願し石灯篭が花柳界や料亭から数多く奉納されている。 |
多門寺 毘沙門天(弘法大師作と伝えられる)
墨田区墨田5-31-13山門をくぐると狸塚があります。草深い里であった頃、境内の松の老木の根本に、村人に悪さする古里の夫婦が住んでいました。村人は話し合い、この松の木を切り払いましたが、狸のいたずらはひどくなるばかり、困り果てた住職は一心に毘沙門天に祈りました。ある夜毘沙門天の使いが現れ、狸を打ち据える夢を見ました。翌朝2匹の大狸が庭で息絶えていたのです。その狸を葬った場所がこの狸塚だそうです。 |
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![]() 弘福寺 |
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江戸と未来が交差するウォーターフロント ![]() リバーシティ21の前を通る屋形船 佃島
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![]() 浅野内匠頭邸跡 聖路加国際病院のある明石町一帯は、播州明石の風景に似ているところから、地名になったとか。築地川公園前に浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)邸跡の碑が建っている。 ここは播州赤穂藩の上屋敷があったところです。忠臣蔵でおなじみのあの人です。 (中央区明石町 地.築地) 近くに芥川龍之介生誕の地に説明板。 |
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![]() ![]() 築地本願寺 1620年ごろ浜町に創建されたが、明暦の大火の後この地に移された。伽藍は古代インド仏教建築風で関東大震災後に再建された鉄筋造り。 内部はいすが並び中央にオルガンもある。キリスト教会のようでもある。 築地場外市場の入り口を右手に見て進み、勝鬨橋をわたる。 |
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| 勝鬨橋は昭和15年全長246mの開閉橋で大型船の通過する時は70度まで跳ね上がった。1日5回開閉し東京の名物であったが、港の整備、晴美通りの交通の激化に伴い、昭和45年以来開閉は行なわれていない。中央の合わせ目から川面をのぞく。その姿を再現させたいとの声もある。 | |
東陽院清澄通りを渡って右に曲がり7〜8分で東陽院。 |
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![]() 晴海客船ターミナル |
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日の出桟橋から浜松町駅に行く途中の小さな公園 |
竹芝埠頭公園 船のマストがシンボル。デッキから東京港を一望。ベンチも多く、行き交う船、晴美ターミナル、パレットタウンの観覧車を見ながらゆっくりすごします。潮風が気持ちよく、気分は客船に乗っているよう。 |
| ニューピア竹橋サウスタワー21F展望室 |
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| 言問橋 (都)と同じ名を持っている 都鳥よ では尋ねよう 都に残してきた人は 無事でいるだろうか |
| 答え | Q1 a. 2万通のアイデア この名は140通ありました。 Q2 c.2F首都高速 1F一般道・遊歩道・新交通ゆりかもめ Q3 b. /Q4 a. 太陽電池を利用し、1日の電気消費量の40%を節約しています。 Q5 b./Q6 c.日本での鉄材つり橋は 東京・隅田川にかかる清洲橋が最初 Q7 c.全長1万2306m /Q8 a. 橋の中央付近に国境線がある。 (このクイズはレインボーブリッジおもしろデータガイドも一部です。 |