天下普請
江戸開府ー江戸築城

 1600年関ヶ原の合戦で勝利した家康は、1603年に江戸に幕府を開き、全国支配権をにぎりました。以後約半世紀、家光の時代まで城造りは続きました。

 神田山を崩して湿地を埋め、江戸城を拡張し山の跡に駿河にいた旗本を住まわせたので、駿河台の名がつきました。銀座何丁目と改名される前は、工事を担当した大名にちなみ、尾張町、加賀町などと呼ばれていました。江戸城築城は大名の経済力を奪う意図があったのです。

 城壁に塗る石灰を青梅方面から運ぶため、「白粉道」と呼ばれたのは今の青梅街道。

 現在の皇居を核に円を描くような形に発達しました。
 江戸氏の館から大田道灌の平山城へと進んだ江戸城は大阪城の倍もある巨大城へとなりました。






東京駅 丸の内口

 更新2003年9月

 


 
東京駅を緑の森に向かって歩く 右手にお堀(和田倉濠)かかる橋を渡ると和田倉門跡。玉砂利を踏み石垣を曲がると、そこには「ドラアマチックな水の公園」が広がっています。
高さ5mの落水盤、大噴水池、それを結び流れるせせらぎ。
  マイナスイオンをたっぷり吸うことができそうです。

  ガラス張りのレストランも素敵ですが、その隣のデッキでお弁当を食べるのもいいです。
皇太子ご成婚記念として整備。 

レルトランの脇に資料の展示コーナーがあります。
 お濠周辺で見られる花、鳥、北の丸公園を画像で紹介しています。座るところもあります。
画像、噴水の後ろはレストラン。中央の高層ビルが丸ビルです。
(千代田区皇居外苑1−1 無料 入園自由 無休 03-3214-2286(和田倉休憩所) J.東京地二重橋前)

噴水の向こうは桔梗濠、桜田二重櫓。(夕日の時は素敵。)
 

シダレサクラの幹を囲んでいます。      コブハクチョウ


 写真右手の橋を渡り大手門を入ると
 皇居東御苑。 

 シダレザクラが咲いていました。
 橋の上から見ると、桜の滝のようです。

 東京フリー写真
 東京タワーを見ながら、お濠に沿って歩くと右手に白い玉砂利を敷つめた皇居前広場に出ます。その先のゆるやかな坂をのぼると‘二重橋’皇居の正面門です。
 お正月の一般参賀のときはここを渡ります。橋のすぐ手前まで行くことが出来ます。二重橋を横からみます。二重橋濠にうつりめがねのようです。

 










 お濠の左側内堀通りの向こうには黒松の点在する、皇居外苑芝生大広場。
ここの芝生がフカフカで気持ちいい!ベンチもたくさん。
楠木正成の像があり、
自動販売機コーナーもあります。椋鳥の群が住みついているようです。
                                           
  (千代田区.皇居外苑1−1  無料  入園自由)   

和田倉橋

 この橋は昔のままに復興されたものですが、江戸城の橋と門を偲ぶのにふさわしい景観を見せています。(千代田区教育委員会)

 堀の向うには和田倉門がありました。
 
和田蔵という大きな蔵が2棟あり、これが名の起こり(御府内備考による

 この橋を始めてみた時、渡れないのではと思いました。他の人が渡っているのを見て渡れるんだと感激したとことを憶えています。
皇居のお堀 
 
 千鳥ヶ淵は桜の名所としても有名ですが、皇居の周辺には他にも、半蔵濠・桜田濠・凱旋濠・日比谷濠・二重橋濠・馬場先濠・蛤濠・和田倉濠・桔梗濠・大手濠・清水濠・牛ヶ淵・平川濠・白鳥濠などの濠があります。

 距離が一番長く、深い桜田濠。(桜田門〜半蔵濠) 桜田門の辺りから石垣が土手になり、芝に松の緑が美しい。

城 門
 
江戸城の城門は、枡形門という形式です。お堀を渡ったところの一つ目の門(高麗門)を入ると、方形の広場があり石垣と土塀に囲まれています。「武者渡り」という通路から的に矢をあびせられるようになっています。
 塀に20センチほどの四角形の穴が空いています。
これは銃眼
(じゅうがん)といい、ここから銃身を出し打つためだそうです。
そして二つ目の門(渡櫓門)があるのです。敵が一度に攻め込めないように、また高麗門を破って侵入したら3方向から射攻めることができるのです。

大手門  皇居東御苑出入り口

 ビジネス街とつながる大手門
。江戸時代を通して表門でした

 昭和40年10月から42年3月復元工事を行い高麗門および附属塀を修理。桝形式の大手門が再建された。

桔梗門

一般の人は入れません。
皇居の参観者(要手続き)、皇居勤労奉仕は
ここから入ります。
 新年・天皇誕生日の一般参賀の退出門のひとつです。

       坂下門         一般の人は入れません。
新年・天皇誕生日の一般参賀の退出門のひとつです。
 坂下門外の変 時の老中安藤信正は、公武合体運動を推進し、皇女和宮を14代将軍家茂の夫人に迎えることに成功した。これに憤激した尊攘派水戸浪士は文久二年(1862)1月、登城途中の安藤信正を襲撃した。傷ついた信正は、坂下門内に逃げ込み一命は取り留めた。
  正面門

 二重橋を渡ったところにあります。普段は入れませんが、お正月の一般参賀のときはここから。入ります。
 門の両脇に警察官が立っているのが見えます、この二人ピクリとも動かないのです。(さすが!)


桜田門

   

  井伊直弼暗殺の「桜田門外の変」。 万延元年(1860)3月 大老井伊直弼は登城の途中、雪の朝この門外で水戸浪士達に暗殺された。その場所は現警視庁前であるという。また現在、桜田門といえば警視庁のことを指すのはご存知の通り。
 枡形門だが、2面が堀となっていて、大手門などとは異なっている。
この門は警視庁と皇居前広場をつなぐ門です。通り抜け出来ます。(正式には外桜田門)

半蔵門
一般の人は入れません。
 甲州道中の起点になる門。
旗本服部半蔵の屋敷が名の由来。
伊賀忍者であることは有名。与力30人、居が同心200人を配下に、組屋敷を与えられ警備にあたった。
 現在の門は戦後に再建された。
お濠の水面からかなり高いところにあります。土手の上に石垣が築かれ、四季を通して美しい景観。
土手の風情がやさしくみえます。

 武道館入り口の田安門

 橋の手前は靖国神社



清水門 

北の丸公園から見ることが出来ます。
国の重要文化財。

     

  乾門

門の前の道幅が広く、黒塗りの車が通ります、誰でしょう。
一般の人は入れません。
新年一般参賀の退出門のひとつです。

     乾小公園
       乾門のとなりにある小さな公園。
       アジサイが周囲を囲むように植えられている。
       ベンチもある。

       公園の中心には「森の調べ像」
        像の向うに見える森は北の丸公園

北拮橋門(きたはねばしもん) 
                  
 桔橋というのは有事の際に橋をはねあげて交通を遮断できる仕掛けになっていました。現在も門の上部にはねあげるために取り付けた金具が残っている。皇居東御苑出入り口




 ここから見る石垣は高く、お濠の水面がはるか下に見えます。
 ←右上の画像の右手 乾豪

橋の正面は北の丸公園入り口。国立公文書館。
化学技術館。

 平川門

 「お局御門」とも呼ばれ大奥女中の通用門でした。大奥年寄り絵島が役者の生島に会いに行ったのもこの門。
 
「不浄門」とも呼ばれ城内での死者や罪人はここから出された。浅野内匠頭刃傷の後この門から送り出された。

 


桜田門をくぐるとお堀の石垣が、松のすがすがしい植え込みに変わります。門前には法務省のレンガの建物
(東京駅のよう)、警視庁をみながらお濠沿いに歩く。

国会議事堂が見えてくる。坂道になり、道幅も狭くなったような気がします。ジョキングする人がすぐそばを通ります。
 日比谷から半蔵門にかけて街路樹にユリノキが植えられています。5月にはチューリップのような花が咲きます。
2003年社民党本部の屋上で養蜂家が桜とユリノキノ蜜を集めたそうです。

左手に最高裁判所 
 昭和49年竣工。
窓もなく独特の雰囲気をかんじる。
 最高裁判所は三河田原半上屋敷跡で、
渡辺崋山はこの屋敷で生まれた。
 この辺りは千代田区隼町、鷹匠が住んでいたという。
 
  最高裁の隣は国立劇場。正倉院の校倉造りを模した外観。

 ミシンをイメージしたかのようなビルはワコール。
ロボットにも見えます。

 千鳥ケ淵公園で一息。
ベンチもたくさんある。トイレもきれい。
桜の木が植えられ、花と豪と対岸の土手の緑とが美しい。
ここの景色は公園内でみるより、先の道を右に曲がった所から眺めるほうが素敵です。
乙女の像 像が鳥のフンで汚れているのがおしい。

 イギリス大使館の瀟洒な建物。この大使館の前は舗装をしていない道で、車が通る通りから一段上がったところにあります。この道、イギリス大使館が舗装しないでほしいと望んだため残ったのだそうです。イギリスらしいと思いませんか。もちろん私たちも歩く事が出来ます。
靖国神社

明治2年(1869)、戊辰戦争の戦没者を慰霊するために創建。参道中央に立つ大村益次郎の銅像は、明治26年(1893)に建立。上野彰義隊征伐の時に指揮をした人物。銅像も上野にらんで立っている。東京で最初の銅像で上野の西郷像、皇居前楠木像とともに東京の三銅像のひとつである。大鳥居は昭和9年(1974)に再建され、高さ25m日本一大きい鳥居。
 境内は桜の名所。約1000本植えられ3月末から4月上旬まで楽しめる。
裏には大砲も展示されていて「遊就館」という資料館もあります。

北の丸公園

 江戸城北の丸には春日局、千姫、駿河大納言忠長らが住んだ。
今は日本武道館、化学技術館などもある。

 広い園内には、樹に番号がふってあるので、それをに従って歩く。樹の名前がわかるというわけ。
  池を囲む芝地、サクラ、ハナズオウ、カエデの若葉がさわやかでした。きっと秋の風情もいいでしょう。
千鳥が淵を見下ろせるところがありました。風が下から吹き桜の花ビラが舞い上がる。
 田安門を出ると左手に靖国神社。         科学技術館 外壁には星のデザイン

国立近代美術館工芸館

旧近衛師団指令本部庁舎
 明治43年3月建築
重要文化財
     (昭和47年10月指定)





 関東大震災、太平洋戦争にも残り、ほぼ昔のままの姿をとどめている。赤レンガ造りが印象的な建物。
田村鎮設計。


吉田茂
  気象庁が見えたら大手町。
  将門塚 
 大手町のオフィス街。三井物産ビルのとなりに、940年に平貞盛らに討
たれた平将門の首塚があります。
 江戸時代、荒廃した首塚が祟りをなしたために、手厚く供養したという伝説があり、今も花がそなえられています。先日も若い男性2名が何10個ものろうそくを立てお参りしていました。     
 日本三大怨霊といわれ(崇徳上皇,菅原道真,平将門)度重なる祟りは広く知られています。

 発掘調査の後に石室は壊されてその上に大蔵省仮庁舎が建てられました。
するとなぜか大蔵省内の役人と工事関係者の間に死人が出る、怪我人が絶えない、それもなぜか足に負傷する者が多く、将門公を足下にした祟り、という噂が流れ仮庁舎は壊された。

終戦後、進駐してきたアメリカ軍によって、このあたりは駐車場にされることになりました。ところが、この整地の際にブルドーザーが横転、運転士が死亡してしまったのです。ここは残されました。

 ビルを建てるにあたり移動させようとしたのですが、相次ぐ事故に断念したんですって。などなど
写真を撮ると祟られるというので、この奥の首塚碑の撮影は断念しました。
     (千代田区大手町1−2  大手門からすぐ 近くに東京消防庁  地・大手町) 

御不浄 1.和田倉休憩所
2.外苑のバス駐車場の向こうに小さな建物。前庭も見えます。そこがトイレでした。
  人の少ないスポットですが、警官のパトロールもあり安心。
3.二重橋をすぎ桜田門手前にトイレがありました。安心して先に進みます。
4.半蔵門そばに千鳥ケ淵公園があります。
ここにはロゴハウスのようなトイレがあります。