上野の森は 音楽の森 芸術の森  さくら パンダ ほほえみの森 

 明治政府は政府は西洋医学所の付属病院をここに立てる計画を決めた。明治6年政府の要請で来日していたオランダ軍医ボードワンの意見を受け入れ、上野山を公園にする事を決めた。当時公園の概念がなかった日本人にとっては画期的なことだったのではないでしょうか。
 大噴水広場はかつては寛永寺の根本中堂、本坊跡には国立博物館が建っている。
  JR上野駅には公園口があり、そこから出るのが動物園、博物館に近いのですが、
上野公園を散歩するのなら、JR上野駅しのばず口を出るのがよいと思います。
「袴腰」と呼ばれる緩やかなスロープから階段(似顔絵描きたちが並んでいます)を上ると山王台。西郷さんの銅像があります。
西郷隆盛像
明治31年(1898)12月公開。高村光雲作
             犬は後藤貞行の作

  モデルの犬は薩摩犬で、鹿児島から取り寄せたという。実際に西郷は故郷でうさぎ狩りをする時に薩摩犬を猟犬として使っていたといいます。
  倒幕の立役者で、陸軍大将の西郷が、単の短い着物に兵児帯姿に、悲劇的な最期を遂げた生き様に、親しみを込めて「西郷さん」と呼びました。
  除幕式で夫人が「うちの人はこんな顔じゃない」と言ったそうです。西郷は写真嫌いで写真が残っておらず、近親者の記憶をもとに描かれた肖像画が残っているだけであった。でも、国会議員になった子孫は銅像によく似ていたと思いました。鹿児島の西郷像は軍服姿ですが、私は上野の西郷像のほうが好感が持てますが皆さんはいかがでしょうか。銅像わきの南州(西郷の号)筆「敬天愛人」の額もあります。

   銅像に 集まる人や 花の山   正岡子規

彰義隊の墓所
 明治15年建立。墓碑の「戦死之墓」は山岡鉄州の筆。遺棄されていた彰義隊の226名の戦死者がこのあたりで荼毘にふされた。
(遺骨は南千住円通寺に埋葬された)
石灯籠の窓が鳥の形にくりぬかれている、珍しい。
清水観音堂国の重要文化財)  
 清水観音堂は寛永8年(1631)京都の清水寺を模して天海僧正が建立したという。関東大震災の難にも耐えた。
 本堂内には、おびただしい人形が集まっている。子供が授かるように、無事に育つようにとの願いから人形を奉納するのだという。かつてはここから、不忍池が見渡せたそうですが、今は木々が茂り見えません。
 この清水観音堂の黒門は復元されたもので、上野戦争の時の弾痕も忠実に再現されている。
(本物は彰義隊戦死者の葬られている円通寺に移築されている。)
千手観音像は、2月の最初の丑の日のみに開帳される秘仏。
階段を下ると忍川が流れ、水の湧き出る井戸がある。京成電鉄のトンネル内に湧く水をくみ上げている人口の川だが、水べの草がいい雰囲気。
懸け造りの舞台から不忍池を見おろせたという。
『名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池』広重
清水堂からの桜の眺めは素晴らしかったという。新調した着物に袖を通し、毛氈などを敷いて酒宴を開いたという。しかし将軍家菩提寺境内であったので、三味線などを弾いて騒ぐ事は出来ず、暮れ六つ(午後6時)には山から出なくてはならなかった。絵は清水堂周囲に咲いた桜と花見客を描いている。不忍ノ池がよく見え、舞台下には奇形で有名な月の松も見えている。
 
「一めんの花は基盤の 上野山 黒門前にかかるしら雲」
              忍川の流れに沿って歩くと大田蜀山人
(太田南畝)の歌碑がある。
                   

 

  むくの木
日本芸術院会館の脇の小道を右にいくと、枯れ木がある。幹が裂けたように穴が開き、節くれだっている。根もまるで膝を立てているようでちょっと怖い。「むくのき」と札がかかっている。
  摺鉢山 海抜23.32メートル
弥生式土器が出土し、約1500年前の前方後円墳だったともいわれている。
大きな石がベンチ代わりに置いてある。
天海僧正毛髪塔
門には桜の花に宝輪がくっついた印がある。細い柱の供養塔を石灯籠が囲んでいる。
家康、秀忠、家光と3代に仕えた高僧。日光に家康を祀り、寛永寺を創建。
 

国立西洋美術館

前庭にロダンの「考える人」「カレーの市民」「地獄の門」の像が装い新たに展示されています。これは美術館に入らなくても、すぐそばまで行くことが出来ます。

芸術的な交番の前は鳩がいっぱい。近くの鳩にエサをあげようとすると、向うのほうから求んできて、肩や腕にもたかるのです。ヒッチコックの「鳥」のようで恐ろしい。
高いところに馬に乗った銅像が見えます。小松宮彰仁親王の銅像
明治45年
(1912)日本赤十字社によって建立。
そのそばのレリーフはグラント将軍植樹碑 昭和4年8月に建てられた。明治12年8月25日将軍夫妻のよって植えられた、マグノリアとローソンヒノキは今も健在。

 

噴水池 この周辺を竹の台という。このあたりは春の新緑、夏の木蔭、秋の黄葉、冬木立の陽光。いつ行っても気持ちのいい場所です。(カラスが気になりますが)

野口英世博士
  ボードワン博士胸像

 西洋医学所が上野の山に移転する計画であったが、オランダの医師母ボードワンが上野の山の自然を見て、これだけ見事な自然を損なうもはもったいない、公園として残すべきと進言。始まった工事は中止された。

 

東京フリー写真

 国立科学博物館  昭和6年11月2日開園

前庭右手にSLD51型が置かれ、左側にはシロナガスクジラの大きな模型。正面階段の両脇にカーブの階段。下りていくと科学博物館のショップに入れる。
                                     


東京国立博物館 

 正面の本館は洋風の建物に瓦の屋根という和洋折衷。門の前を左に行くと黒い大きな門。旧因州池田屋敷表門
(重要文化財)。瓦に菊の紋がついているのは、明治の頃東宮御所正門として使われていたことがあったから。
 東京都美術館
美術館のまわりには抽象彫刻がいくつもあり、楽しめる。美術館では同時にいくつもの展示をしている、無料で見学できるものもある。ショップにも入れる。





 
 旧東京音楽学校奏楽堂

 明治23年に造られた、木造2階建ての日本最初の洋式音楽ホール。
 昭和62年移築され再建された。今でもコンサートに使われている。国の重要文化財。
 20歳でこの学校の先生になり、名曲を作曲した滝廉太郎の像がある。

 


徳川家墓地 勅額門
 (ちょくがくもん)
 大きくはありませんが朱色の実に美しい門です。国立博物館の裏にあたります。

 国立博物館の裏の道からは、茶室がいくつかみえます。まわりは桜の大木、花の頃は見事でしょう。上野のサクラは天海草上が植えたのが始まりだといいます。

寛永寺 
 寛永2年、江戸の鬼門封じのために建てられた。最盛期は今の上野公園の2倍の広さだったという。
1868年(慶応4年)5月15日上野戦争で焼失し、再興された。
根本中堂は川越の喜多院の本地堂を移築した。
現在、本堂があるところは、寛永寺大慈院のあったところで徳川最期の将軍となった一橋慶喜が謹慎した「葵の間」が残っている。
(拝観は境内のみ 雑誌で見たが壁に葵の紋がいっぱい)

台東区植野桜木1‐14‐11 03‐3821‐1259  8〜17時

京成電鉄「博物館動物園駅」マヤの神殿のよう。

 正面に
上野動物園の入り口。その前を右に行くと正門がある。曲線の装飾が美しい。昭和初期に造られた正門ですが今は使われていません。
 上野動物園は藤堂高虎の屋敷跡に造られました。

 


「新鶯亭」

 動物園出口そばに、
大きく広げた木の枝に包まれるように建っている。鶯団子が名物だが、他におでんなどもある。夏にはかき氷も。
 お庭の緋毛氈(
ひもうせん)が目に鮮やか。

 

戦火をのがれた上野東照宮(国の重要文化財)

 大きな石の明神鳥居をくぐる。この鳥居、寛永9年に造られたがもので、関東大震災にも微動だにしなかった」という。
 参道には石灯籠が幾重にも重なり並び壮観です。左右に大きな獅子狛犬、その周りの青銅製の灯篭には動物の装飾が施されています。

 朱色の透かし塀には花・鳥・魚・虫などが彫られている。
 拝観料を払って中に入ると 唐門両脇に左甚五郎作(国宝)「昇り竜」「下り龍」。あまりの見事さに夜な夜な忍ばず池に水をのみに行くという話も出たそうです。権現造りの社殿は当時の建造物.内部もゆっくり拝観。

 

時の鐘
       花の雲鐘は上野か浅草か  /芭蕉
で有名な鐘。今でも朝夕6時と正午の3回時を告げている。
       
2003.2.9 正午→

                 

花園稲荷神社  穴稲荷。「お穴様」と呼ばれた岩穴が今もある。ちょっと変わったところにあっておもしろい。ここの灯明台は宝珠の形をしている。ろうそくの灯がともると「火炎宝珠」となる。
上野大仏

 江戸時代に造られたが地震などによって何度も壊れたという。修復されたが関東大震災の時に崩れて以来、顔だけが保存されたという。

 

不忍池

 周囲約1.4キロ、蓮の花咲き、水鳥の楽園、不忍池。昭和61年(1966)には鳥獣保護区に指定された。大田道灌の頃は今の3倍もあったという。
  海僧正が寛永寺を造営するに当って、不忍池を琵琶湖になぞり竹生島を模して設けたのが中島(弁天島)。
   不忍池といえば真夏に咲くハスの花で有名ですが、すでに江戸時代には広く知られていた。(動物園内の橋の上からだと、目の前に見られる)蓮は花もきれいだがレンコンも喜ばれる。江戸時代の池畔には60軒もの料理屋が並び、レンコン料理や蓮飯を食べさせた。不忍池のレンコンは将軍家に献上された。蓮の花の見ごろは真夏。
北斎「東都景勝一覧 不忍池」
「江戸名所図絵」








 ”ふく”供養碑   
 めがねの碑 
徳川家康の使った眼鏡をデザインしている。

 


弁天堂
高さ36.36m
 上野公園から階段を下り道路を渡り不忍池にでる。弁天堂への参道の両側は蓮田。夏の頃は江戸の風情をほうふつさせてくれます。     

寛永16年(1639)の建てられ、昭和20年焼失し33年に再建された。


  

 




弁天堂の天井に谷文晁の「雲龍図」。
桜や紅葉の絵も色鮮やかです。

西郷さんからここまで歩いてくると、寛永寺がいかに壮大だったか実感できます。

明治10年 第1回内国勧業博覧会 大久保利通が式典に出席。    
明治12年  第18代アメリカ合衆国大統領グラントの歓迎会が上野公園で開催。記念植樹する。
明治14年 第2回内国勧業博覧会 ガス灯設置
明治15年 動物園開園   明治20年虎 明治21年象 明治35年ライオン
                  明治40年キリン(日本初大評判) 明治44年カバ
明治17年 不忍池畔に競馬場
明治18年 上野駅完成  石川啄木「ふるさとの訛ナツカシ停車場の・・」はこの駅。
明治22年 東京美術学校開校 74名の生徒が入学。
明治23年 第3回内国勧業博覧会 日本初の電車が走った。(現文化会館のあたりから科学博物館のあたりを走った。気球、自動車が引っ張ったグライダー )  
明治31年 西郷隆盛の銅像(江戸城無血開城。西郷が戦火を避けた江戸の地が見渡せる場所として選ばれたといわれている。)  東京で2番目に建てられた銅像。(1番は靖国神社の大村益次郎) 
明治40年 東京勧業博覧会 観覧車、イルミネーション、ウォーターシュートが登場。
大正15年 東京府美術館開館
昭和 6年 不忍池簿ボート場
東京科学博物館開館
  太平洋戦争下 園内の金属類も供出の対象となり、動物園の猛獣、象などの大型動物25頭処分。園内開墾されサツマイモが植えられ、不忍池は田んぼになった。空襲で寛永寺関係、東照宮の一部などが焼失した。
昭和34年 国立西洋美術館開館 
昭和39年ミロのビーナス 昭和40年ツタンカーメン展 昭和49年モナリザ展