元和2年(1616)2月4日、見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に呼ばれ三人一処に末永く魂静まるところを造ってほしいと遺言された。そこで藤堂家のや敷地であるこの上野の山に、寛永4年(1627)に東照宮を造営した。けれど家光将軍はこの建物に満足できず、慶安4年(1651年)に江戸の象徴、金色堂として改築した。(パンフより)

 本殿、幣殿、拝殿、唐門、透かし塀など贅沢な権現造り。
参道両側の燈篭はこのときに諸大名が寄進したもの。
 境内に開設されている東照宮ぼたん園は昭和55年日中の友好を記念して開園した。約3500株が植えられている。冬牡丹はワラの覆いをかぶっていて可愛らしい。(重文)

                 

表参道大石鳥居
寛永10年(1633)酒井忠世が奉納。関東大震災にも微動だにしなかったつわもの。(重文)

水舎門  

 社の右側にあった御水舎の上屋を門として移築した。

 両脇に石灯籠と桜の木。シジュウカラの声。右手に五重塔がみえる。

旧寛永寺五重塔(重文)
 上野動物園の敷地内に立っているが、東照宮の参道から桜越しに雄姿を望める。(鶴の姿も見えるのでフェンスに近寄ってほしい)

 

 石灯籠の並んだ参道を進むと青銅灯篭50基がある。うち唐門両脇にあるもの6基は徳川御三家が奉納したもので、細かい彫刻がなされている
参道両側の青銅の燈篭 各大名が奉納したもの。
 彫り物など装飾が見ていて楽しい。

石灯籠 約200基、諸大名の寄進によるもの。このなかで有名なのが、お化け燈篭と呼ばれるもので、高さ6.8mもある。

 

透かし塀  
唐門から拝殿、本殿を、えぐらした朱塗りの塀。上欄には花木山禽、下欄には水草鳥魚虫貝をあしらい、全て極彩色であったというが今は予算の関係で下塗りの朱色となっている。(明治40年に国宝に指定されたが、現在は重要文化財となっている。メモ)

 拝観料を払って中にはいる。右に曲がると大楠(旧天然記念物)。周囲8m、高さ25m、樹齢500〜600年。上野公園の租木。しめ縄が張ってあるのですぐわかります。根本はコンクリートが塗られている。

  透かし塀にそって歩く。茶室をのある庭の前を通る。小さな門を入り、靴を脱いで中にはいる。

拝殿・本殿 権現作り、拝殿正面には「東照宮」と大書した後水尾天皇の勅額がある。拝殿の奥が本殿、。

 所々色あせているが、金箔、極彩色、彫り物が美しい。上を見ながら廊下を歩く。画像左の金箔の扉の前を通り右に曲がる。

 
 本殿の前方に建ち,本殿との間を石の間でつなぐ「権現造り」である。唐門の透塀に囲まれ,入母屋造り正面千鳥破風といった大きな銅葺の屋根である。

 拝殿にはいる、左に黒い漆の光る本殿 前後に仕切られている。
ここに家康公、吉宗公、寒松院(藤堂高虎)、天海僧正ご神体が納められている。
拝殿に入って右は、画像上左の中になります。

狩野探幽の筆による壁画「唐獅子」。
一面に彫刻、壁画で埋め尽くされている。

地図大鏡ー松浦武四郎が奉納したもの。
高村光雲作観音像
刀剣・陣羽織・書画

家康公の御遺訓

 人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、いそぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。心にのぞみおこらば困窮したる時を思い出すべし。
 堪忍は無事長久の基。怒は敵と思え。勝つことばかり知って負くる事を知らざば、害、その身に至る。己を責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。

        慶長八年正月十五日         家康

 
 玄関に戻り靴を履き、透かし塀にそって進みます。
左に曲がるとすぐ隣に動物園。

 そして本殿、ご神体が納められているところです。銅瓦葺入母屋造りで外側は金箔仕上げで美しい
 日差しを浴びて眩しく光る。よいお天気の日を進むと唐門。すぐそばまで行くことが出来ます。

唐門(唐破風造り4脚門)
 総金箔の門で、両側上部にある松竹梅と鳥の透かし彫りは桃山の技術を集大成したものとして評価されている。柱内外4面には左甚五郎作の上り竜、下り竜の彫り物。
 夜な夜な不忍池に水を飲みに行ったなどの講談で有名。

   

 

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