過去の思うこと

 

2003年10月 30日(木) 気になるアワード

最近、何を思い立ったか小説なるものを書いていることは以前にもこの場で話しているが、先日何気なしに某出版社が開いている素人小説投稿サイトに「海の中のコオロギ」という小説を応募したら、何と編集者が毎月選んでいる「気になるアワード」という賞を頂いてしまった。

特に賞金が出るとか本になるとかそんな大それた賞ではないのだけれど、例えようの無いほど嬉しくて舞い上がってしまった。

今まで何気にこのページで小言を書いたり掲示板に書き込みをしたりしていたが、理系出身の僕の文章にみんな退屈していないだろうか等といつも思っていたから、少なからず文章を認めてもらえたことには嬉しさを通り越して感動すら覚えてしまった。又、このページにあるひっそりとした「novel」のページの掲示板に初めて小説の感想を頂いてしまった。

僕はインターネットというものに完全には肯定的ではない。なぜなら、なんでもかんでもコンピュータ上でできてしまうことが逆に人と人とのつながりを減らしているような気がしてならなかったのだ。

でも上に述べたように小説を誰かに読んでもらって直に感想をもらうことや、決して出会うことの無い人たちと何気ない日常について語り合ったりすることは、これもまたインターネットでしかできないことでもある。

世の中はもの凄いスピードで便利になっていくのだろうが、ある程度はアナログ的なところを残しつつ古き良き姿を忘れないようにしたいものである。

 

2003年10月 24日(金) 9人の戦士

先日、会社の労働組合がバレーボール大会を開催した。

当日のバレーボール大会は意外にも本格的なもので、毎週練習しているような真剣なチームも幾つか参加していた。試合の方法は予選リーグを3試合行ってその優勝チームが決勝リーグに進出できるのである。で、僕達の職場も参加することにしたのだけれど、既におじさんの名をほしいままにするような連中の集まりであり、経験者もいない、アタックもろくにできないようなママさんバレーよろしく、おじさんバレーである。

しかし、やるからには勝ちたい。例え毎週練習しているような強豪チームであろうが、プロじゃあるまいし勝てないはずは無い。そう思い続けて試合に挑んだ。

結果は案の上2勝一敗、おしくも予選敗退となってしまった。しかし、その負けたチームというのはその後の決勝リーグで優勝したチームであり、経験者がいて毎週練習も欠かさない。その上、ユニホームまでそろえている本格派なのである。

チームはなぜか燃えた。決してとてつもないアタッカーもセッターもいない素人集団であったが、ことスポーツに関しては人並み以上にこなす連中が集まった我々のチームは、そのチームから1セットを奪ったのである。あとにも先にもその強豪チームからセットを取ったのは我々のチームだけである。

これまで団体スポーツというものにそれほど魅力を感じていなかったけれど、今回のことで少し考えが変わったような気がする。誰かのミスをカバーしながら一丸となって目的に向かうその思いは、個人スポーツでは決して得られない瞬間である。

一人の力では何もできない。

それは生きることと同じなのかもしれない‥‥。ふとそう思った。

 

2003年10月 11日(土) 阪神という希望

阪神がとうとう優勝をした。
今ごろ阪神の優勝の話?と思われる方もたくさんいるのだろうが、僕にとってはようやく実感として心の底から冷静に祝福できるようななったのである。

ここ最近、理由をつけては酒を飲みに出かけ阪神の優勝を肴に騒いでいた。たぶん周りから見ればただのばかと思われるかもしれないが、僕にしてみれば阪神タイガースの優勝は東京タワーの頂上から飛び降りて傷一つ無かったというぐらい奇跡的なことなのである。

18年前に優勝したとき僕はまだ中学生だったと思う。
ちょうど日本シリーズが終盤を迎え阪神が日本一になるかどうかの大事な試合を、僕は先生の目を盗んで耳に突っ込んだイヤホンでラジオを聞いていた。

そして、あの当時、あまりの強さに常勝軍団と恐れられた西部ライオンズを倒して阪神タイガースが優勝を手にしたその日こそ、何と僕の誕生日だった。忘れもしない11月2日。

もうすぐ日本シリーズが開幕するが、あの頃の懐かしいほど色鮮やかな思い出を今度も再現してほしいと思う今日この頃である。

 

2003年8月2日(土) インドネシアという国

先日、ふと思い立ったようにリュックを背負いシンガポール行きの飛行機に乗り込んだ。
行き先はシンガポール経由のインドネシアである。

もともと遺跡が好きなのとアジアを見てみたいという思いが重なって、SARS問題の終息を機会に有名なボロブドュール寺院やプランバナン寺院を有するインドネシアへの旅を決意したのである。

インドネシアという国に初めて着いた人はまずその人の多さに驚くのではないだろうか。空港では旅行者やビジネスマンを勧誘しようと到着ゲートの周りを取り囲むように待ち構えているおじさんの群れを見ることができる。
こういう光景は実はインドネシアの至る所で見ることができて町を歩いていても、観光地に行っても、とりあえず外国人の周りには現地の人が寄っては離れるを繰り返している。

理由については明らかなことで、外国人が払うお金は膨大だからである。

現地で知り合ったインドネシア人の話からすると、一般の人の一ヶ月の給料はおよそ8000円ほど。例えば観光客が自国の常識にそった考えで払うタクシー代金の千円は運転手の月給の数分の一にあたってしまう。

こういう物価事情にあると当然のことながらぼったくりのような商売が日常化してしまうのは仕方のないことで、街中の出店などで買い物をする観光客は必ずといっていいほど高い値段で交渉が開始する。交渉が苦手な人はその値段で買ってしまうし、少し交渉上手な人が話すと一気に半額以下に下がる。

交渉ぐらいなら楽しい経験の一つとして済むかもしれないが、スリや引ったくり、強盗などの被害も多いと聞く。

こういう風に書くとインドネシアは悪い国と思うかもしれないが、断じてそんなことはない。確かに一部そういう悪い面も存在するが、インドネシアの人々の陽気な性格は見ていてとてもすがすがしく感じられる。

道に迷った時は丁寧に教えてくれるし、少し現地の言葉で挨拶をするととても気分よく話し掛けてくれる。英語を話す人は本当に限られているので現地の言葉であれこれと話してくれ何を言っているかは雰囲気で想像するしかないのだけれどそれはとても心地がよいものだ。

出店での交渉も両者が納得いく金額で成立したときの日に焼けたおじさんの満面の笑みは、日本で買い物をするときには決して見ることのできない忘れかけた何かを思い出させてくれる。

インドネシアは決して恵まれた国でも安全な国でもないのかもしれないが、生きていこうとするエネルギーに満ちた南国の楽園である。

 

2003年6月21日(土) 携帯電話

昨日とうとう携帯電話を購入した。

携帯電話を持つなんていったいいつ以来だろうか・・・と考えたりするほど随分久しぶりなことである。
最初に携帯電話を持ったのは、携帯電話がまだ世間に普及していない頃のことで例に漏れず新しい電化製品に飛びつく性分から物珍しさに購入してしまった。その頃は外で携帯電話を使うことになんだか恥ずかしいような感覚があったのだがその便利さにただただ感心するばかりだった。それからドイツに数年移住した後帰国した頃には誰もが当然のように携帯を耳にかざし極普通の光景のように街に溶け込んでいた。

帰国した当初、暫くは携帯電話を持っていた。便利であることは疑う余地もなく、持っていることになんのデメリットも感じられなかったからだ。でも携帯を一度でも持つと、それを忘れたときにひどく落ち着かなくなったり、逆にどこで何をしていても自由を奪われているような感じを受けて、いつのまにかわずらわしくなりとうとう持つことをやめてしまった。

周りからは随分不平を言われた。それは当然のことだ。これまで連絡できていたのがいきなりできなくなるということは、毎日顔を合わしていた人が突然いなくなるようなものなのかもしれない。

でも携帯を持たなくなると最初は少し戸惑うが慣れてくると意外にさっぱりするものだ。緊急の連絡以外は家の留守番電話で十分だし、そうそう緊急の事態なんて何度もあるものでもない。

そう思い続けて数年が経ったが、とうとう携帯を持つことにした。

最近始めたテニスは当日の天気に左右されやすく、連絡が来るのがその直前になることが多くなったためだ。さすがに当日の連絡を家で待ち続けることに苦痛を感じ始めとうとう我慢ができなくなってしまった。さらには街頭で展示されている携帯のデモ機を見てこれなら毎日持ち歩いてもいいかと思えるモノがあったからだ。

それはツーカーの携帯。カメラも動画もないただのシンプルにだけこだわった薄い携帯。厚さ15mmにして約80gのそのサイズはマイナーなツーカー製品ということを差し引いても買うに値するモノだった。

でも最終的に携帯を持つきっかけになったのは、ツーカーのテレビCMの一言である。
「電話さえできればいいやん。だってお金って大切でしょう」

動画対応携帯をもっている人はまれ。カメラはデジカメで十分。常日頃からそう思っていた僕はひどく共感してしまった。だからあえてツーカーを選んだ。

 

2003年5月18日(日) 最低の日

先日バスに乗った。

休日のためかバスは込んでいて席がない。
あとから杖を突いたおばあさんが乗ってきたが近くの高校生はヘッドホンで音楽を聴いたまま少しも席を譲ろうとしない。

なんだか悲しい。

だから自分の中では少なからず弱いものの立場に立って考えているとずっと思ってた。

昨日最低な事をした。間違いなく今まで生きてきた中で一番最低だ。

 

2003年5月9日(金) 澄んだ瞳

どうして子供の目はあれほど澄んでいるのだろう。
つい一ヶ月ほど前、所用で実家に帰省したのだが、甥っ子の目を見て真剣に考えてしまった。僕を一所懸命自分のほうに振り向かせようとひっぱり、僕が正面を向くと澄んだ瞳でじっと僕の目を見つめるのである。子供ながらに何かを真剣に考えているのだろうが、一つの汚れもない眼差しに正直戸惑った。

実家からの帰路の地下鉄でぼんやりと周りの乗客を眺めていると、反対側の席に十代後半ぐらいの女の子が座っているのに気がついた。何気に彼女の仕草を見ていると少し落ち着かない様子で傍に置かれた大きなスポーツバックに目をやったり電車の中吊り広告をじっと見つめていたりした。その辺りは大学が多く集まる地域だし、ちょうどその時期は新入生が一人暮らしをするためにどこかから沢山やって来る季節でもあったので、多分彼女は初めて一人暮らしをするために遠くからやってきた新入生なのだろうかと勝手に想像したりしていた。

不意に彼女の目を見て思わず見入ってしまった。電車のライトに反射して口では表現ができないほど彼女の瞳が輝いていたのだ。

海外では相手の目を見て話しなさい。そうすれば相手がどんな事を考えているかをさらに深く理解できると言われたことがあるが、まさにその通りかもしれない。

「目は口ほどにものを言う」

 

2003年3月28日(金) アメリカよ何処へ行く?

今日、「戦場のピアニスト」という映画をみた。
現在の世界の情勢を考えると、見るのがとても苦しかった。悲しかった。

誰もが知っている通り、現在アメリカ(イギリスも)とイラクの戦争が始まっている。来る日も来る日もバクダットに空爆だの何処まで進軍しただの自国の正当性を主張するような報道ばかりが続く。アメリカでは70%の人が戦争に賛成しているという。

僕は戦争にはどんな理由があろうとも反対だ。ブッシュがどんな正当な理由を掲げようとも賛成することはできない。

空爆で十数人が死亡。誤爆で数人が死亡。それを何とも思わないのだろうか?
その家族がどれほど深い苦しみと悲しみを感じているかを理解しようとしないのだろうか? 僕にはわからない。

知り合いに、とても悲しい出来事を身近に受けた人がいる。その人はその後遺症で今でも小さな音でさえ眠れなくなるほどにひどく苦しんでいる。

戦争がいったい何をもたらすのか?平和?希望?未来? 人を殺して得られるはずがない。

僕はアメリカにあこがれていた。自由であり、希望があり、夢がある。日本の社会にはない飛躍できる未来があると思っていた。でも、この戦争で考えが少し変わってしまった。確かにイラクは危険かもしれない。だからといって、他国に干渉するほどの権限がアメリカにあるのだろうか?フセインは確かに良い大統領とはいえないかもしれないが、その市民には何の罪もありはしない。戦争で苦しむのは一般市民だけだ。難民となって住む家もなく、食べることにも苦しむただの市民だけだ。

ブッシュ大統領はしきりに勝利を口にするが、何が勝利で、何が敗者なのか。アメリカが圧倒的な戦力で勝利をもぎ取っても、最後には誰も勝者になりはしない。僕はそう思う。

以前デッドマン・ウォーキングとう映画を見た。罪を犯した囚人が死刑になる物語だが、僕はこう思った。人が人を殺すべきではない。例えどんな理由があろうとも。

ましてイラクの一般市民には何の罪もない。

僕の友人が笑い話で言っていた。
そんなにブッシュが戦いたいなら、フセインと一対一で素手で戦えばいい。ジャンケンだっていい。それで解決するなら、誰も傷つくことはない。

 

2003年3月13日(木) 手作り

先日、久しぶりに実家から段ボール箱の荷物が届いた。何が入っているのかと中を開けてみると、米が半俵と田舎で取れた野菜が所狭しと詰められていた。きゅうりにキャベツに大根、どれも実家の畑で取れたものだ。

田舎から食べ物が送られてくる度にいつも驚くことなのだけれど、野菜の味が都会で買うものと全く違うのだ。スーパーで買う野菜ははっきり言ってそのままでは食べられないから、炒めたりドレッシングをかけたり何かしらの味のごまかしが必要になる。でも田舎の野菜はそれだけで食べても十分味があるのだ。まるで果物のような味がする。無農薬で虫に食われながら育つ野菜の数々は、土や虫の栄養を吸収し本来の味を作るのだと思う。

田舎に住んでいた頃はそれを当然に思って、野菜の有りがたみなんてこれっぽっちも感じていなかったけれど、今ごろになって改めて田舎の暮らしの良さがわかる気がする。

その野菜を作るのは既に定年を過ぎた両親であるが、彼らの丹精をこめた野菜を食べれることはとても幸せなことだ。今ではスーパーで何でも惣菜物が買えるけれどやはり手作りに勝るものはないのではないだろうか。

本日お知り合いの方から手作りのチョコレートを頂いた。まさに手作りのチョコレートだ。やはり手作りに勝るものはない。

 

2003年2月23日(日) 旅立ち

一昨日の金曜日に小さな送別会があった。
会社の上司がヨーロッパへの出向を間近に控えているからだ。

彼は上司といってもものすごく身近な存在で、変に威張るようなことはひとつもない。時には笑い、時にはふざけて、世間一般で言う「上司」とは随分違っている。それに頭がはげている。別に本人はそんなことには全く動じてなくて、むしろそれをチャームポイントにしているような気さくで素直な人だ。

僕と彼との部署は実は全く別のところなのだけれどなぜだか仲がいい。もちろんこれは僕に限ったことではなくて、今回の送別会にはいたるところの部署からひどく特徴のある人ばかりが集まった。突然飲んで裸になる男、それを見ても笑いもせずタバコをふかしながら冷静にピーナッツをほじる男。又その横では車のレースの話をハンドル操作をまじえて力説する男(彼は以前はサラリーマンレーサーでその部門では全国2位になったこともある)。実に愉快だった。やはり彼の人柄なのだろう。集まる人間もまた趣がある。

で、僕と彼の接点はというと一緒にポーランドを車でほっつき歩いた仲なのである。
僕はその頃ドイツに住んでて彼がポーランド出張の為日本からやってきた時にお供として同行したのである。
雪の降る中、チェーンのない車で地図を片手に二人で右往左往していたのを覚えている。ポーランドの古き良き町のクラクフや、かの有名なアウシュビッツ収容所にも立ち寄った。

ポーランドという国はまだ発展しきれていない東欧の静かな国で、のどかな田園風景や趣のある建物が並ぶ一方、豪華なホテルのラウンジに平気で娼婦が席を陣取ってるというような表と裏が混在しているような不思議なところがある。彼と二人で目を丸くしていたのを覚えている。そんなよくわからない出張も彼と一緒だったことでよけいに僕の中では忘れられない記憶の一つとなっている。

彼は来週の初めにはルフトハンザ航空に乗ってフランクフルトに旅立ってしまうのだけれど、彼のこれからの活躍と健康を祈りたい。
アメリカとイラクの情勢がその時期危ない様なのがなんとも気がかりなのだが・・・。

 

2003年2月15日(土) 日本人

 僕がテレビを見るようになってから、いつも画面に流れているのは掛布の姿。その横には岡田がいる。真弓がいる。ああバースもいた・・・・・・。僕は阪神タイガースのファンである。

 元々関西の出身でテレビチャンネルの中には京都放送なるものがあっていつも阪神戦をやっていた。だから自然に阪神ファンになってしまった。家族全員が阪神ファンで勝っても負けても阪神の話題ばかりだった。

 最近の阪神ははっきりいって最悪に弱い。地の底まで弱い。それでも阪神ファンがやめられないのはある意味病気かもしれない。でも阪神が勝った時のビールはたまらなくおいしくて特に巨人に勝ったときは飛び上がりたくなる。僕はアンチ巨人派なのです(巨人ファンの方にはすみません)。昔はそれほど嫌いじゃなかったけどFA制度が始まってからの最近のやり方はいただけない。金に物を言わせて大物を次から次へ迎え入れてそれで強いというのも何だか・・・公平じゃないと思うのは僕だけだろうか。

 しかし、その中でもなぜか松井は好きだ。当然のことながら実力もあって人柄もよく、巨人にしては少しあか抜けない風貌といい見ていて気持ちがいい。ヤンキースに移籍して注目されているがぜひとも大リーグで活躍しあわよくばホームラン王にでもなってもらいたい。

 最近になって日本人選手の海外移籍がとても話題になっているが、特にサッカーの中田なんかは僕がドイツにいるときによくイタリア人スタッフが感心していた。これまでの日本人はどこか本番に弱くて内気な印象だったが彼は堂々としているというようなことだったと思う。確かに最近海外で活躍する選手はイチローにしても野茂にしても堂々としていてふてぶてしくもあるくらいだ。

 これはスポーツに限ったわけではなくて、仕事の面でも同じだと思う。ドイツ人にしたって体は大きいけれど決して仕事ができるわけではなかったし、日本人の方が優秀だと思える事が良くあった。

 結論として日本人はもっと海外に出るべきだと思う。日本人はやさしくて、丁寧で、親切で、頭の回転も速くて、少し口下手なだけなのだ。慣れさえすればきっと活躍できるはずだ。

 日本人とともに阪神の今年の活躍を祈りたい気分である。(今日は自分でも何が言いたいのか良くわかりません。ご容赦ください。少しビールを飲みすぎました)

 

2003年1月22日(水) 地球温暖化

 正月に田舎に帰ると当たり一面が雪に覆われていた。田んぼや畑、隣の家の柿ノ木の上にもしっかりと雪が降り積もっていた。

 僕が子供の頃、大雪の年には家の前でさえ70センチもの雪が降り積もっていた。白い息を吐きながら朝玄関のドアをあけると、夜のうちに降り積もった雪が僕の行く手を阻んでいた。だから毎朝僕は表の道路までの雪かきが日課だった。

 でも最近では30センチも積もれば多い方なのだという。やはり地球温暖化の影響がこんな身近なところにも及んでいるようだ。

 ふと懐かしくなって雪だるまでもと思ったが雪が少なくてうまく作る事ができなかった。下の土を削って茶色い雪だるまになってしまったのだ。

 今となっては真っ白な雪だるまやかまくらを作って遊んだあの頃がとても懐かしく感じられる。

 

2003年1月21日(火) 小説

 最近なぜだか文なるものを書いている。小説とよべるだけの内容もないただの走り書きみたいなものなのだけれど、自分で好きなようにコンピューターの中で文字をつなげている。

 僕は子供の頃文章を書くのが嫌いで仕方なかった。字は下手だったし、国語力はなかったし、結局それが原因で理系を選考したぐらいだ。その僕がどうして文なんて書こうと思ったんだろう。

 別にたいした理由なんか何もない。ただ書きたくなってしまった。それだけだなのだ。でも今の僕にはなぜだかそれで十分だ。

 

2002年10月26日(土) 鮒寿司

鮒寿司。
日本最大の湖をもつ滋賀県の隠れた名物。味は複雑。滋賀県出身でも全く食えない人もいるし、鮒寿司さえあれば何もいらないという人もいる。僕は後者だ。

鮒寿司は琵琶湖で取れるニゴロブナをたるに米と一緒に漬け込む保存食で、一番特徴的なのは圧倒的な匂い。元々くさり寿司などとも地元では呼ぶくらいで、いわゆる醗酵させる食べ物である。
ある人が見たテレビ番組で世界3大くさい物というのをやっていたそうだが、なんと鮒寿司が第3位?に入っていたそう。他は中国の漬物?とノルウェーの魚のくさりもの。それにしても誰が決めたかは知らないけど世界3位に選ばれるとは・・・。滋賀県で生まれ育ち小さい頃から食べてた慣れというのはすごいものだとほとほと感心する。なんせあの匂いがとても気に入ってるのだから。

昨日久しぶりに鮒寿司を食べた。わざわざ実家から送ってもらったのだが、鮒寿司とビールはたまらなくおいしい。

もし世界があした消滅するとわかったとき何かを最後に食べれるとしたら、僕は間違いなく鮒寿司を選ぶだろう。

 

2002年10月17日(木) 残業

いつも遅くまで仕事をしているいるある部署は、夜の10時になってもなかなか帰ろうとしない。お金にならないサービス残業を強いられることもしばしばあるという。

日本の社会の中では、いまだに遅くまで仕事をしなければ認められないというシステムが存在するし、そう思っている上司がほとんどだと思う。そういう上司の中には仕事が趣味で休日も仕事をすすんでやるという人も数多い。

僕がある時期住んでいたドイツでは、殆どの人が6時ぐらいには帰宅する。それは平社員であろうが、部長であろうがまったくかわりはない。かれらは自分の時間や家族との時間を大切にするし、日本人がそれほど長時間にわたって仕事をすることがどうしても信じられないという感じであった。

僕は仕事を決して好きにはなれない。今の仕事自体はやりがいもあって内容的には満足しているけれども、「仕事」というものは生活するための手段以上には考えられないのである。ある上司は「人生の大部分は仕事が占めるのだからそれを最優先にすべき」との考えをもっている人がいたが、僕にとっては好きな音楽を聴きながら好きな本を読んだり、ギターを弾いたり、釣りやテニスをする時間の方が限りなく大事に思える。アメリカのことわざにこんなのがある「All work and no play makes Jack a dull boy]。仕事ばかりしている子は駄目になるという意味である。

たまにハードワークになることは決して嫌いではないが、仕事中毒にはなりたくない。仕事だけの人生はつまらないと思うし、知らないうちに何かを犠牲にしているのはないだろうか。

現実的な話としても、夜遅くまで仕事をすると次の日の朝に能率が下がるし調子が戻るまでの時間を差し引くと、決して遅くまでいる方が仕事がすすむとはいえないと思うのだが・・・。

 

2002年10月09日(水) 携帯電話

町を歩くと携帯電話で連絡をしている人たちをたくさんみかける。
学生時代に一人暮らしをしていた頃、携帯電話なんて便利なものはなく、あるとすれば今は殆ど必要性がなくなったしまった留守番電話。
大学から帰宅するとまず留守番電話のボタンを見る。用件があれば再生する。
久しぶりの友人からの電話、殆ど連絡もしていない親からの文句、くだらないセールス勧誘。面倒くさい作業ではあるが再生テープが流れる間、誰からの連絡かを想像するその時間が楽しかった。

携帯電話はとても便利だと思う。連絡を取りたい時にかければほぼ確実に連絡がつくし、メールもすぐに返事が来る。緊急事態などにはこれほど便利なものはないかもしれない。

けれど、なぜか携帯電話は持っていない。昔から電気と名の付く新製品はことごとく購入し、インターネットやホームページなどは世間で有名になる前から挑戦していた電気好きだけれども、携帯電話だけは不思議と持ちたいとは思わない。

電話がつながるか心配したり、夜になって電話がかかってくるのを待ったりしながら、連絡がついたときの嬉しさ。そういうアナログ的なところが便利さと引き換えに携帯電話にはなくなってしまったように感じる。

まあ本当のところは携帯電話を持ち歩くのが面倒なだけだったりする(笑)。

 

2002年10月06日(日) 更新

本日、久しぶりにHPを更新いたしました。
更新といっても表紙を変えただけで中身は何も変わっておりません。

特に理由というものは無いんですが、年齢を重ねるに従いシンプル・イズ・ベストと感じるようになり、以前の表紙から変えてみたくなったのです。けっして手抜きではないはずです(笑)。表紙しか変えていませんので、内容の色と全くあわなくなってしまいましたがおいおい変更したいと考えますので、末永い目でお待ちください。

それからあえてもう一つ理由をあげるとすれば、一言を表紙に書きたくなったのです。
30歳を過ぎてしまった今日この頃、日々思うことが増えてきました。日記をつけるほどまめではありませんので、不定期にいわゆる小言を書こうと思った次第です。

すぐにやめるかもしれませんが、軽く読み流していただければ幸いです。