ここではKazUSAが言われたこと、心に残った言葉などを
書きつづっていきます。
その言葉たちは、きっと、今の私を形どっています。
その言葉たちがなかったら、今の私はいないと思います。
その言葉たちを、ここに残していきたいと思います。
御意見がおありの方はみあれノートにでもお書きください。

私はずっと、母親から「失敗作」だと言われ続けて育った。
「○○と呼ばれた子」シリーズじゃないけど、私は何をしても、
自分が「失敗作」以上になれないような気がしている。
何をしても、何をほめられても、私は、しょせん「失敗作」だと思わされてきた。
そして今も、身近な人と喧嘩をしたりすると、「私だって、こういうことやったのに」
と思ってしまう。「やった」のに、やっぱり失敗作なんじゃないかという観念に
囚われてしまう。
私なんて、いないほうがいいのかな、とか
相手を怒らせるような私は、この世にいるべきじゃないと、よくよく思う。
いくらほめられても、「でも失敗作なんでしょ」と思ってしまう。
「もっとほめてよ。失敗作なんかじゃないって言ってよ。」
この叫びは、未だ母に届いていない。
何をやっても、私は正当に評価されていない気がして、とても「理不尽」な
思いをしてきた。
私はいつまで、この観念にとらわれて生きていくんだろう。
そう思うと、気が重い。
…し、母が憎い。
これは、高校1年の夏休みに言われた。
もちろん、母から。
私は父親と話すのが、今でもすごく嫌いで、そのときも必要以上には話さなかった。
何をして母にそう言われたのか、覚えていないし、母は私に言ったことすら
覚えていないかもしれないけれど、確かに言われた。
テストの点が悪かったのかもしれない、ほかに思い当たることはない。
記憶がない。記憶がない…。
私は「家族」が嫌いだ。だから、めったに連絡も取らないし、帰らない。
地元には帰っても、家には決して立ち寄らない。
この家から逃れて、施設に入りたい一心で、リストカットを思い立ったこともある。
つらい思い出から逃れるため、記憶を消したこともある。人は、つらいことから
逃れようとするとき、他人格を作り上げるか、記憶を操作するかの、
どちらか、なんだそうだ。
私は、自分の忌まわしい記憶を消し、もっともらしい記憶を作って塗り替えたことがある。
「私は孤児で、施設で育った。天涯孤独で、兄弟も父母もない。」と。
その存在は、私にとって苦痛でしかなかった。虐待を与えたほうは、
遊びのつもりかもしれないし、軽い気持ちでやったんだと思う。
でも、やられた方はというと、そのシガラミから逃れることは、まずできない。
そうやって生きていく道しか与えられない。
人間不信にも3度ほど陥った。教室で勉強するのなんて、苦痛でしょうがなかった。
友達とも、並んで歩けなかった。
頭では分かってても、体が人を信じなかった。信じようとしていなかった。
小学校のときは、人が手を上げると「殴られる」と思って反射的に肩をすくめた。
そういう子だった。オドオドしていて、父に言われた「笑うな」と言うことを
忠実に守ろうとしていた。自分の笑顔が嫌いだった。
話すことが、苦手になった。
今でも、手を離してくれない親が、うっとうしくて、しょうがない。
普通の家庭環境で育てなかったことが、私をこんなにも歪めている。
私をこんなにも、醜くしている。
いずれ、失明すると言われていた、身近な人の「ことのは」。
そのとき、すでに彼は、視力低下と、見えに対する「歪み」のようなものがひどくなってきている状態で、
「自分はサッカーしたかったけど、この視力じゃできないし、あきらめた。
でも、今は次の夢に向かって努力してる。」
「お前はできるのに、したい、したいばっかり言って、なにもしようとして
いないじゃないか。」
今でも、この言葉は、私にエネルギーをくれる。
元気にしているんだろうか。彼は筑波短大に行って、鍼灸士の教師になるのだと言っていた。
そういえば、来春卒業だと思う。
久々に、手紙でも書いてみようかと思ってる。
これは2001年7月〜9月まで滞在したオーストラリアのホストファミリーの
友達に言われた言葉。そのホストファミリーを訪れたのは二回目だった。
私の名前を見た瞬間、その友達は”She has USA.”と言った。私は
アメリカモノなんて身につけてないし、変なこと言うなぁ、と思っていた。
−KA・ZU・SA−
−KAZUSA−
−KAZ・USA−
自分の名前の中にUSAが入っているなんて知らずに生きてきた20年間。
このあと、私は自分の署名(サイン)を変えた。
英語圏に来なかったら、きっと気づけなかったに違いない。
運命のような、奇跡のようなものを感じた。
ミスチル(Mr.children)のタイトルにもあったかと思うけど、
memento moriはKazUSAにとって座右の銘(?)でもある。
ラテン語で、「死を忘れるな」っていう意味。
流行病でたくさんの人が命を失った時代に、欧州のほうで合言葉の言われていたらしい。
死んだ人のことを忘れるなっていう意味かもしれないけど、
私は、「自分もいつか死ぬってことを、忘れずに生きなさい」っていう意味だと、
これまた解釈している。(みあれのように)
久々に思い出した言葉。
PC(パソコン)に入っていた世界大百科で偶然見つけて…。
私って好きだなぁ、辞書類、読み漁るの。

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