
『陽朔と桂林。陽と陰。事件発生!』 『山水画のような街・陽朔』
翌日に昆明を発ち、桂林へ向かった。桂林は雲南省の省都だけあって都会だった。ただ、朝晩の気温差や、埃っぽい空気や疲労の蓄積のせいで、またも体調を壊してしまった。雲南名物の米線(米でできたヌードル)のせいか何か、下痢もしてしまった、、、。夜中も何度となくトイレの世話になった。他の旅行者も米線でおかしくなった人がいた。一説によると、雲南省は風邪というウィルスの発祥の地らしい。何とか、列車内が快適だったので、回復できた。30時間かけて桂林に到着した。途中、荘厳な凄い山々の谷間を走っていて、トンネルも多くて、よくこんな所に鉄道を建設したもんだ!!恐るべし中国人!!と、またも感心してしまった。
桂林からは、ローカルバスを捕まえ、5元で陽朔に行けた。1時間半後の20:30に到着。ホリデーインとは名ばかりな宿に決めた。シャワーの出が悪くて部屋は寒く、フロントのおばちゃんと口喧嘩して、20元追加して部屋換えをした。翌朝、早速に別の宿を探した。金龍飯店(T40元)にした。それから、漓江上り(あくまで、普通は桂林から、クソ高〜い豪華船で漓江下りをするのである)の乗船券を100元で get した。夜は単独行動で、タイタニックが19時から上映されるバーに行って炒飯を食べた。途中、タメで大阪市立大の2人組と同席した。更に、映画が終わると欧米人の3人組に声をかけられ、6人で意気投合した。3人は秋田でAETをしているそうだ。みんなノリがよくて、超楽しかった!!宿への帰り道に、ピンクマッサージ系の女に声をかけられ、姫路の彼が遊び半分で、価格交渉をしていた。

西街は外国人向けの土産屋やカフェ・バーが並ぶ 奇抜な形の山が街中から見れる
翌日は、漓江上りだ。我々と10人ほどの欧米人が、チープなボートに乗った。あいにくの曇り空だったが、山水画のような景色は見事であった。これぞ中国4000年の歴史だっ!と言わんばかりの絶景であった。漓江上りは大成功だった!!値段は桂林から下るコースの5分の1位ですんだし。ただ、寒くてエンジンが爆音をたててうるさく、相変わらず悪条件であったが、船上で食べたおばちゃんの炒飯と、ウォークマンをガンガン聴いて、大声で歌い叫んだおかげで復活出来たっ! 翌日は西街で買い物をして、昼過ぎにバスで桂林に向かった。その車内で恐ろしいことが起こった。欧米人の男2人組が我々の隣に座った。途中でお互い寝てしまい、起きると何か騒がしい。「What happn?」私が聞くと、彼はどうやら財布とパスポートを盗まれたらしい。彼のジーンズのポケットには、ナイフで破り切られた跡があった。多分、途中下車した中国人の仕業だと思われる。そのポケットの破れを見てゾッとした。恐るべし中国人!恐るべし桂林!
陽朔は、全くのノーマークだった。地球の歩き方も扱いは小さいし、桂林に行くのが当たり前だと思っていた。しかし、情報交換によって、陽朔という穴場だが素晴らしい街に行けて良かった。当時はそれほどメジャ−ではなく、ゆっくりできたしラッキーだった。
漓江上りでは山水画の中にいるような絶景だった。桂林からの漓江下りの5分の1の安ボートで十分堪能!

桂林では、19時頃まで市内を軽く観光した。市内は輪タクやバイタクが多くてしつこく、いかにもボリそうな雰囲気が感じられた。

桂林站前。超有名な観光地なのにショボい 桂林の街中より眺める。幾重にも奇怪な山々が
『長く厳しかった冬を越え、春と大都会はそこまで、、、! 』
站の待合室でヤスと落ち合うと、そこには漓江上りで一緒だったドイツ人の Tinaがいた。話してみると、広州経由で香港に行くという。我々と同じ列車・ルートである。そして、Tinaと香港まで同行することになった。時間になっても改札が一向に始まらない。すると、電光掲示板には 到点約 1:00 と記されていた。な何と、到着が1時という意味だ!!6時間待ちである。近くにいた2人組の彼らもあ然としていた。仕方なく、近くの店で晩飯を食いに行った。彼らはJASのパイロット見習いの27歳だった。中華料理と会話を楽しんだ後、站に戻り1時迄待った。だが、列車が来る気配が全く無い。しばらくしてアナウンスが聞こえた。「スーディエン・・・・」その部分だけは聞き取れた。よっ4時だと!!更に3時間もある。さすがに、ムカついて我々は2階にある、空調待合室(2元)で仮眠を取ることにした。4時になり今度こそ来たっ!・・・・・。9時間遅れである。しかも深夜の、、、。次の日は、14時頃迄ベットでうだうだしていた。列車で通り過ぎる昼間の広東省は、暖かく春めいていた。中国入りして、3週間も寒さと格闘し続けていた。ようやくの春と大都会・広州。そして香港へと続く。思えばここまで長い道のりだった。列車内で今回の旅を振り返ってみた。寒さが人一倍苦手な私にとって、肉体的に辛い旅となった。だが長かった冬を越え、春と広州・香港が待っている!予定では広州には17時頃着くはずであるが、その気配がない。ダイヤが乱れ、列車は頻繁に停車を繰り返し、更に遅れている様子だった。結局、予定より13時間ばかり遅れた22時前にやっと着いた。

『暗闇の広州に人民の大洪水!!』
広州站を出ると大広場には驚くべき光景が飛び込んできた。噂には聞いていたが、盲浪と呼ばれる内陸部から生活を求めて来た人民が、大挙たむろしていた。22時というのにだ!このとてつもない喧騒と、人民の数には圧倒された。身の危険を感じた我々3人は、九龍行きの切符を求めて、広州東站にタクシーで行った。が、とっくの昔に売り場はクローズされていた。仕方なく構内にいた、係員に古ぼけた広州東招待所というボロ宿に連れて行かれた。人気の無い暗闇の中、凸凹道を10分ほど歩き、パスポートやサインなしで check in した。水シャワーのみで、列車の音や人民の声が騒々しく、鍵はかからない3人部屋だ。広州は中国一物価が高く、ホテルも相当高くて泊まれない。だが、貧粗な宿でドイツ人の Tinaと隣のベットで寝る自分にちょっと興奮した。翌朝、目覚めに見た彼女のパジャマ姿にまたもやドキッとした。Tina は気さくでいつも明るく親しみやすい。相当疲れている我々の癒しとなってくれた。 さて、站で出国審査を済ませ、近代的な鉄道で香港・九龍へ向かった。車内は中国のそれとは違い、2列2列の特急列車のような作りで、客層もビジネスマンが多かった。
『中国と英国の融合都市・香港。眠らない街・香港。高層ビルと2階建てバスの街・香港』
←九龍の埠頭にて香港島を背に
国境を越え香港に入ると、ガラッと景色が変わり、近代的な高層ビルがズラーッと並んでいた。2時間で到着し、タクシーで重慶大履を目指した。重慶大履は古い高層雑居ビルで、怪しげなインド人や、アフリカ系黒人、中国人系が住み、両替屋や、土産屋、飲食店、宝石、香辛料を商売としていて、その中に安宿がひしめき合っている。あの有名なバックパッカーのバイブルである沢木耕太郎氏の実話世界放浪エッセイの『深夜特急』の舞台にもなった、香港では良くも悪くも有名なビルである。エレベーターは狭く、すぐに満員になってしまう。しかも中では、強面の黒人なんかと肩を寄せ合うのである。薄暗く香辛料の匂いが充満する中、早速インド人や、地元のおばちゃんの客引きにあったが、結局は16階の2段ベットのドミトリーにした。 Tinaは女子部屋に行った。初日は近場のHMVやマックでゆっくりした。翌朝、「Good morning!!」っと、Tinaが起こしてくれた。気分のいい目覚めである。我々は自由行動をすることにした。スターフェリーで香港島へ行き、バスや地下鉄を駆使し、タイムズスクエアや香港公園、ピークトラムでビクトリア・ピークに行った。ピークから眺める九龍の高層ビル群や、海、九龍島が見渡せ素晴らしい景色だった。ちょっと雲が多かったが。。。帰りはバスで下り、途中見えた高級住宅街が綺麗だった。

香港の象徴・高層ビルと2階建てバス 香港美女とインテリ氏の結婚式
ビクトリア・ピークより九龍を望む 100万$にはほど遠い香港島の夜景
近代的な高層ビルとバス 夜中の重慶大履前 重慶大履の16Fの安宿
部屋に戻りヤスと、またまたマック(中国から来た旅人にとって、香港の物価は高く、他は手が出なかった・・・・)で夕食を済まし、埠頭へ行き、香港島の夜景を楽しみに行った。土曜の夜は深夜まで賑やかで、そんな中、若者グループ同士でストリートファイトが始まった!!ビンが割れたり、女の子がキャーー!と悲鳴を上げたり。気づくと。野次馬の人だかりが出来ていた。 翌日は、買い物をしたりした。HMVで中国滞在中からズーッと探していた歌、任賢斉の『心太軟』が入ったオムニバスCDをget出来た!!列車の中等で何回も何回も聴いた、爽やかなバラードで、旅行中も脳裏に焼き着いていた。コンバースもどきの赤迷彩のスニーカーもgetした。夜になり、Tinaをビクトリア・ピークに誘ったが、「マカオに行って疲れてて、荷作りもあるからいいわ」と遠慮したので、部屋でしばし会話を楽しんだ。「もう、行くね。」と私の方から別れを切り出すと、Tinaの方から手を握り、抱擁して頬をくっつけてきてくれた。嬉しい別れだった。結局、ビクトリア・ピークには行かず、夜の香港の余韻を楽しんだ。さらば香港!!期待を裏切り、想像以上に良い街だった!またいつか訪れてみたい。
こうして、上海からスタートした、中国南東部・香港への27日間に及ぶ国内総移動距離・約8000kmの旅を終えた。