India⇒Nepal⇒India
1999年2月4日〜1999年3月6日
某大手旅行会社の内定者同志であるA氏と私は、10月のタイ旅行に続き、インド行きを決めていた。時間のある学生時代に、どうしてもインドへ行ってみたかった。バックパッカーにとっても、違う意味で敷居高し国、インド。インド人が相当〜〜x10 なクセ物らしい!インドに行くと、もう二度と行きたくない!!のブチギレ派と、他の国には有り得ない魅力にハマッてしまう派、に分かれるという定説がある。そんな噂を聞くと、行ってやろうじゃないか!となるのが旅人の性(サガ)である。
インドデビューを終えると、我々も両極端に分かれる結果となった。その結果とは如何に!? (1Rs=約3円)
撮影禁止のインド入国の地・ムンバイ空港にて隠し撮り
『1999年2月4日・痛快!インドデビュー』
この冬一番の寒さとなった、2月4日。ダウンジャケットを着込み、完全防備で成田へ向かった。空港では、他の内定者仲間であるT女子大の4人組に遭遇し、お互い旅の健闘を誓い合った(ちょっと大げさか・・・・)彼女たちはEUROへ行った。待合室には、大勢の日本人とインド人がいた。普通っぽい女2人組や、旅慣れたカップル、今風の男達等々、概して変わり者が多いように見えた。定刻の12時過ぎにエアインディア706便で、インドの首都・デリーへ向け成田を発った。AIの食事は、その頼りない機内に似合わずいつも good!途中でヒマラヤを見ることが出来た。長いフライトの中、驚くべきアナウンスが耳に入った。「デリーには着陸出来ません・・・」どう。さすがはエアインディア。いきなりやってくれました・・!Indian timeの19時過ぎにムンバイ空港に到着!どうやら、経由地のデリーを差し置いて、最終到着地であるムンバイ(ボンベイ)へ直接行くようだ。時差は4,5時間だから実に11時間半ものフライトだった。朝も早かったし疲れた。ムンバイ空港で、22時40分のデリー行きのフライトを待つことになった。我々乗客には、軽食とドリンクのサービスが与えられた。我々の前の席に座っていた女の子2人組と、インテリなインド人ビジネスマンの5人で食事をした。新宿の京王プラザホテルに泊まっていた彼は、いい人でとても優しかった。思えば彼が、初めて知り合ったインド人であった。機内に乗り込んだが時間になっても何〜〜の気配も無い。リヤドからのフライトが遅れているとのことで、結局は日付の変わった0時20分にようやくデリーへ take off!!ダイジョブかよ!?

『恐るべし都市デリー!極悪都市デリー!!デリーの傷跡・・・。』
べぇっ、便器で洗髪!!(してるフリ・・・!)
極度の眠たさの中、無駄な往復約2500kmを飛び、2時20分頃ようやくデリーのインディラ・ガンジー国際空港入りした。成田からナ何と19時間を要したっっ!!入国手続きと両替に2時間も!かかり、トイレで洗髪した後、先ほどの4人で、手書きで政府公認プリペードタクシーと書かれたオフィス?の運ちゃんを捕まえ、256Rsでニューデリー駅まで向かわせた。様々な情報から、まずデリーの空港が最初の難関らしく、慎重にタクシーを選んだつもりだった。よく地球の歩き方等の情報で、デリー空港からのタクシーで、無理矢理法外なツアーに連れてかれたり、何人かで身ぐるみを剥がされたり、旅行会社や土産物屋、ホテルに連れて行きとんでもない法外なボッタクリをされたりすることが、多々あるらしい。とある情報によると、そのまま行方不明になるケースもあるらしい・・・・・・・。いくら政府公認?とはいえ、さすがにタクシー内では、警戒し続けた。夜明け前だけあって、辺りはまだ薄暗い。不安は的中し、早速、タクシーでジャイプル行くだの、しつこく嘘デタラメを言って、我々を悪の道へ引きずり込もうとした。政府公認とは名ばかりで、相当うさん臭かったが、256Rs(1Rs=約3円)で何とかニューデリー駅に着いた。早朝なのに、道行く人やタクシー、客引きが多かった。我々はメインバザールに向かった。ニューデリーの安宿街でもあるメインバザールは、庶民の生活の場でもあり、牛、リクシャ、インド人や外国人旅行者で溢れていた。ただやたらと埃というか砂塵がきつかった。そしてニューデリー駅に行き、ジョードプル行きの切符を
getした。(227Rs)彼女らと別れ、我々はオートリクシャでオールドデリーに行くことにした。
さぁ、初めてのリクシャ探しである。しかし、どいつもこいつもうさん臭過ぎで200%ボリに来ているのがバレバレであった。ただ、1人だけ「テンルピー!」と、昔は悪餓鬼だった風な若いヤツが得意そうに言った。つい値段につられて、乗ることにした。しかし、乗ったら最後、「観光してやるからUS50ルピーだ。」とか、(US50ドルと騙したいらしい)メチャクチャ言い出したので、話にならず、ブチ切れて下車しようとした。ところがその降りた瞬間だった。私のバックパックを載せたまま、アクセルを踏みやがり、ヤツは逃げようとした!だが、私はとっさに体を張り、バックパックを死守した!!間一髪とはまさにこのこと、無事に取り返した。ヤツは悔しさを隠し切れない表情で、逃げやがった!しかし、私はリクシャに足を踏まれ、左手中指の爪が変形し、流血した。更にブチ切れた我々は、足早に事件現場を去った。それでも容赦なく、しつこいインド人が絶えることはなかった。怒りと痛みをこらえながら、メインバザールへ引き返した。

例の事件現場。悪名高きNewDelhi St.前のリクシャ乗り場。この中に、どれだけの犯罪オートリクシャがあるものか!かなりの確率でカラまれること間違いなし。デンジャラスゾーンである!!バスが通っている道路の奥がメインバザール。右の写真は、ラール・キラー前の駐車場にて。 『money! ファミリー』と。左下の写真はNewDelhi St.のホーム。
安食堂で落ち着きを取り戻し、病院へ行くことにした。信用出来そうなリクシャマンを見つけ、病院へ行くように指示した。中々着かないので不安になり、途中下車した。本当かどうか不明だが、「病院までは40kmもある」と言われ(多分ウソ!)とりあえず、近くのインド政府観光局に行き、病院の場所を聞こうとした。そうしたら、日本語の出来るおじさんが、近くの病院へ連れて行ってくれた。赤チンだけ塗り、包帯もせずに済んだ。ひとまず治療を終え、オールドデリー駅へ戻った。荷物を預け、ラール・キラーに行った。途中の道路沿いにあった青空公衆便所で、何とセンズリをかましているオヤジがいた!何とも言えない表情だった・・・。ラール・キラーは城壁がカッコ良かった。外に出ると、貧しそうな家族に写真を頼まれ、一緒に撮り、その後、money!
と言われたが、シカトしといた。その後、デリーの中心地・コンノートプレースのマックにリクシャで行こうとしたが、見つからず、『代打!サンタクロースもどきの白ヒゲオヤジ』に頼んだ。こいつも怪しいヤツで、ひたすらマリファナを強要するのみで、マックには行こうともせず話にならなかった。ピザハットでディナーを済ませ、駅に向かい列車に乗った。インドの列車は中国のそれより、更に長ーい。席を見つけ、早々に寝た。もちろん、荷物は死守しながら。
インドの首都デリー。嫌な思い出が残った。傷、というか破傷風等の二次被害が怖い。噂通りの治安の悪さである。特にエアポートタクシーとオールドデリー駅のリクシャ。これからデリーに行く人は、細心の注意を払って欲しい。まぁ、大事なバックパックが盗られなくて良かったとしよう!本当に助かった。それなりの代償を払ったが…。もう二度とデリーには行かない!!当時の私は、そう心に決めたのであった。ジョードプル行きの夜行列車は、かなり寒かった。周りのインド人も衣類で全身を覆っていた。

『パキスタン近隣の砂漠の国・ラジャスターン州へ!!』
8時過ぎに着き、waiting roomで歯を磨き、リクシャで政府のバスターミナルに向かった。(20Rs)ジャイサルメール行きのバスは、13時30分のみ。それまで、メヘランガール砦観光をすることにした。リクシャ(25Rs)で丘を登りながら進んだが、とても雄大でカッコ良かった。丘上から市内を眺めると、ブルーで統一された家々が見事に鮮やかだった。中に入ると、入場料+カメラ持込代で50Rsずつ取られたが、それなりにジョードプル市街の眺めを満喫出来た。途中、オレンジターバンのオヤジに、私のダウンジャケットを売ってくれないかと頼まれたが、断った。昼食後、リクシャでバスターミナルへ向かった。陽気な運ちゃんは、音楽をガンガンにかけ、色々と話しかけてきて楽しかった。到着して、67Rsで切符をget。おばあちゃんの物乞いがしつこくついてきた。前列の見晴らしの良い席を確保し、バスは猛スピードでジャイサルメールへ向かった。
ジョードプル駅に到着! メヘランガール砦と快晴な青空

オレンジターバンオヤジと 砦から見たジョードプル市内 デリーから来た少年と砦の淵で

『砂漠の街・ジャイサルメールへ!パキスタンまで約100km・・・』
車窓からは、広大な砂漠や野生のラクダ、ヤギ、牛等々と色んな動物を目にして、パキスタンにほど近いラジャスターン州の奥地へ進んでいるのを感じた。途中で、超強引and超しつこいホテルの客引きが乗り込んできて、ウザかった。断固「NO!!」といっても食い下がらない。インド人の執念には恐れ入った。バスを降りた瞬間、更に新たな客引きが7,8人襲いかかってきた。腕を引っ張られ、拉致まがい客引きである。その客引きの一人が、「バスターミナルから宿までのリクシャをタダにするから見に来てくれ。」という条件を飲み、見るだけ見てHotel Renukaと見比べて結論を出すことに決めた。屋上の眺めの良い部屋で、40Rs。大阪から来た女2人組はディナーで不在だと言う。 (←これはいかにも怪しい)西洋人の女の子は、「彼はいい人だよ。」と言うが、(←これもワザとらしい)Renukaを見に行くことにした。情報ノートを確認し、本物のRenukaだと確信して結論を下した。(W100Rs)泣きそうな顔をした客引きの彼には、リクシャ代を払わせて悪かったな。と、その時は思った。だが後に、彼と同じ手口で騙された人がいた、という話を聞き、やっぱりかっっ!テメー!!と思わずにはいられなかった。さすがはインド。『インド人、ウソつかな〜い。』というのがウソなのである!! 歌舞伎町やそこらと同じ様に、客引きには最後の最後まで疑心暗鬼でいなければダメだ!というケーススタディーであった。旅人の中には、インドに来て人間不信気味になる人もいるのである。それほど、インド人は手強いのだ。
さて、無事check inして、屋上のレストランでディナーを食べた。そこでは韓国人兄弟と親しくなった。ここのボスはとてもイイ人だ。我々のために火を炊いてくれ、ホットシャワーを出してくれた。おかげで、身も心も hot になれた。
Hotel Renuka前にて 屋上のレストランで日記を書く。絶景だ!!
翌日は、ジャイサルメールの街中を散策した。城塞都市だけあって、城を城壁が囲い、道は細くて複雑でその中をインド人や牛、露店、無数の牛の糞等で埋め尽くされていた。そして、やたらと埃ぽく、牛や糞が多くて臭かった。城内を徘徊していると、子供たちは皆可愛いのだが、写真だのチョコレートだのと言い寄ってくる。ちょっと観光客ずれしているようだった。その複雑な路地の中をあるいていると、ある家族と出会い、部屋の中に入れてもらうことになった。中々優しそうな父親と、可愛い姉妹だった。父親が一生懸命住所を書いて、「是非ここに送って下さい!」と頼まれた。

『ゴールデン・シティ』ジャイサルメール市内 可愛い姉妹と部屋の中で
ラジャスターンの土産屋で大きな黒と紫の柄のクロスをget!寒さ対策の為だ。細い路地でも牛は悠々と存在する。まさに『インドに牛あり』だ。右端は、巨大ミルクセーキ屋。夕方は涼しいので、飲むと温まる。
夕方、ホットミルクセーキ屋で、地元の18才の男子大学生と雑談をした。何と、結婚相手は親父が選ぶのが常らしい。日本ではあり得ない話だ。これもカースト制度の一種なのであろうか。お、お気の毒に・・・・。