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2000年2月9日〜2000年3月25日
『旅行会社を辞め旅に出た』
某大手旅行会社を1年足らずで退職し、再びバンコクへと旅立った。正直、こんなに早く会社を辞めるとは、入社する前までには思いもしなかった。離職率が高いとか、入社前の合宿で脱走しただとか、1ヶ月持たないだとか、やたらと人材が入れ替わり、全体的にスタッフが若いだとか・・・。入社後は、専らの噂通り、「同期で何人辞めた?」「え¨、あいつ辞めちゃったの!」「もうすぐ辞めるらしいよ〜。」そんな会話が絶えることは無かった。詳細にはあえて触れないが、とにかくこの会社で働くことが嫌になってしまったのだ。会社の方針・やり方というか、戦場の様な雰囲気というか・・。仕事だけを考えれば今でも未練はある。お客さんの海外旅行を手配して楽しんで頂く仕事。これだけなら天職であるが、ノルマやお金、社内競争等が絡むと・・・。実際入社後5年経ったが、あんなにいた同期は数える程しか残っていない・・・。とにかく、辞めると決めた以上早い方がいい。そう考え、入社10ヶ月後に旅立った・・・。ただ、海外旅行に関するノウハウを得たことと、格安航空券競争の先駆者であった会社には感謝したい。
前置きが長くなったが、エア・インディアのバンコク往復オープンチケットを同期に手配してもらい、タイ大使館で事前にビザを取り(帰国日が入国より31日以上の航空券、又は片道の場合は必要とされている)まだ雪の残る2月9日に、バンコクのカオサン通りへと旅立った。
カオサンには4泊した。インドのマドラス行きとボンベイからバンコクへの航空券を買うことと、そのフライト待ちの為である。旅行会社を色々探ってみたが、結局MPツアー(日本人スタッフがいて安心。ほぼ日本人客で混雑している)が安かったので、インディアン航空のマドラス行き(6985B)と、ビーマン・バングラデシュ航空のボンベイ発ダッカ経由バンコク行き(6600B)を頼んだ。ビーマンは手書きのチケットで怪しかったが・・・。

『イスラエル人と南インド・マドラスへ』
BONNY G・Hを深夜2時半にcheck out して、カオサンの表通りのバス停から59番のバスに乗り、ドンムアン空港へ向かった。1時間ほどで着き、とりあえずcheck inをした。その時イスラエルの男女2人組と会い、話をした。彼らも同じフライトらしい。ところで、さっきから腹が痛かった。すると下痢をしていた。おまけにドンムアン空港は冷房が効き過ぎていて、余計に体調が悪くなった。カオサンで食った冷たいものにアタッたらしい・・・。おまけに我らのインディアン航空は1時間遅れとのこと。
やっと、搭乗の時が来た。機内は中央通路の両側3列で小柄だった。スッチーも体格のいいおばちゃん達。機上でも体調は更に悪化し、一人で6・7回もトイレに行ったり来たり・・・。臭いし狭いし、超最悪!!マドラスに到着して誰もいない機内でも一人もがき苦しんでいた・・・・。
バンコク・ドンムアン国際空港にて。
悲劇の舞台となったインディアン航空機。
やっとの思いでマドラス空港に降り立った。イスラエルの2人と一緒にオートリクシャに乗り、駅近くのサルベーション・アーミーへ向かった。緑豊かな景色と綺麗な青空、懐かしいインド人の顔と陽気な運ちゃんに励まされたかのように元気になってきた。
サルベーション・アーミーに着くと3人でRs 300の部屋に決めてくつろいだ。よく分からないが、彼らはテレアビブの幼なじみで、兵役後の休暇で遊びに来ているらしかった。彼女の名はアビタルで、インドのチベタンの彼氏がいるらしかった。ザックもアビタルも24・5才で私と同年代だった。

陽気な二人とは1日半くらい一緒にいた。翌朝、check outしドミトリー(Rs70)に移動した。彼らは、バンガロールに向かうらしく3人で駅に行った。列車を待つ間、プラットホームに地べたに座りトランプをしたり談笑したりした。「See you ケーララ!」と笑顔で見送り、更に南のケーララ州辺りでの再会を願った。
『インド最南端の岬・カニャークマリへ』
サルベーション・アーミーのドミにもう2泊して、夜行列車でトリヴァンドラムへ向かった。翌朝目が覚めると、列車は1時間以上も停車したりしていて
結局3時間半遅れで着いた。