毎年恒例の夏の恐山大祭が行われた。(10月には恐山秋詣りがある)
私が同地を訪れたのは平成11年(1999)5月以来、四年ぶり。最終日は、真夏とはいえ小雨がぱらつく肌寒い日であった。
真夏の炎天下、祭文を唱えながら口寄せをするイタコたち。そんなイメージを持っていたので、あいにくの天気だった。

太鼓橋と恐山菩提寺山門(2003.07.24)
『三途川』(正津川)に架かる赤い太鼓橋では、霊写真が撮られることが多いと聞く。
前回、あの世に行きそうで渡るのを遠慮していたこの橋を、今回は無心で渡った。
橋の上から宇曽利山湖を望む、いい眺めであった。
受付で入山料500円を払い、門をくぐるとすぐ脇で、イタコの口寄せが行われていた。

霊場恐山イタコの口寄せ
人が多いし、雨が少し止んでいたので、先にお山を廻った。

賽の河原と極楽浜
荒涼たる風景の賽の河原。奥の山の緑の色とは対照的だ。風で回る誰かが供えた風車の「カラカラ」という音が、さびしく聴こえた。
極楽浜でも、浜辺にさされた無数の風車が「カラカラ」と音を立てていた。

血の池地獄
昔の恐山の写真集を見てみると、血の池地獄は、赤いドロドロとした沼のような池だった。今では池垣に変わり水が澄んでいる。
大間町で生まれ育ったある女性は、「今では恐山も観光地化してしまって…」と苦笑いしていた。

手拭いの森と六角堂
多くの(経文がプリントされた)手拭いが掛けられた木の森。そこには賽銭箱が立っていた。
六角堂には、衣類や靴など、多くの遺品や死者のために新しく用意された物が納められていた。
私はこの辺りで、他所とはいちばん異なる雰囲気を肌で感じたが、鳥肌が立つようなものではなかった。
そこは、遺族の暖かい情念と亡くなった者達が触れ合う、一種の聖域ではないだろうか…。
ひと通りお山を廻り、また口寄せの場所まで戻ってきた。
時間は14時半ころ、人が少なくなってきたので、あるテントの前の列に並び、口寄せの様子を静かに見守った。
イタコの口寄せ
そこには、最年少のイタコさんがいた。
彼女は、27日(日)の『第八回世界妖怪会議』の特別ゲストとして招かれ、期待していた口寄せではなく、オシラ遊ばせをしていた。
オシラ遊ばせとは、二体のオシラさま(神像)を、オシラ祭文を奉唱しながら両手で上げたり下げたりして遊ばせること。
私は、2001年に亡くなった祖父を呼び出してもらおうと並んでいたが、祖父の誕生日と命日を忘れていたし、そろそろ終わりだというので今回は諦めた。
四十九日を終えていないホトケさんは降ろせないと、周りの人が話していたのを耳にした。
しばらくして、テントの中から出てきた彼女は160cm以上はある方で、小柄で年老いた目の不自由なイタコとは明らかに違う、現代風の巫女であった。
『下北妖怪夏祭り』の二日目に、会場に向かうタクシーの中で、運転手さんといろいろ話しをした。
今年は大祭の初日が日曜日だけあって、例年になくお山は大勢の人で賑わったという。
ちなみに、この大祭の期間中だけ、タクシーは格安の貸切料金になるという。四人で乗ればお得だ、とのことだ。(確か三千円だと聞いたと思うが、片道か往復か、運賃など確認してください)
青森県には南部なまりと津軽なまりがあり、同じ青森に住んでいても、(口寄せ中に)イタコが話す言葉(津軽弁)は分からないと笑っていた。
青森県の『津軽のイタコの習俗』は、国が選択する記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財である。
現在のイタコたちやオシラさまについては、学研の加藤 敬著『イタコとオシラサマ―東北異界巡礼』が参考になるだろう。
オシラ遊ばせの祭壇『世界妖怪会議』にて(2003.07.27)
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