『平将門魔方陣』を歩く
平将門史蹟巡り
〜加門七海氏の歩んだ足跡を辿る〜

「東京の守護神」と呼ばれ、今もその“崇り神”の威力を誇る、平将門。
首塚、神田明神等、将門ゆかりの神社は、なぜ北斗七星の形に並んでいるのか?
そしてその魔方陣は、何を封じるために仕掛けられたのか?
東京の闇に迫る衝撃作。〜『平将門魔方陣』より〜

東京都千代田区大手町1−1−1

「1.将門首塚」

平安時代、天慶の乱(939〜940)の中心人物、平将門にまつわる著名な伝説の地。
通称将門塚は関東大震災後に崩され現存しないが、塚の元に将門の墓と称されてきた石灯籠が現地に保存されている。
嘉元年間(1303〜1305)遊行二代他阿真教上人が将門の霊を回向し、神田明神に配祀したと伝えられており、この地は神田明神の旧地であった。

京都四条に晒されていた首が「おれの胴体はどこにある、首をつないで今一度戦うのだ」と叫び続け、ついに自力で関東めざして飛び立った。
そして、その首が力つきて落ちたのを里人が埋めた場所だという。

関東大震災後、大蔵省が首塚を削って仮庁舎を建てたとき、大蔵省の役人十数人が一年の間に亡くなるという怪事件が起きた。
また、第二次大戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が駐車場を造ろうと同地を整地中に、ブルドーザーがひっくり返る死傷事故が起きた。
この界隈のオフィスでは、首塚にお尻を向けて座らない、という約束事があるという。

首塚 碑
石灯籠(碑の後ろ)と首塚の碑(2002.05.05)


東京都千代田区外神田2−16−2

「2.神田神社(神田明神)」

神田明神には、大己貴命(オオナムチノミコト)・少彦名命(スクナヒコナノミコト)・平将門命(タイラノマサカドノミコト)が祀られている。
天平2年(730)の創建時は皇居の辺り、現在の千代田区大手町(武蔵国豊島郡江戸芝崎)にあった。
天慶の乱に敗れた平将門の首が付近に葬られると天変地異の怪異が続き、付近の住民は窮していた。
真教上人が将門の霊を回向し祟りを鎮め、延慶2年(1309)に祭神として合祀された。
やがて江戸幕府発展による江戸の大規模な造成のため、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転し、桃山風の社殿が幕府により築かれた。

神田神田明神(2002.05.05)


東京都台東区鳥越2−4−1

「3.鳥越神社」

鳥越神社には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・徳川家康公(トクガワイエヤスコウ)が祀られている。
源頼義・義家親子が、前九年の役の東征の際に、武蔵の大川(旧宮戸川・隅田川)の河口を越えるのに苦労していた。
その時、一羽の白鳥が飛んできて、親子の目の前で対岸に渡れる川の浅瀬に降り立った。
おかげで、無事対岸に渡ることができたという。以後、鳥越神社と称されるようになった。
異説として、平将門の首が飛び越えてきたから、ともいわれている。
神社紋は七曜紋である。

同神社で行われている「茅の輪くぐり」は、茨城県や群馬県でよく見られる風習であり、北関東つながりで平将門と何か深いところで縁があるのかもしれない。

鳥越鳥越神社 賽銭箱に七曜紋(2002.05.05)


東京都中央区日本橋兜町1−8

「4.兜神社」

俵藤太秀郷が、平将門の兜を埋めた場所と伝えられる。
八幡太郎義家が、前九年の役の東征の際に、ここに立ち寄り戦勝祈願をしたとき兜を置いたという兜岩がある。
肝心な兜岩をデジカメには撮り忘れてしまった(^^;

兜 碑
兜神社と兜岩の碑(2002.05.05)


東京都千代田区九段北1−14−21

「5.築土神社」

主神は天津彦火邇々杵尊(アマツヒコホノニニギノミコト)、相殿に平将門公と菅原道真公がお祀りされている。
俵藤太秀郷らの手で討たれ京都に晒された平将門の生首を、首桶に納め密かに持ち去り、これを武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現千代田区大手町周辺)の観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まりだという。
平将門公馬上像が所蔵されている。

築土築土神社(2002.05.05)


東京都新宿区西早稲田3−5−43

「6.水稲荷神社」

俵藤太秀郷が富塚の上に稲荷大明神を勧請したのが始まりだという。

『耳欠け神狐』
身体の痛い所と神狐と交互に撫でると痛みが和らぐといわれている。

水稲荷 神狐
水稲荷神社と耳欠け神狐(2002.05.05)


東京都新宿区北新宿3−16−18

「7.鎧神社」

平将門の鎧を埋めた場所と伝えられる。
また、病に苦しむ秀郷が、境内に将門の鎧を埋めてその霊を弔ったところ、病が全快したなどともいわれている。

境内には珍しい狛犬型の庚申塔がある。庚申塔といえば「猿」である。享保6年(1721)11月贈

鎧 猿
鎧神社と吽像庚申塔(2002.05.05)


東京都新宿区歌舞伎町2−17−5

「稲荷鬼王神社」

鬼の水鉢。文政年間(1818〜1829)の頃、安山岩を削って制作されたもので、うずくまった姿の鬼の頭上に水鉢を乗せたもの。
この水鉢は加賀美某の邸内にあったが、毎夜井戸で水を浴びるような音がするので、ある夜、刀で斬りつけた。
その後、家人に病災が頻繁に起きたので、天保四年(1833)に神社に寄進されたという。
台石の鬼の肩のあたりには、その時の刀の痕跡が残っている、という。

本殿脇の狛犬は、阿像(あぞう)・吽像(うんぞう)とも子獅子を抱いた親子獅子像である。

水鉢鬼の水鉢(2001.05.04)


京都府下京区四条新町西入ル下ル(京都市下京区新釜座町)

「神田神宮」

俵藤太秀郷らに討たれた平将門の首が晒された場所。
天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也。

神田神宮 扉
神田神宮とお社の扉(2001.08.05)


参考資料

※1.『将門塚』都旧跡 東京都教育委員会(昭和46年3月30日指定)
  『日本列島ミステリーゾーン大探検―ふしぎ地帯をさぐる』清水賢竜・松本利秋 廣済堂出版(1984.05.20)
※2.『神田明神』http://www.kandamyoujin.or.jp/
※3.『鳥越神社』http://www004.upp.so-net.ne.jp/kab_ra/
※5.『築土神社』http://www.geocities.jp/tsukudojinja/
※7.『"新宿史跡・文化財"散策マップ 大久保あたり』新宿区観光協会 http://www.shinjukuku-kankou.jp/map_ohkubo_09.html
※『鬼王神社の水鉢』新宿区指定有形文化財[彫刻] 東京都新宿区教育委員会(昭和63年8月5日指定)
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