●2003年4月10日(木): 徒歩圏内の大都市ロンドン
ロンドンは、「長く住みたい国ではない」と、来て、3ヶ月もしないうちに思った。(きっと親はほっとしたことでしょう)
魅力的な大都市だが、みるものをみたら、次に移りたくなるところだと多くの人は言う。
でも、私は最近、徒歩圏内で動けるこの大都市の魅力に時々圧倒される。
今日のコンサート会場へは歩いて、40分。
この前のコンサート会場へは歩いて、50分。
ロンドン中心街の北から南に歩いたことがあるが(公共交通機関のストのため)、それでも2時間弱。
日本で、40分も歩くかなと疑問に思う・・・きっと40分歩くなら、他の手段で行くだろう。
でも、不思議とこの町は、つい歩きたくなる。なぜなのだろう・・・
きっと都市計画に詳しい人に聞いたら、ヒントがみつかりそう・・・
高校のときに、建築・都市計画が大好きな従兄弟とハワイのホノルルの町を歩いたことがあった。
彼の目に映るホノルルは私の目に映るホノルルとは、全く別物であった。
都市計画にきっとこんな意図があったのだろうと、建物や景観を一目みて、従兄弟は話してくれた。
都市計画に詳しいその従兄弟の目からみて、ロンドンはどんな大都市に映るのだろうか。
●2003年4月10日(木): 芸術鑑賞のいろいろな価値
今夜、幼いころから週末の朝、気づいたら我が家で流れていた
Yo-Yo Maという世界的チェロイストとKathryn Stottという
というピアニストのコンサートを聴きに行った。
先月の内田光子さんのコンサートに引き続き、縁遠い芸術
鑑賞に再挑戦〜。
思ったことは1つ。
感じたことは3つ。
思ったことは、前回の内田光子さんのコンサートと同様に、チケットの安さと関連する。
内田光子さんのコンサートは、25歳以下のチケットで(60歳以上も同額)、6ポンド、およそ1000円である。
今回の世界的チェロイストのチケットは、決して悪くない席で、9ポンド、およそ1600円。
他の観客を見渡してみると、若者から老夫婦まで幅広い年齢層で、クラシックコンサートにしては、庶民的な雰囲気。
決して豪華なドレスを着ている人はいない、小奇麗にしている人が多いが、ジーンズみたいなカジュアルの人もいる。
アンコールは3回あり、最後に、最前列の3,4列は全員、スタンディング・オベーションしている姿をみて、
きっと、このチケットの値段の意味は大きいと思った。
1000円ちょっとで世界一流の音楽に触れることができる。
若いうちに接する機会があれば、その後も魅力を感じた人は、聴きつづけるだろう。
人生の長い間に、美しいものに出逢ったことのある年配者で時間のある人は、きっと足繁く、聴きに来るだろう。
そして、忙しい働き盛りの人は、気軽にチケットをとることができるだろう、
仕事が事前に入っても、きっとキャンセルしてもあまりいたくもない額だから。
来月は、14歳のとき演奏中に2度もヴァイオリンの弦が2回連続切れたにも関わらず、
平然と完奏した逸話をもつ、五島みどりさんのコンサートがある。
残念ながら自国出身の有名な音楽家しか知らないが、少なくともそれでも、すごいコンサートが毎月ある。
そして、日本でのチケット額を思うと、微々たるお小遣いでも聴きにいける値段。
ヨーロッパの国にいくと、とにかく芸術に対する理解が深い(それとも、広い?)とよく言われている。
ロンドンは、美術館・コンサートホールが大都市の一等地にあり、しかもチケットが安かったり、
週末は無料イベントが目白押し。
こうやって、音楽を、芸術全般を楽しむことを知る一般市民を増やしているのだろう。
そして、奮発して記念イベントでしかいけない一流音楽家のコンサートよりも、
足繁く通える値段で何度も芸術を鑑賞する機会を増やしているのだろう。
でも、そうすると、運営する側の財政事情はどうなのだろう。
今日行った、BarbicanCenterの企画の多くは、企業がスポンサーになっているが、日本も同じなのだろうか。
値段の差はどこからくるものだろう。
とにかく、心を豊かにするものが、一般庶民の手に届きやすいところにあるというのは、魅力的なことだと痛感した。
隣にいたおばあちゃんが帰り際に「まったく違う世界に連れて行ってくれるわね〜」と本当に幸せそうに言っていた。
どの年齢層にも、手に届きやすい芸術と触れ合う機会がある。これぞ本当に社会の心を癒す社会政策なのかも。
それで、そういえば、感じたこと3つあると書いた。(えっと・・・何だっけ・・)
そうそう、1つは、協奏する素晴らしさは仕事と似ていると思ったこと。
ヨーヨーマーはピアニストの顔をよくみていた。
みているより、注意して、顔を半分むけていた。
ピアノの音に向けていたのだろう。
でも、ピアニストの気配を感じ取ろうとしているようにもみえた。
そして、目をつぶって聴いてみると、ド素人の私にもわかるほど、ちゃんと美しく音が重なったり、響きあっている。
「あぁ、仕事と一緒だ!」と一瞬わかった気がした。
一緒に仕事をする上で、うまく行くときは、その人の才能や力を認め、
尊敬していて、かつ、その人を丸ごと受け入れているとき。
そんなとき、いつしか自然に、その人の考えていること、感じていること、を理解、感じとろうをしているのかもしれない。
意識してこなかったけど、相手のことを感じ取ろうとしていたとき、実はうまくいくことが多いことに気づいた。
何度か、「なぜ、あの人の考えていることが全部わかるのですか」など聞かれることがあった。
今思えば、本当に尊敬している人、丸ごと受け入れている人に対しては、何か力になりたいため、
何ができるのかをみつけるために、
「この人は何を感じているのだろう、
考えているのだろう、
何を必要としているのだろう、
そして私はその何ができるのだろう」
と無意識に考えているのかもしれない。
ヨーヨーマーが背をむけているピアニストに顔半分向け、
共演者の、そして協奏している音を感じ取ろうとしていた横顔が最も印象にのこった。
2つ目は・・・そうだそうだ、幸せ指数の基準について。
協奏している2人をみて、見事に補い合い、相乗効果で、音を奏でている、当然ながら実感した。
1人の人の才能・力には必ず限度がある。
だから、他の人を必ず必要とする。
そして、より美しいものを生み出すことができる。
願わくば、相乗効果で、2人なら、「1+1=3」以上。
それに関連して、人が幸せだと思ったり、生きがいを感じるのは、自分が生まれもっている力を発揮できるとき、
そしてその力を発揮できる量に関係しているのではないかと聴きながら、感じた。
より、自分の力を発揮できている、と感じることができたら、確かな生きがいを手につかむことができるのでは?
・・と、自分の幸せ指数と自分の潜在能力発揮度合いとの相関関係について、
2人の協奏を聴きながら、考えちゃいました。
(本当に、当たり前なの話なのに、感じたときって、「大きな発見!」と思ってしまうのは、なぜだろう?
書いてみると、当たり前〜と思えてしまうのがちょっと恥ずかしいですが、ここまで書いたので、消さずに残します。
当たり前で、駄文でごめんなさい・・・)
3つ目に思ったこと。
もっと裸になり、自分の「感度」をあげたいと思ったこと。
高校のときから、きっと「五官・五感」を多く使える生き方って素敵だろうな、と思ってきた。
今日音楽を聴きながら、もっと裸になって、どうでもいいことにとらわれずに
本質的なことをもっと感じとれるようになりたい、と思うようになった。
毎日、どうでもいいことを考えている時間が長いなぁと、ちょっと我が日常を省みて、反省。
きっとそれは、今日の音楽に触れたことに触発された思い。(かもしれない)
今日聴きながら、自分なりにわかったもう1つのことは、
きっと芸術とは、ある人が自分の感覚を研ぎ澄まし、感じるに感じたことを外に出して、表現したもの。
五官それぞれに当てはめて考えると、
聴力には、音楽、
視力には絵画・彫刻(「彫刻」ということばがでず、つい「像」と書いてしまった、見事な日本語低迷現象にあるわたし)
味覚には、料理?
嗅覚には、なんだろう・・・料理?
触覚には、なんだろう・・・彫刻など?
主に、耳で感じ取る音楽と、視力で感じ取る絵画・彫刻が多い気がするが、芸術家というのはきっと
自分なりにつきつめた結論、研ぎ澄ましてわかったこと、あるいは自分の中で感じている「在るもの」
を外に出ことをしているのだろう。
そして、その外に出されたものを他の人が耳で感じ取れるものが音楽。
目で感じ取れるものは、絵画・彫刻だったりするのだろうか。
結局は、人が自分の中でみつけた真実(自分の中にあるもの)を外に一度出したものを他の人が感じ取ろうと、
受け止めている行動なのだろうか。
新聞・報道とは、記者がみつけた真実の一端を伝えたもの。
小説とは、作家がみつけた真実の一端を伝えたもの。
そして、絵画・彫刻・音楽などの芸術は、作品をつくった人がみつけた真実の一端なのだろうか。
うーん、そう考えるとなんか、面白いつながりみえるのでありました。
※おまけ:ロンドンで安く芸術に触れたい人へ、
以下の情報源をおすすめします。
Royal Festival Hall
Barbarican Centre
●2003年4月6日(日): 民主主義のいい厳しさ
今朝のBBCニュースで、各紙の新聞を紹介している。
その中で、「SHAME on YOU」(恥を知れ)という題名で、
今年1年国会で発言をしていない議員を調べあげ、2ページをつかって写真入りで名指ししていた。
(イギリスの国会では、議員なら誰でも、首相や大臣に対して、立ち上がって質問する時間がかなりとられている)
いや、この記事を書くマスコミこそ、第4の権力だなと実感した。
国民がする時間のないこと、国民を代表して、国政に積極的にかかわる。
おかしいところは、指摘する。
日本でもやっているかもしれないけど、今朝なんだか、民主主義のいい厳しさを垣間見た。
徹底的にとある人物を批判するときに、大臣の出勤が何時だとか、居眠りをしているとかなどの情報が流れるが、
もっと日ごろから、法案作成数の多さだけでなく少なさなどの情報を読みたい気がする。
●2003年3月26日 UPDATE:一言ずつ
最近、めずらしく内省的な時期をすごして、報告できずにいました。
しかし、みたり、聞いたり、感じたり、していることはあったので、一言ずつ報告します。
* ピアニスト内田光子さんのコンサートを聴いて(初の自らの意志でのクラシック鑑賞)。
まったく音楽を理解できる才能をもちあわせていなくても、美しいものに人間は自然と反応するものだと実感できた瞬間ピアノを魂の奥底から弾くピアニストの姿は、小説を魂の奥底から書いているとある小説家の姿と重なった。
魂・体全体で弾く内田光子さんの姿、奏でる音色に、本当に感動した。
あらためて、芸術は人の心を豊かにするものだと、実感し、もっとこれからふれていきたいと思った。
* ローマ人の料理上手なフラットメイトから、イタリア料理をおそわって。
ローマ人のフラットメイトが1月から引っ越してきて、料理を教わっている。
パンを粉からこねたり、パスタを粉からこねたり、ティラミスを手作りでつくっている様子をみて、思わず教えてほしい!とお願いした。
代りに天ぷらと手巻き寿司を教えて、パン・パスタ・ティラミスを伝授してもらった。
つくりながら、ふと、「そういえば、料理上手な人で、miserable (不幸な、みじめな)な人をみたことがないね。」という話に。
「食の豊かさと人生の豊かさの相関関係は?」と経済学の先生でもある博士課程兼イタリア料理専門家のローマ人の友だちと盛り上がる。
* 新しいフラットメイトのイスラエル人の話をきいて。
ローマ人のフラットメイトは、ローマに帰り、新しくイスラエル人のフラットメイトが移り住んできた。
戦争がはじまり、キッチンで彼女のイスラエルでの生活の話になった。
緊急事態になると、家族ごと核シェルターに入り、ガスマスクをして、避難するという話をしてくれた。
どこの家族にも、1人はそんなとき、屋根に登ってビデオカメラを手に攻撃される様子を撮っているらしい。
テレビ局が「野外で撮影は危険ですので、至急おやめください」と放送が入るほどだと言う。
常にテロに遭っている国の人の境遇が想像つかなかったが、
そんな日常にもあるユーモラスなことを話してくれている彼女の話を聞きながら、
ふとイラクの人たちも、戦争のさなかも淡々と暮らしている理由がわかった。
なぜバクダットでバスや車が戦争中も走っているのかが少し理解できた。
* アカデミー賞受賞作品、「Bowling For Columbine」をみて。
日本にいる友達が次々と「この映画をみて!」とお薦めのメールを送ってきて、薦められていたのがこの映画。
先日、ようやくイタリア人の友だちと観に行った。
映画中、3人でずっと「unbelievable 信じられない〜、ありえないと」と次々紹介される情報に、
目を丸くしながら、首をふりながら、実際にありえていることに、驚嘆する。
アメリカの銃社会の現状や、アメリカの権力の話など、アメリカ社会のおかしいところを掘りさげているドキュメンタリー映画であり、
この社会にいる人たちはこの映画をどう受け取るのだろうと、考えてしまった。
アメリカにいる親友の目にはこの映画はどう映るのだろうと。
それともそもそも、自ら観に行くのか?
観終わったあと、イタリア人の友だちと、「なぜ、アメリカにいる人たちは、反乱・革命をおかさないのか?」と疑問に思うね、と一致した。
でも、日本の社会のおかしいところを批判するドキュメンタリーをつくったら、同様に思うのかな、とちょっと他人事ではないと思った。
* アメリカの恐ろしい野望を垣間見て。
国際関係、とりわけ、援助の世界では、戦争が起きると当然戦後復興の話が話題となる。
専門用語でいえば、「軍事行動→戦後復興・平和構築→開発援助」という一連の流れで表現される。
戦争がはじまって間もないうちに、既に先進国の政府の中で、戦後復興をどうするかという話が水面下で始まっている。
今回の戦争が米国政府の石油に関する権益のためかどうかは、戦後の米国政府が自分たちにとって都合のいい政権づくりを
どこまで推すかで決定的に明らかになるだろう、と個人的に思っていた。
そして、すでにその都合のいい政権づくりの野望がみえてきている。
戦後復興の事業を当初は米国企業に委託するような動きがあり、あわわてて、英国の国際開発省の長官が米国にとんだ。
その後、英国の企業も戦後復興事業に参入できることになり、今日現在の報道では、「一部米国以外の企業も参入可能」となっている。
また、今日現在の報道では、米国政府主導の戦後復興と、国連主導の戦後復興という意見対立が米国と英国にあると言われている。
米国政府が戦後復興事業を委託する企業がチェイニー米国副大統領が前に関係のあった企業であったことなどが指摘されていて、
あぁ、やっぱり石油のため、自国権益(政権の中枢にいる一部の権益?!)のための戦争だったのだろうな、と思わずにはいられない今日このごろ。
そして、これが本当だとすれば、本当にそんなことがありえているのが不思議でたまらない今日このごろ。
* オックスフォード大学と日本の援助機関(国際協力事業団)共催の平和構築セミナーに参加して。
国連の小型武器の違法取引の取り締まりを目指している委員会の議長をなさっている国連大使、猪口邦子さんもパネリストとして
参加なさっていて、多くの驚異的な事実を知った。
「小型武器の犠牲者の90%は一般市民。そのうち、80%は女性と子ども。」
アメリカが問題にしているのは、イラクの大量破壊兵器。
しかし、実際一般市民の多くを殺しているのは小型武器?
そして、それらを輸出しているのは、米国、英国をはじめとする先進国?
ちょっと、待って?どうなっているの?と、あ〜知らないもう片側・他の断片のの現実があるのだなと痛感。
●2003年2月26日(水): 大人の失業が児童労働を促進させるパレスチナ・ガザ地区の話
今学期は、「子どもと開発 (children and development)」という、ずっ〜と勉強したかったことがようやく勉強できている。
途上国の子どもたちの問題を毎週とりあげていて、この2週間は「児童労働」がテーマ。
今週の授業でプレゼンをする人がパレスチナ出身で、自分の弟がつくったドキュメンタリーをみせてくれた。
それは、パレスチナガザ地区の子どもたちの話だった。
政治的状況により、現在65%の人が失業中だという。
しかし、細かい・安い仕事は豊富で、子どものする仕事はあるという。
親が働けないから、子どもたちが一家の稼ぎ手になってしまう。
11歳、13歳の兄弟がろばにのりながら、一日中ガスボンベを回収して、新しいものに入れ替える
を作業している様子が紹介された。
つまり、親の失業により、児童労働が促進されるという結果をもたらしている。
しかし、では子どもがかわいそうだから、学校にもどし、教育を受ける機会を提供すべきかとは単純に思えなかった。
この子どもたちは、もはや11歳すぎのやんちゃ坊主の顔ではなく、疲れ果てた肉体労働者の顔だが、
誇り高い表情をしている。
「僕たちが他の兄弟を養っている。家族は僕たちのおかげで食べていける。仕事がなくなったら、
僕は売られてもいい。妹たちの食べるものがあれば・・・僕はそれでいい」というようなことを
話していた。
ドキュメンタリーをみたあと、先生を含め、みんな赤い目をしながら、議論した。
国の状況によって果たして学校に行っても、職につけるかという問題もある。
また、教育よりも大事な、家族の明日のご飯がある。そして、この子どもたちの生きる力となっている誇りというものがある。
単純に同情して、「子どもは学校に行くべき!」とは思えず、ではどうすればいいのだろう?援助に何ができるのだろう
といっぱい答えがみえない疑問がわいてきた授業だった。
●2003年2月19日(水): 嫌われている国、嫌われていない国
その1
最近、東南アジアのとある国で援助関係の仕事をしていた人の話を聞いて、知らない現実を垣間見た気がした。
この人の親はこのとある国で生まれて、難民としてアメリカに亡命した経緯があり、その後この人はアメリカで育ち、
親の故郷と自分の故郷を結ぶような仕事に従事していた。
しかし、仕事で入国するたびに、遠戚の連絡先を全て書かないとビザがおりなかったり、
滞在中も観察されていたという。
政府を批判するような発言でなくても、政府は敏感に反応するという。
ホテルの一室によばれて、問い詰められてこともあるという。
親の故郷の平和に寄与する仕事をしているにもかかわらず、これほど厳しい監視をされ、また詰問
されることが日常的にあるという。それでも、この人はこの国の将来のために仕事をしたいと話していた。
こんな大変なことを、あっけらかんと大笑いをしながら話すこの人の姿をみて、思わずこの人の器の大きさと
メンタリティのすごさに圧倒されてしまった。
その2
ビルマで生活していた友だちがいる。
その人の話を聞いて、この国の現政権がいかに民衆に対して残虐な行為をしている、圧迫していた実感がわいた。
この人は、なぜイラクだけが世界から敵視されるのだろう?とつぶやいた。
他に同じ罪を犯している国は他にもある。
幸いにして、ビルマは資源がイラクほど豊富ではないことが幸運だったのだろうか?
嫌われる国、嫌われない国の違いはどこからくるのだろうか。
●2003年2月16日(日): こんなに明るい反戦デモ・・・
15日の昨日は、世界各地で反戦デモがあり、ロンドンも最大規模のデモが行われた。
朝から夕方まで先約があったため、残念ながらデモに参加できなかったが、
街中でデモに参加する人をあちらこちらでみかけた。
街中の人がデモに向かっているという雰囲気すらあった。
太鼓をたたきながら、笛を鳴らしながら、音が出るものならなんでもありという
雰囲気で、プラカードには個性豊かなメッセージが書いてある。
まず、日本で反戦デモと言えば、参加しようという気にはならないが、
なぜかここでの反戦デモには参加したくなる。なぜだろう?
街中でみかけた人たちの雰囲気はお祭り気分でとても楽しいもの。
でも気持ちは真剣そのもの。楽しみながら、世界の一員として、
おかしいものを主張する、ブレアに声を聞かせる、という気持ちが伝わってきて、
そんな様子をみているだけでも、私はなんだかこみ上げてくるものがあった。
大学では、バレンタインの午後だというのに、みんな学校に泊り込んでプラカードや
Tシャツをつくって、いろんな立場の人の話を聞くイベントを主催したりして、
デモ当日は11時に学校前集合でデモが始まるところからみんなで歩いていくという
スケジュールがたてられていた。
今日、日本から語学研修でロンドンにきていて、昨日のデモに参加した従兄弟に
会ったので、感想を聞いてみると、「いや〜、じゅんちゃん、感動したよぉ〜」と本当に
気持ちをこめて言っていた。
「国籍問わず、年齢問わず、普通の人たちがいっぱいいた。すごいものを感じた」と言っていた。
なぜイギリスでの反戦デモなら参加したくなるのだろう?
なぜ日本にいるとデモに参加することに違和感を感じるのだろう・・・
この違いはどこからくるのだろう?
●2003年1月24日(金): いや、ロンドンに来た甲斐があった。(=修士を通常より1年延長して、3年やる甲斐がありそう)
ロンドンに来た甲斐は、友だちだけをみても、充分にある。
生涯付き合いつづけたいと思う友だちは確実に1人ずつ増えている。
でも、(贅沢にも)修士を通常より1年延長して、3年やるのにうんざりしてきていた。
早く現場にでて、働きたいと思っていた。
あと、1年半も学校に通うのは、そして大学入学から通算7年になるのは親不孝者としか言いようがないし、
自分でもなぜ余分に1年を選んだのかがわからなくなった。(多分、あんまりそこまで考えていなかったんだと思う)
しかし、今日ちゃんと来た甲斐が、学術的にもあった、ということが実感できた。
内心どこかで求めていた授業、ここにあった。という感じです。
社会・文化人類学論。 Theoretical Approaches to Social Anthropologyという、きわめて曲者の授業。
先学期は途中であきらめかけたほど、わからないことばかりだった。
原住民が「原始的」な生活を送っている様子を西洋からきた文化人類学者が観察して、本にする。
その本を読んで、とある儀式の意味を読んだり、その原始的な社会のしくみをみることによって、
社会とは何か、文化とは何か、それぞれどう機能するのか、という話だった。
今学期は、先生も変わり、西洋の先人たちの考え方を解剖するという視点へとがらりと変わった。
これまでの私たちの「知識」は自然主義あるいは経験主義という相反する主義のいずれかの立場から
説明されているという話でで第1回は始まった。
この議論はギリシャ時代のアリストテレスとプラトンから始まった論争で、今も決着をみていない論争。
みごとにそのことが西洋の大学のシステム、つまり学部の構成からも伺えるという。
こっちの大学はFacultyというDepartment(学部)の上にまた分類がある。
大体、Social Sciences ・Languages and Culture・Arts and Humanities の3つ。
「Social Sciencesは科学でものごとを説明しようとし、人はだれも共通しているものがあるという視点をもち、
Languages and Cultureは、いや、人はそれぞれ文化的背景から違うものをもっているという視点をもち、
Arts and Humanities はうーん、どっちかな???と両方に足をつっこむ視点をもっている。」
と先生は説明してくれた。
つまり、これまでの学問は経験主義、自然主義、あるいはどっちかもわからないという3つの視点で体系化されている
ということだった。(気づくの遅い?)
ほぉ〜、確かに今の大学の体系はその説明で納得がいく。
興奮のあまり、長々と書いてしまいましたが、最後に一言。
先生はこんな話をしてくれた。
「僕の仕事は、これまで西洋の知識の中で先人たちが何を言ってきたか、みんなをヘリコプターにのせて、
上からの景色をみせること。ヘリコプターが追撃されず、墜落せずに、向こう岸につければいいのだが・・・
そして最後の最後に、先生はこう付け加えた。
「しかし、忘れてはいけない。わかればわかるほど、物事は複雑にみえる。
そうでないと、僕は失業しちゃうからね。」と、先生は笑っている。
「僕の言うことに反感を感じたり、反論が湧き出たりするのは大いにけっこう。
今学期をやりとおすエネルギーになるよ。」
中々タフな授業。
まるで1時間の講義のあとは、先生から挑戦状をたたきつけられているような感すらある。
今日の内容を消化できたら(!)、また詳しく書きます。
●2003年1月18日(土) : 歴史的瞬間 本日、June&Gigia両家「夏休み限定企画:日伊相互子ども交換協定」締結。
とまぁ、休み明けに久しぶりに大の仲良しのイタリア人友だちジージアに会ったら、
あっという間に歴史的な協定を締結をしてしまいました。
先学期からカナダ人の女の子とイタリア人のジージアの3人でよく遊んでいて、
2人は私のロンドン生活の中でなくてはならない存在なのです。
3人のお母さんたちまで似ていて、それぞれのママたちは「これを読みなさい」と
(「お母さん」が重要・面白いと思う記事)新聞の切り抜きを送ってくるのです。
イタリア人ママのジージアにいたっては、ビタミン剤も送ってくるとか。
(ジージア曰く、「イギリスにもビタミンあるのに!」)
まぁ、こんな友だちと話すと、どんな話題でも盛り上がってしまう。
ロンドンから1時間離れたところで同じく開発学を学んでラオスで働いた経験をもつ
ジージアの彼も週末に遊びにくる。
よって、週末はその彼も一緒で、またさらに盛り上がってしまう。
今日の夕方はジージアと彼が買い物をしたあと、お茶をのみに立ち寄った。
お休みどうだった?といつものような会話をかわしたあと、
話題は突然、「Juneは国産、つまり日本人の子どもを産むの?」という質問をきかれる。
「そればっかりはわからないけど、同じ国の人と付き合ってもいろいろと大変だから、
国が違えばもっと大変なんじゃない?」ととりあえず返事。
ジージアの彼は、「そうだそうだ、ジージアが他の国の人だったら、
今より大変なんて!そりゃ大変すぎるよ!」と。
そこで、さらに子どもの話が続く。
ジージアの彼は、今後の世界情勢を思うと、子どもをこの世に誕生させても
不幸なのではないかとあまり子どもを産むことに賛成ではない様子。
その反面、ジージアは私と同様、「4人がいい」と主張している。
そこで、突然、ジージアと私は、
「ね、将来お互いの家の子どもを1人ずつ夏休みお互いの家で預かるのはどう?!
日伊夏休みホームステイプラン?!」
と盛り上がった。
ジージアたちは日本人の子どもといえば、前髪が一直線に眉の上に並んでいる
戦前の子どもの写真でみたような子たちを想像しているらしく、
ジージアはさっそく眉の上に一直線を描きながら、「いや、かわいい!したい、したい!」と大興奮。
子ども多産に消極的だった、ジージアの彼も横でなぜか大興奮。
ジージアはすでに肝っ玉母さんみたいな大胆さがあって、一緒にいて本当に楽しい。
この人のところだったら、子どもを夏にホームステイさせたら、我が子は(注:まだ当分、産む・産まれる予定もない)
絶対楽しい体験をして帰ってくるだろうなぁ、と既に計画は私の頭の中で想像中。
土曜の昼下がり、こんなちょっとバカでちょっと本気なお話で盛り上がれる友だちがいるのは、本当に最高です。
(ジージャの子どもが将来我が子と交換でホームステイにくることがあったら、絶対前髪を眉の上にきれいにそろえて送り返したいところ)
●2003年1月18日(土) : 私もだいぶん慣れてきました。
海外にでて、日本人が一様に気づくのは、日本のサービス産業、
とりあえず、顧客に対するきめ細かな配慮が世界トップレベルということではないだろうか。
海外で先進国であっても、サービスのレベルの低さにはあきれることが多い。
レベルが低いというか、『どっちが客だよ』、という感じさえする。
先週引越しをして丸1週間たった今朝、ドアがあく。
知らない人が困惑した顔で私をみる。
「これ僕の部屋なんだけど。。。」と強く主張される。
朝からパソコンにむかって論文を書いていた私は、『でた』、
予想を越えるようなトラブルが本当によくおきる学生寮なので、
『次は何?』という気分だった。
先週管理人の許可をえて、私がこの部屋に引越し、同じ鍵を渡されていることを話した。
管理事務所は土日が休みだから、セキュリティの人に電話して事情を話した。
セキュリティの人の対応は、「この人はあなたの部屋の引越しが許可されているから
、場合によってはあなたはその部屋を出ないといけないよ、10分後に電話する!」と強硬に言われた。
先週私だって、同じ許可をもらって、引っ越したといっても、
「管理人は休みをとっていて、国外にでているから私は何も知らない。私の仕事は部屋の鍵を渡すだけ!」
これも強硬に言い返してくる。
とりあえず、様子をみる。その間、契約書などの条件をみて、
とにかく主張をうらづける契約上の論拠がないか読み通す。
万が一この部屋をこのめちゃくちゃ忙しい中退去せねばならない、
ことになったら、実質的な被害よりも精神的な被害を考えてほしいと、独り言。
この週末明けにいくつも締め切りがあるから、平穏な環境がどうしても欲しい。
10分たっても電話はない。
30分経って電話をしてみると、セキュリティのおばちゃんはあっけらかんと、
「あぁ、部屋がみつかったよ。君の前の部屋には既に新しい住人がいて、
私が部屋をあけたとき彼裸じゃなかったらよかったけどさぁ・・・(『ノックすればいいのに・・・』)
他の部屋があったから、そこに入ってもらったよ。君が管理人に許可をもらって
その部屋にいる限りは、他の人を入れるわけにはいかなからね」
と、まぁ、ようやく常識的なことをもっともらしく言うから、ホントおかしい。
こんな対応が日常茶飯事。
私も、動揺しながらも、だいぶん、慣れてきました。
●2003年1月11日(日) : 2003年教訓その@ 我慢しなくていいことはある。
喪中なので・・・
A Happy New Year!
そして2003年もどうぞよろしくお願いします!
12月21日から26日までイギリス人家族とクリスマスを、
12月27日から4日まで横浜・大阪に帰省し、
とある事情で、当初の予定を3日繰り上げて4日にロンドンに帰ってきました。
さっそく、4日からそのとある事情で、日本で前から手伝っている
研究手伝いの仕事をロンドンで引き続き手伝うことになり、
新年早々の仕事はじめとなり、実質8日のお昼まで必死に、働きました。
8日の午後3時から9日の朝5時までぐっすり寝て、
新学期の準備にとりかかっています。
先学期は実は、フラットでいろいろと問題が多く、
休み中いろいろと考えた挙句、思いきって環境を変えようと思いました。
我慢しなくてもいいことがあるということに気づき、
我慢するのをやめ、環境を変えようと試み、戦略的行動と幸運のおかげで、
奇跡的にフラットを変えることができました。
フラットでの「我慢」は2つあったのですが、
1つは、隣人がビザンティウン時代の楽器を演奏する音楽家で四六時中楽器の練習をしていたこと。
2人でルールを決めて、お互いの授業以外の時間を半分に割り、
練習していい時間と、私が図書館に居残る時間と、いろいろと決めました。
しかし、このこと以外ではとても頼りになる面白い隣人なのだが、性格なのか、
国民性なのか、ルールの意味はあまりなく、部屋にいてもろくに集中できないことが多く、
先学期は部屋へ戻るのがだんだん嫌になるようになっていました。
1学期はどうにか耐えていましたが、来学期からまたあれがはじまるのかと思うと、
気が重く、とあることがきっかけで、我慢する必要のあることとないことがあると気づいたのです。
2つ目は、人のプライバシーにかかわるので、詳しい話はやめますが、
とある人の悪気のない言動で不快な思いをすることが多く、我慢したり、寛容になっていましたが、
この我慢も必要がないことだとわかり、環境を変えることにしました。
新年早々、多少暗い書き込みですが、本人はいたって穏やか、前向きです。
なにせ、今年最初のいい教訓となったのですから。
「我慢する意味のないこともあるということ。」
1月早々、既にいろいろなことがあったこの1年・・・波乱の幕開けと言いましょうか。
今年は果たしてどんな1年になるのだろう?