*第8章 至福の夢の中 *
ここはどこだろう?
明るくてあったかい陽だまりの中のような…。
子供達が大勢で遊んでる声が賑やかに聞こえている。
あっ、そうだ。
私は今、長い間訪れてみたかった憧れの地、バラナシに来ているんだ。
ヒマラヤ山脈から流れる聖なるガンジス河(インドでは“ガンガー”と呼ばれてい
る)を臨む町。この地だけ、ガンガーが湾曲し、ヒマラヤ山脈の方に向かって南から
北に河が流れているので、バラナシはヒンドゥー教の聖地とされている。
アグラからの夜行列車で、早朝4時にバラナシの駅に到着し、毎度のごとくオートリ
クシャとの交渉や宿探しに苦労しながら、『久美子ハウス』という日本人のおばさん
の経営する宿にチェックインしたのだった。
ここは、宿代の安さ(ドミトリーは一泊90円!)のみならず、ガンジス河沿いとい
う立地が何よりも魅力!
ガンガーの岸は、ガートと呼ばれる石の階段状になってい
る。
この宿の入り口は、ガートを上がってすぐなので、どの部屋も窓のすぐ下にガン
ガーを臨む事ができる。
そうだった。
夜行列車と、宿までの道のりでクタクタになった私は、部屋にチェックインしてベッ
ドに横になるなり、気を失ったように眠ってしまったようだ。
時計を見ると、まだ一時間も経っていない。
でも、もっと長い間眠っていたような気分。
スッキリ頭が冴えている。
なんだか懐かしい夢を見ていたような気がする。
ペンキのはげかけた天井で、あったかい空気をかき回しながらブルンブルンと回って
る大きな扇風機をぼんやりと眺めながら、夢の内容を、その感触を思い出してみた。
子供の頃の夢をみていたのかもしれない。
小さい頃周りにいた人達が、たくさん登場
していた気がする。
家族や親戚や近所の人や昔の友達…。
そういえば、昔住んでいた
家の風景だった。
そして…、まだ他に誰かもう一人いたような気がする…。
女性だったような印象だけ
残っている。
そしてその人は、何かを言っていたような気もする。
それにしても、なんで突然こんな夢をみたんだろう?
そうか、河だ!
この部屋のすぐ下にガンガーが流れているからだ。
子供の頃、私は小さな川のすぐ横に住んでいた。
家の横には、人一人がやっと通れるだけの脇道があって、そこには祖母が植えたマツ
バボタンの小さな花が一列に色とりどりに咲いていた。
そして、そこにある石段をト
ントントンと降りて行くと、幅5、6メートルの小さな川が静かに流れていた。
ずっとそこに暮らしていた私は気付かなかったけど、うちに遊びに来た友達はよく
「あれ?雨降ってるの?」と、常に聞こえている川の流れる音に驚いていた。
中学の頃、市の道路増幅計画のため、私達一家はその家を立ち退くことになり、しば
らくして思い出一杯の建物も取り壊された。
そうか。ガンガーの流れる気配が、私にこんな夢を見させたのだ。
とても驚き、でも妙に納得しながら、大きく背伸びをした。
そろそろ起きよう。
立ち上がり、窓のところに行き、眼下に広がるガンガーの姿を見た。
すっかり日は昇っている。
この宿の真下の少し広いガートでは、たくさんの子供達がクリケット(インドで一番
人気のあるスポーツ)をして遊んでいる。ギャラリーもいっぱいで賑やかだ。
水面がキラキラ輝いている。
静かで雄大な流れ。
と、その時私は、はっきりと分かった。
私の夢の中に出てきていた、もう一人の人。
それは、ガンガーだ!
そして今、その言葉も思い出した。
― 『いらっしゃい。やっと来たわね。
あなたが来るのは分かっていたのよ。』 ―
ちょっとウソのような話で、自分で一番ビックリなんだけど、確かに私は夢の中でガ
ンガーからのその言葉を聞いた。
それはとても優しくて、あったかくて、深くて、大きな温もりのある言葉だった。
不思議な事に、それは日本語でも英語でもなく、ただフィーリングで、としか言いよ
うがない。
この事だけで、なんだかホッとした安らいだ気持ちになる。
全てを肯定してもらった
みたいな安心感。
大きく包みこまれているようなこの気持ちを感じた、今この瞬間の為だけの今回の旅
だったとしても満足だと思えるくらい。
到着の夜から、ここに来るまでの苦労も全くチャラだ。
あぁ、満たされている幸せなこの気持ちは何だろう。ココロの涙が溢れてきそう。
もっともっとこの余韻を味わいたくて、私は、固く小さいベッドの上で、おなかの中
の赤ちゃんのように丸まって、再び夢の中に飛び込んでいった。
窓の下の子供達の賑やかな声と、河の気配に包まれながら。
宿の真下のガート。クリケットの真っ最中。
手前にガンガー流れている。
写真右角の窓の辺りが私の泊まってた部屋。
ガンガーの夜明け
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