09.春の夜の蛇
言葉は糸のように縺れて夜の胸を覆うけれども
長い休みになると
朝の光にも夜の闇にも
花にも雨にも
煮魚にもビールにも
大きく育ったあたしの蛇を、じっ、と思う。
口を開ければ二つに割れた蛇の舌がちろちろ覗きそうで
慌ててあたしは口を閉じる。
あたしが思うのをやめてしまえば
蛇はしゅるしゅるほどけて
元の姿に戻るのだ。
そうすれば事は何も起きず
誰も目を醒まさず
誰も泣かず
誰も怒らず
誰も祝福をせず
誰も厭な思いをしない。
ただあたしだけが蛇を一匹丸飲みにしたように
あぷあぷと数百日をのたうつだろうけれども、
それはあたしの蛇だからしょうがない。
だけど
あたしはまだ蛇から目を反らすことが出来ないでいる。
夜になると、
暗い穴を覗き込んで
「おおおおい」
と、あの人を呼びたくなる。
もしかしたらあの人は迷子になってるのかもしれない。
だから、
あたしが声を張り上げさえすれば気づくのかもしれない。
そう思うと呼ばずにはいられなくて
「おおおおい」
と胸の中で声を張り上げるのに
言葉はひとつも口から出てこない。
思いがつのり切なくてもどかしくて
蛇を喉いっぱいに詰め込んだまま
涙にくれる。
どうしても欲しくて
でも確実に叶わないと決まっているなら
今すぐ蛇を丸飲みにして
もしくは吐き出して
もしくは食いちぎって
そのまま深い穴に身を落としたい、とも思う。
潔く
ぼとり、と首を落とす椿の花のように。

