カナダ縁側日記 バックナンバー 2006

 

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9月29日

突然ではありますが2003年6月から始めて約3年以上に渡って続けてきた「カナダ縁側日記-ある亭主の日常」のコーナーを終了させていただくことにしました。理由はいろいろあるのですが、一つには「カタカナでカナダは良くない」ということでしょうか。いつもだらだらと書き連ねているワタシのつまらないひとり言をブツブツと読まされる皆様のことを思うと申し訳なくこの際は思い切って身を引こうと決めたのです。

これからワタシのひとり言はどうしたらいいのか…。

ワタシのこの飽くなきつぶやきおよび情熱や叫びはどこへ向かって行くのか?

いったいこれからどうやって吠えればいいのか?

ソフトボールも負けてしまってこの冬は何を楽しみに生きていけばいいのか?

ワタシは週2回託児所へ我が子を迎えに6時までに行くことができるのか?

Ipodはあんなに薄くてポケットに入れたら折れたりしないのか?

などなどまだまだ書きたいことはやまほどある。人生とは本当に面白いものです。

「賢者は自ら知らんがために学び、愚者は人に知られんがために学ぶ」

ワタシもまだまだ勉強が足りないッス。

 

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9月22日

ある日の仕事帰り、通勤電車で自宅に向かっていたら停まった駅からなんとなく見覚えのある60歳前後くらいのオジサンが乗り込んできました。何気なく彼の顔を見ながら記憶をたどっていくと3年前まで住んでいたアパートの管理人さんのようです。

「まぁどうせ覚えてなんかいないだろうな」ととりあえずそしらぬ顔をしていました。彼のほうもワタシを覚えているような様子はありません。

「確か彼はベルギーかどこかからの移民で、奥さんはドイツ出身の人だったなぁ」とか「よくアパートを掃除していていつも機嫌よく挨拶してくれる人だったなぁ」とかいろいろ思い出しながら彼の横顔をちらちらと何気なく見ていました。

ある駅に電車が停まり彼が降りる様子を見せた時、いきなり彼がチラッとこちらを向きワタシを見てニヤッと笑いかけたのです。

「覚えていたんだ!」と驚いて言うと、「やっぱり!そうだと思ったんだよ!」と指をパチンと鳴らすと「また会えて嬉しかったよ」と言い残して電車を降りていきました。

車内に残ったワタシは心の中がパッと花が開いたようになり、うれしいような恥ずかしいような気持ちで家路につきました。

なんかいいっすよね、ああいう瞬間って。

 

9月17日

今年から始めたソフトボールには教わることがたくさんあります。

以前にも書いたかもしれませんが、「決してミスした人を責めない」、「チームプレーを尊重する」、「全体の勝利のために努力する」、「たとえ相手チームであっても素晴らしいプレーには惜しみない拍手を送る」、「買っても負けてもお互いの健闘を称えあう」などなど。

こういったことはスポーツマンシップとでも呼べるごく当たり前のルールなのでしょうが、ワタシは完全にわすれてしまっていたようです。試合をこなすたびに再び自分の中にこういった精神がもう一度染み込んでいっているような気がしています。

スポーツそのものだけでなく、心が洗われていくようで毎回が楽しみで仕方ありません。

 

9月14日

奥さんと我が子が里帰りしてみるととたんに家ですることがなくなりますね。妙に日記の更新が早くなっちゃいます。

一人暮らしの3週間、ただダンダラリンとすごしても面白くないので自分なりに課題をもって張りのある日々を送っております。

その基本はなんといっても「自炊生活」です。

自慢じゃぁないが一生の中でまともに一人暮らしをしたのは1年半しかない。料理はまったくできないとは言わないけれどできるとは到底言えないというレベルに入っており、その中でできるかぎり自分で料理をして「食っていく」というのは個人的には一大チャレンジなわけです。

しかしながらやっていくとわかるのは自炊で大事なのは「料理」ではないということがよく分かります。

「買い物」なんですよね。つまり「買い物を征すものは自炊を征す」とでも言えるくらいです。(こんな偉そうに言っていると「そんなこと知っとるわい、お前が家事をしないからわからんのだ」といわれてしまいそうですが)

段取りも悪く、さまざまな材料や調味料にも疎く、味覚にも自信がないワタシとしては事前に何を作るかをイメージしながら材料が無駄にならないように分量にも気を配りつつ買い揃えていき、スーパーという戦場をスキのない視線で棚を見て歩く時というのはまさに劉邦の参謀である張良が戦の前に策を巡らすかのようなダイナミックな瞬間なのですよ。

うーん自炊がなんとなく壮大なスケールの一大スペクタクルのような気がしてきた。

でもなぜか奥さんが帰ってくるととたんに何もできなくなるのです。

 

9月12日

項羽と劉邦を読み終わりまして感じたことを一つ。

それは「人を尊敬できるか」ということでした。

項羽にしても劉邦にしても偉大な人であったことには違いないのですが、最後はやっぱり人の意見を聞く耳を持っているほうが勝った。ということになるんじゃないかと思ったわけです。武人としては明らかに項羽のほうが優れているのに、学問も知識も決断力や武力にも乏しい劉邦は「人の意見に素直に従う」という方法で天下を統一しちゃったわけです。

それを感じた時に自分の心に「今の自分は人を尊敬したり、人の気持ちを尊重したり、人の意見を素直にきけるそんな人間かなぁ」としみじみと問い掛けてみたわけです。

人間誰しも自尊心をもっているわけでそれを励みに生きていっているんだけど、それが時に強くなりすぎてしまうことがあると人の話に耳を傾けるとか相手の気持ちを大事にしようという感覚が薄れてしまったりとかっていうことが起きるのではないかと思うんですよ。

まぁ言ってみれば人を尊敬・尊重するということはその反対に自分が謙虚になるということだから自分自分という気持ちじゃダメなんだよね。

これが自分でもわかっているつもりなんだけど頭と体が言うことを利かなくって実際には「あぁオレはわかってないな」と気づいちゃう。

人間ってむずかしいっすなぁ。

 

9月08日

昼飯を食いながら新聞を読んでいたらある記事に目が止まりました。

1994年に飛行機会社をクビになった女性が自宅の一室で幼児用の靴20足を自分で縫いビジネストレードショーに出展。その後いくつかの会社との契約に成功して販売を始めた結果、2001年には売上げが1億2千万円になり、2006年にはなんと30億円もの売り上げになったんだそうです。まぁ20足からスタートしてほぼ5年で年商1億、10年で30億になっちゃったわけですね。

この幼児用の靴、今ではRobeezとして小さな子供を持つ親には知らない人などいないというくらい必ず目にする商品になっています。

この話の主人公はノースバンクーバーに住んでいるごく普通の家庭の出来事です。この靴を使った人もぱっと見は40代半ば普通の主婦って感じの人です。本人もまさかこんなことになるとは思ってなかったでしょうね。

自分が子供に買ってやろうと思っていた靴の裏にこんなストーリーが潜んでいたとは。

アメリカンドリームならぬカナディアンドリームとでも言うんですかね。

 

9月07日

友達に借りて「項羽と劉邦」という司馬遼太郎の本を読んでます。やっぱりシバちゃんいいねぇ。面白い。

あの人の素晴らしいところは歴史を独自のイメージ力でロマンチックなドラマに仕立て上げられるところですね。

「数千年経っても人間の本質は変わっていない」と何かの本で読んだことがありますが、それって本当だなぁとつくづく思いますよ。

歴史というのはある意味「筋書きのあるドラマ」で、結果はすでに出ているわけですから読み進みながらワクワクドキドキするというようなことはあまりないはずなのですが、あまりにも現代にも当てはまるようなテーマが話の中心に横たわっていて「人を尊敬すること」や「人の話を聞くこと」、「人を信じること」などなどの一見単純な要素が壮大な中国大陸の運命を決めていくわけですね。

劉邦にも項羽にも人をひきつける素晴らしい魅力があって、最終的にはそういった魅力そのものがまた別の魅力を持つ人や運、偶然を引き寄せたりする大きな原動力になっていくようです。

ある意味では現代の政治家の選挙活動なども戦闘シーンはないですが人の心をつかむという意味では同じようなことなのかもしれません。

じゃぁその魅力とはなんなのかといわれるとこれがまた非常にやっかいになっちゃうんですね。

わからないんです。

多分生まれつき持っているものなのか、人生の中で事前に身につくものなのか。

特に劉邦なんか文字も読めない学問もない、本当に何のとりえもないんです。彼がやったのは「人の話を聞くこと」くらいじゃないでしょうか。

いずれにしてもこういう大きなことをやった人を周囲で頑張って支えている脇役たちこそが本当の主役であり、素晴らしい個性と魅力をもった人の集まりなんです。

だって「話を聞くこと」が大事だとしたらその話をしてくれる脇役がいないと始まらないわけですから。

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8月20日

生まれつき負けん気の強い人というのがいますね。ああいう人が羨ましいんですよ。なんというかとにかく負けるのが嫌いであらゆる手を尽くしてでも勝ちたいと最後まで粘りいやらしいまでに相手の嫌がるところをつついていく。

これは決してその人の性格のすべてではないですから必ずしもその人そのものが嫌なヤツなわけではないんです。

残念ながらワタシにはそういったたくましさや粘り強さはないわけで、けっこうあっさり諦めたり知らん顔して関係ないフリをしてやりすごしたりするんです。これは本当に自分の嫌いなところなんですが…。

でもね、やっぱり人には誰しも「これだけは何とかしたい」と執念を燃やすものがあってもいいと思いますよ。

まぁワタシの場合はいままでそれが仕事だったのですが、だんだん「どこまで粘ればいいのか」ということに疑問が湧いてきてるんですよねぇ。

だって仕事というのは人間一人の力じゃどうしようもないものもありますからね。

ただ「何でもいいから自分のやりたいことに粘りをもってやれ」ではやっぱり言われるほうは疑問感じますよねぇ…。

というわけでその次に「何とかしたい」と思っていることについて書きます。

これはなんと言っても「ソフトボール」です。

実を言いますとバッティングが大不調になっておりましてただいまここ4試合でたったのヒット1本と苦しんでおります。

上半身が突っ込むという原因は分かっているんですがどうしても「打ちたい」という思いが強すぎて力んでしまうんです。

しかしながら徐々に状態がよくなってきているので来週こそは3安打固め打ちといきたいところです。

 

8月05日

ある軍隊では「本当の最後の最後まで仲間を見捨てない」ということを徹底的に隊員にたたき込むそうです。

戦場で敵に囲まれて身動きが取れなくなった時に自分だけ逃げられるように考える人間であってはいけないということなのだと思います。

もちろんこれはチームワークとして仲間を信じることや、最後まで諦めないという戦いの中に必要な要素としての意味もあると思いますが、戦争=侵略や爆撃といった偏った部分だけが強調されがちな中で「実際には戦場にいる一人一人の人間が仲間の命も背負っている」という事実を感じさせてくれます。

自分にとってこの話は家族や社会という枠組みの中で考えた時にも非常に重い、深く考えさせられるテーマでもあります。

誰だって最後まで仲間を見捨てたりしたくはないものです。だけどそれが本当にギリギリの究極の局面だったとしたらどうか。

現代の社会ではそこで人が死んだりするわけではありませんが、人の生き方として見るとそこに人間としての強さが凝縮しているような気もします。

「仲間を見捨てる」という意味だけでなくても人の人生途中でいろんなものを諦め、捨てながらなんとか生き長らえていく物です。

だけど振り返って考えてみた時に「あの時本当の最後の最後まで見捨てずに頑張っていたとしたら…という思いは誰しもが持っていますよね。

せめてこれからだけでも「最後まで仲間を見捨てない」人間になれるよう頑張ります。

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7月29日

奥さんの妊娠によりしばらく自粛していたキャンプ。我が子ももうすぐ9ヶ月を迎えるということで満を持して行ってきました。

場所は我が家の住まいサルスベリの街から車で約1時間ほどのところにある湖畔のキャンプ場。

天気はあいにくの曇り空で盛り上がりはイマイチだったものの、この日に備えて新たに我が家のキャンプセットに加えたランタン(ガス灯)も活躍しかなり楽しむことができました。

当初の予想通り、人々が寝静まった日没後のキャンプ場には我が子の夜泣きの大声が何度となく響き渡ることになってしまいました。

まぁそれでも誰にも文句を言われずにすんだのはあまりの泣き声の激しさに狼の遠吠えと間違われたのかもしれません。

今回のキャンプは我が子にとってははじめての「外泊」で「旅行」というイベントだったわけですが、まぁどうせ覚えていないのでしょうね。というか親バカ両親はみごとにカメラを忘れてしまい、さまざまな絶好のシャッターチャンスを逃すハメとなったのです。

まぁどうせ本人は覚えてないんですから…。

 

7月15日

先週から地元のソフトボールチームに仲間入りし、頭の中は野球、体は筋肉痛、心は新しいグローブに奪われてしまっております。

ずっとやってみたいなぁと思ってはいたものの仕事が忙しかったりしてなかなか始めるきっかけがつかめなかったのですが、今回誘ってもらってグローブも持たずにいったソフトボールが楽しくて楽しくて。

今静かに考えてみるに私は団体競技のチームワークとお互いに楽しもうという仲間同士の素晴らしさ、仕事から完全にかけ離れた人間関係などがワタシの心をわしづかみにしてしまったようです。

誰かがエラーをしても他の選手がカバーしたり、誰かがチャンスに凡退しても次のバッターが打ってくれる、時には連れてきた10歳くらいの子供を代打に立たせるなど時には勝負を度外視した「遊ぶ」ということに対するひたむきな姿勢はワタシが忘れていた何かを思い出させてくれるような気がしています。

日ごろはそれぞれの仕事に精一杯励み、週末がやってくると三々五々短パンに帽子という格好で、グローブを片手にグラウンドへ集まってくる人たちはほとんどが30代。子供のようにはしゃいで汗をかきながらプレーしているわけですから必ずしも美しいとは言えないでしょう。

しかし、心から笑うことのできる時間を共有できたことがとても嬉しく、ワタシには彼らの笑顔はとても美しく見えました。

 

7月01日

ふと気がつけば6月は一度しか縁側日記が書けていないではないか。

これではいけない。

この日記を書くという作業は自分自身を見つめなおす時間を作るためにはとても重要なことなのです。書いていないということは毎日ふ抜けた日々を送っておるということじゃ。

まぁ考えてみるとこの日記も2003年の6月16日からスタートしたわけですからすでに3年が経過したわけですね。

始めは「まぁ試しにやってみっか」という程度の意気込みでまさかこんなに長く続くとは思っていなかったんですよね。

だけどいつの頃からかこの日記を読んでいる人がいるという認識が生まれてきて「これはやらなあかん」と大阪弁風に気合が入ってみたり、「ばってんなんで自分の内面を他人に見せないかんと?」と福岡弁的に考えてみたり、まぁとにかくそれなりに葛藤があったりするわけです。

でも読んでくださっている皆さんからのコメント(ほとんどないけど)とか、我が子の成長を楽しみにこのサイトを訪れてくれる人たちが少なくとも何人かはいるということが励みになり最終的には「自分のためにやってるんだ」ということが分かってきて今では「できるところまでやってみようじゃん」とわざとらしく横浜弁を(実際にはこんな風に言わないけど)使ってみたりする気になっているのです。

このご時世もっと垢抜けていて便利で使いやすいブログなるものも登場し、こんなシンプルでかっこ悪いホームページは流行らないのかもしれませんが、とりあえずワタシは「わが道を行く」ということで頑張っていきます。

歌丸さんも笑点がんばってね。

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6月17日

最近ふと友人と話していてでてきたテーマ。「自分にできることとできないことがちゃんとわかっているか」

仕事でも家庭でも、人生においてもこのことはきちんと自分をわかっていないとできないことのような気がします。

特に先の読めないこの世の中を渡っていくためには大きな課題です。

さまざまな問題にぶつかった時、どこまで自分はその問題に対処できるのか、そのラインというものが見えないときというのは失敗する可能性も非常に大きいと思います。

なぜこんなわけのわからないことを書くのかというと、最近の自分がそれを見失っているような気がしているからです。

足元が見えていて、自分の能力が伸びていると感じられる時は自信に溢れていてある程度のところまで「自分でできる」という勇気をもつことができます。ところがいったんその自信を失うと自分がどこまでできるかというその限界ラインがどんどん狭くなっていて、結局「自分ではわからない」という感覚になってきてしまうのです。

こうして書いていくと最終的には勇気と自信をもてということになるのかもしれませんが、そんなに簡単に勇気も自信も自然に湧いてくるものではないのがやっかいなのです。

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5月28日

ワタシの好きなテレビ番組にEXTREME MAKE OVER –HOME EDITION- というのがあります。

アメリカで放送されている番組なのですが、以前までは単純に古かったり家主にとって問題があったりする家の改築をプロの建築家達が請け負って見事に解決するというだけのものでした。

しかしこれが最近ではアメリカ全土の町や地域に呼びかけて本当に家の改築をしてあげたい人たちや家族を募集し、そのコミュニティ全体でその一家の改築を応援し、祝福するというような形に発展してきたんです。

まぁワタシに言わせればあれは改築というよりはほとんど「建て直し」なんですけどね。

例えばそれは夫を失い一人で6人の子供たちを育てる母親の家だったり、何人もの孤児を受け入れている家庭だったり、病気と闘い車椅子で生活する息子を持つ家だったりするわけですが、プロの技術者がその家族のために作る家はまさに『夢を形にする』という作業です。

さまざまな苦境や問題に立ち向かっている人なんてどこにでも何万何千といますが、そういった人すべてにこんなことをするなんて到底できません。だけどテレビという媒体を通じてその中のごく一部の人の夢をかなえてあげる、そしてその夢をかなえられた人たちは口々に「頑張れば夢は叶う、いつか努力は報われる」とつぶやくのです。

とても見ている人が勇気付けるられる番組です。

 

5月13日

2ヶ月間の一人暮らしがついに終わろうとしています。

日本に妻と娘をおいて帰ってきた当初は「これから2ヶ月どうやってやっていこうか」と気の遠くなる思いをしていました。

最初の1週間は緊張感もあってなんとか乗り越えましたが、徐々に気力が無くなっていき2週目以降になると冷蔵庫は空っぽ、食事はしたりしなかったり、部屋は汚しっぱなし、洗濯物は床に山積みという悲惨な状態になった時もありました。

しかしこのとき見ていたバスケットの試合で、プロの選手達がぎりぎりの緊張感や疲労感の中でも全力でプレイする姿に感銘を受け、自分も全力で生きていこうと一人で勝手に決意し、100%自炊目標をたててみたわけです。

やってみると100%とはいかないまでも意外にできてしまうもので、部屋の掃除・洗濯、買い物に料理、トイレや風呂掃除などなど計画的に動くように心がけることで生活にリズムができ、テレビを見てダラダラするということもなくなりました。

朝起きてから仕事に出るまでの5分くらいで毎日簡単なサンドイッチのお弁当を作ることができるようになったのが自分の中では一番の進歩だったようなきがします。

こうやって書いていくといままでいかに自分がだらしない夫なのかがよくわかりますね。

 

5月06日

2日で36歳になりました。

なんだか本当に実感のないままに日々が過ぎ、誕生日が来たことで自分が年男だったことに気がつきました。

30代も後半に入ったわけですが、やはりなんとなく今までとは気持ちの部分が違ってきているような気がします。

いままでは目に見える結果や具体的な形にならなくても気にならなかったモノやコトに、「とにかく目に見える成果」を欲しがるようになってきているみたいなのです。「若さゆえの経験」で済まされてきたことを今後は「きちんと積みあがっているんだ」と証明したい欲求がでてきているように思うのです。言い換えれば過去の様々な人生経験を通じて得た知識や能力を使って自分なりの個性と特徴を生かした何かを残さなければいけないという気持ちが湧き上がってきているんです。

もちろん人によってこういう感覚を持つのがもっと早い場合もあると思います。自分にとってはやっとこれからがそういう時期なのかもしれません。とりあえず次の目標はバンクーバーオリンピックが開かれる2010年、40歳ですかねぇ。

でもあせらずやります。

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4月29日

一般的に血液型と性格には相関関係があると思われておりますね。

「あの人は〜型かな?」なんて言ってみて本当に当たることもあるのですが、どうも科学的な根拠はないらしいです。

ワタシの家族は7人中5人がAB型で2人がA型(ワタシ含む)だったわけですが、このAとABでそれほど違いを感じたりしたことがない、というかずっと一緒に住んでいるのでAB型がどんな性格なのか?と聞かれても全然わかんないんです。

ようは客観的に見られないんですね。違いがまったくわからない。

そんなある日、AB型の友人と食事をしていた時にその人がいいました。

「ワタシはAB型なので仕事では非常に細かく神経質になるが、自宅では芸術を好み仕事場とはまったく違う性格になる」

はて?ということはAB型に2面性があるというのはわかりやすい理屈ですが、家と仕事場で性格が変わるとするといままでワタシが見てきたAB型の家族達はワタシにその半分の面しか見せていないということになるのでしょうか?

だとすると「キミはAB型だね?」なんて当てることはかなりその人のことを日常/非日常にわたって知ってないと当てられない、ということになるんでしょうか?

うーん。奥が深いAB型。

 

4月15日

床屋さんで髪を切りながら話したこと。

その人は「(人は)何のために生きるんですか?」と20歳の子に問われたそうです。

正直言えば自分もその答えを充分に持っているとは思いません。何しろ難しすぎるし深すぎる。ある意味ではこの世の生き物のすべてには具体的な「生きる理由」というのはないような気がします。一昔前であればもっといい暮らしがしたいとか、美味しいモノが食べたいとか、いろんあ単純な理由でも充分に生きる理由として成り立ったかもしれません。でもこれだけ恵まれた世の中に育ち、何一つ不自由のない暮らしをしている若者たちに生きるための貪欲さを求めるのはたしかに無理があるでしょうね。

しかし30代になった自分がそんなことは言っていられないっすよね…。と思っていたら、床屋の帰り道の運転中にふと思いました。

「何のため」の“何=自分”だからやる気がおきないんじゃないか?と。

だって自分は自分の子供や家族のためなら生きるためになんでもやってやろうという気持ちを持っています。もしそうだとしたら答えはすでに出ているじゃないですか。

ワタシがもし「自分のために床屋に行く」っていうくらいの感覚で生きていたらそりゃよほど自分のことが好きじゃない限りは「あと1週間はいけるな」なんて感じで覇気のない伸ばし伸ばしの人生になると思いますよ。

 

4月08日

とりあえず1週間一日3食自炊目標を達成しホッとしております。

というのも今日さっそく友達と焼肉を食べに行ったからです。いやぁやっぱりうまいなぁ焼肉は!改めて自分が肉大好き人間であることを再確認しました。

そしてさらに帰ってきてからカレーを作り、明日以降の食生活への備えも怠りナシ。

さて、今日は朝からプロバスケットボールの試合中継にくぎ付けになっていたんですが、そこで感じたことを一つ。

「勝負に年齢や先輩・後輩は関係ない。本当に勝負に執着できる強い者が勝つ。」

クリーブランド・キャバリアーズの3年目、21歳のレブロン・ジェイムスは数々の最年少記録を塗り替えているスター選手なんですが、彼のすごいところはその若さに似合わぬ勝利への執念と肉体的タフさ、そして精神的な強さなんです。

ベテランの選手ですらシーズン終盤のもっともプレッシャーのかかる土壇場のプレーでは日ごろの力を出すことですらきわめて難しいものです。でもそこでも彼は他の経験も実績もある選手たちと堂々と渡り合い、さらに力でねじ伏せる強さとカリスマを持っています。その表情には「若いから負けても許される、できなくても仕方ない」というような妥協は一切ありません。ただひたすら彼は自分が勝つためにもっとも最高のプレイを見せつづけるのです。

それはスポーツだけでなく、我々の仕事などでも同じことだと思います。最後の1点、0.1秒、1円の差を生み出すのはやっぱり情熱と粘り、執着心だと思ったわけです。

ワタシはもうベテラン・中堅という感じですので若者に負けないよう頑張らなくては。

 

4月06日

この1週間は個人的に「自炊に頑張る週」というテーマを自分なりに設定して頑張っている最中なのです。

恥ずかしながら人生の中で純粋に一人暮らしをしたのは大学を出てすぐに入った会社で勤めた千葉県での1年半だけなので、いわゆる自炊はあまり得意分野ではありません。

それでもかろうじて洗濯(全自動)と掃除(掃除機かけるだけ)はなんとかこなせているものの、やはり1日3度の食事だけは「自動」というわけにいかず弁当などを買うのも飽きてしまったこともあり、ここはひとつ自分でやってみるか!という気になったわけです。

ここのところ、「仕事や人生に使命感はあるか?」という疑問を個人的にもっているのですが、この使命感というのはとても難しいのです。

ワタシの解釈では「(他の人のために)自分がやらなきゃ誰がやる」という強い気持ちで社会に貢献するということではないかと思うのですが、なかなか「人のために」何かに頑張ろうとは思えないわけです。

ワタシのような小市民としてはそんな大それたことはせずに「あっ昨日の晩飯で使った皿まだ洗ってなかった。しょうがない洗うか…。」てな感じの使命感くらいしかないんです。(使命感というよりは義務感)

まぁそんなヤツが「使命感はあるか?」なんていう疑問を持つなと言われればごもっともな話なんですけどね。

もちろん子供が生まれたことによって自分の中での人生における使命感というのは以前と比較にならないくらい強く感じるようになりました。

それなのになぜワタシが「使命感はあるか?」という疑問を自分自身に対して持ってしまうのか…。

うむむ…。

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3月27日

よく「人に歴史あり」っていいますよね。おそらくどんな人の人生にもそれなりに苦労や喜び、そしてドラマがあるというような意味で使われていると思います。

今回日本に10日間いて、改めて思ったことはそんなことでした。

カナダに住んでいるというと国際社会に開けていて、視野の広い暮らしをしていると思われがちなのですが、実際にはその反対です。

実際いろいろな国から移住してきた人と会えるので国際的であることは間違いないですが、土地が異常に大きい(面積が日本の27倍!)わりに都市はあまり大きくない(ワタシの住むバンクーバー地域で200万人程度)ので、人口が多く土地が小さい日本のほうが物理的には多くの人と接することができるんです。(行き来は絶対楽です、時差もないし)特に我々日本人というのはカナダの中では少数派ですからいつも限られた人たちとのみ付き合うということがどうしても多くなってしまうわけで、逆に日本の人たちのほうが広い社会で暮らしているとも言えるわけです。

そんな小さな村から大国日本へ来た私には昔からの付き合い、家族とのふれあい、社会との繋がりなどが複雑に絡んだ日本社会はある意味新鮮でした。

何年も会っていなかった親戚や友達、ひさしぶりに聞く暮らしぶりやワタシのしらなかった彼らの人生に触れていくと「あぁここにもまたオレの全く知らない人生があったんだなぁ」と感慨深くなってしまうのです。

カナダで時折交流するまったく違う国の人たちの話を聞いても、やはり育った環境が違うからなのかあまりピンとこないんですよね。

「オレはインドで生まれたけどアフリカで育った。」などと言われてもそれが一体どのような人生なのか想像もつかないでしょ?

 

3月21日

今日日本から帰ってきました。もちろん一人です。

人に頼る生活を続けていると本当に自分で生きるということができなくなっちゃうんだなぁとつくづく思います。

宇宙飛行士が地球上に帰ってくるとすぐには自力で立ち上がれないそうですね。宇宙空間は無重力なので筋力が落ちちゃうのだそうです。

まさにそれと一緒。自分以外に誰もいないというのは本当に大変なことです。

 

3月05日

3月10日から10日間ほど日本に行きます。もちろん目的は匿名希望の妻および我が最愛の娘の帰省であります。飛行機での移動や国内での乗り継ぎ、両家それぞれへの子供の顔見世興行ということもあって同行することにしました。

特に奥さんの地元には結婚の時以来丸5年行ってないので楽しみです。(自分があまり知らない地域に行けるのは楽しい)

正直なところ家族全員で一緒に日本に帰るなどということは今後何回できるかなぁ、という感じです。

ワタシは出張で日本に行ったりすることもありますが、それに家族を同行させるなんてもちろんないですし、今までのパターンで行けば奥さんとワタシの休暇が取れるタイミングが違うので一緒に休むというようなことも難しそうです。

しかも子供が2歳を過ぎれば航空運賃もほぼ大人同然にかかってくるので3人分の航空運賃などそう簡単に出るものでもないわけです。

これはバンクーバーに住むワタシとほぼ同じ境遇の日本人家族共通の問題みたいです。

もちろんこういった状態になったとき、まず確実にはじき出されるのはワタシです。妻&娘で日本に帰り、ワタシは家で留守番ということになるでしょう。

今回彼らは2ヶ月日本に滞在します。近ごろ若干ストレス蓄積気味の匿名希望の妻も2ヶ月お母さんのもと楽チンで優雅な帰省を楽しめば帰ってくる頃にはさぞや心も体もリフレッシュしていることでしょう。

かたや我が最愛の娘は帰ってくる頃には生後6ヶ月。現在まだ4ヶ月であることを考えると人生の3分の1を離れて暮らすことになり、ワタシにとってはつらいことこの上ないのです。(同じような年齢の子供をもつ友人たちにも強く同情されてます)

そういったわけで来週末は日本です。たぶん更新はできないと思います。

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2月26日

我が子は最近鏡の前に来ると喜びます。たぶん鏡に映っているのが自分ということももしかすると気づいていないかもしれませんが、少なくともそこには父らしき自分をお風呂に入れてくれる人物が写っていることは認識しているようです。

子供が喜んでくれる限り私はよろこんで洗面所に彼女を連れて行きますが、正直心の中では複雑な感情がまざっているのです。

というのも最近自分の顔を見るのがあまり好きじゃないのです。

私は常々「人間は顔じゃないと言う人がいるけれど、顔にはその人の生き様がでる。だから人間は顔なのだ。」と思ってきました。ところが実際に鏡の前に立って見ると活き活きした子供の顔の横にあるのはさえないオジサンの顔。まさにこれが自分の生き様なのかと心が暗くなってしまうのです。

人間誰しもそんなに自分の顔のことを悪くは思っていないはずです。数年、数十年慣れ親しんできた顔ですから、それなりに愛着もあります。

でも「人間は顔だ」などと公言してはばからないワタシ自身が自分の顔に自信がないのではいかんではないか!

と幾分自己に対する怒りも交えつつ気持ちを鼓舞してみるものの、何度も通う洗面所の鏡は常に真実を映し出すのです。

「おまえはもう若くない。疲れて擦り切れたオジサンだよ」と鏡がワタシに語りかけてくるのです。

今ワタシはある意味で瀬戸際に立たされていることを感じています。このまま鏡のプレッシャーに敗れて無残にもオジサン化していくのか、はたまたこれをバネに若々しさや力強さを取り戻すことができるのか。

ワタシに本当に求められているのは顔の若さではなく、心の若さなのだということに気づきました。

 

2月20日

1996年の1月19日。初めてカナダに来た日です。

あれから紆余曲折があり、嬉しい楽しいこと、悲しいこと苦しいことなどなどいろんな事が私や私の家族の身に起こりました。

それでも今こうして一家3人楽しく暮らしていられることを心から嬉しく思います。

いやぁそうですか、あれからもう10年ですか…。

あの頃はただ何か新しいこと刺激のあることをやってみたいと思っているだけの血気盛んな20代の青年でしたねぇ。青かったなぁ。まだまだ未熟で青かったですよ。

様々な人との出会いがあったおかげでカナダで仕事をして暮らすようになったわけですが、ここで暮らしている多くの日本人は「自分は日本人だ」と思っているし、「将来はどうなるかわからない」「日本に帰る日が来るかもしれない」とも感じているみたいです。

一般的にはプラス思考で日本に帰る人はやはり少ないような気がしますね。仕方なくという人のほうが多いように思います。

人それぞれの人生なのでなんとも言えないのですが…。

ただ、人生なんて本当にどう転がっていくか判らないものだと思うんです。カナダから日本に帰っていった知り合いの中でとても幸せに暮らしている人を何人も知っていますし、カナダで得た経験や知識を活かしている人もたくさんいます。

「ある一つの挫折や失敗は決して人生の失敗ではない」

別にこれは日本に帰った人たちのことだけでなく、あらゆる人生の場面でもいえることだと思います。

私がカナダでの生活で学んだことの一つです。

 

2月11日

いつの頃からか覚えていないのですが、自分がかなりあっさりした諦めの早い淡白な性格であるにもかかわらず、「粘り強い」ということにずうっと憧れていました。

これはある意味では「しつこい」とか「くどい」はたまた「うざい」ということにもつながってくるのですが、それでもやっぱり最後まで諦めずに頑張ってやり遂げるという強さは素晴らしいと思っていたのです。もちろんこれはワタシが粘り強さを持っていないということの証明にもなりますが。

しかしながら、ワタシも年輪を重ね人生経験を積んでくると粘るだけじゃダメということも学んでくるわけで、ある意味での「諦めのよさ」や「切り替えの早さ」というものも人間は併せ持っていかなければいけないな、そういう人もなかなかいいよな、ということで最近では粘り70対諦め30くらいのバランスでモノゴトを見るようになってきたわけです。

ではこの粘りと諦めの境目はどうなっておるのか?というのがワタシの中では大きな課題となっているのです。

「粘り強さが身上でありながらも切り替えの鋭さも併せ持つ」ということの難しさ。これは言葉では語り尽くせない深い問題です。

どこまで頑張ったら粘り強くて、どこで諦めると淡白なのか…。

本来が淡白なワタシはどうでもいいと思ってしまうのですが、実は粘り強くありたいワタシはそこをあえていろいろと考えてしまい、でも諦めも肝心だと思うワタシはこんなこと考えるだけ無駄だと決めてベッドへもぐりこむのです。

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1月

 

1月29日

先日カナダの連邦政府を決める選挙がありました。カナダに住んでるけど選挙権がないので完全に受け身ではありますが、今回の選挙は与党自由党が敗れるだろうという予想が大勢だったので少しだけ注目していました。

結果は本当に自由党が僅差で敗れ保守党が政権を握りました。日本のようなほとんど政権が交代しない国に育ったワタシにはカナダ国民がちゃんと政権を選んでいる気がして羨ましい気がしましたね。

さて、ワタシが今回一番印象に残ったのは敗者である自由党や新民主党の「敗北後の雰囲気」です。

ニュースを見ていて、こうなんと言うか、全然「くやしい!」みたいな感情的な部分が見えないんですね。むしろ「国民のみなさんが決めた新しい政権がスタートしてよかったよかった」、「今回は落選しちゃったんで次回頑張りますよ!」というひたすらに明るくも前向きな「敗北宣言」がやたらに目立ったのです。

首相を務めていたマーティンさんはこの敗北を気に自由党の代表を辞任することになったわけですが、とても「敗北宣言」とは思えない「隠居しますんで後はヨロシクね」なんて感じのスピーチで支持者から大歓声をもらったりしてすごく楽しそうに話してました。(本当はお前のスキャンダルで負けたはずだが…)

まぁカナダの政治に詳しくないんでどうなっているのかよく分からないんですが、とにかくなんとなく羨ましいような気がしました。

国を運営しているのは国民であり、選挙はその一つのイベントってとこでしょうか。自治体が運営する盆踊りや運動会と一緒なんていったら怒られそうですが、どことなくそんな雰囲気が漂ってるんです。

ちなみにカナダは投票に行くという名目で仕事を早く帰っていいと法律で決まってるんですよ。でもなぜか出勤前に投票し終わってる人も早く帰ってるんです(笑)

 

1月21日

11時30分。最近眠る時間が長くなった我が子はすでに匿名希望の妻とともにベッドで寝息を立てています。

一人リビングに居残り、静かにテレビをつけてスポーツニュースで今日の結果をチェックしながらこの縁側日記を書いているわけです。

ものすごく久しぶりに一人だけで時間を過ごしているような気がします。(匿名希望の妻はもっと一人の時間が短いですが…)

日々子供に翻弄されながらすごしているとこんなちょっとした時間ができても何をしたらいいのか分からなくなります。

子供が生まれる前のワタシはいったい何をして時間を過ごしていたんだ!と思い出そうとしても何にも思い浮かびません。きっとしょうもないテレビ番組やインターネットなどしかしてなかったんだろうなぁと思うと実はものすごく時間を無駄に使っていたことに気づくわけです。

最近なんとなく自分自身に対して焦りというか苛立ちみたいなものを感じることが多くなりました。おそらく今の自分に対して自分自身が満足していない、または納得していないのだと思います。

ではどうしたら満足するのかというと決して答えは出ていなかったりするのです。

人の親になるというのは有形無形のプレッシャーというものがあるのだとつくづく感じる今日この頃です。

 

1月15日

今週もなんだかあっという間に過ぎてしまった。特にこの週末は本当になんにもしてない。

子供を予防接種に連れて行き、その日の夜は結衣が異常なほど泣いて夜中まで寝られずに大騒ぎし、挙句の果てにヤツは夜中に寝ながらとんでもなく臭いでっかいウンチをしやがった。

やれやれと起きだした日曜の朝は気がつけば11時。ちょっと結衣をあやし、ミルクをやり、オムツを替え、朝昼兼用の食事をしたらあっという間に2時。久しぶりの晴れ間に散歩に連れて行き、帰りに近所のスーパーに買い物に立ち寄る。しかし実際には当の本人は散歩中ずっと眠っていたりする。

匿名希望の妻による「子供の機嫌がいい時こそ親子の会話を」との意見に従い、夕食まではウーアーウーと音を発している子供との親子の会話を弾ませることに専念。同じようなアングルの写真を何枚も撮るハメになる。

食事を食べたらまず我々が風呂に入りいつでも寝られるような体制を作ってからお嬢様を風呂に入れる。風呂が大好きな結衣はたいてい風呂上りがご機嫌。こういう時こそ再び会話にいそしむ。が、お腹がすいてくるとそのご機嫌も一気に悪化していきギエーッヒイーッと時には裏声まで出して泣き出すのでそうなったらすかさずおっぱいを飲ませるしかすべはない。つまり父親は役立たずとなる。

再びお腹が一杯になると赤ん坊は恍惚の表情でその満足感を表現するが、一度体に入った物は必ず出る。オムツをチェックしなけれなパンパースが破裂寸前の状態になっていることもある。

そろそろ眠らせたいという親の意向により粉ミルクを追加で飲ませ、部屋を暗くしたり抱っこして部屋中を歩き回ったりしながら半ば無理やり眠らせる。が彼女は一人でベッドに寝るということが決してできない甘えん坊なので親のベッドに川の字で寝させなければならない。

一見微笑ましい家族のように思えるこの川の字もフトンではなくベッドなので、ワタシが横で大きく寝返りでも打とうものならマットの揺れで子供が目を覚ましてしまい、再び寝かしつけるのに小一時間費やさなければならないという問題がある。当然のことながらワタシは大好きな寝返りも打たず、隣の子供に寄りかかったり、乗っかったり、フトンを顔までかぶせたりすることのないよう細心の注意を払って眠ることになる。

こうやって書いてみると結構いろんなことをしてるなぁ。

 

1月07日

明けましておめでとうございます。

2005年は全般を通して妊娠で始まり出産で終わりました。

今年は子供成長を見守りつつ、ワタシらしさを取り戻す年にしたいと考えています。

もちろん仕事もバリバリしたいですが、遊びに関してもブイブイ言わせたいですし、友達ともワイワイ、そんでもってお酒もグイグイ…、とこんな感じで楽しく参りたいと思います。もちろんファーストプライオリティーは我が娘ですけどね。

学生時代の先輩の一人に「悩むのは基本的にヒマなヤツがすることだ。真剣に生きていたら悩んでるヒマなぞない。実行あるのみだ。」と言ってた人がいました。

ワタシは基本的にヒマな人間なので時間を見つけては悩み考えるタイプです。でも悩むおかげで自分の頭の中がいつもすっきり整理整頓されているほうだと思っています。だからあまり意見が変わったりすることは少ないんです。そのかわり、結論が出るまでは悩みに悩みまくります。

てなわけで娘の成長にウキウキドキドキしながら彼女の5年後10年後を考え、自分の足元を見つめて人生の1日づつ1年づつを歩む。

こんな感じできれいにまとめて今年はごまかしちゃいます。

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