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2月15日→16日
ゆうかに見送られ成田からUAで一路BKKへ。着23時50分。こんな時間にバスでカオサン方面行ってホテル
探す気力なんてあるはずもなく、前回同様空港の出発ロビーのプラスチックイスにバックパックを枕にする形で
就寝。体は痛くなるけど、何故かけっこーよく寝れる。この日も5・6時間は寝た。日が昇って来たら行動開始、
空港直結のドンムアン駅から市内のホアランポーン駅へ。普通なら5バーツなのに、次に来る電車が特急だった
ので20バーツ。どーしよーか迷った挙句、乗ってみた。全然特急じゃないじゃん、止まりまくるじゃん。このあたり
からケチな計算が始まる。基本はコーラ何本かで置き換える。あぁ、コーラ1本分損した。まぁそれはさておき、
ホアランポーン駅で20バーツ払って荷物を預け、カオサンを目指す。が、しかし!!地図はいらんと思って荷物に
入れっぱなし、「北西の方に歩いてれば着くべ」と(ここでも5バーツのバス代をケチる)。歩けど着かない。ワット
プラケオらしき黄金の仏塔がいろんなとこにあって、惑わされる。結局、カオサンと駅の中間あたりにある黄金の
丘であきらめ、トゥクトゥクに乗ってしまった(悔しーー!!!!)。いま思えば歩くなら川に出て、北上していけばよかった
のかもしれないな。ともかく、無事カオサンに着いた、その目的はりょうちゃんに会うこと。寮の時、同じ部屋で
暮らし、顔は東南アジア系で目がくりくりっとした彼、相変わらずカオサンに居座って廃人してた。朝の10時過ぎ
からビールでカンパイ!!あぁタイに来た、と実感。「暑いから」ってかっこいい理由で観光なんてしないりょうちゃん
そして同感するおれ、昼間はウダウダして、夕方強引にまだ見ぬワットアルンへ行こーと説得。が、しかし・・・。
船の降りるとこを間違え(ちなみにチャオプラヤを走るボートバスはこの街の人の重要な足である)、トゥクトゥクで
カオサンへトンボ帰り。この時点でワットアルンはおれのこの旅の目的地と化す。次はコンビニで酒とか買って
りょうちゃんが変なエクステ付けるのに付き合う。1500バーツ、そのためにわざわざ万札をくずしていた。ヤツは
スロットで儲けているのでけっこー持ってる。「痛い痛い」と悲鳴を上げながら待つこと1時間、まだ終わらない。
おれはすでにこの日の電車チケットを買っていたので、「残れ残れ」と説得する彼を放置プレイして、ホアラン
ポーン駅へ。バイバイりょうちゃん。で、定刻通りに出発する寝台に揺られ、ラオス国境の街、ノーンカーイへ。
隣のコンパートメントは日本人ばっかだったみたいだけど、うちは変な欧米系のオジサンばっか。それもいい。
空港で寝てあまり疲れが取れてなかったのか、車掌さんがシートをベッドにしてからは即就寝したのであった。
2月17日
朝8時すぎ、ノーンカーイ駅到着。駅から街まではけっこー離れていて、トゥクトゥクに乗らなければならない。
悔しいけど仕方ない、どんだけ値切っても歩いて行くからいい!!」って言っても50バーツ以下にはならず、諦め
模様で乗車、が、なぜか一緒に変なオバチャンも乗っていて、先にオバチャンを送ってからおれの目指すゲスト
ハウス(以下GH)に。なんかいらだっていたおれは当然のごとくいちゃもんを付ける、「おぃ、おれが先に乗った
のになんでババアんとこに先に行くんだ!しかもあいつから10バーツしかもらわなかっただろ、見てたぞ!!!」と。
まぁそんなアホを相手にするわけもなく、トゥクトゥクのじいさんは「バイバイキーーン」って言って逃げるように
去って行った。GHに荷物を置いて、街探検。のつもりが、だりぃなと想い、GH併設のレストランでメコン川を
見ながらビールでも飲んでゆっくりすることにする。ちょっと酔ってくるとさっきジイサンにたてついた自分を恥じ、
へこむ。ビール2本でどれだけねばったのか、5時間くらいはいただろうか、15時過ぎに昼寝のつもりで就寝。
2月18日
昨日の15時から今朝8時まで、実に17時間、起きることもなく寝通す。日本じゃなかなか出来ないからな、と
自分に暗示をかけて、ノーンカーイを探検できなかったことを悔やまないように悔やまないように。愛想の悪い
GHの人にバイバイして、ラオスとの国境へ。手続きを終え、友好橋を渡って「世界一不思議な国」と謳われる
ラオスへ。イミグレを抜けると、さっき手続きをする前にちょっと話したインド系のかっこした日本人が話しかけて
来て、「なんじゃろ?」と思ったらそこから街までのトゥクトゥクをシェアーしようと言うのだ。願ったり叶ったりだ。
ほんとにありがたいなぁと思いながら、彼と一緒に旅してて関西弁を喋る女の人と、もうヒトリ誘われた日本人の
男の子と4人でトゥクトゥクに乗る。ふたりは何回か前の旅で知り合った言わば旅友、しょうじくんとすみえさん。
もうひとりはかずくん、おれと同じく休み中で1ヶ月旅をしてる子だった。首都のビエンチャンに着くと運チャンは
例のごとく、最初と違った料金をふっかけてくる。そこにおれより早く反応したのは、自ら「河内の女は怖いで!!」と
言うすみえさんだった。関西弁をうまくおりまぜつつ(?)、いろんな事を言うが、運ちゃんの首は横にふられる
ばかり。言い値よりちょっと高いが、ひとり50バーツ払って決着。悔しいね、悔しいぜ。まだ自分を出しきれない
おれはそこに参戦することが出来ず、肝を嘗める思いで見つめるだけだった。ま、そんなこんなで無事ラオスの
首都に入って、とりあえずGH見つけて荷物だけ置いて彼等と食事に出掛ける。ラオス初の食事は餃子である。
歩き方かなんかにも書いてあったかな?$1か$1.50くらいでけっこーなボリューム。昼間っからビール飲んで
もー気分は最高である。食後はまぁウダウダ街歩いたりしつつ夕方を待ちわびる。ってゆーのも、ビエンチャンと
言ったら、壮大なるメコン川に沈みゆく夕日・・・今回特に何を調べて行ったわけではなかったが、これは是非
拝みたかったのだ。噂通り、いやそれ以上に大きくて、くっきりしてて、途中で雲に隠れてしまったけど、それでも
メコンに相応しい夕日だった。川のほとりには街の人たちが夕日を見に、涼みに、エアロビしに続々集まって来て
たくさんの人で溢れていた。夕日も沈み、さぁ、ビールだ!!だれと?彼等でしょ!GHから川に向かう途中、南下
してちょうどビエンチャン着いて宿を探していたタケさんも同じGHに案内し、宴に参加してくれた。ビアラーオを
飲みながら、いろんなラオス料理(特に印象深いのはやはりカオニャオってゆーカゴに入ったもち米)かな。まぁ、
うまかったなぁ。ビール飲んで、タケさんの持ってたもんもらって、ボコられました・・・ってかもーゲーロゲロです。
トイレ行って、めっちゃ吐いて、カガミ見たら顔がすんげぇ緑とゆーか青とゆーかキモイ色してて、「やべー」と。
吐いてからはもーウダウダ。アスファルトで転んで、両膝から流血、芝生に倒れこんで動けなくなる。でもでも、
記憶ははっきりなんだな、何故か。んで、その流れる血を拭ってくれたんが彼等、特にしょうじくんでした・・・。
ほんとありがたかった、ずっと「ごめんなさい、ありがとう・・・」って繰り返してた。まぁ少し回復して無事GHまで
送ってもらったわけなんだけど、こんな今日会ったばっかりのおれなんかが、イカレて血流して倒れて、そんな
やつを優しく介護してくれて、もーいくら感謝しても感謝しきれませんね。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
2月19日
ラオス2日目、昨日道を教えてくれたビエンチャン在住の日本人ご推薦のお店で朝ごはん代わりにワンタンミー
みたいなのを食べる。これはマレーシアのクアラルンプールで食べて、おもいっきりはまって1日3食3日間って
ゆー偉業を成し遂げた食べ物・・・。これがまじうめぇ!!さっぱりあっさり系の塩味で細い面にチャーシューの小さい
よーなやつとワンタン。90円くらい。ここは違ったけど、たいていチャイナタウンとかに行ったら何処でもあるはず。
こっち方面行く時は是非是非!!はまるぜ?それからまぁ昨日の酔いとか気持ち悪さも全然なかったからちょっと
くらい観光っぽいことしとこーかなーって思って、すみえさんとモーニングマーケットに行く。ラストサムライとか、
ニモとかのDVDを売ってて、欲しかったけど、まだ旅5日目ってことで、後の国にあることに期待し断念。んでその
マーケット自体はまぁまぁデカイんだけど、そんな活気があるでもなく、ふーんって感じだったなぁ。ま、時間が時間
だったのかもしれないけど(モーニングマーケットなのに行ったのは昼過ぎ)。次に向かうはフランスの凱旋門を
模したと言われている門。これも、ふーんって感じだったけど、でも上からんも景色は絶景だった。ちょっと曇ってて
川の方までははっきり見えなかったが、それでも街中が展望出来たので満足。その後、歴史博物館へ。個人的に
歴史に興味があるので、何処の街でも歴史博物館があったら、他何を見なくてもそれだけは見るようにしている。
歴史に触れればその街がどんな経路で今に至ってるのかとか分かるしね。そこで目が行くのはやはり日本軍に
ついての記述。戦争中日本がこの国に対してどんなことをしたのか、また日本とは違った視点で発表されている
からね。とても興味深いものでした、内容は教えません。とか言うと忘れたんだろ!?って思われそうだけど、んん、
正解・・・。あとそこにはラオスの南の方の滝群の写真がすっげぇたくさん展示してあって、それはそれは見事な
もんでした。今回は行けないけど、機会があったら是非見たいもんだ。しかも今回行っても乾季だからそんな水は
ないだろうとのこと。ちっ、情報不足だぜ。まぁそんな感じで路上でコーラ飲みながらのんびりして、タケさん・かず
くんと共に川辺へ。というのも、昨日川の近くで子どもたちがサッカーしているのを見て、「明日参加させてもらおー」
って言ってたから。そこで2時間くらい混ぜてもらって試合したんだけど、けっこーみんなうめぇ!!小学生くらいの子
とか普通に大人に混じってガンガンやってたし、めっちゃ体格のいい大人たちもいて、そいつらがこれまたうまい。
しかし負けじと日本代表のタケさんもうまかった。高校ん時のキャプにそっくりでさぁ、体格・プレースタイル・走り方・
蹴り方などなど。なんか見てて懐かしかった。おれは相変わらず微妙だったけど、ちょっと調子乗って抜いて、1回
だけきれーなスルーでアシストして、その時ラオスの彼とタッチしたんだけど、その時の彼の笑顔が忘れられません。
いい顔してたなぁ、なんか、国境を越えた気がした。かくして、日没とともに、日本代表&ラオスユースvsラオス代表
国際Aマッチは無事に終了。誰かが「おわろー」と言うことなく、突然パタッと終わってみんな帰路につく。。これが
習慣なんだろうな。2時間走りっぱ、汗だくでくそ疲れたけど、くそ楽しくて、その後のビールはくそ格別。この日は
前日の教訓を活かしてイカレることなく、楽しく語りながら飲めました。ここで2日間仲良く優しくしてもらった彼等、
しょうじくんとすみえさんにはお別れ。やっぱ淋しかったなぁ。しょうじくんが「会えてよかった」って言ってくれたのが、
まぁそれが社交辞令だとしても嬉しかった。この旅初めてのお別れ、握手して「オヤスミ」。せつなさあるけど、この
握手けっこー好きなんだよね、みんなそれぞれにコトバ持ってて「気を付けて」とか「いい旅を」とか「また」とか・・・
おれはもっぱら「グッドラック」だったんだけど、英語圏の人はみんな「Good
Luck 」か「Take Care」とかだから、
こんかいの旅から「楽しんで」にしました。ま、そんな感じで再会を誓って、お別れしました。最初からいい人に会えた。
2月20日
早朝、と言っても8時過ぎに起きて出発の準備、特に何もないビエンチャンだけど、このままだとのんびり居座って
しまいそーなので、サバナケットまで行くってゆーカズくんと共に次の街へ向かうとこにする。同じGHに泊まってた
タケさんと握手していざ出発!屋台とゆーか露店とゆーかでバケットとか言われる、フランスパンにお好みの具を
入れれるやつを買って食べようと待っていると、そこには日本人の先客が。ひと言ふた言会話をしただけだったが
ふたりいたうちの片方がいずれ登場してくるマサヒロくんである。まぁ置いておこう。いざバスターミナルに着いて
バスを待っていると、現地人が話しかけてくる。「何処に行くの?」「サバナケット」「ここのバスターミナルじゃないよ」
「ウソだーこの本にここだって書いてあるもん」「いやいやココからは出ない、おれが違うバスターミナルまできみ等を
乗せてってあげるよ」「いや、うそだね、じゃ、聞いてくるもん」「あぁ、行けばいいさ」・・・ふぅ、危うく変なやつにまた
からまれるトコだったーと思ってターミナルのおっさんに聞いてみる、と、なんとホントにココじゃないらしい。あぁ、
また親切を疑ってしまった、と自己嫌悪。確かにこれでだまされて変なトコ連れてかれるよりはよかったけど、こー
親切で言ってくれてるのに、すげぇ悪かったなと。「うそだー」とか言うんじゃなくて「じゃ、確かめてくるね」くらいに
しとけばよかったなぁ、と。経験ですね、何事も。で、さっきの彼に謝って、ちょっと言い値は高めだったけど、自分の
したコトを恥じて納得し、トゥクトゥクで連れてってもらう。本にはその距離3`とか書いてあったけど、相当遠かった。
歩いて行こうとか思わなくてよかった。別に回り道されたとかじゃなくてね。で、無事にチケット買って、バスに乗車。
サバナケットまでは6時間らしい。が、しかし、そんなに甘くはなかった。この移動が自分にとって初めてのバスの
長距離移動となったわけだけど(それまでは電車好きってことで電車しか使ってなかった。ラオスは電車がない)、
こんなにしんどいとは・・・10時とかに出発して、何回も何回も休憩だの食事だの立ちションだので止まりながら、
到着したのは19時半。実に9時間半の移動・・・まぁ普通なんだろうけど、初だったんで、けっこーおどろきましたね。
だってだってバスの通路には125ccのバイクが普通に乗ってるし、それで通路はふさがれてるから、乗り降りは
窓からだったし・・・。そんなこんなで、ターミナルからGHまで、カズくんが孤軍奮闘して値切ってくれたトゥクトゥクに
揺られながら行き、荷物を置いて、メシ食って、犬におびえながらGHに戻りちょっとビアラーオ飲んで就寝。のはずが
なかなか寝付けなかったんで、外に出たりしてみるとサバナケットの夜は涼しく、空ではお月様が微笑んでいた・・・
2月21日
日本を離れて早1週間、当初の旅程より幾分早く、そこはもー1本バスに乗ればベトナムというところまで来ていた。
この街はメコン川を除けば見所と言うような見所は決して見当たらない、そんな静かで、ゆったりとした街だったが、
それがとても心地よく、また長居の危険性があったので、朝起きると1番にバスターミナルへ向かい、今晩の22時発
ベトナムのフエ行きバスのチケットを買った。ハンモックに揺られ、鳥の声や人々の音を聞きながら何日もメコンを
眺めていたい・・・そんな風に思ったのだが、やはり時間の限られた旅、まだまだ先には2カ国ひかえ、さらに先には
アンコールも待っている。ここでのんびりしすぎてアンコールに時間を取れないのは切なすぎる。ってなことを書くと、
「そんな急いだ旅じゃもったいないよ?」とクレームが付きそうだが何を言う、そんな急いでいるわけでもない、ちょうど
いいペースではないか。あは^^そんなこんなで夜まで丸1日あるのだから、チケットを買うと街探検に繰り出すことに
する。もちろん地図なんて持っていかない、適当に歩き、適当に休み、適当に話す。この日が土曜日だったからか、
お昼をすぎた頃には学校から家へと帰ってゆく子どもたちが目に付いた。こちらから手を振るでもなく、微笑みかける
でもなく、かれ等は僕に笑いかけてくれ、寄って来たり手振ってくれたりした。写真を撮ろうとすると、物珍しそうな目で
レンズを見つめた。撮った写真を見せると、驚いたような表情で「キャッキャキャッキャ」はしゃいでいた。本当に子ども
達がかわいい街だった。ビエンチャンより、少し南下したからか、あそこよりはやや気温も高めに感じられ、日中太陽が
照っているとけっこー暑かったのでGHに帰って一休み。昼間っからヒトリ鳥の鳴き声と共にビールを飲んでいると、
びしょぬれになったカズくんが帰って来て「おぃ、どーした?」と聞くと、「メコン川で泳いで来た」と言う。ヘドロなどで
汚くて泳げやしないよーな川って聞いてたから、「あほかぁぁ!!??」って言っちゃったけど、ちょっとおいしーなと思った。
そんな話を聞くとやはりメコンへと足は向いていた。もちろん泳ぎにではないが。川沿いのレストランでは欧米系の
旅行者が仲良くビールを飲んでいた。老夫婦などがフタリで楽しそうに話しているのを見ると、なんとも微笑ましいような
気分になる。老後、かれ等のように旅したいな、と思った。またさらに川辺を歩いていくと、トゥクトゥクのおっさんらが
暇そーにしていて、アイサツだけすると「Fuckin? Fuckin?いい女いるぜ?」と誘ってくる。値段を聞くと高い感じがした
(ラオスの相場しらんし)ので、帰ろうとすると「待てよ待てよ、安くするぜ?」と。自称交渉のうまいおれは、調子に乗り
ドンドン値を下げさせるが、もちろんそんなつもりはない。びっくりする程安くなったところで、「あ、ごめん、バスの時間」
って言って、歩き去っていく。すると一緒に襲ってくるのは、『こんなに値下げさせたぜ』ってゆー満足感と、『あーあ、
またやっちゃった』ってゆー自己嫌悪。おれはいつも旅のモットーとして《出来るだけ現地の人の生活の邪魔にならない
ような旅をする》ということを掲げながら、とゆうか自分に言い聞かせながら旅をしている。だって、自分の好きでその
地を訪れている、旅させてもらっている、しかもかれ等の大半はそんな旅行者を迎えてくれているというのに、そんな
旅行者がかれ等の生活の邪魔になってはならない、って思うから。別にそこに必ずしも行かなければならないわけ
ではないおれ等が訪れることで、そこで必ず生活をしていかなければならない人達の邪魔になるということはやはり
あってはならないから。でもまたやってしまった、と反省する。ごめんなさい。そんなこんなしているウチに空はすっかり
茜色に変わっていた。カンボジアやベトナムにもメコンは流れているが、もしかしたらメコンで夕日を見れるのは今回
これが最後かもしれないなぁと思いつつ、ヒトリ静かに川と向こう岸に広がるタイの街と、空に浮かぶオレンジ色した
丸いモノをずっと見ていた。日が沈んでしまうと、またゆっくり歩き出す。前方から日本人らしき3人組が歩いて来る。
1時間半くらいくだらん話をして、一緒にメシ食って別れる。もう名前も顔もほとんど思い出せない。風化するのだな、
記憶なんて。腹を満たし、ビールを買ってGHに帰り、ビエンチャンから一緒だったカズくんとこれからの旅の話などを
しつつ22時のバスの時間までのんびりする。彼と握手をして、バス停までどーやって行ったらいいか、GHのオジサンに
尋ねるが、なんと21時半ともなるとほとんどトゥクトゥクは走っていないらしい。困った。あと30分しかないではないか。
おじさんによると、ちょっと先の大きな通りに出ればたまに走っているとのこと。とにかくそこへ急ごう。が、そこまでは
民家の間の暗い道、そして先では何匹もの犬がおれに向かって吠えているではないか。さぁ、びびりくぼた、GHまで
戻っておじさんに「おれ犬ダメなのに、犬がいっぱいいるの。どーしよー?」と助けを求めると、「は?早く行けよ、バス
出ちまうぞ?犬なんかにびびってないで、ほら」・・・・・、いやいやー怖いもんは怖いんだって!!というのも小学校の時、
友達と遊んでいたら、突然飼い犬が固定されてた棒を倒しておれ等の方へ全速力、おれは高台に逃げて助かったが
目の前で友達が噛み付かれたのだ!!!そらートラウマっちゃいますよね。まぁでもそんなこと言ってらんないんで、満を
持して犬たちの方へ歩き始める。当然かれ等はおれに怒鳴りかかる、こっちもびびりながら狂犬のごとく吠える・・・
すると、びびったのか、黙って引っ込んでいったではないか。「おぃおぃ、こっちはびびってたんだからさぁ、もーちょっと
キミ等も頑張って吠えてくれよ」とは思わなかったが、無事に犬の道を抜け、通りに出るが車両なんてほとんど走って
いないではないか。「あぁ、このままココにもー1泊かぁそれも悪くない」と諦めかけていた時、やってきた!!トゥクトゥク。
たった10分の距離で10000キープ($1)なんて今考えたら馬鹿げているが、その時はドライバーが救いの神にしか
見えなかった。そんなこんなでなんとかギリギリでターミナルに到着し、水とタバコを買い込んで、いざベトナムへ。
まさかまさかこのバスが今まで体験したこともないような、甚だしく過酷でterribleな移動をもたらしてくれるとは・・・。
2月22日
さてさて、そのバスとは如何に?急いでターミナルに行ったはいいが、出発は遅れること30分、まぁそんなもんはこの
辺の国じゃ日常茶飯事ってことで、全然おーけぃ。走り出したバスの中、乗客はまばら。シートは狭いが、なるほど、
この1.5人分くらいのシート、フタリ掛けではなくヒトリ用なのか!!と思っていると、バスが時々止まるたびにパラパラと
客が乗り込んできて、前から相席になっていく。おれは1番後ろに座っていたので、大丈夫かな?と期待に胸をって
感じであった。が、しかし!!前の席まで埋まってしまう。くそ、ヒトリ掛けはあきらめた、せめてやせ細ったばーちゃんか
なんかが乗ってきてくれ・・・頼む・・・。祈る想いであった。しかしそれは決して届くことなく、やってきたのは大柄な
おばさん。終わった、さぁ地獄のバス移動の始まり始まり。走っては止まり、走ってはまた止まることというを幾度となく
繰り返し、国境に着いたのはAM2時。「やったぁ、ベトナムだ!!」・・・当然そんなに甘くはない。深夜2時にボーダーが
開いているわけがない。ボーダーに着くと、運転手は乗客に「おれは朝まで隣りの小屋で寝てくるから、きみ等も各自
バスん中で寝ててくれ」とだけ言い残し下車。幸いなことに、隣りのデカイババァはボーダー手前で降りていたため、
1.5人分のシートを活用して仮眠しよう。シートとタイヤとバックパックでミニベッドを作り(想像にお任せする)横になる
が、寝れない。なぜだ?客のイビキだ!!半端ねぇうるせぇ。仕方ない、寝れないなら星でも見よう、なに!!今日は曇りか!!
星も見えず、イビキで寝れず、暗い車内で徒然なるままにボケーっとしていた。そしてウトウトし始めた頃にはもう空が
明るくなっていて、客も徐々に起きはじめたので、みんなの真似して外で歯磨きをみたり顔洗ったり立ちションしたり
していると、ヤツ(ドライバー)が眠そうな顔して帰って来て、ようやくイミグレへと走り出す、時計を見ると朝7時だった。
ラオスの出国を終え、初めて国境を歩いて越えてベトナムへ。幸いにもベトナムは1ヶ月半前に日本人はノービザで
入国できるようになっていたのにも関わらず、アホ係員は把握していなかったらしく(じゃ1ヵ月半どーしてたの?)
アホ「おぃ、お前ビザねぇから入国できないぞ」
おれ「1月から日本人はビザいらなくなったんだよ」
アホ「なにを言う、そんなことは聞いていない。入国したかったら戻ってビザ取って来い」
おれ「分かった分かった、お前じゃ話にならんから、電話して確かめてみろ」
・・・
アホ「あ、いらんらしーな。通っていいぞ」
だってさ。あほくせぇ。てめぇ自分の国で決めたルールくらいアホでもいいから知っとけよ、って感じ。まぁそこは優しい
おれ、大目に見てやろう。ちょっと麻薬犬にドキドキしながら税関を済ませ、いざ入国手続き完了!!いろいろあったけど
無事に入国を果たした。時間はアレコレしてたから8時をまわっていたけど、ベトナムの道路事情のウワサと、地図で
距離を見る限り昼前には着きそうだ!!なんて考えはやはり甘かった。まずバスに乗っているすべての荷物(数え切れん
ほどの段ボールに入った食料品やら何やら)をすべてバスから降ろしチェックが入るのだ。それが終わったのが10時。
2時間待ってバスに乗り、ようやくフエまでひとっ走りかと思いきや、国境から20bも走ったところでブランチタイム。
それからまた走っては止まりを繰り返し、フエに着いた時にはもう14時すぎだった。しかも降ろされたのは街の郊外、
そこにはしっかり提携してるバイタクやろーが待ち構えていて、GHまで$2なんて法外な値段をふっかけてくるが、
いくら粘っても全く値下げする気配はなく、心身ともに疲れきっていたので諦めて乗る。が、しかし、連れて行かれた
のはおれが言ったとこじゃないGH・・・「ま、ここでも見てけよ」と言われ悪いがまじギレ。「てんめぇ、$2も取っといて
なんじゃそらー?おれが行きたいって言ったトコに連れてけよ、くそやろー!!」それでもモジモジしていたので、最後に
頭を一発叩いてやると、渋々連れて行ってくれた。そして到着した先がBinh Duong
GH。ラオスで会い、名前も顔も
忘れた日本人ご推薦の宿だ。おれはちょっと日本人宿に距離感を感じていて、とゆーのも、わざわざ海外に来てまで
日本人同士でつるまんくたっていいじゃん?って思ってたからなんだけど、ココに来てはまって沈む人の気持ちがよく
分かった。日本語を巧みに操り、いろんな情報をくれ、そして何よりおびただしい数の日本マンガ。H2やらタッチやら
ルパンやら・・・ここは楽園か?と思うようなGH。みんな親切で、くそみたいな日本人もいなかったし。と、ホッとして
荷物を置き、マンガを読んでいると、昨晩から何も食べていないことに気付く。暇そうにマンガ読んでた日本人に、
どっかオススメの店ないか聞くと、$1ステーキ屋さんがあるらしく、今日フエを旅立つかれ等ふたりも一緒に行くとの
こと。願ったり叶ったり、いろんな情報が手に入るぞ!!ってな感じで下から来たかれ等に情報をもらいつつ、水牛と
おぼしきステーキとライス・サラダを堪能しこれで$1。激安じゃないっすかー。GHに帰ってマンガ読んでたら、移動の
疲れと睡眠不足に襲われ、死んだように眠る・・・。そしてその晩に起きることなかった、つらく、勉強になった日だ。
2月23日
フエからはいろんなツアーが出ていた。DMZ、ミーソン、寺院系などなど。けれど、やはりめんどくさい。行く気がしない。
だって出発が7時8時とか、めちゃくしゃ早朝なんだもん。とゆーことで、歩いていける範囲の観光をすることにしよう。
その前にラオスでなくしたリップクリームを探して歩き回る。やはり乾燥しているため、相当くちびるが荒れる。こりゃ、
ないとやってられんのだ、痛いことこの上ない。小さなマーケットの、段ボールの底から埃だらけのリップが出てきた。
フタは閉まってたわけだし、ないよりはずっといい。貴重品なのか、ぼったくりなのか、$1もしたが、迷いなくご購入、
ふぅ、5日ぶりのリップである。それまではなめたり、ベビーローションを塗ったりして対処していたので、くちびるは相当
ひどい状態であった。そんな問題もヒト段落し、街をふらついてみる、が、くそ暑い!!ラオスと比べると、半端ねぇ違いだ、
歩かなくても、そこに生きているだけで汗が吹き出して来る。だけどGHに戻ったってどーせ暑いのには変わんないん
だから、だったら歩いて街を知った方がイイに決まってる。そう言い聞かせ、新市街から川を渡り旧市街へと歩を進める、
すると見えてくるのは、大きな大きなベトナム国家の国旗、そのはためくものの下には過去のものとなった王宮がある。
4倍もする外国人料金の入場料にイライラしつつ、中に入ってみる。すると何があるだろうか、いや何もない。目の前に
広がるのは、ただただ草原であった。ところどころに寺院というか、仏のようなものが祀られている建物はあるが、ごく
わずかで、その広大な敷地のほとんどは草で覆われていた。昔一国の首都であった街の顔は、ほとんどと言っていい
程、戦争によって破壊されていたのだった。これが悲しいかな、戦争というものの定めなのだろうか、いったいどれだけ
犠牲をはらい失ったのか、そんなことを考えながら、うつむいて街へ戻っていった。GHに行って昼寝を済ますと、相も
変わらずロビーでは何人かの日本人が誰と話すでもなくマンガを読みふけっていた。その中のヒトリに話しかけてみる。
「こんにちは、あの、誰に似てるって言われます?」
「えっとねー最近はなぐらー」
「やっぱり」
これがおれと彼との最初の会話であった。明らかに年上と思しき人に対して初めて話すことがこんなんだったとは、今
思えばなんとも失礼な話であるが、この彼、34歳しょーぞー君との出会いはこんなものであった。その時、寝起きにも
関わらずとても飲みたい気分だったので、彼をさそい街へ出る。ロンプラで読んだのだが、ベトナムでは生ビール系の
飲み物を「ビアホイ」と言い、現地人はそれが大好きなので是非、とあったのでそれを求めてふらつき、落ち着く。んん
変な表現をすると、し尿ビンに似た形をした2g容器に薄い麦茶のような液体が入っているといった感じ。さてさて噂の
ビアホイとはいかなるものか、なぐら似の彼、しょーぞーくんとカンパイである、「出会いに」。果たしてそのお味は・・・
見た目どおりだ、薄い、薄すぎる。日本じゃあり得ないような飲み物だ、アルコールや炭酸は入っているのか?これが
ビールなのか?ビール水割りとも言うべき代物か?と思うが、これが現地の飲み物なのだ。ここは日本ではない、ここ
ベトナムでは現地の人はこの味を楽しむのだろう。現にまわりにも何組か現地人の団体がし尿ビンを囲んで楽しそうに
していた。そんなこんなで、それを飲みながらぼく等は様々な話をした。中でもやはりメインになったのはお互いの旅の
話であった。彼は昨年、タイからポルトガルまで旅をしたこと、それが初めてのヒトリ旅であったこと、今回はまたタイから
始まり、ラオス→中国→ベトナムと来て、これからカンボジア→タイと廻り、ミャンマーで昨年世話になった人に写真を
届けに行き、トルコまで飛んでそこからはモロッコまで行こうと思っているということなど。ずっと日本人長期旅行者は
「なぜそんなに時間があるのだろう?仕事はどーしてるんだろう?」と疑問に思っていたが、なるほど、たいていの人は
仕事をやめてきているようで、彼もそうだと言う。昨年仕事をやめて半年旅をし、ある程度お金をためて、また旅をする。
そのような人が多いとは聞いていたが、彼も同様、ただ違うのはしょーぞー君は今回で最後だ、と自分に言い聞かせて
旅をしているのだった。ちゃんと自分の将来を見据えていて、かっこいいなぁと思った。そんな話をしていると、現地人が
またフタリ店にやってきたので、ほろ酔いだったぼく等はかれ等を席に呼び、一緒に飲もうと言うと、快諾してくれた。
片方は観光客相手のカメラマンで、もう片方はその写真を現像する写真屋さんだった。さすがに観光客と接する機会が
あるだけあって、カメラマンの方は英語がある程度話せたが、もう片方はからっきしで、カメラマンが間に入って通訳の
ようなことをしてくれた。2時間ほど一緒に飲んでいただろうか、いろんな話をして盛り上がり、楽しい時間を過ごした。
かれ等と同じし尿ビンを分け合えていることがとても嬉しく感じられた。すごいゆーーっくり飲んでいたため、ひとりあたり
2g、長い時間をかけて飲んでいたのだが、薄いビールもガブガブ飲むとけっこーまわってくるのだった。カメラマンの
彼と、翌朝6時半にコーヒーを飲む約束をして、お金を払ってGHに帰ることにする。ひとり約¥80、安すぎ。GHに戻ると
眠気がやってきて、しょーぞー君と「明日も早いし寝るかー」と言い、いつもより早く就寝。が蒸し暑く、なかなか寝付けず。
2月24日
朝6時半ちょい前起床。GHのロビーでしょーぞー君と彼を待つ。電車も飛行機もバスも遅れるし、この辺の人はみんな
時間にルーズなんかと思ってたけど、彼は約束の時間ぴったりにやってきた、ちゃんとGHまで迎えに。通りに出てみると
まだこんな時間にも関わらず通勤通学ラッシュの時間帯らしく、人々は慌しくバイクを走らせたりチャリをこいだり。ここで
やはり目に留まったのはアオザイ(そのおじさんはアオジャイと呼んでいた)を身にまとった女の子たち。ここではこれが
学生の制服のようで、10代半ばくらいの女の子たちはこぞってアオザイに身を包みながらチャリにまたがっていた。服
からチラリとみえるお腹がなんともたまらないのである。そんなのを横目に、おれ、しょーぞー君、おじさん(31歳にしては
ふけすぎていた)はのんびりモーニングコーヒーを楽しむ。日本で飲むエスプレッソよりもっともっと濃いコーヒーをグラスに
入れ、氷を加えて混ぜ、薄める。さらにお好みでやミルクを入れて掻き混ぜたらベトナムコーヒーの完成である。ちなみに
ここで言うミルクというのは練乳のことで、くそ甘くてちょっと粘り気のあるコーヒーもまたよい。ブラック派なので、最初は
コーヒーに氷だけで飲み、半分くらいで練乳を加えるのが通な気でいた。コーヒーを飲み終えると、お茶を飲みながら話し
1時間少々たったところでバイバイすることになる。お金を払おうとすると、彼がおれ等を制し、払ってくれる。いろんな人に
聞いていたベトナム人は「ケチでボッタクリ」ということもあって、おれ等はひどく感激した。確かにたいした額ではなかった
けれど、それでも彼等にしてみれば3日間そのお金で朝のコーヒーが飲めるわけだから。そんな、素敵な笑顔を持つ彼と
別れ、ちょっと空腹を感じたので、しょーぞー君とパン屋でパンを買い食べる。これがまたおいしかった。GHに戻り、彼は
8時に寺院ツアーへ行くというので、また次の地での再開を約す。おれは9時のバスでホイアンへ。所要5時間、車窓から
見える景色にただただ感嘆。海と山の間を走る道、目の前に広がるのは、海の青・空の青・山の緑。遠くには水平線や、
小さな街が見える。そんな美しい景色を堪能し、バスはホイアンに到着。なんとなくキャメルトラベルという会社のツーリスト
バスにしたんだけど、他の会社と同様、提携しているGHというか、小奇麗なホテルに連れて行かれる。周りにいた欧米系
旅行者達は連れてこられた所で荷物を降ろしていくが、こんな高そうな所に泊まるわけにはいかぬ。バス会社の人に、
「おれは$5以下のとこじゃないと嫌なのだ」
というと、バスはおれだけを乗せて再び走り出す。次に連れて行かれたとこが$8、その次が$7、疲れてるので頭にくる。
「おぃ、てめぇ話きいてんのか?$5以下だって言ってんだろ。」
「そんなとこはない」
「へーーお前んとこは客のニーズにも答えられないような会社なのか。」
と言い放つと、彼は怪訝な表情を浮かべながらバスの運転手と相談し、バスが動き出す。着いた先はそのバス会社の
オフィスだった。なんだ、こいつら降参か、仕方ねぇ、歩いて宿探しでもすっかな、と思っていたらさっきの彼が寄って来て
「じゃ、このバイクに乗ってくれ」
「でも$5のとこないんだろ?」
「いや、連れて行く」
連れてってくれたのはちょっと小さめのホテル。入り口にはシングル$12とあったが、なんとか$5でいいらしい。そうか、
それは得をした。自分の態度を侘び、礼を言って別れる。この旅初となる、TV・A/C・バスタブ付きシングル。なんて贅沢。
シャワーだけでなく、のんびり湯につかり、ウダウダしていると、心なしか空腹感を覚える。そらそーだ、朝のコーヒーとパン
あとバスの休憩の時に値切って買ったコーラだけしか口にしていないのだから。とゆーことで、早速街へ繰り出すことに。
前を歩いていた日本人に声をかけ(名前は忘れたが顔は覚えている。その歳ではかなりふけてるね、って感じ)、市街へ。
「おれ、フエのGHで会ったスイス人の子探してんだよねー」
「どんな子?」
「んーなんかあんな感じの子」
と指さすと、そいつだった!!びっくりした、さすがに。そう、フエのGHでちょっとだけ喋ったスイス人がいて、また後でねー、
みたいな感じになったんだけど、待ってるのがだるくてそいつ帰ってくる前に寝てしまったのだ。翌朝GHの人に聞くと今朝
ホイアンに向かったということだったので、もしかしたら見つかるかなぁ、とか思いながら気長にさがそーと思っていた矢先
そっこー見つけてしまったわけである。なんか拍子抜け。まぁ会えてよかったけど。なんか買い物してる風だったし、おれも
腹減ってたんで、また、っつって別れる。彼によるとこの街はたくさんの仕立て屋さんがあり、服や靴などをオーダーメードで
作れるらしい、かなりの低額で。彼も今からオーダーした服を取りに行くとのことだったので、別れてメシを食いに行くことに。
街自体が世界遺産というその街中にはちょっと高級そうなレストラン(明らかに旅行者向け)ばかりだったので、あらかじめ
調べておいたマーケットの方に向かってみる。マーケットの中の一角に屋台がひしめく部分があり、そこで遅い昼食をとる。
ホイアンの名物麺はカオラオと言ってフエのブンボーフエとは異なり、汁なしの甘い味付だったが、まぁうまいと言えるだろう、
なんせ4000ドン、つまり¥30といったところである。ごちそうさま。しばらくマーケットを探検することにする。そこでは実に
様々なものが売られていた。生活雑貨、フルーツ、野菜、魚介などからハエのたかった干物、ニセ札まで、多岐多様である。
中でも惹かれたのは魚売り場であった。他の売り場とは明らかに異なり、そこは張り裂けんばかりの活気で溢れていた。
「女たちの魚戦争」とでも名付けたくなるような光景を堪能した後、川辺でのんびりし、夕暮れとともにGHに帰り、本を読み
ながらひとりビールを飲んで就寝。やはりバス移動に慣れていないこともあり、その日はどーしても疲れが出る模様である。
2月25日
相変わらずよく寝る。目覚まし関係なく寝れて、好きな時間に起きれるというのは最高の喜びだ。そうだ、今日はサンダルを
作ろう。街へ出て、サンダル屋さんに行き、オーダーメードのサンダルを作ってもらう。足のサイズをはかり、自分で好きな色、
デザインを選ぶ。出来上がりは2時か、了解。続いて、次の目的地ニャチャンはビーチリゾートということなので、泳げる服を
買うことにしよう。なんと海パンもオーダー出来るようだ。それぞれの仕立て屋さんの外には水着もかざっている。ここだな、
と決め付けて入るといかにも暇そうなおばちゃんがおれに気付くや否や、寄って来る。オーダーの料金を聞くと、けっこー高く
値切っても値下げしないので、店を変えようかと思ったが、おばちゃんの娘と思しき若い娘がかわいくて話したかったので仕方
なくここで買うことにする。が、もちろんオーダーはやめ、見本としてあるものの中から気に入ったのを選び、すそ上げだけして
もらって$4。んん、サンダルがフタツ買える値だが、若い娘に免じて許してやろう。そんなこんなでニャチャンで泳ぐ準備は
整った、さて今晩にもニャチャンへ向かってしまおう、ビーチを堪能だ!!と、街を歩いていると、前から歩いて来る顔。見たことの
あるその顔はマサヒロ君だった。ラオスのビエンチャンを出発する朝、バケット屋さんで少しだけ話し、実はフエを歩いている
時にも1度すれ違い「ほらやっぱり会ったね」とコトバをかわしていた。そして3度目・・・ということで、マーケットでバナナを
食べながら話をすることに。フエで会った時はどことなく元気がないようだったが、この時は楽しんでいるように見えた。おれ
よりひとつかふたつくらい年上かなと思った彼は驚くべきことに10も年上の30歳で、美容師さんだった。しょーぞー君同様、
仕事を辞め、1ヶ月間おれと同ルートで旅をしていた。海外ヒトリ旅はこれが初めてで、とりあえず仕事辞めちゃったから旅行
でもして、帰ったらまた働くんだ、と言っていた。また、フエで元気がなかったのは、ベトナムでなかなかトモダチが出来ず、
GHにこもっていたせいで、今元気なのは、それを乗り越え、今日ホイアンの美容室へ行き、店員さんと仲良くなって客の髪を
切らせてもらったりしてきたからだそうだ。バッグにはちゃんと美容師セットを持参していて、あぁそんな旅もおもしろそーだな
と思った。彼が美容師になろうと思ったのは26歳の時らしく、それまではフリーターで佐川などに勤務していたと言う。んん、
遅咲きのスタイリストと言ったとこか(失礼?)、でもほんとにそんな生き方もかっこいいなと思った。徒然なるままに、いろんな
話をしたりバナナ食べたりコーラ飲んだりアオザイを纏った学生を隠し撮りして興じていると、いつもの長袖シャツに、首から
ビデオカメラを下げた風貌、しょーぞー君だ、間違いない。時間は3時、もうサンダルも出来ている時間だが、めんどくさいので
とりあえず3人でビールでも飲んでのんびりしてから取りに行くことにする。川の見渡せるレストランに入り、ビールを注文する。
もちろんしょーぞー君とマサヒロ君は初対面なのだが、まぁふたりともフレンドリーなので、すぐに3人で打ち解けた。2時間ほど
喋っただろうか、おれとマサヒロ君は今晩別々のバスでニャチャンへ向かうことになっているので、しょーぞー君に「じゃ、また
ニャチャンで!!」って言って別れる。もちろんサンダルもゲット・・・が、サイズが合わない!!何がオーダーメードだ、3回直させた。
18時の出発を前に、例のスイス人のエミリーにも会って、こいつはマサヒロ君と同じバスでニャチャンへ向かうらしい。ふたりと
着いたらニャチャンで会う約束をして、水だけ買い、バスに乗り込む。途中、トイレ休憩で草原に止まったバスから降りてみると
満点の星空が見れた。ふと実家の新潟を思い出した。「高校の時、部活終わってグラウンドの電気を全部消したあと、地面に
寝そべってよく星を見たっけ。2年の時も家の前のジャリで寝っころがって星見ながら電話したなぁ。あぁ、なつかしいなぁ」って。