| 第23話 果物屋の兄ちゃん |
| 『真理』はいつの世も、教えや書物からではなく、 |
| 実体験を通してのみ、自らの内側から導き出される。 |
| by マスター |
| インドには数多くの貧しい人々がいる。 |
| その人々はお金を得る手段もなく、日々バクシー(お恵み)を頂くことにより、 |
| どうにか生き延びている。 |
| そんな家庭に生まれた子供は、一生そんな生活が続く。 |
| そこで、少しでもバクシーがもらえるようにと、 |
| 赤ちゃんのうちに、親の偏重な愛なのか、両足を切断されてしまう子供もいる。 |
| たくさんの同情(お金)を集めるためだけに・・・・・・。 |
| 私はそんな人々に、何人も出会った。 |
| だが、私は日本で聞いていた話、本で読んだ常識に捕われ、行動していた。 |
| それは、「バクシーを求めてくる浮浪者に、何も与えてはいけない」ということ。 |
| それは、恵みだけを当てにして働こうともせず、自立を妨げるということであり、 |
| 一人に与えてしまうと、大勢にたかられ、にっちもさっちもいかなくなる。 |
| あげる場合には、小銭を用意しといて、ばら撒いて逃げろ!と。 |
| ある意味、これは的を得ている。 |
| だが、これを鵜呑みにしていた私は、落雷に打たれることになる。 |
| アパートへ帰る夕方、週3度は立ち寄っていた果物屋でのことだ。 |
| いつものようにバナナ1房(10本で10Rs(ルピー)・約26円)と |
| パパイヤ1個(スイカほどの大きさで10Rs)を買おうとしていた。 |
| すると、その辺をうろついていた老女が、まとわりつき始めた。 |
| バクシーなんかやるつもりのない私は、眼中に入ってないかのごとく無視していた。 |
| そして、私はバナナが黒くなっている部分があるので、「8Rsにまけろ」とか |
| 「これも買うので、幾らにして」と交渉することに集中していた。 |
| そして、思い通りに値切ることができ、満足げに、少々誇らしげに帰ろうとした、 |
| その時であった。 |
| これこそ神様からの粋な愛の洗礼に違いない。 |
| 脳天から真っ二つに切り裂かれた。 |
| なんと私が値切って、値切って払ったお金の半分を、その老女に渡したではないか。 |
| おまけに、新鮮なバナナを2本ちぎって手渡した。 |
| その瞬間、「お前は何様のつもりだ!」という強烈なメッセージが、 |
| 脳天から全身を貫いた。 |
| 節約旅行をしているとはいえ、明かに果物屋の兄ちゃんより |
| 私の方がお金を持っている。 |
| 比べる以前の問題でもある。 |
| 彼は、毎日のわずかな売上でまた果物を仕入れるが、 |
| 半分は暑さのため腐らしてしまう状況であり、 |
| それでも仕事があるだけマシな様子でもあり、 |
| 夜も屋台の横で寝泊まり、果物の番をしている。(蚊が大変だろうね〜)笑 |
| その彼がだ、一日の暮らしもままならない彼がだ、 |
| さらに貧しい人のために、小銭を差し出したのだ。 |
| おまけに腐った売り物にならないバナナではなく、新鮮なバナナを惜しげもなく。 |
| 見なけりゃ良かったと悔やんでも、目に、脳ミソに、ハートの奥底にその光景は焼き付いた。 |
| 俺は彼らより偉いのか? |
| 少しでも安く値切ることができれば、勝ちなのか? |
| どれだけのものを持っていれば、人に分け与えることができるのか? |
| 少しの小銭がもったいないのか? |
| 何を偉ぶってる。 |
| お前は何様のつもりだ! ・・・・・・・・・・何様だ!! |
| それからというもの、幾度となくそんな場面に遭遇した。 |
| さびれた町に、何人もの路上にうずくまる人々を見た。 |
| こんな町で、誰がこの人々の面倒を見れるというのか? |
| この町では、普通の人々ですら、 |
| その日一日の食べ物もままならないはずなのに、と感じた。 |
| しかし、うずくまる人々よりも、少しだけ多くの物を食べている人が、 |
| 彼らを支えている現実を目撃した。 |
| インドにおいて、生きていくことが大変厳しい人々がたくさんいる。 |
| されど、「共生」という人間本来の温かい生き様は、今もなお息づいている。 |
| 誰が言ったのだろう。「彼らにバクシーを与えてはいけない」と。 |
| それからの私は何か変わった。 |
| 手を差し出され、即座に小銭を握らせる機会が増えた。 |
| しかし、誤解しないで欲しいのだが、みんなにばら撒いた訳ではない。 |
| 相手を見た瞬間に、「縁」を感じた相手にだけ手渡していた。 |
| 中には、子供をダシに使い、小銭を稼ぎ、タバコを買っているバカ親を見たこともある。 |
| 何の基準もない独断と偏見の「縁」判断だったのだが、 |
| それはそれで良かったと思っている。 |
| なんせ感じる「縁」も手渡しちゃうことも、同じ「縁」なのだから・・・・・。 |
| 覚えているだろうか? |
| 私がニューヨークの電車の中で、小銭を差し出す勇気がなく、 |
| 取り返せないチャンスを逃したと、悔やんだ事を。 |
| インドでの片田舎での一瞬の出会いでさえも、 |
| そのチャンスが包括されていたと感じている。 |
| それは、ニューヨークだから、インドだからというものではない。 |
| 日本での日常の中にも、さりげなく隠されているチャンスでもある。 |
| 「与えること」と「受け取ること」。 |
| どうしても正反対のことのように思われがちだが、 |
| 私には同じことのように思われる。(^∇^)アハハハハ |
| 2003/8/9 |
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