第25話   サニヤスネーム
和尚の弟子達を一般に「サニヤシン」(探究者という意味)という。
そして探究の道を選ぶ者に、和尚から新しい名前が頂ける。
それを「サニヤスネーム」という。
このコミューンで出会った日本人のほとんどが、
この名前で呼び合っているのを聞いてはいたが、
私は”別にいいや”と、あまり関心を持っていなかった。
というのも、私には親からもらったちゃんとした名前があるし、
何よりサニヤスネームなんかもらわなくとも、
私は”探究者である”という少なからずのプライドを持っていたからだ。
また、どこかの宗教団体みたいで、嫌なイメージもあった。
ところが1ヶ月も過ぎた頃、
朝のダイナミック瞑想の後、ニティアと一緒に朝食を取っていた時のことだ。
彼女は、私達と同じく子連れで日本から来ていて、
何も分からない私達を色々と助けてくれていた。
そして突然、「てっちゃんは、デヴァかな?ジーバンかな?」
と聞き覚えのないカタカナを言い始めた。
何やらサニヤスネームについて言っているようだ。
別に興味のない私は、軽く流すつもりで聞いてはいたが、
「何々?サニヤスネームって、もらう前に予測可能なわけ?」
と、相槌のつもりで聞き返した。
すると、彼女はにっこり笑って話し始めた。
「え〜っとね。サニヤスネームって、苗字と名前の部分みたいに分かれていて、
名前の部分は予測出来ないけど、苗字の部分は10種類くらいがよく使われるから、
どれかな〜って思って・・・・・。
そして、それぞれに名前の意味があって、2つ合わせて意味が完成するの。
その意味ってのが、『魂の名前』って言われてんの。」
「え〜〜〜っ!?何、何? 魂の名前〜〜〜?全然意味わかんないんだけど・・・・。」
「だからね。サニヤスネームってね、単なる呼び名ではなく、
その人の本質を示唆する名前だってこと。」
「え〜!?初耳〜!じゃ〜『ニティア』という名前にも意味があんの?」
軽く聞き流すつもりが、会話に引き込まれそうになった。(いやすでに引き込まれた)
「そう。私の名前は『マ・アナンド・ニティア』。
”マ”は女性を表す言葉で、”アナンド”が至福、”ニティア”が永遠。
だから私の名前は、”永遠の至福”って訳せばいいかな〜。」
とちょっと照れくさそうに彼女は笑った。
「えっ〜!? ニティアって永遠? そして、”永遠の至福”?
かっこいい〜〜〜!! そして、そんな感じじゃん。まさにそのまんまじゃん!!」
サニヤスネームに、意味があるって言うのにもびっくりしたが、
その名前通りの彼女にもびっくりした。
それからというもの、出会う人、出会う人に名前を尋ね、その意味を聞いて回った。
そして驚いたことに、誰一人として、その名前の意味とその人が醸し出すイメージとが、
食い違うことはなかった。
というより、名前の意味を聞くたび「そんな感じですよね。まさにそうですよね。」と、
うならせ、その意味通りの人が目の前に立っていたのだった。
ちなみに、知り合った人たちの名前を紹介すると、
アタサ(魂の響き)。この名前をもらってから、アタサは音楽家の道を迷わず、歩き始めた。
ヴァユ(そよ風)。パンカジ(蓮の花)。アキード(パワフル)。ミーナ(宝石)。チラン(光)など。
そして、もう一つ付け加えるならば、
誰一人として、人の名前を羨む人を見たことがないということ。
それぞれがもらった名前が、その本人しか分からない深いレベルで、
絶対的な本質に触れたことを感じているからだと、私は思う。
それは、安心とも言えるし、不変的な中心とも言える。
ひまわりが、バラに憧れ、バラになろうとしていたが、
「お前は、ひまわりだよ。」と言われ、
「そうなんですよ、私はひまわりだと分かってたんですが・・・・・。
良かった。そうなんですよ。私はひまわりです。」と。
それからひまわりは、コスモスにも、ジャスミンにも羨むことがなくなった。
そんな感じであろうか。
当然の流れとして、私はサニヤスネームに憧れ始めた。
しかし、自分だけその名前がしっくりこなかったらどうしよう〜?
嫌な意味だったらどうしよう?
憧れと不安を抱えたまま、その時は静かに近づこうとしていた。
9/10
サンギート・アタサ
インドで最もお世話になった人でもある。CD欲しい人は、言ってね〜♪