第10話   たった一歩
「退職願」を出す時には、少々の戸惑いがあった。
初めての経験だし、どのように提出すればいいか分らなかったからであろう。
優秀な社員ではなかったが、圧倒的に引き止めようとする声が多かった。
なかには、脅しにも似た脅迫じみた言葉をかける人もいた。
「外国に行ったら、(銃で)撃たれて死ぬぞ!お前は死んでもいいが、家族はどうなるんじゃ。考え直せ!」
私は、「前に一歩進んで死ねるんだったら本望です。」と言ってやった。
するとその人は,鼻で笑っていた。
冗談に、負け惜しみに聞こえたんだろうか?私は、本心を言ったのだったが・・・・・。
後で気づいたことだが、99%会社を辞めようか思った時には、もちろん死ぬことは怖いのだが、色々な不安、
恐怖が押し寄せてきた。ところが、100%決心すると世界が180度変わってしまうのである。
たかが1%なのに、そこにはとんでもない差がある。ほんと一歩踏み出して死ぬことが怖くないのである。
この一歩踏み出す為に、生れてきたんじゃないか?
一歩踏み出せたら死んでもいい!とすら思えてくるのである。
このまま同じ会社にずっといることを考えると、私の目の前には、一本のなだらかな道がまっすぐ続いているのが
見えた。多少なりとも山あり谷ありであるが、平和なまっすぐな道である。
生活も安定していて幸せな人生である。
でもある時期から、”だから?””それでほんとに幸せ?”となってきた。
そして、色々な偶然が重なり、辞表を出すことになった。
その周辺にフォーカスして話を進めてきたが、実はまだ以前からそんなことは起こっていたような気もする。
そして気がついたら、まっすぐに見えていた道にも、実は分かれ道があったのである。
高速道路をビュンビュン飛ばして、快適、安全、安心と思っていたが、ちょっとインターチェンジを降りて田舎道を
走ろうか、となったわけである。
湖があることは知らなかった。鳥の鳴き声が聞こえることも知らなかった。
窓を開けたら、自然の風が入ってくることさえ知らなかった。こんなに気持ちいい風があることさえも・・・・・・。
いよいよイギリスに向けて旅立てる。
あーだ、こーだと言いながら、旅立ち前が10話にもなってしまったが、書き始めて気づいたことが一つある。
これに気づくために書き始めたのかもしれないと感じる。
それは、旅に出て色々な経験をして、自分は少なからず成長したような気がしていた。
ところが、実は旅立ち前が最大の旅だったんではないだろうか。「内なる旅」と言えるだろうか。
この旅を無事乗り越えたおかげで、そのあとの「外なる旅」はその流れに乗って行っただけのような気がする。
私の一年の冒険の旅のドラマは、たった一歩踏み出すだけが全てでした、とも言える。
この後のイギリス、アメリカ、インドと続いていく旅は、各3話で終わってしまうんではないか?と思われるほど
旅立ち前は、私にとって大きな旅であった。
9/1