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この日記は癌が転移している事が分かってから書き残した物です。

平成8年11月1日(金)
昨日の様子では”どうなるのか”と言う思いが、頭から離れない。いつかの時点から、せめて半日は付いていてやらないといけないと思う。 今日は昨日より良いようだ。
ローソンは遠いのかと言う。大根のおでんを食べたいと言うので、いつも買い物をする店の近くにあったのを思い出し、 買ってくると言って出る。大根のおでんをローソンで、いつもの刺身をデパートで買って戻る。 おでんに”からし”をつけたことが無いので、多くつけ過ぎて「子供の方がよっぽど上手だ」と言われて閉口する。 刺身は少ししか食べなかった。
次男が食事を作る日であるが、遅いかもしれないと言っていたので、その旨を言って帰る。
昨日の状態から万一の事を考えて、予備のポケベルを借りてきたので、二人に話すと、次男は電話のある所 にいることが多いと言うので、三男に渡す。三男の学校は、ウオークマンなど授業に関係ない物は、持って きてはいけないと言われているが、この場合は止むや得ないと思う。

平成8年11月2日(土)
雨降り。台所の流しの隅に、ゴミを置く台を作っていたので、お昼になってしまった。 買い物をしていたので少し遅いかと思ったが、ほぼ予定の時刻に病院に着いた。いつものでよいと言うので、 マグロとホタテを買いに行くが食べる力が弱い。
雨が降っていたが、激しい降りでなくてよかった。明日はヒラメを食べてみようということにして帰る。

平成8年11月3日(日)
三男はクラブ活動の試合があり、早く出て行った。その後少し寝てから、ジョギングの後洗濯をするとお昼になってしまった。 廊下と階段の掃除をすると、病院に行く時間になってしまう。ランニングシューズは履いて、駆け足をしやすいようにして病院に向かう。
ヒラメも売っていた。どんな味がするのかと言う。鯛やヒラメと言うからとだけ言うと「どんな味か確認 もせずによく食べさせる」と苦情になる。頭が痛いと昨日言っていたが、何でも気持ちが良くない方向にいくのだろうか。
一切れ食べて「味が無い」と言うので、”しその葉”を少しつけてやるが、一切れしか食べず不合格。
次男がどこかに出掛けたと言うと、「そんなに帰りたければ、用事はないのだから早く帰ればよい」と言う。 かなり感情的になっているようだ。
三男は22時近くに帰る。

平成8年11月4日(月)祭日
三男が早く出て行ったので、出た後にジョギングをする。晴天ではないが、予定通り洗濯日とする。 下着類、洗面台前の敷物とトイレの敷物、夏掛けと三回やる。次男が起きてきて、「トイレの敷物の後、 洗濯機を洗ったか」と言うので、なるほどと納得して、最後の夏掛けを洗い直す。
洗濯物を取り込んでから病院に行く。次男と田無が来たとのこと。田無がメロンを持ってきてくれたので、 次男に持って帰ってもらったと言う。もう刺身は飽きたので、酸っぱいものが食べたいと言う。 コハダの酢物と、はんぺんのおでんがいいということになった。
はんぺんのおでんが無く、厚揚げおでんとするがいらないと言う。はんぺんを買ってきたので、レンジで 焼いてやると言うと「お父さんの作るの物はいらない」と言う。コハダの酢物が無かったので、コハダの寿司二個と しめさばを買ってきたが、コハダの寿司は何とか合格。しめさばはよくしまっていないとダメだと言う。
しめさばの真ん中部分を食べさせると、酢が効いていないと言うので、尻尾にすると今度は「酢が強すぎる」と言う。 「しめさばだけパクパク食べる物でなく、ご飯のおかずだ」と言う。
病棟付添いの人と食堂で話をする。今日は具合が良くないと言う。息子さんがきたが、「スイカを持って こなかった」と怒っていたと言う。「切ったスイカを冷蔵庫にいつまでも置いておけば傷む」と今まで見たことがない 文句を言っていたので、息子さんが可哀そうだったと言う。寝巻の方がいいとアドバイスをしてくれた。
病室に戻って、パジャマでは着替える時大変だろうから、寝巻を持ってこようかと聞くと、「手も自由に動かせない のに、胸の部分がすぐ肌ける寝巻にして、誰が面倒をみてくれるのか」と怒り出す。肌けないように、 紐をつけてきてやろうかと言うと、一層ご機嫌が悪くなってしまう。
19時までいて帰ることにし、また明日来るよと言うものの、だんだん帰るタイミングを考えることが多くなった。 本当なら、会社を休んで近くにいてやる時期に来ているのだろうか。たぶん、もうその時期なのだろう。 どのようにすることが、一番よいのか、誰も教えてくれない。今の行動でやむを得ないと考えるしかない。

平成8年11月5日(火)
窓の方を向いて斜め上の形で、目をつむっている。寝ているだろうと思っていたが、自信はない。左手にハンカチを持ったままだ。
10分ほどジィとしていたが、テッシュペーパーがまだ有るか、ロッカーに見に行って戻ると薄目を開けた。 赤い縁のついているハンカチが、袋の中にあるので出してくれと言う。その袋を探す。しかし、本人の頭の上の棚 にあることに気が付くのに、ちょっと時間がかかると怒り出してしまった。袋を渡すと、その袋の中に入って いなかったので、今度は、お父さんに洗って持ってきてもらったのに、何で分からないのかと更に怒り出す。
やっと引出の中にあるのを見付けて渡すと、洗濯用に名前を書いてくれと言うので書くと、字が大きいと文句を言う。
昨日のしめさばが悪く吐いたので、背中が痛いと言う。決して無理に食べさせたつもりはないが、買ってこなければ こんな風ならなかったのだがら、買ってきたことが悪いと思えば収まる。
汗をかいているようだ。アイスノンを取りに行って戻ると、吐き気防止の座薬を入れるので、部屋を出ていてくれと言う。 スイカを入れて持ってきた瀬戸物をカバンの上に置いたことが、既に平常心でなかったようだ。カバンを置いて所は椅子ではなく、 衣類の収納ボックスの上であることを失念していて、看護婦さんが中の物を取り出す時壊れてしまった。 この件で、看護婦さんに、余分な気を使わせたと言って、腹を立てさせる結果となってしまった。今日は、 いずれにしても、何も買い物をせず我慢するこことなった。
廊下に出ると、看護婦さんが呼びにきた。T先生に別な部屋で面会した。状況に対する認識のトーンは合っていた。 明日ベッドを変えてみるとのこと。ウオーターベッドらしく、体重が分散するので痛みが少なくなるが、 宙に浮くような気分になるのでいやだと言う人もいるが、とにかくやってみるとの話であった。
今いろいろ訴えているが、薬の副作用の関係ばかりでなく、頭が痛いと言っているのは、いつかフィルムを見せた通り、 病気が元だろうと話してくれる。写真を撮れば分かるが、もう身体を動かすことができないので、その確認は無理だと言う。
余り身体に負担になることは、本人のことを考えて止めるようお願いして、面会を終える。食堂に行くと先生が病室に入ったと言うので、 すぐに行ってみると、新しいベッドの件を佳子に言っているところであった。
18時に看護婦さんがくるので、それまでいてと言うので、ただOKと言えばよかったのに、今日は食事当番だと言ってしまった。 後の祭りである。すぐに帰ってと言うのを、じゃぁ限界18時30分と言って収めるが、帰る時「頑張って」と言った事が気にいらないで、 「こんなに頑張っているのにもっと頑張ることができない」と言われて閉口する。
かなり悪いのだろう。しかし、どうすることもできない。俺には何も……。

平成8年11月6日(水)
目をつむってほぼ上を向いていた。新しいベッドは大きいので、南北になっていて窓側に頭が向き、今までとは90度違っている。 しばらくして、薄目となった。声が小さくなって、耳を顔に近づけないと聞こえなくなってしまった。
@先程まで501(ナースセンターの隣の部屋)にいたが、無理を言っていままでのこの部屋にしてもらった。
A今日も何も食べない。吐くのが苦しいので。
と言うことをやっと聞きとる。何も言うことができず、ジッとしているしかやりようがない。
唇に血が出ているので、リップクリームをつけようとするが、ほとんどつけないで戻してよこした。 明らかに泣き跡が目に残っている。どうしてやることもできないので、食堂に時計を見に行く。18時を回っていた。 病棟付添いの人が「どうして部屋に居てやらないの」と言う。どこにいていいのか、どうしてやればいいのか、 何とも処理のしょうのない時間である。
病室に戻ってしばらくいるが、今日も三男が一人の日なので、「帰るよ」と言うと分かったのか、 分からないのか判断できない反応である。昨日のように反発しながらも、三男をよろしくと言ってくれる方がどんなに安心できるのにと思う。
昨日のようにできないのは、痛みに耐えているからだろうと思う。佳子には看護婦さんがいるが、三男は 一人だと自分に言い聞かせて、病院を後にする。

平成8年11月7日(木)
次男と話をしていたが、次男は帰ろうとしているところだった。どうも話をすることが大変なようで、 声が小さいので聞き取りにくく困る。俺が病院に来たということから、もう19時と思ったのか時刻を聞かれる。 今日は出張先から来たので、5時半と答えたが、看護婦さんに来てもらう時刻と思ったらしく、呼び出しボタンを探している。
確認をどのようにしたのか分からないが、まだその時刻でないと気が付くと反発があった。
何をしてほしいか分かりにくい。やっとテッシュペーパーの新しい物を取り出してくれ、と言っているだろうと 判断して渡すがあっていたか否か確認できない。
薬を入れてから少しすると、目をつむり始めた。後は時間が過ぎるのを待つばかりだ。
日立が二人して見舞いに来てくれた。眠っているようであるが、目をつむっているだけかもしれないので、 声をかけるのも、手をかけるのもやめてと言ってお願いするしかない。兄が学会に行くと言って先に帰り、 お姉さんが声をかけ、一声か二声していたが、お姉さんも帰ったので近寄ると、どうして夜に来たのだろうと言う。 明らかに何かを気にしているようだ。兄貴が学会のパーティがあるので、その時刻に合わせたので夕方になったと言うと、 納得したのかそれ以上の話にはならなかった。
後は何もない。ジッと時間の過ぎるのを待っているしかない。19時30分を過ぎても目をあけないので、 看護婦さんにお願いして家に向かう。

平成8年11月8日(金)
昨日見た唇の血が気になる。中野のお姉さんが、明日またくると言って帰ったと聞いたこと、及び、 窓際にお土産が置いてあったが、何も言わなかったことが気になっていたので、半日休暇をもらい12時30分会社を出る。
分かったことは、痛みが襲ってくるがこの痛みに耐えるのに、歯を食いしばって耐えるのだが、予告がないので 唇を噛んでしまい血が出ているのだ。
目の縁が黒いのは歯を食いしばる時、自然と涙が飛び出しこれを拭くので、何回もしている間になってしまったようだ。 今までの痛みとは、どうも比較にならない痛さのようだ。
昼前から見舞いに来てくれていたと言う中野のお姉さんは、昨日はもっと激しかったと話す。旦那さんが来てくれたのならば、 配達が残っているので帰りますと言うので、見送りはやめてお礼だけを言う。
どうにも見ていられに状況なので、先生の所に行こうと考えていると、看護婦さんが入ってきて座薬を入れると言うが、 佳子は吐き気が出るので嫌だと言い、看護婦さんはナースセンターに戻って行った。
T先生が入ってきて、何色のではなく何色のだから、吐き気は大丈夫だと納得させてくれて、看護婦さんが処置してくれた。 酸素吸入3%で始まる。「どのこらいかかるの」と聞くと「6〜10時間」と看護婦さんが答えたので、 「効いている時間でなく、効き始める時間はどの位」と聞き直すと「30分位かな」と答える。
痛みに耐える恰好を何回かしているうちに、一時間が経過し先生が見にきてくれた。佳子が口に手をやっている様子を、 「今のは痰が詰まっている為で、吐き気ではないでしょう」と念を押して病室を出て行った。
家に電話するも誰も出ない。半日いたが、次男が来ないのが気になり、19時になったので、看護婦さんに挨拶して帰る。

平成8年11月9日(土)
朝方雨の音がしていたが、起きた時は降っていなかった。三男が学校に行く支度をしている間に、ズボンのプレスをする。 ジョギングを終えると、見られない頭ではまずいと思いつき、理髪に行く。家に戻ると、次男が病院に行くと言うので、 昨日は具合が良くなかったことを伝える。
帰ったら温めるだけで済むように、夕食の準備をしていたので、家を出たのは15時20分になってしまう。
状況は昨日よりいいようだ。聞き取り難いが、お母さんが来てくれたことと、入れ違いに次男が来たようだ。
今日は具合がいいのだろうか「もう眠るだけだから、帰って三男の面倒を見てくれ」と言う。 今日が土曜日だということが、分かっているのだろうか。

平成8年11月10日(日)祭日
次男に、干した洗濯物と布団を取り込むように頼んで病院に向かうが、10時30分になってしまう。 「ペンキ塗りも終わったので、早くきたよ」と言ってベッドの横にいる。何もすることはないが、付いている 必要性を感じた一日であった。
食堂でちょっと話をしている間に激しい痛みがきたようで、「何んで必要な時に、どこかへ行ってしまうのか」 と苦情を言う。何とも答えようが無い。座薬を入れる時は、カーテンの外にいることに決める。小水の管が詰まるので、 看護婦さんが洗浄してくれる。どうして詰まるのだろうか。内臓の機能が衰えているのか、それとも血の 成分が出ているからなのだろうかと考える。
座薬投入直後に酸素濃度5%に上げるが、鼻全体を覆うマスクがうっとうしいようなので、看護婦さんに 見てもらい、前の鼻の穴に管を入れるのにしてもらう。
お母さんが、スイカを持って見舞いに来てくれた。親からスイカを口に運んでもらっていた。 お母さんには申し訳ないと思うと共に、見ているのがつらいのでベッドから離れる。身体がこのスイカを うまく受け付けてくれて、吐き気がこないよう祈るだけだ。
しばらくいたが、道が混雑しているのでと言って帰って行った。昨日は、中野のお姉さんが病状から判断して 電話した為、見に来たようで、今日は予定していた見舞いであり、電話で聞いた状況より良いので、安心して帰れたようだ。 「お医者さんは何を言っているか」と聞かれたので、「まだ急なことはない」と言っていると答えておいた。
次男が状況を見る目的で来たとのことで、すぐ帰って行った。そのおかげで夕食を作ってくれたので、帰った時には 三男はもう食事を済ませていた。
看護婦さんが「その後先生に会いましたか」と聞くので、「まだです」と答えた。 この間先生が話した処置は、もう始まっていることが確認できた。 金曜日の先生の姿を見て、次の処置に進んでいると思っていたので、急いで会うことでもないが、 「明日にでも面会します」と返事した。
薬のせいか眠ってしまったので、看護婦さんにお願いして帰る。

平成8年11月11日(月)
17時35分に会社を出る。雨降り。病室では三男が椅子に腰掛けて、本を読んでいた。声をかけるもダメの信号を両手の指を使って送ってきた。
何もする事がない。小水の動きを見ている。病棟付添いの人から、「スイカを食べさせてくれ」と言われたが、 食べさせてよいか心配なので、看護婦さんにお願いしたとのことであった。全部食べて、容器を棚の上に置いてあるので、 お母さんが来たら必ず返すように伝えて、と言われたと言う。
三男が18時30分に帰る。ゴミかごに、ちり紙を捨てるが、かごが見られないので外に落ちてしまうのを拾ったり、 水が欲しいと言う時に渡してやるだけだ。目をつむって、口から息を出している。寝ているかと思えば、そうではなくて起きている。
19時20分頃、看護婦さんがチェックにきた。アイスノンの取り替えを看護婦さんがやってくれる。 「帰るよ」と言っても返事がない。実に困った時間だ。動きができないでいると、今看護婦さんが持って 来てくれた氷水の水を少なくして、氷を追加して飲ませてくれと言う。
歯磨きをしたいと言うので準備していると、看護婦さんが来てやってくれた。後片付けをして「また明日来るよ」 と言うと、うなずいていた。帰っていいものか、どうしようもない気持ちになる。

平成8年11月12日(火)
相談役のヒヤリングがスムーズに終わり、14時に会社を出ることができた。病室に行く前に、先生に面会する。 増血作用が3000(正常値は15万〜25万)に低下してしまい、よく生きていられると思うとのこと。 もともと貧血だから、よかったのかも知らないとも言う。昨日輸血し、三日間する予定で、今週が勝負とのこと。
病室では、輸血中だった。手を首や頭に動かしていて、時々酸素の管が外れる。呼んでも何の反応もない。 目がうつろである。右に行ったり、左に行ったりしてベッドの回りを歩くだけだ。
突然吐いた。すぐにテッシュペーパーで押さえるが、量はそんなのに耐えるものではない。呼びボタンを押すが、 間に合わず血の混じった汚物で両手がベタベタが。
すぐ看護婦さんが来てくれた。パジャマではもうダメだから、寝巻はないかと言われる。買いに行こうかと思ったが、 汚物の中にいつまでも置いておくのは、可哀そうだと一瞬思う。「寝巻は肌けるので、イヤだと言うので 持ってきてない」と答えると、「じゃあ病院のを使いましよう」と言って病室を飛び出して行った。
何人も看護婦さんを動員して着替えをしてくれた。手を洗って、ホッとするまでの時間が長く感じた。
吐く前にいた位置に戻る。吐く前にしていた手を動かす動作はせず、時々鼾のような声が出るうえに、 二・三日前からしていた、口から息を出す動作をしている。
落ち着いた。ホッとすると、いつ家に帰るべきか考え始める。何を言っても返事がない。寝ているように思うが、 どうだか分からない。どんなタイミングか分からないが、目を薄く開ける。濁った目、うつろな目。この目を ほんとうの『うつろな目』と言うのだろうかとつくづく考える。
看護婦さんが、今まで使ったことのない道具をセットしている。胸の位置に三個のセンサーをつけている。
落ち着いている。18時20分頃だったと思うが、家に帰ることにする。声をかけたが、眠っているだろうと思い、 返事を聞かないで病室を出る。二日前の完全に眠っていると判断した時と、今日は違うが意を決して、看護婦さんにお願いして家に向かう。
日暮里を過ぎて三河島近くになって、ポケベルが鳴った。番号が下四桁が違うだけで、病院の代表番号とほぼ同じである。 ”今日は、俺が食事当番だから、家に向かったのは仕方ないことだ”と自分で自分に言い聞かせる。
電車の中から、携帯電話でかける。看護婦さんが出た。先生に代わったが、「もうすぐ駅だから、このまま 待って下さい」とお願いして心の準備をする。「今どこ、すぐ引き返せる」「三河島駅だからすぐ引き返す」 「どの位かかる。息子さん達もだよ」「40分位かな。携帯電話があるので、息子達もすぐ病院に行かせる」 「30分位にならない。すぐ引き返して下さい」こんな会話をしたような気がする。
ホームの明かりで、準備してあったメモを見て、次男を呼び出す。受付の人が呼びに行っている時間が、すごく長く感じる。 上の電車がきてしまった。空いているので、電車の中で、病院に行くように話をする。次に三男に知らせる為、いつか持たせた ポケベルに携帯電話の番号を入れる。更に葛西に電話をかけ終わり、ホッとすると、すぐ携帯電話が鳴った。 三男であった。これで親子には連絡がついた。焦る気持を押さえて日暮里の乗り換えをする。
山の手線の中で、田無と日立に電話をし終えると秋葉原だった。中央線に乗換えをして、何をすべきか考えるが空転。 やっと中野のお姉さんの家に、電話することに気が付き、電話を終えるともう駅だった。
病室には、次男も三男もいた。手を持ったりしていると、先生が三男に「手を持っていてやりなさい」と言った。 次男は、額をたたくのか、なぜるのか分からない仕草をしている。先刻見たのは、呼吸を計る物らしい。
もう心臓が動いているだけだ、と聞いた前後だったと思うが、看護婦さんが、先生を呼びに出て行った。 先生はすぐに心臓マッサージを始めた。
何とも可哀そうである。「もう先生やめて静かに行かせてやって下さい」これが、何も考えずに、自然に出てきた言葉だった。 「このベッドではマッサージもねぇ……」と言ってやめてくれた。あとはメーターを見て静かにしている。48分と言っている。
”ああ、もう終わってしまった”と思うと同時に、葛西は遅いなぁ、遠いのだなぁ、と思う。「家族で時間を過ごしたら、 身体を綺麗にしますから、呼びにきて下さい」先生の声だった。
すぐ、中野のお姉さん夫婦が来た。葛西は遅くなると判断し、輸血は取り外してもらうようお願いする。 その途中に葛西のお母さん達が来た。少し遅れて、行徳の弟さんが来た。
終わった。
本当に終わってしまったと思う。
会社の関係者に電話して、明日からの休暇と以後の協力をお願いする。親戚に連絡をとり、都合を付けるよう話す。
もう何も考えずに、次のステップに進むことにし、葬儀屋さんに来てもらい、帰りたかっただろう家に向かう。


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