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■この日記は癌が転移している事が分かってから書き残した物です。

平成8年9月1日(日)
スケジュールどおりには、なかなかいかない。15時過ぎにやっとベランダの修理を終える。 次男が夕食を作ってくれると言うので、病院に行く。
飲み薬になってからよく眠れたが、朝から何も食べていないと言う。昼前に吐いて、今昼ご飯をちょっと口にしたとのこと。
同じ病室の患者の内、一人は退院したらしく、耳の遠いというお婆さんのテレビが大きい音で映っていた。
病棟付添いの人が「何か食べたい物があれば、買ってきてあげるよ」と声をかけてくれた。
どうすることもなく、前途多難を覚悟して帰る。

平成8年9月2日(月)
今日も次男が夕食を作ってくれるとのことで、昨日の状況が続いているか病院に顔を出す。
薬の量を3個から2個に減らして、昨日より良いと、今までにない顔をしていた。
会社の人が同じ5階に入院している事を言うと、既に越えをかけられたとのこと。このAさんのところには、 大勢の人が見舞いにきており、知っている人も大勢いた。目が合えば、顔を出さざるを得ず、 そうなればなぜ病院にいるかを聞かれるだろうから、まずいと思う。
食堂に集まっていて、知っている人はみんな向こうを向いているので、ホッとしAさんには、手をあげて急いでエレベーターに乗る。

平成8年9月5日(木)
三日ぶりに病院に顔を出す。同室に入院していた人は、退院して一人であった。薬は2個を一日3回にしているとのこと。 吐き気がするので、寝たきりで、話をするのもつらいらしい。
一週間が過ぎたので、退院できるものと思っているようで、郵便局の保険の入院申請書の用紙を、必ず次男にもらってくるように伝えてくれと言う。
薬の調合にこのように苦労してくれているが、病気の方がどんどん進んでいくので、身体にあってもすぐに効かなくなるのかも知れない。 いずれにしても、明日専門医がくるとのことで、その結果で決まるだろう。
仲人を頼まれている、I君とSさんのお袋さんと、土曜日の午前中に顔合わせをするので、もし退院がその時間帯ならば、次男に退院の運転をしてもらうことを話して病室を出る。
今夜もAさんのところには、」大勢の見舞客が来ていた。Aさんが、廊下まで来てくれたので、家内の事は誰にも言わない約束をして病院を後にする。

平成8年9月7日(土)
昨夜は次男が病院に行ってくれた。点滴をやっていたとのこと。食事も食べれないだろうと感ずる。
Iさんのお袋さん達と、東京駅のホテルで食事をしながら、結婚式の打ち合わせをし、その足で病院に向かう。 点滴のほか、既に尿の処理もベッドでやっている。
吐き気が激しく、気の毒だ。佳子から「結婚式は代役でやって」と言い出した。看護婦さんに状況を聞きに行くと、先生がくるので待ってほしいと言う。
病室に戻ると、買い物をしてきてほしいと言う。地下の売店に行くが、閉まっていたので、駅からくる途中に薬局があったことを思い出し、外に出る。 見本に持ってきた物がなく、薬局の人が「これと同じものです」と言うのを買って戻る。同じ品物がなく、使う目的が同じのを薬局の人が、出してくれたと言って棚に置く。 品物を見る気も無いのか、「看護婦さんが、見てくれるでしょう」と言う。
食事が食べられないので、食べやすい小さいカステラが欲しいと言う。前回購入した駅前のお店で、カステラ巻きというものを5個買って戻る。 ○○巻きがなかったというと、いやな顔をするが品物を見ると、自分が欲しかったカステラだったので、ホッとする。
トイレに行きたいと言うので、ナースセンターに行き看護婦さんにお願いすると、T先生がいて椅子を出してくれた。
@結婚式(9月22日)に出るのは無理。
A二週間後の見通しはできない。従って、安全サイドの手を打って欲しい、と言うことであった。
  @の答えとして、結婚式は本人が兄の嫁さんを代理としてやって欲しいと言ったので、そのようにする予定だと言った事に対して、Aを言われた。
先生と別れてからしばらくして、何を言われたのか理解する事ができた。二週間後に俺の体が、結婚式をしている暇がないことも考えてほしいと言っている。 最悪あと二週間しかもたないのだろうか?愕然とする。
  こんな時に混乱しては、ダメだと自分自身にいい聞かせる。とにかく、結婚式について、どう対処すべきか決めることが先決であり、 I君と同じ社宅に住んでいる、I君に電話するも留守であり、留守電に連絡とりたい旨いれる。
  電車に乗り、こらからは食事を作っている時間も無くなるのだから、今日天ぷらを沢山作り冷凍しょうと考え、買い物をする。 家に帰ってから、アルコールも買っている時間もないと考え、サリーまで行っていたので、遅くなってしまった。三男が電気釜のスイッチを入れてくれてあったので、ご飯はOK。
天ぷらを沢山作る。途中で三男に食べさせるが、気がつくと冷凍しょうとしていた、肉の天ぷらを全部食べてしまい (三男は、油がいっぱいなので残してはまずいと考え、無理したと後で聞く)びっくりする。
余りにも多すぎる天ぷらの為、20時30分までかかってしまう。I君が電話してきたので、状況を話してから、I君の電話番号を聞き、電話する。 家内の都合で、兄の嫁さんを代理として結婚式をしたいことを話し、それでよいか話あってほしいと伝える。
また、医者が安全サイドを要求していることを話し、月曜日に関係者で話し合いをしたいので、I君の上司の電話番号を教えてもらう。 上司の自宅に電話し、月曜日の午後時間を空けてもらうお願いをする。いつの間にか21時30分になっていた。
昼のホテルの食事がよかった為なのか、長い時間天ぷらを揚げていた為か、食欲もなく酒も飲まずに布団に入るが、ウトウトするだけでダメであった。

平成8年9月8日(日)
三男がクラブ活動の試合の為、いつもと同じ時刻に起きる。弁当を作らないだけ気が楽だ。
洗濯をして、のんびりと朝飯を食べてしまったので、ベランダの修理で気が付いた一階のトタン屋根の錆から、ペンキ塗りをすることにしていたが、 水洗いだけで、午前中が過ぎてしまった。
勝林寺(お墓の用地があるお寺)に行く事にしていたが、お墓を心配している余裕がない時期にきていると考え、電話で今日は都合で行けなくなったことをお詫びして、病院に行くことにする。
昨夜の天ぷらの残り物で、次男と二人で昼飯を食べる。お母さんいた時には、テレビを見ていたのに、すぐに自分の部屋に戻ってしまう。午後ペンキ塗りを始める。錆が出ている所の錆を落とし、 斑模様を屋根に書いているようなことをする。一番塗り難い屋根の端のみ塗り終わったので、病院に行く。
いくらか気が落ち着いているようだ。モルヒネの薬を使っているらしいが、なぜか分からないが、昨夜は寝汗がひどく出たようだ。 パジャマが濡れているのに気が付かないとか、食事は何を食べたか言っているが、どこまで先生に伝わっているのか分からないと言う。 この病院が気にいっていたのに、相当神経が疲れているのだなと思う。なんとか気を静めることが必要であるが、どうすればよいか考えつかない。 せいぜいこの愚痴をうなずいて聞いてやることが、この場の義務であろうと思う。
夕食を病棟付添いの人が、持ってきてくれた。食べるかと聞くと、食べてみると言うので、ホッとしていると何もしない。やっと食べたくても、 手では食べられないことに気が付き、サジを探して熱湯をかけて用意する。
三口ほど食べる。残った食事を食べろと言う。家では、次男が夕食を用意してくれているのに、と思いながら残さず食べる。何となく腹に無理やりに入れたという感じで病院を出る。 今までに、一番長い時間病院にいたようだ。
家では次男が、カルビ焼きを用意して待っていた。三男は試合で遅く帰り、何も食べずに自分の部屋に行ってしまう。

平成8年9月9日(月)
月曜日はクラブ活動がないので、三男に病院に行くように言う。お母さんの具合が良くなかったら、会社に電話するように朝言ったが、 電話がなかったので、もし息子から電話があったら、携帯電話に掛けるように頼んで病院に向かう。
すごく機嫌が良い。薬が身体にあっているのであろうか。昨日とは、全然違う。何とかなるかとホッとする。
田無の姉さんがきたとのこと。先日中野の姉さんが、見舞いにきた時にはなぜ入院していることを言ったのかと、グズグズ言われて困ったが、 今日は何も言わない。吐き気も少ないようだ。どこが違うのだろうか。今日から脊髄に薬を入れているからだろうか。
家に帰って、今日の状況では、ここ一両日なら面会しても良いと判断し、日立と葛西に電話を掛ける。

平成8年9月10日(火)
静岡の弟から電話があり、9月16日(日)に静岡の兄弟で見舞いに来たいとのことであった。 病状がどのようになるのか不安なので、二・三日前にこちらから連絡すると言って、電話を切る。
会社を終えて病院に行ってビックリ。会話することも、吐き気が激しいのでつらいようだ。吐き気が続くので、 テッシュで口をおさえている。この為「テッシュを買ってきて」と言うのが最大の努力のようだ。 必要以外の話をしないようにし、買ってきたテッシュを枕元に置き、すぐに帰ることにする。
昼休みに、昨日の状況から、見舞いに行ってくれるなら、早い方が良いと日立に電話しようとしたが、 不在で連絡できなかった事について、不幸中の幸いとはこのようなことなのかと思った。葛西と日立に 病院に行く時には、ナースセンターに電話して、本人に行っていいか確認してから行くように電話する。
昼休みに長男に電話し、準備として礼服だけは購入しておこうと言うことにしたので、 身体がほとんど同じの次男に一緒に行くように頼むが、礼服を用意する事に反対のようでどうにもならない。 夕食を終え、次男は自分の部屋に行ったが、三男は今までしたことがない恰好(畳の上に上向きに寝て天井をジッと見ている)でいる。 親父と兄の意見不一致が、原因であることが明確であるが、何とも手の出しようがない。しばらくそのままにしておくが、 夏掛を掛けてやると、自分の部屋に行ってしまった。
一人になると酒をもう一杯追加する。どうしても、涙が出てしまう。
アルコールが身体の回ってきたので、このままここでごろ寝になってしまば、もっと溝が深くなってしまうと、気を取り直して自分の部屋に行く。
つくづく、独りぼっちになってしまったと思う。もっともっとこれからは、難しくなるだろう。涙が出るが、アルコールが効いてきて眠る。

平成8年9月11日(水)
耳が変なので桂耳鼻科に、会社に行く前に寄る。診察を待っている時間に長男に連絡しようとしたが 携帯電話も公衆電話も外国にはつながらないことがわかった。
長男に、礼服の購入を次男に直接頼むように電話で話す。次男が何故いやだと言っているのか、と言う質問に対する返事が難しかった。 とにかく早いうちに、頼むことを約束することができた。
会社を少し早く出させてもらったので、17時に病院に着く。少し前に痛くなったので、薬の追加をお願いしたところだと言う。 オモチャのカエルを動かすような容器(中に風船が入っていて、少しずつ薬を身体に送る仕組みになっているらしい)をお手玉のようにして、 せめてこれに目盛りが付いていて、本当に薬が送られているかを見られるようにしてくれれば、時間を過ごすことができるのにと言う。
日立と次男が来て、一時間ほどいたとのこと。この時は痛みが少なかったようで、良かったと思う。
腰の痛みのほか、両足も痛くなり始めたと言う。身体が動かせられないので、同じ姿勢しかできないのがつらいと言う。特に痛い夜は、何ともしようがないと言う。
薬の容器を持って遊ぶ仕草をしていたので、「オモチャでも持ってくるか」と言うと、「こんなに苦しんでいるのに、どうしてそんな事を言うの」と苦情を言う。 話のついでに、家にいた時の話になり、痛いので休んでいる時に食器を片付けさせられた言う。確かに痛いだろうからと思い、お膳の上の食器を片付けた事を思い出した。難しいものだ。 痛いだろうから手伝ってやろうとした事が、「早く食器を片付けて洗え」と受け取ったらしい。
先生が17時30分過ぎに巡回にきた。薬が効かないと言って、先生を困らせるが、何ともしようがない。 先程薬の量が決まっていて、ある量以上ださない言っていたことを思い出した。容器の中が見えないので、薬が切れていて痛いのだと思っているようだ。
ナースセンターに行き先生に会う。あのような状況で、どの種類の薬をいつどのくらい使うかを、判断しているとのこと。医者も大変な仕事だと、つくづく思う。
家に帰ると、すぐ三男が帰ってきた。夕食を急いでもやっぱり、一時間かかってしまう。次男が家庭教師なので、昨夜のこともあり二人で話し込んでしまう。
三男も考えているようだ。思ったより自分の考えができているようで安心した。お母さん病気の事が原因で、崩れることはないと確信したのでついアルコールが進んでしまう。
他人が何を考え、どうしようとしているか知ることは、とんでもなく大切なことだが、それがなかなかスムーズにできないのが実態なのだ。
考えても仕方ないと思いながら、布団に入る。

平成8年9月12日(木)
病院に着いたのが、18時半過ぎになってしまう。次男と中野の姉さんが来たとのこと。お姉さんのお母さんが、 信仰しているお寺からいただいたというお守り(お米が入っているという)を頭の下に置いていると話す。このようにすると食欲が出るということらしい。
19時に看護婦さんが、巡回にくると言うので、ジュースを冷蔵庫に入れたり、棚の物の整理をして時間を待つが、19時過ぎとなったので帰る。
薬の調合がうまくいっているようで、先生も安心しているとのこと。具合が悪かった日曜日に見舞いに来た葛西のお母さんに、今日は良くなっていることを、 電話してもらうようにお姉さんに頼んだと言う。
顔色が悪いが、吐き気の方は少し良いらしい。しかし、薬の副作用なのか、焦点が合わないので二つに見えると言う。(この状況は最後まで続いた)何と言ってやればいいのか困る。
日曜日に見えていた、頭の毛に一部が根本から1〜2センチ真っ白だった部分が、気にならないほどに消えている。頭を動かしたのでよく見ると、一部分は残って白髪になっていた。 鏡があれば当然気が付くだろう。一本の白髪でも気にして、鋏で取り除いていた姿が目に浮かぶ。 あまり見ていれば、変に気を使うだろうと思い、あわてて外を見る。
色々な現象が現れる。これからどのようになるのだろうか。可哀そうなのと不安が襲うが、考えないようにしようと言い聞かせる。次の日曜日の弟さんの見舞い、その翌日の静岡の見舞いが、 無事終わることを気にするにとどめよう。

平成8年9月13日(金)
会社を出られたのが17時40分を過ぎてしまい、遅くなると覚悟するが、思ったより早く着いた。次男が来たので、お母さんがくる時にメロンが食べたいので持って来てくれるよう、電話を頼んだと話す。 何も俺に言えばよいのにと一瞬思うが、これが親子なのだろう、お母さんも欲しい物を言ってもらう方が、気が休まるだろうと気を取り直す。
余り調子が良くないようで、話をすれば吐き気でつらいだろうと思い、ジッとしていると「家で子供が待っているよ」と言うので病室を出て帰る。
エレベーターの前で、T先生に出会ったので、これからどうなるか聞く。骨は血液を作るところなので、病気が進むと血が止まらなくなる現象になっていくとのこと。もうその現象が出始めているようだ。
長男には、連絡してあるかと聞かれる。連絡はしてあり、本人はいつでも大丈夫なように準備させてあると答え、ポケベルと携帯電話の番号を伝えて家に帰る。

平成8年9月14日(土)
雨の朝を迎える。三男を送る出してから、洗濯を済ませ家の中の掃除を始める。耐火庫を動かすと、下からノートが出てきて、どの位のお金があるか分かる。心配していた葬儀の費用はあり、退職金でお墓を作ることに決める。 掃除機で、二階の廊下の掃除をしたので、次男を起こしてしまう。
ラーメンを作り二人で食べた後、病院に寄ってくれると言う次男を駅まで送り、そのままお寺に行く。 住職は不在で、そのお母さんに会い、病人の状況を話し、自宅付近の地図を渡して万一の時は、お願いにくる時間がないので電話での対応をお願いした。
これで、やらなくてはならない事の一つが終えた。帰りに葬祭場に寄ってどんな所か見ると共に、案内図を手に入れた。
家に帰って、ゆっくりとカレーライスを作り、三男の帰りを待つ。

平成8年9月15日(日)
今日は二人とも外出せず休み。一階の屋根のペンキ塗りを11時過ぎまで行い、ペンキが切れてしまい終わりとする。 ペンキが無くなっても、同じ色のペンキを売っていることを前提で始めたことが心配になる。
三人で、昨夜のカレーライスの残りを食べ病院に行く。葛西のお母さんと行徳の弟さんが13時に来た。 完全に具合が悪い時で閉口する。お母さんになるべく言葉を少なくするように頼んで、弟さんと二人で食堂にいる。
看護婦さんが、人払いして面倒を見るとのことで、お母さんも食堂に来たので、三人で話をする。 吐き気が激しいので、話をすると吐き気がもっとひどくなるらしことを言う。
看護婦さんが、「おわりました」とわざわざ言いに来てくれたが、話こんですぐに病室にもどらなかったので、変に気を回して怒っていた。 時間が経つと少しづつ様子が良くなって、お母さんと二人で話をしたいと言う。
14時に、お母さんたちが帰る。家に用事があるので、明日また来るよと言って帰る。具合が悪いにしては、今日が一番長い時間いたようだ。
次男と礼服を買いに行く予定をしていたので、家で待っていた。昨日お寺に行く時に、以前に背広を買った店がつぶれていたので、草加バイパスに 入って最初の洋服屋であるコナカに入る。二人の礼服を買ったので、割引があり9万円で済んだ。 水曜日に出来上がると言うので、次男に取りに行ってもらうことにした。

平成8年9月16日(月)祭日
三男の学校の友達が来た。11時には、ペンキ塗りを終える予定であったが、ペコ缶に移したペンキの量が多すぎて30分も過ぎてしまった。 次男に食べたいと言ったメロンを切ってもらい、用事で来た近所の人の相手もしてもらう。
昨日と同じ時刻になってしまったが、どのように電車の乗換をすれば、早く行けるか比較できた。 信濃町駅を出た所で、静岡の連中に出会うが、「先に様子を確認うるから」と言って駆け足で病院に向かう。
具合は最悪ではないが、良くはない。小水の袋がベッドの向こう側になっているので、昨日より雰囲気は悪くない。
電車の中では、三人づつ二回に分けようと考えていたが、他に患者がいないので、全員に入ってもらって10分で終えることができた。
激しい拒否はなかった。みんなに食堂にいてもらい、メロンを食べさせ、アイスノンを取り替える。近所の人が 見舞いに来たいと言っているが、どうしようかと言うと、いつどんな風になるのか分からないので、当面遠慮してもらうことで話し合う。
14時半になったので帰り、洗濯機のすぐ近くに金具を取り付ける作業をする。この金具にハンガーを掛けて、取り出した洗濯物を、 ハンガーに挟めるれるので、能率が上がるだろう。
この作業が長引いてしまったので、夕飯を次男に作らせてしまった。何か気にいらないようだが、これも仕方ないとあきらめ早々に寝る。 三男は、学園祭の時にお客に配る冊子のワープロ打ちで、徹夜するようだ。トイレに足音を立てないようにして下りてきた。みんな気を使っている。

平成8年9月17日(火)
予定外の高校卒業予定の面接試験を頼まれた為、18時30分になってしまった。家内が具合が悪い事を、 前任者に話してあるのにと、グチを腹の中にしまって、駅まで駆け足する。
気分は悪くないようだが、「早く来たらカンピョー巻を買ってきてもらうつもりでいたが、吐いたのでどうしょうかと考えているところだ」と言う。
色々思い出そうとするが、『カンピョー巻』がどこで売っているか、見当がつかない。その上に、吐いたばかりだと言う。 時間をかけたが、どうしても買うべきだという考えに達しないが、買いに行くことにして出ようとする時に、「カンピョー巻だよね」と言うと、 声が大きかったので他の人に聞こえてしまってのが癪にさわって、怒り出してしまう。
どうしょうもない雰囲気なので、「食事を作ってやらないと、三男が困るだろうから」と言って帰る。
二軒の寿司屋のウインドウを覗くが、『カンピョー巻』を見ることができなかったので、あきらめて家に帰ることにする。後味が悪いがどうしようもない。 これからは、何回もこのような事になるだろうと覚悟する。
家では、三男が帰っていて、ご飯は炊いてありすぐに炊きあがるタイミングだった。三男はパンを食べたと言う。 忙しい時間であったが、何とか次男が帰る前に準備ができ、遅い夕食を食べる。走って病院に行き、家まで走って帰ってきたことで、 これで帳消しにしようという気持の為に、眠ることができた。

平成8年9月18日(水)
三男がワープロを学校に持って行ってよいかと言う。学園祭の冊子作りに時間が足りないようだ。
9時過ぎ、長男から電話が入る。8時30分に電話したが、出なかったと言う。会社は9時から始まるので、その時刻は誰も出社していないだろうと答える。
用件は、10月に予定していた帰国を、早くしょうとすればできると言う。お母さんの状況を上司に話した結果、いつでも休暇を取ってよいと言われたので電話したようだ。 予定を変更すると本人がどうとるか気になるので、T先生に電話する。このところの状況では、大丈夫だろうとの返事なので、 帰国は予定通り10月6日とする。
病院に行くと、廊下で出会った病棟付添いの人が、今日はすごく良いと言う。中野のお姉さんが来て、花を置いていったと言う。かごに入った花があった。 花を飾ってやるという気持ちの余裕が無かったなーと思う。
先日テッシュペーパーを買う為に近くのデパートに行った時隣の京樽に 『カンピョー巻』がある事を知ったので、食べるか聞いてから買いに行く。 カンピョー巻二本、カッパ巻と鉄火巻を一本づつ買うが、食べたのはンピョー巻一本だけだった。
病棟付添いの人が病室に入ってきて、良くなった事をほんとうに喜んでくれた。 近所の人の見舞いにくる件についても、電話して具合を確認するという条件で見舞いに来てもらうことでOKとなった。
会社で今休暇を取っている人が専用に使っていたワープロを、毎日学校に持って行っている三男の為に借りてきたが、 なぜかわからないがフロッピーから読み出せずがっかりする。

平成8年9月19日(木)
今日も気分が良いようだ。昨日の反省に立って、小さい鉄火巻とカンピョウ巻を買う。 本数にして、二本と三分の一食べる。気持ち良さそうで、安心する。
家に帰ってワープロは、2HDだったので動かなかった事を説明し、2DDのフロッピーで動く事を確認する。 今夜は三男も入力と印刷が平行してできるので、能率が上がるだろう。徹夜のようだ。

平成8年9月20日(金)
次男が昼に来て、寿司屋に行ってくれたとのこと。欲しい物が、『カンピョー巻』から『鉄火巻』になっているようだ。
夕食には、みかんが出ただけだと言う。明日からは、普通の食事を出してくれると、先生に言われたとのこと。
調子が良いので先生に、長男が10月6日に帰国する事、その時に”外出”したいことを話したと言う。「考えましょう」 と言われた言葉に、さすが医者だなと感心する。
三男は相変わらずワープロをやっている。次男の夕食はキャベツのロール巻で何ともしゃれている。

平成8年9月21日(土)
どんよりしているが、ペンキ塗りはできた。ライトブルーのペンキは売ってないので、ブルーのペンキに塗り替える。 ライトブルーを塗った所は塗り終えた。雨が降ってきたので止めにするが、いつの間にか15時になっていた。 昼飯を食べて、サリーにビールを買いに行く。
三男が早く帰ってきたが、せっかく作った煮しめとマーボー豆腐を食べずに、ベッドの掛け布団の上で寝てしまい 起こしても起きない。徹夜の連続だったので、そのままにする。
次男が病院と家庭教師から、零時半に帰る。気が付かなかったが、台風対策として、自動車を家の南側の地面の高い車庫に移動してくれた。
三男はそのまま寝かせてやることにして、夏掛けを掛けてやる。

平成8年9月22日(日)
I君とSさんの結婚式の日なのに、台風で気の毒だ。招待されているが出席はお断りした。学園祭で、開成高校と試合があるという三男を駅まで送る。
少し休もうと思い寝ていると、台風の体制をどうするかの電話がきた。 当面待機体制を部単位で整える、ということにして会社に出る。風雨が激しくカッパの上着を持ってこなかったことを反省する。体制が確立し、 事故も出ているが、全て対応ができたので、三男の学校の学園祭に行く。二学期に入ってすぐに、担任の先生に、家庭の状況を知って貰い、三男に 変化があったら、一報いただきたい旨の手紙を書いている。そのお礼をどうしてもしておきたかったので、台風の中を出て行く。
学校に着いて学園祭の中止を知る。後で分かったことだが、ポケベルを鳴らしてくれたその時刻は、強風の中を歩いていたので、分からなかったようだ。
病院の中は、台風が通過している事が嘘のようだ。佳子は、吐き気と咳と寒さに耐えていた。何ともしようがない。 病棟付添いの人が、「明日個室に移る」と本人が言っていたと教えてくれた。
帰りの雨対策をビッシリして病院を出ると、もう台風は行ってしまったところであった。
牛のステーキにして、久しぶりに三人で夕食を食べる。

平成8年9月23日(月)祭日
台風は過ぎ去ったが、スッキリしない天気である。それでも雨は何とかもつと判断してペンキ塗りをする。 斑な変んてこな屋根は、全てブルーになった。
気が付くと12時30分になってしまい、すぐおにぎりを作る。学園祭が終わる日なので、次男が三男の高校まで運んでくれたテレビとビデオを 持ち帰る為、おにぎりを食べながら学校に向かう。
四号国道を進むが、渋滞が激しい。病院経由は無理と判断し、先に担任の先生に面会することにし、 学校には駐車できないだろうから、以前勤務していた事業所の駐車場に車を乗り入れる。既にそこは子会社に渡っていて守衛さんが飛んできたので、 身分証明書を見せて、以前勤務していたことを言い、「10分だけ」と言ってお願いする。
担任の先生に面会して、気になっていたことは、これですべて終えることができた。
病院に行くと次男がいた。痛みが激しいようだ。511号の個室に移ってどんな気持ちだろうと気になるが、何ともしようがない。
器材の受け取りは、18時の約束であったが、早く着いてしまったので、案内の先生にその旨を言うと、構内に入れてもらえた。 テレビとビデオを車に積んで、三男は打ち上げらしいので、一人で明治通・江北橋を通って帰る。
家に着くと次男が夕飯を作っていて、イカの煮物を手伝う。三男は遅いだろうから夕食を残して置いてもらい、明日は会社なので、三男の帰りを待たずに寝ることにする。
学園祭も終わりホッとしているだろうが、早く帰ってくれと願う。

平成8年9月24日(火)
T先生と廊下で会う。
調子は良いようだ。トイレに無理して行ったらしく身体を動かしたことが、痛みを増したのではないかと思う。
少しではあるが、鉄火巻とカンピョウ巻を食べる。カンピョウ巻が固いと言う。ウインドウーの中にあった品物だから、作ってから時間が経過している為だろう。
今日は運動会なので、早く帰ると言っていた三男の帰りを待たずに寝てしまう。

平成8年9月25日(水)
台風によるケーブルなどの被害状況を報告していたので、17時50分に会社を出る。朝のテレビで晴・曇マークだったので、普通の靴を履いてきた為、 雨で靴下が濡れて気持ち悪いが我慢して病室にいる。
代休の三男と次男が来て、三人で家の近くのお店で買ってきたスパゲティを食べたとのこと。疲れたので、眠っていたようだ。
三男が一人でいるのですぐ帰る。一生懸命に早く夕食を作っているのに、何をやっているのか食事ができて呼んでも、自分の部屋から下りてこないので中腹になる。 何とか気持ちをおさえめようと努力するも、うまく切り替えできずに一日が終わる。

平成8年9月26日(木)
病室に入って行っても何の反応も無い。眠っているようだ。何となく声をかけにくい。しばらくジッとしていると気が付いた。 どうも昨日食べたスパゲティが良くなかったと思っているようだ。もう好きなスパゲティの食べられない身体になっているのだろうか。
病棟付添いのおばさんへの”お礼”のことを心配している。看護婦さんには、葛西のお母さんが心配してくれたので、心配しなくてよいと言う。 この程度のことに気を使っているのは、そんな負担ではないだろう。約30分しかいないが19時になったので帰る。
家では三男がギョウザを焼いていた。もう一つ焼くのかどうか話をしていた。次のギョウザを見ていると、 焼いてから蒸らす為の水が多すぎるので捨てさせ、鍋の蓋をする。三人で食べる。
途中に電話があり、お父さんが話した内容から、次男が怒り出してしまった。やっと最初に現れた、拒絶の意味が分かった。何ともする手が無い。
次男は自分の部屋に行ったが、三男は変な雰囲気になってから、居間でずっとゴロ寝のままで、初めて見る どうにもならないという涙であった。三男には申し訳ないとつくづく思うが、どうしょうもない。
今日病院で佳子から、次男が会社勤めをしないのは、「お父さんが、いつも会社が大変だ大変だとグチを言うからだ」と責められた。 次男が会社勤めをしないのはともかく、親父が影響している事はあるだろう。次男が言うことも本当なので、何ともしょうがない。
こんな状況で、家の中が崩れるのであろうか。一生懸命でやっている事と、他の人に良い感じをさせると言うことは全く違うことである。 どのようにすればうまくいくか分かっているが、できないのは甘えがあるからだろう。

平成8年9月27日(金)
雨降りになってしまう。晴しか考えてなかってので、濡れた靴下はどうも気持ちが悪い。
佳子の状態は、最近になく悪いようだ。いつか歯を磨くので、用意してくれと言った日があったが、せめてそのぐらい言って欲しいと思う。 ベッドに敷いてある防水シートが気になる。
番号だけが書いてあるメモを、財布の入った袋から出してと言う。その番号にファックスするように言われる。 私の病状を伝えてどのように回答がくのか知りたいとのことであった。
動くと吐き気が激しくなるのか、袋のからメモを自分で取り出すか、俺に出してもらうのが良いか考えているようだ。 このファックスの番号をテレビで知ったと言うが、いつ頃知ったのだろうか。我慢し、いよいよ苦しいので、 思い立ったようである。頼まれてはみたが、ファックスがどこにつながるのか不安になる。(後でわかったが、国立がんセンターであった)
先生をあんなに信用していたのに、本当に苦しいのだろうと考えてしまう。

平成8年9月28日(土)
『晴』こんな日は少ないと思い、布団カバー、敷布、台所の敷物などを洗濯したが、更にひさしのペンキ塗りと、玄関のポールの錆落としと、錆止塗りまでできた。
次男がパジャマを持って病院に行ってくれた。何となく昨日の防水シートが気になる。もう、どの位置にきているのか方程式を作る必要を感じる。
今日は、カレーライスにする。三男が喜んでくれてOK。

平成8年9月29日(日)
三男も今日は出ていかないので、久しぶりに8時まで布団の中にいる。ジョギングの後、洗濯をし玄関のポールのペンキを塗るとお昼になってしまう。
スパゲテーを作るが量が多すぎたようだ。(600g)朝ご飯に、昨日のカレーライスの残りを、食べたばかりなので、特に多く感じる。
病院では、初めてテレビがついていなかった。帰る直前に野球のテレビをつけていた。看護婦さんの巡回で、尿のチェックに時間がかかるようになったと感じる。

平成8年9月30日(月)
がんに関する情報提供のファックスは、個別相談は受け付けしないという返事がきて、国立がんセンターであることが分かる。 情報は番号を指定するとファックスに出る。一般の説明を出していると、インターネットでも出せることが分かり、医師用の副作用に関する情報を出して、吐き気、しびれを読む。
病院では、テレビがついているが、眠っているようだ。19時までいる。何となく元気がない。三男が来たが、そのすぐ後に次男の来たとのこと。 定期が切れるので、お金が必要だろうと思い、家計の代理をしている次男が、気を利かしたらしい。 二人が同じ時刻に出会ったので、お母さん経由でなく、目的が達成したと言っていた。
田無のお店が、月曜日休日ということは知っている様子。今日は午前中は何とかなったが、午後はダメだったので、 見舞いにきてもらうことがつらいということが分かってもらえて、良かったと言っている。
しかし、一人でいることは寂しいことだと言う。お父さんに毎日来てもらうのも気の毒だと言う。時刻もよく分からないらしい。
何とか、家族だけでも近くにいてやりたいと思う。何とかしなければいけないが、どうしたらよいか……。


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