■この日記は癌が転移している事が分かってから書き残した物です。平成8年7月19日(金)
「T病院のT先生に電話して下さい」というメモが、机の上に張ってあった。 やっぱりかという気持と、そうでないでくれという気持ちとが、入れ替わりに出入りする。 暑い道を歩いていても、電車のなかも、やっぱりそれ以外考えることができない。
先生は今朝整形外科から回ってきたばかりで、MRIのフィルムを見てすぐ電話したとのこと。 対応策の検討はこれからで、来週月曜日の通院までに確立するとのことであった。何も考えることができない。
会社に戻り、上司に家内が病気のことを話し、今後対応のために時間をいただくことになることについてお願いする。 話を同時に聞いてくれたK氏が、癌研に勤めている知人に、相談の為のアポイントを取ってくれた。
@定年(9年1月)記念に計画した、南アルプス全山縦走は中止。
Aパーティとして登山中止は忍びず、南アルプス北部の縦走に変更するが、 最悪を考え食料のうち私の分は自分で用意する事で、メンバーに手を打つ。
夜中に目が覚める。説明できない苦しさが襲ってきた。 過去に、三男の中学入試の夜の風邪、早池峰・秋田駒ヶ岳登山の疲労と連日の飲酒による、 玉川温泉の夜に味わった苦しさに次ぐものであった。
ふと、般若心経を思い出し覚えている部分を、何回も何回も繰り返すうちに何んとか落ち着き、 ウトウトすることができた。平成8年7月20日(土)
平常を保つ事が必要だと考える。今回南アルプス全山縦走の為に、水曜日に購入してきた一人用テントを袋から出す気にもなれない。
それでも今回の登山の為、今持っている背負子が、岩に引っかかる欠点から作っている背負子を、何とかものにすべきと考え作業を始める。 午後背負子に早く荷物を固定するための、専用の紐を作るためゴムを買いに行く。
時間があったので、身体を曲げると痛いだろうと思い、洗濯機から床の籠に入れているのを思い出し、 籠と洗濯機が同じ高さになる台を作ってやることとし、日曜大工を始める。
一日経過すると、少しは落ち着いてくるものであった。平成8年7月21日(日)
今日は仲人を頼まれているI君とSさんが来る日なので、その準備をしていた。 身体を動かせば痛みも増すだろうと思いもするが、手を出さずいつもと変わらないようにし、平常心を保つようにする。 昨日始めた『台』作りの日曜大工が終わり、登山用ガソリンを容器に詰め始めると二人が来た。
作業が終ったので家に入ると、初めての顔合わせなのに相手をしていた。 約1時間であったろうが、痛みを表さずに終えることができた。
夜は、何を話そうかと思い思い、時間が過ぎていった。この仲人のおかげで、二ヶ月は何とか時間を 経過させる事ができるだろう。3月に話があった時、病気でなかったらOKと言ったことを思い出した。平成8年7月22日(月)
次男の運転で、三男も痛いところを診てもらうとのことで、三人で家を出て行った。 何かあれば、午前中に連絡してくるだろうと覚悟していたがなかったので、医務室の看護婦さんのところに行き、金曜日からの状況を話す。 専門の病院にした方がよいか悩んでいる事に対しての結論として、癌研は考えのもだとした。
家に帰ると、台所で食事の用意をしていた。平常と変わらないようにすべきと考え、いつもどおりビールと焼酎を飲む。
子供が二階の自分の部屋に行ってから、様子を聞いてみた。薬の効果があり、痛みがなくなったと喜んでいる。 T先生に会っていることは確認できたが、どこまで話が伝わっているかわからない。
二ヶ月後の仲人は、大丈夫と言っている。どう考えているか知るため、別の病院に行ってみる気があるか、 千葉敦子の本を読んだ事があるか話をするが、何を理解しているか、その範囲がつかめない。
今日はこれ位でよそうと思い、布団に入ることとした。俺が言ったことが、まずかったのではないかという気持で不安になる。 ……平常心でなかったのか……これから毎日こんな状態で、時間を費やすのだろうか。平成8年7月23日(火)
T先生に面会を求める。「今日の用件は何ですか」と言われた。迷惑なことであろうと思う。
確認した事項
@薬はどんなものか。又、どんな治療になっていくのか。
A進み具合はどうか。
B他の病院で診てもらってよいか。
先生から、「一日何回使っているか」との質問があったが、昨日聞かなかったので答えられなかった。
今の薬は普通の物であるが、次は麻酔系の薬、それ以降は入院による対応になることがわかった。 もし、癌研に行くなら紹介状を書くとのこと。
今日の面会の結果から転移していることを、早くオープンにする必要があると判断し、葛西に行って、 お母さんとその家族に状況を説明する。当面本人には知らせないことで話しあった。
Kさんが紹介してくれた、癌研に勤める人に電話をかける。判断はそのとおりでよいでしょうとのこと。 むしろ、早いうちに本人に伝え、今からの日常生活について確立することが、大切とのことであった。 いつ伝えるか悩むしかない。
家に帰れば本人は、居間で寝ころんでいた。「どうした?」と聞けば、痛みではなく、食事をしたからとの返事。 薬については一日二回であるが、痛みは出るとのこと。一日二回以上にしなくてはならないのが、実態だろう。 Aさんは、一日四回を限りとして入院したとの事であり、これが一つのガイドラインと考えるべきらしい。
三ケ野(静岡県磐田市・私の実家で寝たきりの病人(長男)がいる)にお盆に見舞いに行くかと聞くも、 身体がどうなるかわからない事と、誰が見舞いに来たかわからないようなので、遠くに行くだけの努力をしても、 効果が期待出来ないと考えているようだ。
まだ、癌と言うことを、覚悟していないようだ。長男の住所とアメリカにどのように郵便を出していたかを聞き、 何となく正常でないことを悟ってもらうようにした。
床の中で次のことを決める。
@来週中に長男に状況を知らせる。
A長男が理解したら、パソコン通信で次男に伝えさせる。
B次男、三男には、本(昨日と違う今日を生きる・千葉敦子著)を読ませ、心の準備をさせる。
CBが終った段階で四人で話す。
Dその後関係者にオープンにする。平成8年7月24日(水)
朝、洗濯機の上の洗濯物が入ったタライを下ろしてくれと言われた。ゴミは持って行くと言うと素直に納得している。 以前ならば、必ず自分でやると言っていたのだが。やっぱり、痛みがあるのだろう。
会社から帰ると、居間で寝ていた。どうした?と聞けば、下痢のため薬が切れていると言う。なんと言ってやればいいのか困る。
「定年も決まった事だし、お墓でも作るか」と言うと、「何も分かっていない。神経のない人だ」と、怒ってそのまま布団に入ってしまった。 じっと見ていたら、うらめしそうに顔を上げる。我慢せず薬をつけたらどうかというと、22時につけると言う。 あと、20分我慢するようだ。次男が帰ってきて心の中がホッとする。
夜中に目が覚めると、”墓”の事が頭の中で、グルグルしている。言ってしまったことを、自分に責めているのだろうか。 それとも、予告の方法として適切でなかったことに対する反省なのだろうか。
強い心と思って努力してきた。しかし、涙を止める方法としては、般若心経ではダメであった。 ウトウトして、明るくなってきて平常心となった。平成8年7月25日(木)
南アルプス(北岳〜塩見岳)に行くことが分かっているのか、家を出る時、どこで買い物をするのかと聞く。 スーパーで買うと言うと”春菊とホーレン草”を買ってきてほしいと言う。 体力的に外に出ることも無理と、判断する時期に来ているのだろうか。平成8年7月29日(月)
四日ぶりに顔を合わせる。本人はもう”癌”ということを、理解しているようだ。 今後どのようになっていくのか分からない。
登山の汗を流し、ビールを飲み始めると、話が何となくいつもと違う。何を言いたいのか、心の探りあいのような会話となる。 過去に言ったことを、思い出していることが分かった。お父さんの一周忌の帰りに、何かに腹を立ててナゾのようなことを、 言った記憶がありこれが原因なのだろう。
言えば言うほど難しいことになると思い、回り道の話をして時間が過ぎていった。
早いうちに、家族が同じ認識にした方がよい、というアドバイスを思い出し、登山に行ったことを反省する。
このような状況では、誰か(私)が悪者になっているのがよいようだと考える。「極楽トンボでいいもんだ」と言う。
このままの状態を維持している方がよいのだろうと思ったり、やっぱり早いうちに状態を話して、 同じ理解の上に立つべきであると、ゴチャゴチャの頭の状態で布団に入る。疲れていたのか夜中に目を覚ますことはなかった。平成8年7月30日(火)
5時に目が覚める。何をすべきか考える。多少の音が出てもテントを干すことと、子供達に読ませると考えている本 『昨日と違う今日を生きる』を、探すこととしてすぐに起きる。20分で両方終えることができ、いつもの ジョギングをし、いつもと同じ電車に乗ることができた。
昼休みに、長男に手紙を書く。会社の団体生命保険の還付金が出たので渡す。三男にいくらか渡すような口ぶりだった。私には、3万円くれた。平成8年8月1日(木)
出勤のため居間を出ようとすると、シャッター(車庫を作った時狭いので、門を撤去しシャッターとした)が重いので直してくれと言う。 それと下駄箱の扉もと言う。下駄箱の扉は、前から直さなくては思っていたのでよいが、シャッターは何も考えていなかったので、 どうすればよいか考えなければならない。
既に、洗濯物を入れているタライは重いため、床の上に置いてから会社に行くのが日常となった。
シャッターはグリスをつければ何とかなるだろうが、どのくらい軽くなるのかが心配だ。 巻取部分のバネを強くする方法についても、次の土・日で見ることした。平成8年8月4日(日)
一階の七畳半の畳を干そう(毎年真夏に畳を干している)と思うが、どうしても自分でやりたいものがあるようで、畳屋さんに頼んである表替えと二回やるのがいやだと言う。
従って、今週中に畳を干し終える計画は止めて、テレビの写りが良くないので、ブースタをつける。
薬をつけると下痢がちなので、一日に一回にしているため痛いとのこと。薬で痛みを止めていることを、早く理解させなくてはいけないと思う。
T先生に電話で相談したらと言ったが、確かな返事がない。我慢できるなら、我慢させるしか方法がない。長男からの返事が待ち遠しい状況だ。平成8年8月5日(月)
7月30日消印の長男からの葉書がきていた。アトランタオリンピックの女子マラソンを見に行って、感動したと書いてある。 日曜日に電話があった時は、まだ手紙は届いていない時期だ。
今日か明日には届くだろう。ショックを感じるであろうが、これも通過しなくてはいけない一つの道である。平成8年8月6日(火)
会議から戻ると、息子さんから電話があったが、会議中なので12時過ぎには戻ると伝えてとのことであった。 食事に行かずに待っていたが、トイレに行こうとして廊下を歩いていると、駆け足で呼びにきてくれた。
手紙の内容は分かったが、いつまで大丈夫なのか分からないので、電話したとのことだった。7月19日に、 先生にもう月単位で考えるべきかと聞いたら、何とも答えにくい質問だが、半年単位と考えればよいのではないか、 と言っていたことを思い出し、「最悪で半年持つかどうかと覚悟している」と返事した。 従って、クリスマス休暇には帰ってきたらと言うと、それは無理とのこと。クリスマスより前に一度帰ることで、 今後の予定を計画することを話して電話を切る。平成8年8月9日(金)
今日、頼んであった畳屋さんが来るので、ジョギングを止めて二階から畳が持ち出せるように、箪笥などを長男が使っていた部屋に移動し、 階段下のハンガー掛けを自分の部屋に移動させる。最初は、朝御飯を作って食べてと言っていたが、しばらくして起きてきて、 オニギリを作り、生野菜を切ってまたすぐ寝てしまった。無理するなと言いたいが、今はそれも言えない。 明日か日曜日に、四人揃ったらはっきり言うこととする。
朝の事があったので早く帰りたかったが、三日連続で、定時に帰ることができなかった。畳の表替えは一階は終わっていたが、二階は畳屋さんの都合で、 日曜日になったとのことだった。新しい畳の香りがして、もっと早くしてやればよかったのにと反省する。
夕食後、次男の部屋の電話がつながらないとのことで、二階に上がる。電話機は問題ないようなので、改造したフックの具合が悪いだろうと思い、 遊んでいる電話機と取り替える。次男と二人になるいい機会なので、本(昨日と違う今日を生きる)を読んだかと聞くと、なぜだと言う。 「お母さんは、胃から骨に転移している。もう、治療の方法がなく、痛みをいかに少なくさせてやるしかない状況だ」と言うと、明らかに拒絶反応である。 三男に本を読ませることも、怒っているようだ。いきなり核心に入ってしまったことに、シマッタと思うが辛うじて、先生にじかに確認したらと言って部屋を出る。
当分、次男に理解させることに、全力を注ぐしかないと思う。朝決心した告知は、後にするしかない。
居間に戻ると、明日葛西のお母さんが来るという電話があったと言う。しばらく草加に行ってないので来ると言っていたと言う。 お母さんには、既に話をしてあるのだから、病状を見にくるのは明らかだが、どのようにお母さんが話をしたのか、 本人には本当の目的が分かっていないようだ。平成8年8月10日(土)
次男が高校時代のクラブ活動の合宿、三男がクラブ活動の試合で不在。なぜだか分からないが、仏壇の花を気にしている。 お客用のお菓子と花を買いに行く。指定の花屋は、聞いた金額の倍近くしていた。きっとお盆が近いからだろう。
お母さんたちは一時間ほどで帰ると言うので、楽しみにしていたショートケーキも、自分の分も葛西へのお土産にしていた。 何となく食べたかったということが分かるが、本人のしたことだと自分に言い聞かせる。平成8年8月12日(月)
昼休みに、T先生宛の手紙を書く。封筒を持ってくるのを忘れたので、帰ってから自分の部屋で宛名を書いて次男の部屋に行く。
パソコンを忙しそうに操作していた。受け入れ体制なし。やむを得ず、長男への手紙のコピー(アメリカ宛の封筒を見て、もしかして 届かなかった時、また考え直すのが嫌なのでコピーしておいたもの)と、病院でお医者さんに会う時には、 この手紙を渡すように言って部屋を出る。
二人で話すには、まだまだ時間がかかりそうだ。手術以来、時間が作れるという理由だけで、病院への車の運転をすべて次男に頼んだことが、 悔やまれる。手術で取り除いた胃とリンパ線の入った瓶を見た者と、見ないで一ヶ月に二回病院に通い段々良くなってきたのを、 肌に感じている次男の気持が分からないのではないが……。平成8年8月19日(月)
土・日はすべて寝ていたような気がする。朝御飯は自分で準備する。
どうも痛みばかりだはないようだ。これを受けて次男が病院に行ってくれた。普通の薬のほか、強い薬(モルヒネ系の薬?)を貰ってきている。 本人から聞いた内容であは、どうも後々の事を考えると、普通の方を選ぶように言われてきているようだ。
先生「痛がっているか?」
次男「痛がっている」
先生「そう簡単に言うなよ」
と言う会話をしてきたことについて、次男は何も知らないから、正直に言ったのだろうと言う。
本人は、もう感ずいているようだ。自分の身体のことだから、どのような具合か分かっても、こらからどうなるということは、 誰にも分からないが、医者に言われている者と、そうでない者とどちらがいいのか?
もし、長男が一時帰国できた時に、無理すれば行けると思い、定年にあたって会社の費用で行ける旅行の制度がある事を説明し、 申込書を渡し考えておくように言う。平成8年8月24日(土)
気持が悪いと言い出してから、もう何日かになる。ベランダの修理(布団干しをするようになって、ベランダのビニール板の下の垂木が腐っていを気が付き) を土・日で終わらせる予定が、雨降りの為中断。本人が寝室にしている部屋の襖張りを始める。初めてのことなので、うまくいかずどうしても 「独り言」が出てしまう。
身体なのか、神経なのか、ブツブツ言うことを我慢することが、限界だと言う。また明日同じことを味わうのはお互いに辛いので、 可哀そうだと思うが続け、20時になってやっと終えることができた。
夕食の後、次男不在だったので、三男の部屋に行く。お母さんの病気のことは分かっていた。単に”癌”ということを知っているということでなく、 転移していてどうにもならないことも、薄々分かっているようだ。しかし、今後どのようになっていくのかは理解していない。「今から段々厳しくなるし、 ずっと続くのだが」と言うと「俺は大丈夫だ」と言ってくれた。
可哀そうではあるが、それでも大丈夫と言ってもらいホッとする。これで家の中に知らない人は、無くなった。
一つ大きな役目を終えたが、次は結婚式の仲人をどう対処しなければならないか、頭を使う事が必要だ。 この病気は、すごく痛いということは聞いていたが、「吐き気」の為にどうにもならないと言う事は予想外であった。 どう対処すべきか?とにかく、医者に見てもらうほか手はないが、自分で行くようになってくれるようにするしかない。
医者に行っても、どうにもならない事であろうが、今はそれしか手がない。平成8年8月26日(月)
病院に行くということを、次男と決めていたようだ。いつも病院に行くのは、道路が空いている時間帯なので、いつもより早い時刻に起きてきて、 ”オニギリ”を食べ準備していた。
病院から帰ったのは、15時頃らしい。家に帰って吐いて、少しは落ち着いたとのこと。しかし、夕飯は次男に作ってもらったようだ。 自分としては、何をしてやればいいのか何ともしようがない。
座薬は一日何回使ってもよいと、言われてきたと言う。段階としては、かなり進んできていると、判断すべきだ。 しかし、9月に入ってすぐ高校の友達と会う時に、タクシーで行ってよいかというので、どこまで我慢しているのかわからなくなる。
その友達には、「身体が痛いこと」を言ってあるのか聞くと、まだ何も話していないと言う。普通に歩くのも痛いらしいので、 同じスピードで歩けないといけないから、会った時に「病気であることを言ったらどうか」と言うと、否定も肯定もしなかった。
気を他に使うのがよいと思う。友達との再会、結婚式、旅行というようなことをいろいろ企画すべきであろうか。 定年の旅行については、ディズニーランドのすぐ近くのホテルに泊まり、具合がよかったらディズニーランドで遊んできたいと思っているようだ。平成8年8月29日(木)
昨日も今朝も寝ていた。吐き気が強いので、どうにもならないようだ。薬の関係で、火曜日は我慢し、昨日前にかかったことのある小倉医院に行って来たとのこと。 内科の専門だけあって、吐き気は少し良くなったとのこと。
昨夜は、会合で夕飯を家で食べなかったので、店屋物で済ましたようだ。今日は、昨日より、起きる気がしないらしい。 登山の残り物のレトルトをレンジに入れようとすると、ご飯はあると言う。確かに冷蔵庫には、お皿に入ったご飯と店屋物の総菜が入っていた。
話をするのがいやなほど、苦しいようだ。T先生に電話してみて、もし薬を変えてみるということになれば病院に取りに行くから、会社に電話するように言って家を出る。
12時自宅に電話をする。K病院の麻酔の専門医が、今日何とか都合がつくので、来るようにということで、次男に運転してもらい今から出掛けるとの話だった。 自動車に乗っている間が痛いらしいが、それよりも常に痛いのを防止することが先だ。本当に痛いのだろう。
病院からは、18時頃帰ったらしい。電車の中で、ポケベルが鳴った。番号がないので、誰だろうと考える。家に早くかえらなければ、ということで頭が一杯で、 番号なしが家からだと気が付くのに時間がかかり、歩きながら、携帯電話を使う。タイミングが悪く、二回目の呼び出しにぶつかり話中。
電話が通じると、昼の連絡で、病院からの帰りが遅くなるから、夕食の支度をしていると思ったらしい。 20時少し前だったので、スーパーに飛び込んで買い物をしてから走って帰る。
痛い為だろうか、イライラが激しい。通院では薬の調整ができないので、直ぐ入院しなさいと言われたのを、男の子供だけなので、準備の為いったん帰り明日入院することにしてもらったとのこと。
痛いうえに、しなければいけない準備のことで、頭が一杯のようだ。手伝う気はあっても、どうしたらよいか解らない。
一段落したので、明日の入院のことを話す。あまり次男ばかりに負担をかけたくないので、自動車を病院に置き、会社を終えたら病院に寄って乗って帰ると言うと、激しい反対だった。 駐車場を占有するからよくないというが、いつも乗っている次男の運転の方がよいのだろうか。平成8年8月30日(金)
7時前に起きて入院への対応を、考えているようだ。自動車に乗っている間が心配らしく、小さいオニギリを作ってやるが、四分の一を残して食べてくれと言う。
信号で停止する時、静かにブレーキをかけているつもりが、痛いと言い次男の方が、余程上手だと言う。車の中は寒かったが、クーラーを入れてくれと言う。
外来で入院の手続きをしていると、仲人をしたA夫妻と出会う。内科に二人とも見てもらっているとのことで、どうしたの?と聞かれたので、 検査の為入院すると答えるが、それ以上聞かれることはなく、ホッとする。
10時30頃病室に入る。自動車は同乗してきた次男が運転して帰って行った。すぐにCTスキャとなったので、もし食事が食べられない時の事を考えて、 文明堂のカステラを買ってきてと言われていたので、駅前のビルまで買いに行って戻る。まだ検査から戻っていず、15分ほど待つ。
「帰るよ」と言って、病室を出ると看護婦さんが寄ってきて、状況を聞かれた。痛いので薬を付けると、吐き気が激しいので苦しいようだと話す。 T先生が、ナースセンターから出てきて、本人から聞いた内容(薬の調合の目的で、一週間位の予定)と同じ内容の話を聞く。何とか薬の調合がうまくいくことを祈りながら会社に向かう。