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第十回 私の体験したインドネシア暴動(1998年5月13日)   (其の三)
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今回で暴動は最後にします。 幾ら考えても原因がよく分からないのです、 犯人と言っても、実際に略奪したのは、

貧しいインドネシア人ですし、 この人達を犯人だといえば言えます。 しかし、実際は彼達は扇動されて

略奪をしただけなのです。 真犯人は扇動者とそれを計画し実行させた者と言えるでしょう。 いまだに誰が

真犯人か分かりません。 実際に、13日の昼頃トラックの荷台の乗った大勢の男達が石を投げながら走り去ったとの、

目撃者の話もあります。 それから何人かの男たちが、銀行、商店、風俗営業の店などを壊してまわったのが、

暴動の始まりでした。 他の地域でも同じだとの話を聞きました。 それからが貧しいインドネシア人の出番です。 

私の家から約1km離れた所にショッピングセンターが有りました、 此処では、略奪に入った暴徒が数十人、

いや、百数十人焼け死にました。 暴動が発生したので、防犯の為ビルの出入り口が閉められてしまったのです。

失火か放火か分かりませんが火災が発生したのです。 外に逃げることが出来なかった暴徒は全員焼け死にました。


電話はこの暴動が鎮火するまで、平常に使えました。 私の家にも日本の家族や友達から電話を受けました。 

ただ、 3日目から軍が報道管制をひきましたので、 報道機関からのニュースは聞けなくなりました。 

電話での情報の交換だけで、 これでは、流言蜚語が飛び交っても変ではないでしょう。


話を自警団に戻しますが、 14日は朝から昨日は何処そこで略奪放火があったとか、何処そこで華僑の

女性が強姦されたとか、 こんな話で持ちきりでした。 私は朝まで、不寝番をしていましたので、 

家に帰って寝てしまいましたが、 昼になって妻に起こされました。 昨日の店が、また暴徒に略奪されてると! 

店の裏に倉庫があったのです。そこが略奪されていました。 普通なら歩いて5分のところですが、だれが暴徒か

分かりませんので、危なくて行けないのです。 其の晩でした、昨晩、放火をしようとして止められた男達が

復讐にくるとの話で、 警備に出られる男性は、武器をもって集りました。 武器といっても棍棒ですが。 

でも、 嘘か本当か華僑の女性は強姦されて殺されるという噂がながれたので、 皆真剣になって集りました。 

其の日でした、 もう15日になってましたが1時か2時ごろでしょうか、 他の通りでも私達と同じ様に

警備してる人達から、荷台に男達を乗せたトラックが此方に向かったとの報告を受けたのです。 

雑談していた人が話をやめ、不審なそのトラックを待ちました。 烏合の衆ですが、家族や兄弟の為に

集った私達なので、逃げる人は居なかった。 ただ、無言で待ちました。 暴徒がくるのを、 隣の人が唾を

飲み込む音が聞こえるぐらい静かになりました。 全員固唾を呑むとは、この事なのでしょうか。 


トラックが来るまで中心になる人物が、我々に向かって彼らが来たら、まず交渉をしよう。 つまり、

お金で解決しようと、提案しました。 これでも、だめなら 後は運を天に任せて、戦うだけだと!! 

此れから待つこと10分でしょうか、 15分でしょうか?? トラックが来ないのです。 報告先に

問い合わせても、そんな報告してない!! という返事なのです。 緊張が生んだ錯覚でした。 

これが暴動警戒中で一番緊張した時でした。 今では笑ってすませますが、あの時は本当に一戦を覚悟して待ちました。


まだ、 面白い話は沢山あるのですが、急には思い出せないものですね。 実際に経験してみて感じたことは、

こんな非常時では隣の通りで起きたことも分からないという事です。 確かに、私の家の付近にあるパサールと

周辺の商店が焼けました。 これも、放火なのか失火なのか分かりません。 略奪が始まってからは、

スーパーマーケットも商店も漏電を恐れて皆電源をていたのでしょう。 夜、略奪に入る暴徒は、紙を燃やして

明かりにしていたそうです。 それが燃え移ったのかもしれません。 実際に此れと同じことが、

2日目以降にありました。 普通のおとなしい市民もこの狼藉には、怒りました。 略奪だけではなく、

強姦、放火、殺人が起きていたので、 以前は華僑は、余りこんなことには、参加しない中華系の市民達が、

なんで、 我々だけが狙われるのかと、本当に怒りました。 それで、3日目の夜だったでしょうか、

2日目だったか忘れましたが、 夜、空になった店で何か探していたのでしょう、 若い男2人が、警備に

捕まりました、 捜すのに紙を燃やしていたので、逃げる時に、小火を起こしたそうです。 警官も居ないし、

民衆で半殺しです。 約一週間、警察も軍隊も居ない状態でした。 でも、 不思議に食べ物も困りませんでした。 

思い出すままに、書きましたが、記憶違いや、間違いは、お許しください。 私の見た暴動は、大勢の民衆が

略奪をしているところと、 住民が警備をしたこと、 流言蜚語が飛び交ったこと、 警察や軍隊の姿が

見えなかったこと、 強姦や殺人は話に聞いただけで、実際には見たことがありません。 以上が私の体験でした。 


後で、思い出した事が、あれば付け加えます。 勿論、訂正もします。 私の読みずらい文章を我慢して

読んで頂いて、有難う御座いました。


ジャカルタ通信 日文 (30 Jun 2002)


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第十回 私の体験したインドネシア暴動(1998年5月13日) (其の二)
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13日の夜、略奪の凄さを呆然と見ていた私たちは、 朝の何時になるでしょうか、 通りの向かい側にある、

すでに略奪されて壊された店の中で、 不審な人間を見つけました。 すでに暴徒は居なくなっていましたので、

警備の住民と銀行の守衛が其の男を取り押さえました。 其の不審な男がその場を去るとき、捨て台詞を

残して行ったそうです。 この一帯の住民に復讐してやると!!! 次の日には、 この話しが住民に伝わり、

他の地域からの流言蜚語もあり、次の晩には100人をこす住民が警備に参加しました。



この一帯は、 インドネシア国会の付近で、空港に行くには必ずこの付近を通ります。 次に日には、各国の旗を

立てたバスや大使館の車が空港へ行くのが見えました。 やはり、 危ない所からは逃げることが最良の方法ですね。



この警備中は大変面白い体験をしました。 ここで、其れを書いて見ます。 この参加者は全員志願者です、 中学生も

いれば私の様な中年も、勿論、老人もね。 女性だけは参加させませんでした。 このとき、 別に誰が指揮官かと

言う説明もなく、RTと呼ばれる隣組長の指示で動きました。 訓練したことが無い集団ですので、

烏合の衆と同じです、ただ、数が多いと言うことだけが取り柄でした。 待機中は同年代人たちが自然に集まるのですね。

その時の会話です。 現在の状況は、嘘か本当か知りませんが、昨日の不審者が復讐するというので、

放火されるとこの一帯が火の海なってしまいます。 家族と財産を守為に集まったのです。 なら、 如何に有効に守か、

指揮官を決め、守備する場所に適当な人員を配置しないと行けない。 しかし、彼達の話しはそんな次元の

低い話はしません、 世界情勢とインドネシアの関係、CIAの陰謀、某国大統領の陰謀と高いレベルの話しでした。

(何故 ???だか この読者には、お分かりの事と思います) 例えて言えば、ここに集まった住民は、

同じ沈みかけた客船に乗っているのと同じ状況なのです。 いま、一番大事なことは、この船を修理するか、

または 如何に安全に避難するかが、大切なことなのでは??? 彼達は、船長の責任や船舶会社の責任を非難するだけで、

この船を助ける話しをしないのです。 聞いて腹が立ちました。 そんな話は、この危機を脱してからやれ〜〜、

本当に暴徒が来たらどうするのだって!!

時間が無くなりました。。 今日は 此処までにします。



ジャカルタ通信 日文 (25 Jun 2002)


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第十回 (警備活動の補足)


17日に(私の夢 其の三)で(治安維持)と題名しましたが、 ここに警備活動と訂正し、記事を補足します。


私の体験したインドネシア暴動 (1998年5月13日)
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1998年5月13日にインドネシア各地で暴動が起こりました。 この時、私はジャカルタに居ましたが、

13日の朝、普通は出勤するはずの運転手が出勤せず私自身が運転して出勤しました。 会社では、金融恐慌の

影響で暇でしたが、 其れなりの注文もあり商業活動はしておりました。 昼頃でしょうか?? 家から

電話があり市内で暴動が起こったとの知らせを受けました。 早速、社員を集め自宅待機を命じました。

自宅の方向が同じ幹部社員2人と一緒に私の車で帰宅したのです。 帰宅途中、陸橋の上から見たものは

KOTA(チャイナタウン)の方向に幾筋もの黒い煙でした。


帰宅したのは15時ぐらいでしょうか、家の周りも異様な雰囲気で、 付近に有る風俗営業の店が、

煽動者(誰だか 不明)に襲われ机や椅子が道路の上に散らかっていました。 其の夕方から本格的な

暴動になりました。 家に居た所、インドネシアの隣組組織である(RT)から各家の男は警備の為に

外に集まってくれとの連絡がありました。 実際に其の頃になると流言蜚語が飛び交い、何処そこの店が

暴徒に襲われたとか、華僑の女性が強姦され殺されたとか、実際に表通りに出た所、あっと、 驚いたきり、

どうにもなりませんでした。。 向かい側にあるオートバイの部品を売る店が略奪されているのです。

其の数たるや、数え切れない程で、ここから 500mぐらい離れた所にある 市場や付近の商店も同じで、

略奪されていました、店から略奪した物を持った子供や婦人、成人男子も私たちが警備している前を

通るのです。 片側二車線の道路が略奪する暴徒で一杯になり、武器も持たない私たちでは、どうにもなりません。

ただ、こちらに来ないでくれと祈るだけでした。


警察にも電話しましたが、呼び出し音がなるだけで、誰も受け取りません。 其の日から約5日間 警官や

軍隊は私の家の付近では、見かけませんでした。 この日から近所の人達で自警団を作り夜は、自分達の

住んでいる地域を警備しました。 13日の夜(14日の朝になりますね)2時か3時頃でしょうか、

付近の市場(すでに 略奪されて 何も無い)から火の手があがり、付近一体が焼けました。 消防も

警察も来ないので、自然に消えるまで燃えていました。 危なくて隣の通りにも行けないのです。

この晩から 1週間家をでることが出来ませんでした、 此れがインドネシア暴動の始まりです。


今回は 此処までとします。 次回につずきを書きます。 皆様が興味をもって読んでくれると幸いです。


ジャカルタ通信 日文 (21 Jun 2002)


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第九回 日本陸軍の忘れ物  (訂正版)
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皆様、第四回で特集した(日本陸軍の忘れ物)を訂正をします。 この写真に有る砲は、41式騎砲だとのとこです。 

やはり、日本製だったのですね?? 久し振りに日本人の私が通りかかったので、話がしたかったのかも?? 

知り合いのARAKEN様から、この砲は41式騎砲だとの情報をいただきました。 ここに 慎んで訂正いたします。





ジャカルタ通信 日文 (19 Jun 2002)


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第八回 農場の警備 
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警備活動!! この文字を見る日本人は驚く事でしょうね??? でも、 以前、誰かが言ってましたが、

平和と水はタダではないと。 これは、平和に慣れた日本の人には理解できないことでしょう??? 

実際に私も平和ボケした日本人らしい話をして、よく笑われることがあります。 でも、強盗も殺人も

現実に身近に有る事となのです。 確かに治安維持の為に警察も軍隊もあります、普通、彼らは事件が

起きないと行動を起してくれません。予感で報告しても誰も守ってはくれないのです。 では、この写真の見てください。





私の部下です。 彼らが農園を警備しています。 白い制服が本職、黒の制服は実際には農園の社員です。 

自分の命は自分で守らないと誰も守ってくれません。 平和ボケした日本人には理解できないかも知れませんが、 

これが日本以外の国の現実なのです。 警察も事件が起きないと守ってはくれません。 自分の身は

自分で守るのが原則です。


現在、商業活動を行っていますが、この農園を利用して大学生の海外交流も考えています。 将来の日本を

担う青年に、当地での活動をとうして自分の身は自分で守るということを自覚してもらいたいと思います。

最近、外務省の不祥事が報道されています。 なら、微々たる力ですが、我々でも何がしかのお手伝いが出来るかもしれません。  


ジャカルタ通信 日文  (17 Jun 2002) 


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第八回  ゲストハウス 
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前回で一応の目的を書きましたので、 今回は、招待した人達の夢の宿を紹介します。 現在社外に

家族社員用の社宅を建設中ですので、この写真の園内社宅をゲストハウスにしたいと考えています。 現在、

この建物は社員が住んでいますが、社員達も結婚し家族が増えて手狭になっています。 其の為社外に

新しい社宅を建設中なのです。 では、写真を見てください。





この建物は、農園の入り口から、事務所の横を通り約100mほど農園の中に入った所にあります。

事務所と同時期に建設しましたので、まだ新しいですよ。 社外の社宅が完成したら、修理を始めるつもりです。 


このゲストハウスは向かって右側に2部屋、左側に4部屋があります。真ん中は二階建になっており、

二階は独身社員の宿舎、一階は食堂及び談話室になっています。 もし、皆様が来られたら、この宿舎に

滞在することになります。 でも、ホテルではないので、余り期待しないでください。 下宿と思えば正解です!


ジャカルタ通信 日文 (16 Jun 2002)


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第八回 ドリアン農場の利用方法 
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今回は、私の夢と題して私の農園利用法をお知らせします。 ただ、現在に到るまで、夢の内容が漠然として

最終目的の利用法を模索中です。まずは、農園の紹介から。 この写真は事務所として建設しました。 





去年完成しましたが、 現在まで未使用です。 それは、農園でする程の事務がないことが一番の理由です。 

しかし、 将来はここが私の計画を実行する司令部になることでしょう。

私の夢は、日本に居る定年退職した技術者や日本で出来なかった自分の計画を実行したい人に、この農園に

来てもらって、その技術や自分の計画(勿論、インドネシアで出来ることが条件ですが??)

を試してもらいたい。 それから、大学生や若い日本人にも参加してもらって民間外交をすることです。 

政府が無償援助を幾らしても其の効果は疑問です。 しかし、実際に私たち日本人が現地で同じように

汗を流して仕事をすれば、きっと現地の人に心が通じることでしょう。 少なくとも彼らは理解すると思います。

日本人も我々インドネシア人と同じだと。。。でも、 あくまでも夢ですので、実現できない事もあります。

現実の問題で実行出来ないことも、早く言えば資金の問題です。 此ればかりは、無い袖は振れません。


ジャカルタ通信 日文 (15 Jun 2002)


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第7回 コーヒーの花
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農園の帰りに道端に咲いていたコーヒーの花です。 先週は満開でしたがカメラを持って行かなかったので、

今週撮りました。 では、写真を見てください。





このコーヒーは野生ですが、昔のインドネシアでは各家の庭にコーヒーを植えて自分の家で使っていたそうです。 

最近は、流通が進みて安くて美味いコーヒーが田舎でも手に入るので、廃れてしまった様です。 因みに、

このコーヒーの品種は アラビカ だそうです。





この写真は、一寸離れて撮りました。 本当に道端に生えているのが分ると思います。


ジャカルタ通信 日文 (13 Jun 2002)


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第6回 オランダ東インド会社 (VOC)
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インドネシアの語源は、 インドに続く言いう意味の言葉からきているそうです。 現在、国民の90%以上は

回教徒で、一部の地域、 例えば (バリ島) 以前の宗主国の関係で フローレス島 アンボン等、 回教以外の

信じている地域もあります。 さて、 今回は歴史的建物です。 写真を見てください。。





現在は、歴史博物館ですが、370年間このインドネシアを支配したオランダ東インド会社(VOC)

の本社なのです。 内部には、歴史を伝える品々が展示してあります。 この歴史博物館の裏にジャカルタ駅があり、

バタビア時代の中心が此処だった事を証明しています。 ただ、残念なことは、この歴史的場所に有る建物の

保存状態が良くなく歴史的建物が手入れもされず、放置してあることなのです。 他の国のように、

この地域を保存し観光資源として利用すれば、 ジャカルタ市政府の財源になることでしょう。





このカフェーは、歴史とは関係ありませんが、 一寸洒落てるので写真を紹介します。 名前も(バタビア カフェー)

先ほどの歴史博物館の向かいにあります。 史跡探歩で疲れたら、ここで一休み如何でしょうか??


ジャカルタ通信 日文 (12 Jun 2002)


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