●:=: Angkor 5 days :=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=○

     ア ン コ ー ル 5 日 間 ★ 徒 然 日 記

 第9号 2日目の4――木の幹に貼られたビラ/
                   バイヨンからバプオンへ の巻

                        発行責任者 ちはる
                        2001.8.30  発行
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§--< Attention! >-------------------------------------------------§
▼この日記は、ちはるが実際にアンコール・ワットのある町、シェムリアッ
 プでつけていた日記をもとに、加筆、修正、再構成したものです。
▼もしかしたら文中に、不適当な発言、あるいは間違った記述があるかもし
 れません。その場合はどうぞ容赦なくご指摘ください。ただし、旅の折々
 で胸の内に生じた感情については、あえてそのまま書いている場合もあり
 ます。どうぞご了承ください。
§------------------------------------------------------------------§

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《2001年5月28日−4》

■ バプオンへの道すがら

 バイヨン[Bayon]寺院の北門から出て、次はバプオン[Baphuon]という遺
跡に歩いて向かう。

 歩いて行く途中、林の中にお土産屋さんの屋台が並ぶところを通ったが、こ
こではセールス攻撃を受けることはなかった。
 屋台の中には雑貨に混じって楽器を売るところもあって、中国の胡弓によく
似た(あるいはそのものな)楽器も売られていた。さすが地続き。

 林の中を歩いていると、どこからともなくニワトリとそのヒナが現れた。お
お、まさに地鶏じゃ。

 遺跡の中を走りまわるニワトリは、放し飼いのせいなのか、ふだん見るニワ
トリよりもずっと猛々しい顔つきで、小柄だけど筋肉質って感じの引き締まっ
た身体つきだった。

 バイヨン寺院からパブオンまで続く小さな林の中には、緑色の苔がついた大
きな石が散在している。
 表面をよく見ると、数字が白いペンキで書かれていたり、レリーフのような
ものが刻まれていたりする。

 Kさんに聞いたら、なんとこれらの石もアンコール遺跡の一部だそうな。

 ええっ!? これって思いっきり野ざらしじゃんっ!

 しかも、土が湿っていて足場の悪い林の中を、わたしたちはその石を踏み台
にして移動していく。
 ああ、なんて罰当たりなっ(^ ^;)。

 しかし、復元を待つ崩れた遺跡の石たちは、あちらこちらで野ざらしのまま
放置されていた。

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■ バプオン

 バプオンは、ウダヤディティヤヴァルマン2世(もしくは1世)という人が
1060年頃に建てた、もとはヒンズー教の寺院とのこと。

 1060年というと、アンコール・ワットの造営が始まったのが1113年
だから、それよりも古い寺院ということになる。
(※Attention! バプオンはアンコール・ワットよりも後の時代のアンコー
ル・トムに含まれる遺跡ですが、アンコール・トムは都を造る際、古い時代の
建物をそのまま利用したところもあるので、こういう矛盾(?)が生じます)

 「バプオンは『隠し子』という意味」とガイドのKさんが教えてくれたが、
これは王さまがこっそりどこかの女性に生ませた「隠し子」ではなく、戦争
の際に王妃さまが自分の子どもをこの寺院に隠したことに由来して「隠し子」
なんだそう。

 同じ「隠し子」でも、由来を知らなければ大きな誤解を生みそうな名前のお
寺だ。

 バプオンは建物正面に、地上からの高さが1メートルくらいある柱に支えら
れたまっすぐな1本の道がある。まるで宙に浮いた道のようなので、空中参道
と呼ばれているらしい。
 わたしたちもその200メートルほどの長さがある空中参道の上を歩いてバ
プオンに向かう。

 遠くから見るバプオンは、四角い台の上に伏せたお椀を乗せたような形をし
ている。だから、円い遺跡だったな〜、という印象が残っている。

 バプオンに近づくと、建物の左右からクレーンのアームが伸びていることが
わかる。
 なんと、現在フランスが修復中で、入ることはできないそうだ。残念。
(※Attention! 修復してない日は入れるそうです。わたしたちは運が悪
かった)

 「フランス人はコンピュータを使って、崩れた石をどんどん組みあわせてい
く。だからとても早い。日本人はひとつひとつ石を確かめながら組み直してい
く。だから時間がかかる」とKさん。

 しかし、時間がかかるから悪いとか、コンピュータを使うからいい、という
問題ではないのだそう。Kさんが言うには、日本人が直した部分の方がきれい
なんだそうな(まあ、お世辞かもしれないが)。

 確かに、こういう歴史ある建造物って理屈だけで造られているわけじゃない
もんなあ。
 NHKの「プロジェクトX」でやってた薬師寺金堂の修復でも、設計図が示
す計算された正確な値と、職人さんが直感で言った理屈にあわない数値とで、
実際には職人さんの数値の方が正しかった場面があったし。

 そういう職人気質的な情緒がわかるあたりが、同じアジアの人間なんだろう
か?

 「ここより先は立ち入り禁止」みたいな柵があるところまで行って、バプオ
ンの見学は終わり。何か特別なものを見た、という記憶はない。

 中に入れれば、巨大な涅槃像を見ることができたそうな。かえすがえすも残
念。

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■ クロマーと貼り紙

 空中参道を戻らず、わたしたちはバプオン前から北へ伸びる細い道を歩いて
いった。すると、女性がひとりで店番をしているお土産屋さんがあった。大き
な横長の台の上に、「クロマー」と呼ばれる布がたくさん置いてある。

 このクロマー、現地の子供たちが売りに来ると「スカーフ、スカーフ」と
言っていたが、実際には日本の手拭いみたいなものである。

 大きさは幅40cm、長さ1mくらい。さまざまな色の糸でチェックやスト
ライプ模様を織り出していて、とってもきれい。
 素材は木綿か絹。木綿だと1枚1ドル、絹だと3〜5ドルくらいだったかな?
 カンボジアに来たらこれは買っとけ、というくらい有名なものでもある。

 使い道は、首に巻いてよし、頭に巻いてよし、帽子に巻き付けてもよく、汗
をぬぐってもいいし、顔を洗った後のタオルにしてもいい。
 だからまさにスカーフというよりは手拭いなのだ。

 地元の人は上手に頭や帽子に巻いていた。
 白人の観光客はボーイスカウトのスカーフみたいに首に巻いたり、頭に海賊
巻きにしたりしていた。
 いずれもとってもかっこいい。

 しかし、なぜかわたしがクロマーを首に巻くと、いきなりド田舎の「農民」
になってしまった。
 Why? そんなにもわたしの顔は農耕民族顔なのか? (T_T)

 ちなみに、以前一緒に旅行に行った友人(銀)にクロマーをお土産にあげた
ら、ヤツはにくたらしいほど似合っていた。
 そういやあいつは日本人顔というよりも、東南アジア顔だもんな。

 人には似合い不似合いがあるんだな、と実感する。

 何にせよ、今回の旅行のお土産はクロマーにする、と決めていたので、この
露店のお土産屋さんで10枚ほど買い込む。マダムもばんばん買い込んでいた。

 クロマーの他にはTシャツやレリーフの拓本も売っていた。
 拓本かあ。うーん、中国みたい。まあ、絶対ニセ物だろうけど(Kさんも
「あれはニセ物」と言っていた)。

 しかし、拓本&掛け軸大好きなマダムはほしかったらしい。
 「こんなにクロマーたくさん買ったんだから、1枚おまけにほしいわぁ」と
拓本を指差しながら言ったら、Kさんが通訳してくれてホントにタダで1枚デ
ヴァター(女神)の拓本Get(笑)。
 欲望はとりあえず1度口に出して言ってみるものである。

 その後、空中参道と平行しているあぜ道みたいな道を、三人で歩いて戻る。
 ふと道のそばに立つ木を見ると、濡れないようにビニール袋に入れられた
A4くらいの紙が貼り付けられていた。遠目にも人の写真と文章が印刷されて
いるのがわかる。

 「あれは戦争で行方不明になった家族を探すビラ」とKさんが教えてくれる。

 戦争で行方不明になった家族を探すビラか・・・

 でも、使われている写真は20年以上も昔のものなのだそうな。いちおう現
在は戦争が終わって10年たつけど、それ以前も10年以上に渡って、写真1
枚撮ることができない状態だったわけだ。

 日本は戦争が終わって55年以上たつ。
 でも、この国はまだ10年。

 戦争はまだまだ身近になごりを残しているんだな、と頭ではわかっていたが、
この時はじめて肌で感じた。

                                おわり

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◎ 今回のアンコールMEMO ◎
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●カンボジア歴史年表(一部:1991〜1998)

 第5号のMEMOで、1991年10月にパリ和平協定に調印して「一応」内戦終
結とは書きましたが、その後も政権争いで国内はやや荒れていたんですね。

 特に1997年の武力衝突は、カンボジアにいる日本人救出のために自衛隊機が
タイへ派遣されるほどの大きな戦闘でしたから、大変だっただろうな〜、と思
います。

 というわけで、その時代をやや理解するために簡単な年表にしてみました。
 2回の選挙がキーワードだと思うので、2回目の選挙までをまとめてありま
す。

 どぞ、ご参考に。

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▼1992〜1993.9 UNTAC時代【1993年:第1回選挙】

1992.3  UNTAC(国連カンボディア暫定機構)、活動を開始
1993.5  UNTACにより総選挙が実施される
   7.1 カンボジア暫定国民政府が発足
   9.24 立憲君主制のカンボジア新憲法公布。「カンボジア王国」発足。
     シアヌーク国王即位。シアヌーク国王、ラナリット殿下(フンシ
     ンペック党)を第1首相、フン・セン氏(人民党)を第2首相に
     任命。
     UNTACは任務終了。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
▼1993.9〜 カンボジア王国時代【1998年:第2回選挙】

1994.7  クメール・ルージュ非合法化法成立
1997.7  首都プノンペンにて、フン・セン第2首相率いる人民党とラナリッ
     ト殿下率いるフンシンペック党の二大政党系列の軍の間で武力衝突
     が発生。
     人民党勢力がカンボジア全土をほぼ制圧。
     ラナリット殿下、事実上国外追放となる。
   8  国会、ウン・フォト外相(フンシンペック党)を新第1首相に選出
1998.3  ラナリット殿下帰国
   4  カンボジア政府軍、クメール・ルージュ拠点を制圧。ポル・ポト死
     亡。
   7  カンボジア人により総選挙が実施される。
     第一党は人民党、以下フンシンペック党、サム・ランシー党と続く。
   11  ラナリット殿下は国会議長に、フン・セン氏は首相に就任。
     人民党・フンシンペック党連立与党によるフン・セン新政権が樹立
 

※このコーナーは不定期です。

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■ 編集後記

 はい、パブオン・リポートでした。

 パブオンは、中に入れなかったのが本当に残念でした。
 修復が完全に終わるのはいつだったかな? 入口の立て看板に書いてあった
と思います。
 まあ、また修復が終わった頃に行ければいいんですけどね。

 それではまた次号でお会いしましょう。

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