●:=: Angkor 5 days :=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=○

     ア ン コ ー ル 5 日 間 ★ 徒 然 日 記

 第21号 3日目の7――午後もジャヤヴァルマン七世の遺跡から/
              スラ・スランとバンテアイ・クディ の巻

                        発行責任者 ちはる
                        2001.10.29 発行
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§--< Attention! >-------------------------------------------------§
▼この日記は、ちはるが実際にアンコール・ワットのある町、シェムリアッ
 プでつけていた日記をもとに、加筆、修正、再構成したものです。
▼もしかしたら文中に、不適当な発言、あるいは間違った記述があるかもし
 れません。その場合はどうぞ容赦なくご指摘ください。ただし、旅の折々
 で胸の内に生じた感情については、あえてそのまま書いている場合もあり
 ます。どうぞご了承ください。
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 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥《アンコール遺跡群周辺図》‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

   北
   ↑
   ┼ 
   |         ┌―――――――――――――――――┐
   |         |┌┐┌――――――――┐┌―――┐|
       ┌―――――┘└┘└―…      └┘   ||タ・ソム
       |┌―――――――★―…       ★    ||★
   北大門→ ★     プリア・カン     ニャック  ||
 ■■■■■■||■■■■■■         ・ポアン   \\
 ■     ||     ■                 \\
 ■     |└――――――――――┐            ||
 ■バプオン |┌――┐┌―――――┐|            ||
 ■象のテラス||  || ■   |└―┐          ||
 ■など   ||  || ■   └―┐|     東メボン★||
 ■    ┌┘└┐ || ■     ||          |└―…
――――――┘┌┐└―┘└――――…  ||          |┌―…
――――――┐└┘┌―――――――…  ||          ||
 ■    └┐┌┘    ■     ||    プレ・ループ||
 ■ バイヨン||     ■     ||         ↓||
 ■     ||     ■     ||         ★||
 ■     ||     ■     |└――――――――――┘|
 ■     ||     ■     └―――――┐┌―――――┘
 ■■■■■■||■■■■■■          ☆||□□□
   南大門→ ★                 ↑||□□□
       ||        バンテアイ・クディ|| ↑
       ||■■■■■■           ||スラ・スラン(池)
       ||■┌――┐■           ||
―――――――┘|■| ◎ |■┌――――――――――┘|↑
―――――――┐|■└――┘■|┌――――――――――┘↑
 ←空港へ  ||■■■■■■||┌→→→→→→→→→→┘
       |└――――――┘|↑
       └―――┐┌―――┘↑ 今回の進路
           ||┌→→→┘
           ||↑
  シェムリアップへ↓||↑
           ||

※ 縮尺は適当です。どーみてもアンコールトムが大きすぎる・・・
※ ■は基本的に環濠を意味しています。
※ ◎はアンコール・ワットです。

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《2001年5月29日−7》

■ スラ・スラン[Sras Srang]

 3時半前、スラ・スラン到着。
 車を降りて、海岸沿いみたいなさらさらの砂をしきつめた駐車場を歩いてK
さんに連れられていくと、大きな長方形の池が見えた。おお〜、広いっ!

 この池がスラ・スランという遺跡だった。10世紀末に貯水池として造られ、
12世紀末にアンコール・トムを建造したジャヤヴァルマン七世によって護岸
などが整備されたとのこと。

 Kさんが、「『スラ』は池、『スラン』は水浴の意味です」と言う。
 もともとは王さまが水浴するための池だったんだそうな。
 ふうん、これ全部がお風呂だったわけか。でかい風呂だな。

 ガイドブックを見ると、スラ・スランの大きさは東西700メートル、南北
350メートルとなっている。
 しかしこの池、Kさんが「湧き水ではなく、雨水だけの池です」と言ってい
た。

 へーえ、こんな大きな池が雨水だけでできているのか。
 こうしてこの池を見る限りは、水が豊富な地方なんだなあ。

 わたしたちがいた池の西側には石造りのテラスが設けられていた。これも
12世紀末のジャヤヴァルマン七世製。
 テラスのふちにはナーガ(蛇)の胴体を模した太い欄干がめぐらされていた
が、壊れている個所の方が多かった。

 池の真ん中には、かつては石の建物があったんです、とKさんが説明してく
れた。でも、今は壊れてなくなってしまったそうだ。
 池の中央に遺跡かあ。安芸の宮島みたい。

 西のテラスに立って東を眺めると、池の対岸にはわずかな大地が見えるだけ
で、すぐに白と灰色の雲で覆われた空へと風景が変わってしまっている。

 広い。そして何もない。

 ああ、わたし、とっても遠くに来たんだな。

 左手の岸辺でドンドコドンドコにぎやかなお囃子の音がする。Kさんに聞い
たら、何やら仏教のお祭りをしているそうな。
 ふうん、どんなことをお祈りするお祭りなんだろう。

 詳しいことはわからなかったが、何かいいものみたな、という気分になった。

?

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■ バンテアイ・クディ[Banteay Kdei]

 「さあ、次の遺跡へ行きましょう」とKさんがスラ・スランに背を向けると、
スラ・スランの駐車場の向こうに四面尊像を頂上にのせた迫り出しアーチの門
が見えた。

 おう、次の遺跡はこんな近くにあったのか。

 この遺跡の名前はバンテアイ・クディ。
 Kさんが、「『バンテアイ』は砦、『クディ』はお坊さんの意味」と説明し
てくれる。
 昔は1万人近くのお坊さんが住んでいたそうな。ふうん、規模の大きい遺跡
なんだな。

 あんまりはっきりしないけど、いちおうジャヤヴァルマン七世によって12
世紀末頃に建造されたと考えられているそうな。

 さらにKさんは、「2ヶ月ほど前に、この遺跡を掘ったら仏像がたくさん見
つかったんですよ」と話してくれた。
 どうもヒンドゥー教徒に襲われて壊される前にと、お坊さんたちが仏像を埋
めた跡だったらしい。

 へええ、そんなことが。
 そういやそんな話、中国のどこかのお寺でもあったなあ。あれは文化大革命
で破壊されそうになった仏像を埋めたんだっけか?

 ちなみに帰国後調べたら、2001年3月に、バンテアイ・クディで上智大
学の発掘調査によって破壊された石仏が103体見つかった、とのことだった。

 ということは、わたしはまさに掘りたてほかほかの遺跡に行ってたんだな。
 行く前に知っていれば、もっと感慨深かっただろうに。残念。

 話を遺跡に戻す。

 遺跡の門へ向かう途中で、ぱらぱらと雨が降り出してきた。
 ああ、雨の降り出しそうな空だとは思っていたけど、ついに降ってきたか。

 わたしは傘を持ってこなかったが、どうせ片手にデジカメ、片手にメモを
持っていたから、傘を持つ余裕はない。
 頭に雨よけとしてクロマーをのせ(完璧農民スタイル)、ぬれるのも一興と
そのまま行く。

 門に近づくと、遠くからははっきりとしなかった四面尊像の表情がはっきり
くっきりと見えてくる。
 門をくぐると、裏の壁には大きなガルーダのレリーフがあった。午前中に見
たプリヤ・カンのガルーダも大きかったが、ここのガルーダも大きかった。

 門をぬけると眼前には森が広がる。その木立の間から遺跡が見える。
 ああ、かつて一度失われた遺跡って感じだ。

 雲の厚い空から、雷鳴が聞こえてきた。う、落ちないだろうな。

 ざあぁあぁっ、と激しい雨の降る音がする、と思ったが、わたしの頭や肩を
叩く雨はそれほど強くない。

 なんだ? と思って見上げたら、頭上の木々の葉が大きくゆれていた。ああ、
葉擦(はず)れの音か。ここの遺跡も木々が深い。

 その木々の間をぬけて遺跡の建物にようやく到着。

 午前中に見た最後のふたつの東メボンとプレ・ループは、ピラミッドのよう
に高さのある遺跡だったけど、ここは午前中に見たほかの遺跡、プリア・カン
やタ・ソムに似て、平面に建物が並べられている。

 建物の前には、スラ・スランと同じナーガの胴体でできた欄干をはりめぐら
せたテラスがある。
 欄干は、やはりほとんど落ちてしまっていたが、突端のナーガの頭部分や所
どころにすえられたシンハーはよく残っていた。

 建物の中に入る。すると、オレンジと金色の衣をまとった仏像がまつられて
いた。周囲にはきらきら光る紙でつくられた法輪塔のようなものがたくさん飾
られている。
 おお、アジア。

 しかし、塔門の上の四面尊像とはずいぶん顔が違うな・・・と思っていたら、
この仏像の頭はKさんいわく「ニセ物」なんだそうな。
 ふうん、頭だけ後世の作ってことかな?
 まあ、仏像を埋めて守らなきゃいけないような時代を経験しているお寺なん
だから、そのまま残っている仏像なんてほとんどないのだろう。

 建物内をどんどん進むと、この遺跡もかなり崩壊が進んでいることがわかる。
 あちらこちらに材木でつっかい棒がなされ、所によっては石を積み上げてで
きた円錐形の塔を、これ以上石組みがゆるまないようにヒモ(!)でしばりあ
げているところもある。
 はあー、必死だな。

 碁盤の目状に造られた遺跡の中でふと足を止めると、いつもなら合わせ鏡の
ようにはるかむこうまで続く門と壁が、この遺跡ではちょっと違う。
 というのも、壁そのものに歪みが出ていて、壁の一番端っこの方は、はがれ
たポスターのようにたわんで前に倒れてきているのだ。

 うわー、こりゃ地震がきたら一発で崩れるな。

 実際、崩落してくだけた石が、そこここに折り重なっていた。

 壁に彫られている美しいデヴァター像も、いつかああして崩れてしまうのだ
ろうか。

 歩いている内に、雨の降りが強くなってきた。しかし、建物はほとんど屋根
が落ちてしまっており、雨宿りはできない。

 雨は降るが気温は高い。
 だから、石と石の隙間の地面からは、熱気がぶわっとあがってくる。

 しかしその雨も、遺跡を西の端まで歩いたらやんでしまった。さすがスコール。
 空はすでに明るく、日もさしていた。

 遺跡の西にも木が多い。
 ふと木々を見上げると、木の上に落ちた種が育ったのだろうか、紫色の蘭の
花が咲いている。きれい。

 西の門には、地についた剣に両手を重ねておいた門番のレリーフがきれいに
残っていた。
 これだけ建物が崩れ、荒れ果てていても、いぜん門番はこの寺院を守りつづ
けているようだった。

                                おわり

?

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■ 編集後記

 はい、スラ・スランとバンテアイ・クディでした。

 スラ・スランも、けっこうお土産売りの子どもにまとわりつかれたような記
憶があるんですよね。
 でも、バンテアイ・クディに入ったら付いてこなかったのでほっとしました。

 バンテアイ・クディの、ヒモでくくった石塔というのは、見るとなかなか
ショックです。
 まさに、崩壊の速度に修復が追いつかない、という感じでした。

 それではまた次号でお会いしましょう。

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