『ソウル7日間徒然日記』 1999年7月7日(水)記


 
第3号


1日目の3――DDRでブチ切レ?/初めて見たソウルの巻

1999年8月31日(月)発行

 

■ チョンノ[鍾路:Chongno]


 スーツケースを必死で持ち上げながら地下鉄チョンノサンガ[鍾路3街]の階段を上っている時に、食べ物の匂いがどっと押し寄せてきたのは一瞬だった。何の匂いかは全然わからん。強いて言えば、お好み焼き屋の匂いだろうか?

 ようやく階段をのぼりきり、あー、やっと地上に出た、とほっと一息ついたのも束の間、はて、ここはどこだ? と思わずあたりを見回した。
 なんか、ふっと頭上を見上げたら、「西永福商店街」とか書かれたアーチ状の看板があってもおかしくないくらい、そこはごく普通の飲食店などがたち並ぶ細い通りの街角だったのだ。
 大通り沿いに出るものだとばかり想像していたので、この風景にはあれれ? という感じである。

 ざっと周囲を見渡したが、目印になるような建物もない。いや、築地の魚市場のようなコンクリの建物がすぐ目の前にそびえているが、建物の名前がわからない(後で知ったがこれは「ラクウォンサンガ:楽園商街」だった)。その他の店の看板も、ハングルばかりで見当がつかないし、道は微妙にカーブしていて、先を見通すことができないので何があるかわからないし・・・
 しまった。いきなり迷子か?

 とにかく、土地勘がない、というのは恐ろしいもので、この時のわたしはまるで、実験のために三半規管をぶっ壊されたあげく、迷路の中に突っ込まれたマウスのようだった。右も左も前も後も、まったく何があるのかわからないのだ。
 いつもの旅行なら、バスでホテルまで送ってもらえるので、そこそこ方向感覚もつく。だが、今回は地下鉄で来たため、わずかな方向感覚さえ培う余裕がなかったらしい。地図を出してはみたものの、何がなにやらさっぱりだった。

 うっひゃー、まいった、と思いつつ、ふっと視線を動かすと、地下鉄入り口のすぐそこにある食堂の店先で、白菜を包丁で切りながら大きなかめの中に放り込んでいる女性ふたりと目があった。あわてて目をそらすと、今度は違う店先で話をしている男性たちと目が合う。
 いかん。こんな所で立ちすくんでいる場合じゃない。とりあえず歩こう、と足を踏み出したものの、自分の行く手に何があるかなんて全然わからない。

 こりゃもうだめだ、人に訊ねたほうがいいかも。でも、何て訊ねればいいんだろう? YMCAホテルで通じるかなあ、などと考えながら(※中国ではX=エックスをアイクスと読むなど、同じアルファベットでも日本と読み方が違う文字があるため、もしかしたら韓国でも読みの違うアルファベットがあるかもしれないから、YMCAをそのまま日本語読みして、果たして通じるかどうか不安だったのです)ほとほと困り果てた時、地下鉄駅で見た地図を思い出した。
 そうだ、地下鉄駅を出たら、タプゴル公園方面に行けばよかったはず。タプゴル公園は地下鉄駅出口の南西にある。しかも今は午後5時近く。太陽も南西にあるはずだ。

 よっしゃあ、太陽に向かって歩けばいいんだ、と背後の上空にあった太陽に向き直り、がらがらと大きな音をたてながらスーツケースをひっぱって早足で進む。そして50mも行かないうちに、バスや自動車がびゅんびゅん走る大通りが見えてきた。んん? もしかすると、あれがチョンノじゃないか?
 やったあっ! やっぱりわたしの方向感覚は正しかった。

 わはは、わたしは人生に勝ったー!(笑)とわけのわからない歓声を心の中であげる。現在地がつかめたことでようやく安心し、まわりの街並みを眺める余裕もでてきた。

 お、いきなりドトール発見。もしかしたらソウルにも珈琲館あるのかな?。
※Attention! ドトールと同じ系列である珈琲館は、上海・台湾などにも「眞鍋(MANABE)」と名前を変えて出店しています)
 あ、セブンイレブンだ。道の向こうにはファミリーマートもある。ふうん、コンビニには不自由しなさそうだ。

 わずか200mほどの距離を歩いただけで、見慣れたチェーン店が3つも見つかるなんて、やっぱりソウルはいままで訪れたどの街とも違うなあ、と認識をあらたにし、道はチョンノへと出る。おお、広い。本当に大通りだ。

 片道3車線から4車線ほどあっただろうか。バス、タクシー、普通の自動車、それにバイクががんがん走っている。通りの向こう側にはだーっとビルが建ち並び、白いハングルの書かれた赤や濃紺の看板があちらこちらに掲げられている。人も多い。どちらかというと、ビジネスマンよりも学校帰りの学生のような若い人が目立つ。

 ソウルといえばミョンドン[明洞:Myongdong]が有名だと思うけど、このチョンノもどうやら繁華街のようだ。
 大きな通りであることは地図を見ていたので知っていたけれど、てっきり東京の市ケ谷や飯田橋付近の外堀通りのような、車は多いけど歩いている人はあまりいないオフィス街みたいな所かな、と勝手な想像をしていたわたしは、チョンノのにぎわいぶりに面食らった。これじゃあまるで、新宿東口の大通り、もしくは道幅の広いセンター街に出たみたいだよ。

 そんな繁華街を、わたしは片手に地図を持ち、もう片方の手でスーツケースを引きずりながら歩いて行く。うう、これじゃまるで、地方から出てきたばっかりの田舎者みたいじゃないか。なんか、というか、けっこう恥ずかしいぞ。

 まあ、恥ずかしかろうが何だろうが、まずはホテルを探さなくちゃ。
 道路標識のハングルをむんっと気合いを込めて読んで、自分がサミルノ[三一路:Samilno]方面に向かっていることを確認し、さらにチョンノを西へ進む。やがて右手にお寺の門のようなものが見えてきた。ものすごい数の人がたむろしている。ああ、ここがタプゴル公園なのか。

 タプゴル公園前を通り過ぎて、サミルノを渡ったあたりから、歩道に屋台と日本でも見慣れた店が増えてきた。
 ああ、バーガーキングがある。マクドナルドがある。ダンキンドーナツにサーティーワンアイスクリームがある。おお、タワーレコードもあるぞ。

 こんな風についファーストフードなどを目で探してしまうのは、世界的チェーン店がまだまだ珍しい中国に行った時のくせなわけなんだけど、このチョンノでそれをやるのはけっこうつらかった。なぜなら、次から次へと絶え間なく出現してくるからだ。記憶へのインプットがとてもじゃないけど間に合わない。

 そしてついに、自分が歩いている歩道沿いのゲームセンターの店先で、大学生くらいの若い男性が、まわりを多くのをギャラリーに囲まれつつ、コナミのDDR(Dance Dance Revolutionというダンスゲーム)に興じている姿を見た瞬間にぶちーっときた。

 だめだ。
 だめだ、だめだ、だめだっ!
 もー、だめだっ!

 よくわからないけど、そう思った。とにかく、この街でファーストフードやコンビニの数をかぞえるのはむだなことだと思えた。
 というわけで、この後は見慣れたファーストフードなどを見かけてもウハウハしないように心がけた。中国のように少なければ見つけるのも楽しみのひとつだが、こんなにたくさんあるんじゃあまり意味がない。

 西日をまともに正面から受けながら、YMCAホテルを探して歩き続ける。あ、またセブンイレブンがある、と思ってふっと視線を上げると、あったあった、YMCAの文字。さすがにハングルばかりの看板の中でアルファベットは目立つ。
 それにしても、ほぼ真下がコンビニか。こりゃ便利な立地じゃん。
 

 


  

 

■ YMCAホテル


 待ち合わせスポットになっていのか、大勢の若者たちが人待ち顔で立つ入り口を抜け、ビルの中に入る。後で知ったのだが、ここはYMCAが経営している語学学校が5F以下のフロアに入っているのだ。どうりでいつも入り口付近が学生らしき若者たちでにぎわっていたはずである。

 フロントが6Fにあるというのは、すでにガイドブックでチェック済み。迷わずエレベータの前に行き、2機ある内の宿泊客専用のエレベーターに乗って昇る。
 やや固い動きでエレベーターが止まり、ドアが開くと、すぐ正面にフロントのカウンターがあった。
 フロントのロビーはさほど広くはない。足元はえんじ色のカーペット。フロント左側には皮張りのソファやテレビ、公衆電話、飲み物の自動販売機なんかが置いてあって、なんとなく日本の地方にある、こじんまりとした温泉ホテルのロビーを思わせる。

 エレベーターを降りると、カウンターの向こうにいた従業員の男の人と目が合った。
 さあ、何て話しかけよう、と思ったが、とっさに出てきたのはやはり日本語。「こんにちは、日本から予約してきた者ですけど」だった(笑)。

 でも、フロントの人はそれで全然OKで、「じゃあ、こちらに記入してください」と宿泊カードを出しながら、あっさり日本語で応対してくれた。
 ああ、ありがたい。日本語が通じるー。

 たぶんこの時接客してくれた男性が、国際電話で予約した時にも応対してくれた人だったと思う。ちょっとそっけない感じがするけど、丁寧に宿泊カードの書き方を教えてくれた。

 カードを書き終わると、別の男性が部屋まで案内してくれる。
 この男性も日本語が話せるらしくて、部屋に着いた後、客室内の設備の説明をしてくれた。

 だが、なぜ君、そんな逃げるようにして部屋を出て行く?

 どうも、わたしがスーツケースを運んでもらったお礼にチップを渡そうとしているのを敏感に察知したらしい。
 差し出されたら断るのが大変、とでもいうように彼は逃げていった。
 そうか、このホテルではチップはいらないのか。

 ちなみにこの後、自分の部屋の内側のドアを見たら、避難経路とともにこの部屋の宿泊料金が明示されていて、部屋代・サービス料・税金込みでW38,000(約4,086円)と書かれていた(韓国語、英語、日本語で表記あり)。
 なるほど、サービス料込みだからチップはいらんのだな。明快で助かる。
※Attention! これはYMCAホテルでの話です。高級ホテルはわかりません  のちに判明しましたが、韓国にチップの習慣はないそうです。チップはいりません、と書かれた貼り紙があるほどだそうです)

 従業員の男性が出て行った後、あらためて部屋の中をぐるりと見回す。
 色々なガイドブックで、YMCAホテルはかなり老朽化が目立つ、と書かれていたが、まあ確かに冷蔵庫にさびが浮いてたりして古びているけど、清潔感はある。以前仕事で泊まった地方の古いビジネスホテルみたいだ。エアコン、テレビ、バスタブ、シャワーと宿泊に必要なものは全部揃っているので不便はなかろう。

 しかし、しまった。バスルームにシャンプーや歯ブラシセットがない。
 そういや韓国のホテルはそういったアメニティグッズを置かないんだっけ。忘れてた。
 さいわい、歯ブラシは持参してたし、せっけんだけはバスルームに置いてあったのでよいとしても、シャンプーとリンスは買いに行かなきゃな。

 テレビはなつかしいダイヤル式チャンネルで、全部で4チャンネルくらい入るようだった。
 だけど・・・がーん。衛星放送が入らない。ということは、日本のNHKBSも見られないということか。
 海外旅行に行った時は、夜は疲れた身体を休めつつ、衛星放送で見るNHKBSだけが心の支えだったのに。

 連れがいない今回の旅行、これはなかなかショックだった。

おわり 

 

 今回の韓国MEMO  

三・一運動(サミルンドン[Samil‐Undong])


 三・一運動とは、1919年3月1日に始まった反日独立運動です。


 1910年8月22日、大韓帝国と大日本帝国の間で日韓併合条約が調印され、大韓帝国は日本に統治されることに(つまり植民地に)なりました。

[※注 上記のように書くと、まるで今時の条約ように、平和で穏やかなムードの内に「日韓併合条約」が結ばれたような印象を与えますが、現実にはこの時点ではすでに日本軍がソウルに駐屯しており、大韓帝国側はまさに喉元に銃剣を押し当てられたような状況下で、日本に条約への調印を求められたのでした。
また、この条約はいきなり出てきて結ばれたのではなく、1904年ごろから日本はさまざまな協約を韓国に提示し、大韓帝国の外交権を奪い、内政権を奪い、軍隊を解散させ、最終的に「日韓併合条約」が出てきたのです]

 しかし条約調印後も、独立運動は続けられます。
 国外では、第一次世界大戦終結後にパリで行なわれた講和会議に、上海の新韓青年党のメンバーなどが派遣されたり、国内では宗教会を中心に、学生・教師らが独立運動を計画していました。

 そして1919年2月8日、日本に留学していた学生たちが、東京で独立宣言(二・八独立宣言)を発表します。

 続いて3月1日には、ソン・ビョンヒ(孫秉煕)、イ・スンフン(李承薫)、ハン・ヨンウン(韓龍雲)、チェ・ナムソン(崔南善)以下33名が共同で起草した独立宣言文が、インサドン[仁寺洞]のテファグァン[泰和館]で朗読され、独立を国内外に宣言します。

 それとほぼ時を同じくして、パゴダ公園(現タプゴル公園)では高宗(大韓帝国第27代皇帝)の葬儀に参列しようとしていた数千名の人々の前でこの独立宣言文が発表され、これをきっかけに「独立万歳」を叫ぶ市民が、チョンノ[鍾路]やクワァンファムン[光化門]、トクスグン[徳寿宮]前など、ソウル市内中でデモや集会を始めました。

 また、この独立宣言書は密かに2万枚印刷されて全国に送られており、ソウルと同時に地方の主要都市においても独立運動が始まりました。
 これを三・一運動と言います。

 この運動に対して、日本は軍隊などを緊急出動させ、徹底的に弾圧します。最終的には死者7,509人、負傷者15,961人、逮捕者46,948人を出しました(注1)。


 今回わたしは地下鉄駅からホテルに向かう途中、サミルノ[三一路]を通りましたが、これはその名の通り、三・一運動にちなんでいます。
 ですから実は、パゴダ公園やチョンノなど、近代史に縁(ゆかり)深い場所を通っていたんですね。もっとも、ソウル市内中が縁深い場所なんでしょうけど。
 いちおうこれは知識としては持っていましたが、実際に歩いている時には街並を眺めるのに夢中で、思い出すどころではなかったです(^ ^;)。

 ちなみに、最近の8月13日に放送されたNHKスペシャル「日本と韓国新時代への模索」という番組の中で紹介されていた内容によりますと、この三・一運動を知っている高校生は、韓国で100%、日本で49%でした。
 日本の大人はどうかな?

 

参考文献:

『朝鮮の歴史』 朝鮮史研究会=編 三省堂

『韓国の歴史』(国定韓国高等学校歴史教科書)
  チョ・チャンスン(チョ昌淳)、ソン・ヨノク(宋連玉)=訳 明石書店

『韓国の歴史』
  キム・ヤンキ(金両基)=監修 カン・ドクサン(姜徳相)、チョン・ソ  ンミョ(鄭早苗)、中山清隆=編  河出書房出版

『新版 韓国・朝鮮を知るための55章』
  井上秀雄、チョン・ソンミョ(鄭早苗)=著  明石書店

(注1)この数字は、パク・ウンシク(朴殷植)著『韓国独立運動之血史』の記述によっています。文献によって、多少違いがあるようです。まあ、数が違うからって、そういう事実はなかった、ということにはならないのは当然のことですけどね。

※このコーナーは不定期です。

 

 今回のおこづかい帳  


今回はなし

今回の小計:W0
支払い総計:W600(約65円)+34,591円

(※レートは1999年7月当時、¥100=W930で計算しています)

 

 編集後記 


 はい、今回は主にチョンノ&YMCAホテルリポートでした。いかがでしたでしょうか?

 実はYMCAホテルで日本語が通じるのは日本で確認済みでした。というのも、ガイドブックに日本語が通じると書いてあったので、思い切って国際電話で宿泊の予約をしていたんです。

 まあ、その時も、「確か韓国語で『もしもし』って『ヨボセヨ』っていうんだよな。それくらい聞き取れるかなあ」なんて考えてつつ、ドキドキしながら国際電話をかけたのですが、いざ電話がつながった時にはなーんにも聞き取れませんでした(笑)。
 一般家庭じゃないんだから、当然といえば当然ですね。たぶん、「はい、毎度ありがとうございます。YMCAホテルです」とか何とか言ってたんじゃないでしょうか(毎度ありがとうはないか)。

 そしていきなり韓国語の嵐に巻き込まれたわたしは、「すみません、日本語を話せる方はいらっしゃいますか?」と恥も外聞もなく速攻泣き付いたのでした(笑)。さいわいちょうど日本語を話せるスタッフの方がいたので助かりましたけど。

 細かい話になっちゃいますが、この予約にかかった通話時間と費用は、KONISHIKIが宣伝していた国際電話で平日午後7時以降に2分11秒かけて、198円でした。
 旅行代理店に依頼して、ダブルやツインの部屋を無理やりひとりで利用させられることを考えれば、ダンチ(段違い)で安いのではないでしょうかね。

 ではまた次号でお会いしましょう。

 


1日目の1――出発っ! はじめてのおつかい、ならぬ
                    はじめての海外ひとり旅の巻

1日目の2――何ごとっ!? 地下鉄車内で大演説! の巻

1日目の3――DDRでブチ切レ?/初めて見たソウルの巻

1日目の4――やっぱ夏はこれでしょう♪/韓国産ビールの巻

1日目の5――伝統茶院でくつろぎの一服の巻

1日目の6――そりゃあ早すぎるんでないかい?/ソウルで映画を の巻

2日目

3日目

4日目

5日目

6日目

7日目

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