『ソウル7日間徒然日記』 1999年7月8日(木)記


 
第9号


2日目の3――キムパで休憩/国立中央博物館・後編の巻

1999年9月16日(木)発行

 

■ クンニプ・チュンアン・パンムルグァン[国立中央博物館]:地下

 
 さあ、今度こそ地下へ。仏像展示室だ(正確な名前ではないです)。

 最初の展示室は小さな仏像がメイン。真っ先に目に入ってくるのが、入り口正面一番奥に展示された弥勒の半跏思惟像。
 あった、あれだっ! 京都の広隆寺にある弥勒とそっくりだっていうの。
 いやー、これを見るために、わたしはこの博物館に来たんだって。

 ううん、不思議な微笑だ。
 細すぎてアンバランスな感じもするが、この仏像の持つ独特な雰囲気にはぴったりだ。
 でもここのは、鉄製なんだな。日本のは漆塗りがはげて(昔は金色だったそうな)、いまでは木目の鮮やかな像になっているけど。
※Web版Attention! 鉄製ではなく、正確には金銅製でした(^ ^;;))

 今回の旅行の目的のひとつをじっくり堪能し、満足したところで別の展示にも目を向ける。
 イシ・チョソン[李氏朝鮮]時代の、「水鐘寺石塔内発見金銅仏像群」という説明のついた3頭身の仏像たちも、お雛さまみたいでかわいかったな。

 この部屋のとなりにはもうひとつ仏像用の展示室がある。広く、天井が高く、んで薄暗い。展示物の保護のためだろうか? 
 壁ぎわに沿って並べられた仏像を見ながら、ああ、やっぱり石で作られた仏像はいいなあ、と思う。トンイル・シルラ[統一新羅]時代の、白い石でできた毘慮舎那仏がとくにきれいだった。

 それにしても、意外に鉄でできた仏像も多かった。傷がついたところがさびているので、すぐそれとわかるのだが、日本に鉄製の仏像なんてあったかなあ。とりあえずわたしには思い出せなかった。

 仏像の展示室を出ると、隣には鉄器の部屋があった。歩き疲れてしまっていたので、あまり真剣に見るつもりはなかったんだけど、鉄製の舎利や梵鐘、密教具などの仏教関連グッズが多く、けっこうしっかり見てしまった。
 韓国の鉄文化が非常に優れていることを、解説テープが何度も何度も強調している。
 うん、確かにこれはすごいや。
 韓国が鉄文化の国だなんて、正直いってここに来るまで知らなかったけど、まあ考えてみれば、お箸も鉄の国だもんね。

 売っていたら買いたくなるくらい美しい銀・金・水晶製の舎利容器や、やはりわたしを「うおー、ほしいー!」とうならせたマッチ箱くらいの大きさのミニお経&匣(はこ)、素晴らしい造りの独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵などをじっくりと見て展示室を出た。

 


 

 

■ 博物館:1階、休憩

 
 ちょうどこの頃12時。
 朝は全然食欲がなかったので食べなかったが、さすがにお腹が空いた。しかし、だからといって博物館を出てソウルの街中にお昼を食べにいくのも面倒である。
 博物館の中に何かないのかな? と思って館内案内を見たら、1階にレスト・エリア(Rest Area)なる部屋がある。試しに行ってみると、お土産屋さんコーナーの横に、テーブルと椅子がずらりと並べられた、簡単な食事もできる部屋があった。おお、助かる。

 日本人の利用も多いのだろう。ガラス張りの入り口の壁には、日本語で「うどん W2,000(約215円)」とか、「キムチうどん W2,500(約269円)」、「コーヒー、アイスコーヒー W2,000(前出)」などのメニューが紙に書かれて貼られている。
 店内にはサンドウィッチやハンバーガーなども用意されていた。

 日本に比べるとやけに安いなあ、と疑問に思いつつも、うどんでも食べるか、と中に入ったのだが、従業員がいるカウンターの上にキムパ[kim‐bap]が置かれているのが目に入る。おお、これは韓国に来たら食べてみようと思ってたもののひとつではないか。

 キムパとは、キム[kim]=海苔(のり)、バ(ッ)[pap(語中なのでbapと発音)]=ごはんの意味で、いわゆる日本の海苔巻きのような食べ物だそうである。
※Attention! 韓国語の発音をカタカナで書くのが難しいので、ガイドブックでは「キンパ」とか「キムパプ」とか、いろいろな表記があります。わたしもどれにしていいのかわかりませんので、とりあえずここでは「キムパ」にしときます)

 これはぜひ試すべきでしょう、というわけで、コンビニで売られているお寿司のように、白い発泡スチロールのトレイにのせられ、ラップで包装をされたキムパ(W2,000)(約215円)をカウンターに置き、さらに飲み物も頼む。寿司にコーヒーもなかろう、と思ったが、どうしても飲みたかったのでアイスコーヒー(値段は上記参照)にする。

 一瞬、アイスコーヒーで通じるのか? と考えたが、思い切り日本語発音の「アイスコーヒー」で通じた。
 ふうん、韓国語ではF音がP音に変わってしまうことがままあるので、コーヒー[coffee]は「コピ[k'op'i]」になっちゃうって聞いたことがあるけど、一応通じるんだな。それとも、わたしを含めてそう言う日本人が多いからかな?

 何にせよ無事注文と会計を終え、トレイにキムパと紙コップ入りのアイスコーヒーをのせてもらってから席に移る。店内には、わたし以外にはまだ客はいなかった。

 さて、キムパ。直径はほぼ日本の太巻きと同じくらいだけれど、厚さは日本の太巻の半分くらいで、ちょっと薄めにスライスされている。
 中に入っている具は、にんじん、卵、きゅうり、ハム、ごぼうと彩り鮮やか。一見日本のものと似ているような気がするが、よくよく考えるとちょっと違う。
 味の方は、そもそもが酢飯を使っていないので全然違った。それに、触ると少し油っぽくて、口の中に入れると、今度は香ばしい良い匂いがする。
 ごま油でも使っているのかな? と思っていたが、後でガイドブックを見たら、ごはんそのものにごま油を混ぜたり、海苔に塩入りのごま油を塗ったりしているのだそうな。どうりで。
 でも、油っこいということは全然なくて、海苔の風味とよく合っていた。食が進む。
 見た目は日本の海苔巻きによく似ているけど、これはもう純粋な韓国料理なのだな。
 ちなみにつけあわせには、巨大なたくあんが2切れほどついていた。

 

 

 このキムパはその後、街中のあちこちの飲食店の店先で、作りたてを売っているのを見かけた。中に入っている具も店によってまちまちで、店ごとにウリがあるんだろうなあ、などと思った。

 食事をしつつ休憩、日記書き。そこそこ人が入ってくる。
 30分ほど休んだ後、他の展示室も見に行くか、と席を立つ。ゴミはどこに捨てるんだろう、と思って見回していたら、カウンターにいた男性従業員が、あそこ、あそこ、と入り口近くに置かれた青い大きなポリバケツを指さして教えてくれた。うん、うん、とうなずき返し、ゴミを捨ててから地下の歴史資料展示室へ。見なかったことを後悔しないようにと、ざーっと見て回る。

 古地図があった。韓国のものばかりでなく、中国や沖縄のものもあって、へえー、と思う。
 お金のコーナーもある。貧乏人、当然はりついて見る。長方形の枠の中に、お金が縦横にきっちり並べられ、プラモデルの部品のように固定されているものがあった。「別銭」というそうな。ORNAMENTAL COINS[装飾用コイン]となっていたから、実用ではないらしい。んー、確かに壁にかけておくとよさそうだ。

 その他、朝鮮通信使の説明コーナーもあった。日本ではあまり取り上げられないけど、こちらでは博物館に資料が展示されているんだな。

 あとは1階も含めて焼き物ばかりなので、ごっそり見学は割愛する。
 もうだめだ。これ以上は身体がもたん。普段、コンピューターの前にずっと座りっぱなしで仕事をしているわたしには、そろそろ体力の限界だった。

 2階に戻って、受け付けで音声ガイドと引き替えにパスポートを返してもらい、久しぶりに外に出る。朝と違って、空はちょっと曇っていた。まあ、外を歩き回るにはちょうどいい。
 さて、次はキョンボックン[景福宮:Kyongbokkung]に行ってみるか。

おわり 

 

 

 今回のMEMO  

 
朝鮮通信使
    [チョソン・トンシンサ:Choson‐t'ongsinsa]

 

 江戸時代の日本は鎖国していましたので、当時交流のあった外国というと、長崎の出島で貿易をしていたオランダくらいしかなかなか思いつかないかもしれませんが、その鎖国状態の日本で、徳川幕府と唯一正式に外交関係を結んでいた外国の人々がいます。それが、この朝鮮通信使です。


 13世紀の初め頃(日本の平安時代終わり頃)から、当時の韓国・中国は、沿海地方を荒らす倭寇(日本の海賊)の被害に悩まされていました。
 そして15世紀に入ってから、イシ・チョソン[李氏朝鮮]は倭寇の取締まりを日本に要請し、足利政権と国交を結びました。これをきっかけに1404年、足利義満は「日本国王源道義」としてイシ・チョソンに使者を送って倭寇の取り締まりを約束します。これらの経緯により、日本とイシ・チョソンの間で、日本国王使、朝鮮通信使を互いに派遣しあう外交が始まりました。
※Attention! 当時のこの外交関係を、日本側の書籍では「ともに明(当時の中国)の冊封(臣下として認め、封じること)を受けた国として、対等な関係であった」としていますが、韓国側の書籍を見ると、日本に「朝貢貿易を許可した」と書かれており、ちょっと見解が違うみたいです。ただし、わたしが読んだ本の中では、です)

 こうして始まった外交は、秀吉の朝鮮侵略の時期を除いて、1867年までおよそ460年間続きます。1404年から1568年(だいたい室町時代)の164年間の間では、その回数は60回以上におよびました。

 秀吉が起こした戦争が終わり、日本が徳川政権に変わった後の1605年、徳川幕府はイシ・チョソンとのあいだで講和条約を結び、秀吉のために断絶していた国交が、これで修復されました。

 一番最初の使者がやってきたのは、1607年、修好回復のためでした。
 これを含めて、江戸時代には1811年までの200年の間に合計12回、徳川家の将軍の代替りなどに、イシ・チョソンから祝いの使者が派遣されたのですけど、正確には、最初の3回は「回礼兼刷還使」といい、戦後処理のための使節で、後の9回が「通信使」となります。
 1回にやってくる使節の数は、少なくても300人、多いときには500人を越えたそうです。

 日本の学者たちは通信使の宿舎を訪れ、中国やイシ・チョソンの話を聞いたそうです。この日本の訪問者はひっきりなしだったようで、「食事をする間もない」と通信使のひとりである学者、シン・ユハンは書き残しています(大変そう・・・(^ ^;))。

 また、この朝鮮通信使は、学者や幕府の人々に限らず、一般の人々にとっても、とても関心・興味のあるものだったのでしょうね。当時のお江戸日本橋を行列する通信使を、沿道に並んだ庶民が物見高く眺めているという構図の浮世絵が、現在も残っています(神戸市立博物館蔵)。

 

参考文献:(参考にした文章が多い順)
・『知っておきたい韓国朝鮮』 歴史教育者協議会=編集 青木書店
・『韓国の歴史』(国定韓国高等学校歴史教科書)
  チョ・チャンスン(チョ昌淳)、ソン・ヨノク(宋連玉)=訳 明石書店
・『新版 韓国・朝鮮を知るための55章』
  井上秀雄、チョン・ソンミョ(鄭早苗)=著  明石書店

 

 今回のおこづかい帳  

 
    キムパ:W2,000
アイスコーヒー:W2,000

今回の小計:W4,000
支払い総計:W19,100(約2,054円)+34,591円

(※レートは1999年7月当時、¥100=W930で計算しています)

 

 編集後記 

 
 クンニプ・チュンアン・パンムルグァン[国立中央博物館]リポート、後編でした。いかがでしたでしょうか?
 体力が続かず、半分くらい見ることができませんでした。もったいなかったです。やはり、博物館見学というのは余裕をもって、2日くらいに分けて行かないとだめなんですね。

 1階は本当に焼き物onlyなので、きっとお好きな方にはたまらないでしょう。わたしも歴史資料が展示してあるコーナーの隣りに、個人名を冠したコレクションのコーナーがあって、そこをちょっとだけのぞいたのですが、桃の形をした水滴(硯に水を足すための器)は、透き通るような青みがかった白い肌がたまらなくきれいでした。博物館内のお土産やさんにレプリカが売っていれば買って行きたかったのですが、残念ながらなかったです。惜しい。

 それでは、また来週、次号でお会いしましょう。

 


 

★Special Thanks!★

 今回「キムパ」に関しては、ユン・ドクジュウさんが『まぐまぐ』から発行しているメールマガジン、「韓国、何でもQ&A」のNo.26のQ2から一部テキストを引用させていただきました。ありがとうございました。
(「韓国、何でもQ&A」のマガジンIDは「0000006657」です)

 


2日目の1――貧乏人は今回の旅行でも歩いてます/
                    歩け、歩け! ソウル!! の巻

2日目の2――見どころ満載/国立中央博物館・前編の巻

2日目の3――キムパで休憩/国立中央博物館・後編の巻

2日目の4――いろいろ気付かぬにぶい自分を反省/クァンファムン前にて、の巻

2日目の5――そこにはいまでも花が手向けられていた/キョンボックンの巻

2日目の6――チャジャンミョンとはなんぞや?/ソウル、そぞろ歩きの巻

2日目の7――本屋はパラダイス! Part2/本屋さんめぐりの巻

2日目の8――韓国料理が目白押し/白花酒幕の巻

2日目の9――白花酒幕で夜は更けて/日韓話題あれこれの巻

2日目の10――オープン・カフェでパッビンスの巻

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