|
第26号 | |
|
4日目の3――ソウルで仏像三昧/ガンダーラ展の巻 | |
|
| |
|
■ ガンダーラ展 | |
|
どうしよう、とうろうろしていると、壁の所どころに英文が何行か書いてあるだけの白い紙が貼ってある。 その案内に沿って階段を昇ると、(確か)オペラハウスと書かれた建物が目の前にそびえたち、その前に広場があった。大きなテントを張ったオープン・カフェみたいな軽食屋の出店が出ていたが、先程まで雨が降っていたので商売しづらそう。お客さんの数よりも、従業員の方が多い。 そしてその広場の片隅に、ガンダーラ展のポスターを貼ったチケット売り場を発見。さっそく買いに行く。大人ひとりW8,000(約860円)。
![]() ガンダーラ展の入場券。めずらしく(?)漢字入り
このチケット売り場の右手に美術館はあった。ガラスの扉を押して中に入る。 ガンダーラ展は上の階でやっているらしい。階段を昇って、お客さんを待ちかまえていたスーツ着用の男女ふたりのもぎり係にチケットをもぎってもらい中へ。 展示室内に入ると、全体的には照明をおさえ、展示してある仏像やレリーフなどだけに照明を強く当てていた。 でも仏像の名前の方は、ちょっとだけハングルを読んでみた。 お釈迦さまの生涯を描いた仏伝図の方は、まあこちらは英語の説明がなくても、マーヤー夫人の脇腹から太子が生まれた場面や、立っている太子が水をかけられている場面、樹下で瞑想している場面と、見ただけで意味はわかる問題なし。 エアコンの効いた室内に人影は少ない。 灰色の作務衣(さむえ)のような服を着ている、男2人女2人で合計4人組みのお坊さんもいた。あれこれとおしゃべりしながら見学している。にぎやかだ。 展示会場は2階に分かれていて、階段を使って移動する。 一番最後には、すべての展示物の画像を焼いたCD−Rを売っていた。それに4人組みのお坊さんが群がっていた。買っていってお寺で見るのかな? さて、展示内容で何が一番良かったか? と訊かれれば、迷わず入り口付近にあった柔和な顔の弥勒と威風堂々とした菩薩の立像(りゅうぞう)と答えるが(どっちも顔は濃いけど)、後でよく日記を読み返したら、弥勒の方は「Stanging
Maitraya」となっているので問題ないけど、それともうひとつ「Seated
Bodhisattva」というメモが残っていて、どうやら菩薩の方は立像じゃなかったらしい(^
^;)。 日記を書かなかったら、行った記憶すら残っていないんじゃなかろうか?
| |
|
■ 休憩所 | |
|
商品構成はクンニプ・チュンアン・パンムルグァン[国立中央博物館]の休憩所とほぼ同じ。 座席の方は、4人用のテーブルが5×3列で合計15個くらいあったと思う。先客はふたりだけ。 Why? なんでこんなに席が空いているのに、わざわざわたしの隣りに座るんだ? 普通こういう時って、間隔開けて席に着くもんじゃない? しかしこのお坊さんたち、椅子の上に足を投げ出したり、ケータイ(携帯電話)で大声で電話したり、売店で売っていたお菓子を食い散らかしたりと(もちろん買った後に)、なんだかやたらに庶民くさい。どうも日本のお坊さんとは何かが違う気がする。 食事を終えて席を立ち、この休憩所のすぐ隣にある売店をのぞいてみる。
| |
|
■ オペラハウス | |
|
美術館を出るとすぐ左手に丸い建物がある。オペラハウス、と入り口に書いてあったと思う。この時は、ここで何をやっていたんだっけな? ためしに中に入ってみる。天井が高く、中2階にカフェがあったりと造りがこっている。 階段を昇って上の階に行ってみると、小さなお店がいくつも集まっているフロアがあった。 このフロアの奥には、ロッテデパートの地下にあるような(あるいはダイエーにあるような)、簡単な食事のできる軽食屋もあった。けっこう席はうまっていた。 他に見るところもないので外に出る。 この建物のさらに奥に国立国楽院があるんだよなー、と思いつつ先に進んでいったら、「ここで行き止まり」といわんばかりの土手と、その上にそびえ立つ工事中の現場を囲っている壁に行く手を阻まれてしまった。どうやらこの先に道はない様子。 あれ? 国立国楽院はどこだ? おわり
| |
|
■ 今回の仏像MEMO ■ | |
|
●ガンダーラと仏教・仏教美術 | |
|
◆ ◆ ◆
仏教は紀元前6世紀〜5世紀頃、東インドで興隆しましたが(諸説ある)、それにともなう「仏教文化」が発生したのは、さらにそれから2〜300年後、紀元前3〜1世紀頃といわれています(これも諸説ある)。 仏教美術の作品にはいろいろな種類のものがありますが、古代インドにおいては、仏陀の生涯などの仏教的図像を描いたレリーフ(浮き彫り)が主でした。 これは、古代インドの人々が、仏陀の像を作ることを良しとしなかったためです(畏れ多いからだったかな?)。 よってこの時代には、そのものずばりの「仏像」が造られることもありませんでした。 ではなぜ仏像が造られるようになったかというと、クシャン族の仏教徒たちが人間の形をした仏像を必要としたからです。 クシャン族(大月氏)とは、中央アジアからインド亜大陸の大半を征服し、クシャン朝を建てたイラン系の遊牧民です。紀元前1世紀頃には、現在のパキスタン西北部にあるガンダーラ地方を征服しています。 このクシャン族の人々は、もともとは拝火教(ゾロアスター教)に近い宗教を信仰していました。 そこでクシャン族のもとへ仏教の布教に来た仏教徒たちは、「生前の善行が不十分であっても、お布施によってお釈迦さまの功徳の一部を分けてもらえば極楽へ行ける」と説き、クシャン族の人々を仏教へと改宗させていきます。 そしてまたこのクシャン族の人々は、自らの王の姿を像に刻んで飾る(奉る)ことによって、その力に自分たちが守られると考えていましたので、当然仏教を信仰するようになった人々は、仏陀の姿を刻んだ像を身近に置くことを求めました。 こうした理由により、初期の仏像というのは、インド文化圏よりもイラン文化圏の影響が強いわけです。 また、ガンダーラ地方には、アレキサンダー大王と共に東征したギリシア人が樹立したグレコ・バクトリア王国によってヘレニズム美術が、クシャン朝とローマ帝国東部(エジプト)との海上貿易を通じてローマ美術がもたらされました。 純インド的であるだけでは、世界的に普及していくのが難しかったであろう仏教美術(と仏教そのもの)は、このようにガンダーラ地方において様々な文化の影響を受けたことによって、世界中へと拡がっていったのでした。
参考文献:
※このコーナーは突発です。
| |
|
■ 今回のおこづかい帳 ■ | |
|
●今回の小計:W12,000 (※レートは1999年7月当時、¥100=W930で計算しています)
| |
|
■ 編集後記 ■ | |
|
この間、上野にある東京都美術館でやっている「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」という美術展に行ってきまして、やはりガンダーラ仏や仏伝図のレリーフが何点か展示されていたのですけど、「どうみてもこれ、ソウルで見てきたやつだよなあ」と思われるものもいくつかありました。きっと、世界中をぐるぐる回っている仏像もあるんでしょうね。 それではまた、次号でお会いしましょう。
|
|
4日目の1――音声ガイドとボケ&ツッコミ/国立民族博物館の巻 | ||||||
|
4日目の2――あれは何? あぶられた丸い和紙の巻 | ||||||
|
4日目の3――ソウルで仏像三昧/ガンダーラ展の巻 | ||||||
|
4日目の4――やったね、タダだ!/国楽博物館の巻 | ||||||
|
4日目の5――パーカッションのリズムに感動/伝統芸能鑑賞の巻 | ||||||
|
4日目の6――MISSION−「N」の巻 | ||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|