『ソウル7日間徒然日記』 1999年7月11日(日)記


 
第31号


5日目の2――大迷走チャンギョングン[昌慶宮]の巻

1999年12月8日(水)発行

 

■ 出口がないっ!?

 
 車がばんばん往来する道路の上にかかる橋を渡って、チョンミョ[宗廟:Chong‐myo]からチャンギョングン[昌慶宮:Chang‐gyong‐gung]へと移動する。
 チョンミョとは別料金なのかと思っていたがそうではないらしく、お金も払わずチケットを見せることもなくチャンギョングンに入れた。

 ガイドブックによると、チャンギョングンはハングルを制定したセジョン[世宗]大王が父王太宗のために1491年に建てた、韓国でも3番目に古い建物だそうな。
 ということは、つまりは隠居宅ってことか? 贅沢な隠居宅じゃのう。

 建てた当時は寿康宮という名前だったけど、1483年に現在の名前に改められている。
 ここの建物も1592年のイムジン・ウェラン[壬申倭乱]でほとんどが焼かれてしまったけど、正門であるホンファムン[弘化門]、正殿であるミョンジョンジョン[明正殿]は焼失をまぬがれて、イシ・チョソン[李氏朝鮮]前期の建築美をそのまま残しているとのこと。ふむ。なら見所はそのふたつの建物ということか。

 敷地面積は21万5千平方メートル(東京ドーム=約4.7万平方メートルだから、約4.6倍)だそうだが、歩き回る範囲はどうなんだろう。けっこう広いのかな? ガイドブックにはチャンギョングン内の地図が載っていなかったのでわからない。
 とりあえず30分くらい見たら、見学ツアーに参加するためにチャンドックン[昌徳宮]へ移動して、見学ツアーが終わったらまたチャンギョングンに戻ってきて残りを見学しようと算段する。

 道路の幅4車線分ほどの橋を渡り終えて、今度はゆるやかな坂をおりていくと、左側にはあまり高くない壁があり、その向こうにもこちら側と同じような庭が見える。あれがチャンドックンか。
 そうか、チャンドックンはチャンギョングンの隣りにあるんだもんね。なんだ、こんなに近いなら移動するのも簡単だな、とこの時は思った。

 坂をおりきった所の左側に、飲み物の自動販売機やベンチなどを置いた休憩所があった。ここのベンチも、木陰でくつろぐ大量のお年寄りたちと鳩に占拠されている。のどか。

 この休憩所を過ぎると、行く手にはきれいに整備された芝生の庭や樹木が立ち並んでいる。芝生の上ではキョンボックン[景福宮]同様、結婚の記念写真を撮っているウェディングドレスとタキシードのカップルがいた。

 チャンギョングンもチョンミョのように、敷地内の案内地図があるかと思ったが、わたしの歩いてきた道筋にはなかった。おかげで見学の順序がわからない。
 しかたがないからとりあえず、視界に入ってくる建物へふらふらと足を向ける。

 最初に見たのはハミンジョン[涵仁亭]。石垣の上に建っている壁のない建物だ。
 これはもともとはインギョングン[仁慶宮]という宮殿にあったのだけど、1633年にここに移設されたのだそうな。

 けっこう古い建物なのか、丹塗りの柱も丹青をほどこされた屋根の下の柱もだいぶ色あせてしまっているが、それでもなおその姿は、夏の青空にくっきりと鮮やかに映えている。きれい。

 建物の内側を見ると、四方の梁に東西南北の方角に合わせて、「冬嶺秀孤松、秋月揚明輝、春水満四澤、夏雲多奇峯」という四季を読んだ漢詩が書かれていた。

 この建物の後ろには景春殿と歓慶殿という建物があったのだが、大きかったなーくらいしか覚えていない。
 右側には長い塀で囲われた建物があるのだが、はて、あれは何なのだろう?

 さらにこの後ろに養和堂と通明殿という建物が並んで建っている。ふたつの建物の前のちょうど中間には、ふたをされた井戸などもある。

 通明殿の方は建物の西側に蓮池があり、建物からその池を渡れるように橋がかけられている。優雅。でも池に水はなかったような。
 その橋を渡って通明殿に近づいてみる。灰緑色に塗られた格子窓には、日本の障子のように白い紙が張られていたのだけど、ちょっと紙が破れている所があったので中をのぞく。建物内はいまでもきちんと掃除をしているのか、板張りの床がなんとも涼しそうだった。

 このあたりで時刻は10時頃。チャンドックンの見学ツアーが始まるだいたい30分前だ。
 さて、そろそろ移動するか。

 敷地がとなりあっているんだから、どこかにチャンギョングンとチャンドックンとが行き来できる門があるだろう、とふたつの宮殿を隔てている壁の方へ行ってみるが、そのような門は見あたらなかった。
 もっと奥に行けばあるかな? と期待をこめて養和堂と通明殿の裏の山に階段でのぼる。日時計を見つけて写真に撮ったりと、この時はまだ余裕かましている。

 すぐに今度は山をおりて(実際には単なる丘だが、わたしには十分山)さらに奥へ行くと、チャンドックンへと続いていそうな門があったが、残念ながらしめ切られていた。
 ええ、もしかしてチャンギョングンの敷地内から直接チャンドックンへって行けないのか? いやな予感が脳裏をよぎる。

 「いや、もっと奥に行けばきっと門があるはず」と自分を信じ込ませ、がしがし早歩きで先を急ぐ。右手にいい感じの池があるが、もう気があせっているのでそんなの目に入らない。

 地図があれば、門の位置や現在地がわかるのに、と思ったが、チャンギョングン内ではついに地図は見かけなかった。何々はこっち、何々はあっち、という立て札はあるが、大雑把すぎて役にたたない。

 ひーん、どうすりゃいいのー、と半泣きで奥へ進むと、今度は植物園が現れた。おいおい、いったいどれくらい広いんだここはっ! もう10時半まであと15分くらいしかないぞ。

 だがやはり門はない。植物園から池の方に引き返し、こうなりゃ外に出る門でも何でもいいから何かないのかっ!? と思っていたら、案内板に「何とか門はあちら」というお知らせが。やった、門があるっ! と思ったのもつかの間、行き着いた先はハミンジョン[涵仁亭]の右側にあった塀で囲まれた建物群だった。
 門なんてないじゃんよーっ!
 まさか、チャンギョングンから外に出るには、チョンミョの正門まで戻らなきゃいけないってことっ!?
※Attention ! そんなことはありません)

 この時点で急に冷静になる。

 ろくに見学時間をとってもらえないツアー旅行がいやだから、苦労してでも個人旅行がいいと思ってひとりでソウルに来たのに、こんなあせって観光してどうするんだ、わたし?
 そうだよ。初心を忘れちゃいけないよ。

 ふーっと息をはいて心を落ち着ける。
 そしてチャンドックンの見学は、次の12時半のツアーに参加しようと決めた。

 やっぱり観光は、余裕をもってしなくちゃね。

おわり  

    

 今回のおこづかい帳  

 
今回はなし

今回の小計:W0
支払い総計:W136,400(約14,667円)+34,591円

(※レートは1999年7月当時、¥100=W930で計算しています)

 

 編集後記 

 
  はい、チャンギョングン一部リポートでした。

 というわけで、チョンミョ[宗廟]、チャンギョングン[昌慶宮]、チャンドックン[昌徳宮]の3つをまとめて観光する場合には、まずチョンミョとチャンギョングンをきちんと見てから、チャンドックンに移動するようにしましょう(笑)。

 というのも、チャンドックンの正門のトンファムン[敦化門]も、チョンミョとチャンギョングンをつなぐ橋も、どちらも栗谷路という道沿いにある(あるいはかかっている)のですが、この栗谷路沿いにはチョンミョとチャンギョングンの出入口がないので、容易にチャンドックンへ行くことができないのです(チョンミョの出入口はチョンノ[鍾路]、チャンギョングンの出入口は地下鉄4号線のヒェファ[恵化]駅方面にしかない)。

 だから、「チョンミョを見てからチャンドックンへ行って、それからチャンギョングンへ移動しよう」などと考えると、えっらい距離を歩かなければいけないことになりますので要注意です。

 どれがベストな歩き方か、というほどのものでもありませんが、一番楽なのは地下鉄4号線のヒェファ[恵化]駅で降りて、チャンギョングンのホンファムン[弘化門]から入って観光して、チョンミョの正門から出てきた後チャンドックンへ移動する、というコースでしょうか?
 時間配分の目安としては、朝9時半ごろチャンギョングン入り、11時ごろチョンミョ出、お昼を食べた後12時半のチャンドックン見学ツアーに参加、なーんて感じだと余裕かも。

 やっぱり、ガイドブックの地図には、観光施設の出入口って表示してほしいですよ。
 それがあればこんな苦労せずにすんだのにー、とわたしはガイドブックにやつあたりしたのでした。

 それではまた、次号でお会いしましょう。

  


  

5日目の1――空も大地もひろびろ/宗廟の巻

5日目の2――大迷走チャンギョングン[昌慶宮]の巻

5日目の3――のんびりゆったりチャンギョングン[昌慶宮]の巻

5日目の4――街中の宮殿とあなどることなかれ/チャンドックンで山歩きっ!?の巻

5日目の5――お昼を求めて/里門ソロンタンの巻

5日目の6――國家指定韓國傅統食品とは?/ロッテデパートふたたびの巻

5日目の7――東大門市場でKnock out! の巻

1日目

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