『ソウル7日間徒然日記』 1999年7月11日(日)記


 
第32号


5日目の3――のんびりゆったりチャンギョングン[昌慶宮]の巻

1999年12月11日(土)発行

 

■ チャンギョングン[昌慶宮]再び

 
 チャンギョングンからチャンドックン[昌徳宮]へ移動するのを12時半とすると、あと2時間ほど時間ある。そう考えると心に余裕ができる。とりあえず目の前の建物が何であるのかの確認から始めるか。

 小さな門をくぐったら、広場のようなところに出た。左手に大きな門、右手に小さな門が見える。左手の門は外に通じている。
 この時は敷地の内側から見たので、門の名前が確認できなかったのだが、どうもこれがチャンギョングンの正門であるホンファムン[弘化門]だったらしい。
 ちなみにこの門は地下鉄4号線のヒェファ[恵化:Hyehwa]駅に近く、チャンドックンの正門であるトンファムン[敦化門]まではえらく遠い。

 右手のミョンジョンムン[明政門]と書かれた小さな門をくぐって中に入ると、そこには誰もいない白い石畳の広場と、正面に階段が設けられた大きな建物があった。これがミョンジョンジョン[明政殿]である。

 歩き疲れたので、とりあえず敷地を囲む回廊の片隅で一休みする。ちょうどよく腰掛けられる石段がある。助かる。
 日差しはすっかり夏で強烈なのに、日陰に入るととたんに涼しくなる。まるで砂漠のような気候だ。
 ぼーっと座り込むわたしの目に映る白い敷石の照り返しは、目を細めずにはいられないほどまぶしいけど、かえってそれが清々しい。あせってイライラしていた気分が、ちょっとよくなる。

 視線をちょっと上に向けると南山タワーが見える。ふと、左手側から音もなく大きな白い鳥がふわりと飛んできて、優雅に曲線を描いてからミョンジョンジョンの向こうへ飛び去った。なんか、別世界に来たみたいだ。

 ミョンジョンムンからひとりの男性が入って来た。真っ直ぐミンジョンジョンの前へ行くと、案内板と建物の内部をしげしげと見てから去って行く。わたしもそろそろ動き出すか。

 広場をななめに横切って行くと、門から建物へとのびる石畳の左右に、「正二位」とか「従三位」とか書かれた小さな石の杭が立てられている。
※Web版Attention! この石は「品階石」というそうです)

 おう、なるほど。この広場で何かある時は、この石の杭に従って官位別に整列するのか。なるほどね。
 後で知ったが、文官、武官で左右に分かれて並ぶそうな(どっちがどっちだったかは覚えていない)。 

 建物前で、さっき男性が見ていた解説を読む。韓国の宮殿の主な建物はみな南向きに建てられているが、このミョンジョンジョンだけは東向きに建てられているとのこと。
 ふうん。中国でも「天子は南面す」って言葉があるから、天子(皇帝、王)が住む宮殿以外は南面(南側を向く)しないよう東向きに建てたのかな? 確かここ、セジョン[世宗]が隠居したお父さんのために建てたっていう建物のはずだし。

 建物前の階段をのぼる。階段の中央は鳳凰の絵が彫刻された坂になっていた(竜もあったかも)。キョンボックンのクンチョンジョンにもこの坂あったけど、北京の紫禁城にもある。よく似ている。
 たぶんこの坂も中国と一緒で、その上は高貴な人しか通れないのだと思う。もちろん足でのぼるのではなく、輿(こし)に乗ってその上を通り過ぎることになる。

 ミンジョンジョン中をのぞきこむと、真正面の壇上に背もたれの高い玉座(と言っていいのか?)が見えた。
 この玉座の形も中国のに似ているなあと思ったのだが、その後ろにあるついたての絵は初めて見る図柄だ。

 夜空のような暗い紺色をした空の左側に白い月輪、右側に赤い日輪が上がり、その下には折り重なるように、緑色の円錐形の山が5つ並んでいる。左右両端の山々の谷から波立つ海(低い山かも)へと流れ落ちる滝。画面手前の左右の隅にある小さな陸に生える幹の赤い2本の松の木。
 うーん、風水や道教の影響を強く受けているようにみえる。

 この絵、なんていう絵なんだろう、と思っていたら、翌日インサドン[仁寺洞]にあるトンイン[通仁]というお土産屋さんとギャラリーを兼ねたお店に行った時にたまたま見た絵はがきにのっていた。いわく、「日月崑崙図」[イルゥオル・コンリュンド:Ilwol-Konryun-do]というそうな。

 韓国で崑崙山とは意外な感じがしたが、絵はがきの説明を読むと、韓民族の始祖である壇君王倹の父親である桓雄が天から降って行った先が三危太伯という山なのだけれど、この三危太伯=崑崙山と考えられている、と書いてある。ふうん、それでか。
※Attention! 三危太伯=白頭山 or 妙香山という説もあります)

 この絵はミンジョンジョンの後ろにある崇文堂という御前会議などに使われた建物の玉座の後ろにもあった。あとでキョンボックン[景福宮]のガイドブックを見ていたら、クンチョンジョン[勤政殿]の玉座の後ろにもあった(覚えがないっていうことは、やっぱりわたし、クンチョンジョンの中見ていないんだな)。

 ミンジョンジョンの天井を見上げると、鳳凰と雲の彫刻(模型?)が吊るされていた。遠目にも細かい細工であることがわかるほど見事なできばえである。
 きれいだなあと思ったが、落ちてきたら大変だな、などとも思った。

 ミンジョンジョンの敷地を裏門から出ると、チャンギョングンに来て最初に見たハミンジョン[涵仁亭]の横に出た。なるほど、こういう位置関係になっていたのか。
 さっき早足で通り過ぎてしまった池に戻ってみる。

 池の名前は「春塘池」というそうな。
 池の前ではエサを持った小さなこどもが鳩にたかられていた。上野の動物園前みたいだ。
 小さな看板があったので、池の由来とかが書いてあるのかな? と思いつつ、ふんっと目を細めてハングルを読む。「チュウィ」と書いてある。
 チュウィ? ああ、「注意」の韓国語読みか。
 ちっ、せっかく気合いを入れて読んだのにー。無駄なところで力を使ってしまった。

 池の端には売店のような小さな建物があって、鳩だか池の生き物用だかのエサを売っているようだった。W200(約22円)くらいから売っていた。

 池のまわりの気持ちよさそうな木陰にあるベンチは、すでにみんなふさがっている。
 わたしもちょっと休憩したかったので、腰をかけるのにちょうどよさそうな岩を見つけてひと休み。

 池にはけっこうな数の鴨(かも)が泳いでいた。池の中央にある小島の木には、髭を生やした仙人のような顔の大きな鳥が止まっている。
 水面に何かがプクッと浮き上がってきたと思ったら亀だった。何となく成田山を思い出す。

 余裕をもって行動するために、そろそろチョンミョの門から外に出ようとそちらへ向かう。

 来た時には使わなかった芝生のある庭の道を通ったら、中学生くらいの子供たちが草むしりをしていた。ふうん、日曜日なのに。ボランティアかな?
 別の芝生の上では、まだ結婚写真の撮影が続いていた。炎天下で大変だろうが、幸せそうなのでOKなのだろう。

 木漏れ日がきれいな道を歩いてチョンミョの敷地を抜け、出口についたらすでに11時半をすぎていた。
 なんだかんだいって、だいぶのんびりとした見学だった。

おわり 

   

 今回のおこづかい帳  

 
今回はなし

今回の小計:W0
支払い総計:W136,400(約14,667円)+34,591円

(※レートは1999年7月当時、¥100=W930で計算しています)

 

 編集後記 

 
  はい、チャンギョングン残りリポートでした。いかがでしたでしょうか?

 「日月崑崙図」というのは初めて見ましたが、なかなか面白い絵でした。トンイン[通仁]で絵はがきを見つけた時には、もう衝動的に買っていましたね(笑)。どのくらい衝動的だったかというと、ほしかったのとは違う絵はがきを買ってしまったくらいです(爆笑)。一枚一枚ではなく、何枚かでワンセットになっているものを買ったのが敗因でしたね〜。帰国してから、あー、違うっ! と気付いたので、買い直すこともできませんでした。まあ、写真があるのでよいのですけど。

 壇君王倹については「今回の韓国MEMO」に載せようと思ったのですが、時間切れで見送りしました。Web版には載せようと思っています(まだやってません)。

 それではまた、次号でお会いしましょう。

  


  

5日目の1――空も大地もひろびろ/宗廟の巻

5日目の2――大迷走チャンギョングン[昌慶宮]の巻

5日目の3――のんびりゆったりチャンギョングン[昌慶宮]の巻

5日目の4――街中の宮殿とあなどることなかれ/チャンドックンで山歩きっ!?の巻

5日目の5――お昼を求めて/里門ソロンタンの巻

5日目の6――國家指定韓國傅統食品とは?/ロッテデパートふたたびの巻

5日目の7――東大門市場でKnock out! の巻

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