
我が家では、主人は日本語を理解するし、私もある程度英語を理解している。
喋ろうと思えば主人も日本語を話して私も英語を家庭内で話す事は可能である。
だからこそあえて決まりを作った。
1.子供達は、パパと喋る時には英語で質問し、また聞かれた事は英語で答える。
2.ママと話す時には、日本語で受け答えをする。
3.子供達を交えて話す時には、主人は日本語で話さず、私も英語で話さない。
4.子供同士が家庭内で喋る時にはオランダ語は禁止。(これは、かなり英語と日本語を延ばすのに役立った。)
5.私達は子供達にオランダ語で話し掛けたりしない。(それぞれの母国語で話をする。)
というのが基本である。ラッキーな事に、私達夫婦はお互いの言葉を理解する事が
出来るので、こういう決まりでやっていけるのである。もし旦那様が日本語が
解からない場合、奥さんが旦那様の言葉で子供達に話し掛けているケースが多いの
である。
こういう決まりを作るまでに、もちろん、我が家も試行錯誤の時代があった。
我が家は、主人が出張などで家を空ける事が多いのもあり、英語力がなかなか
付かなかった。アイルランドに行っても、主人の家族と会話が出来ない。そのために
ちょっとした言葉の壁が出来てしまったのだ。私も、主人の家族が孫と会話できない
ので気の毒に思いこれはどうにかしないといけないと思い始めた。どうしようかと2人で
悩む時期が合った。子供達は、英語を聞いて理解はするが答える所までいかない。
というのも、日本語で答えても、パパは解かってしまうというのを察していたからだ。
そう、実は、最初のうちは英語で答えさせなかったのだ。これが英語で話す力が伸び
ない原因では?と2人で話し合った。子供は簡単に話せるほうの言葉を選んで
話してしまうのだ。私も語学を学校で習った時の事を考えてみるとなんとなく
解かってきた。とにかく、聞く力を付けたら話す力を付けない事には先に(読み書き)
に進まない。という事で、徹底的に上に書いた決まりを守りつづけた。
しばらくすると、パパに日本語で答えても解からないのか、と思うようになったのか、
英語を喋ろうとする気配が見えてきた。長女はこの方法でかなり3ヶ国語を区別して
喋るようになった。次女は、逆に日本語が苦手で、私が語学の先生のように、
一つ一つてにをはを直してあげなくてはならなかった。長男は産まれた時から
この方法に慣れているのも合って、問題なく喋っている。もちろん彼の場合は
オランダ語がかなり弱いがまだ学校に上がっていないので気にしていない。
長女(7歳)は、現在、日本語を習っていて、漢字も書けるようになり(親も宿題をみてあげ
ないといけないが。)本も自分で読めるようになって楽しんでいる。次女(5歳半)は、段々
あいうえおを読んで書けるようになってきた状態。お姉ちゃんが勉強をしていると、
自主的に机に座って勉強もどきをするようになった。ぼくちん(3歳半)は、この所"トーマスの
あいうえおボード"にこっていて(娘達は全然興味がなかった。)あいうえおを覚えて
しまいそうな勢い。それぞれ覚え方や、興味の示し方が違うけれど、日本語にも興味を
持ってくれたので本当に良かったとおもう。というのも、オランダでは英語教育が
優れているので、英語に関しては全然心配していないのだ。日本語は私が何とか
しないといけないのである。これから、どうなるかは解からないが、出来る限り日々
子供と一緒に努力していこうと思う。オランダで子供達に日本語で話し掛けていても
何のプレッシャーも感じないし、オランダ人も理解しているから良かったとおもう。
私の考えとしては、日本語に限って言えば、日本語を将来使うかどうかと言う事だけ
でなくて、日本語を習う過程で英語などからでは学べないものを、楽しく身に付けて
いってくれればいいと思っている。ママが住んでいた日本の事を知り、日本の本など
を自分で読んで今まで知らなかった世界に入って行って、言葉を使ってどんどん子供達の
世界を広げていって欲しいのである。
自分は英語を流暢に喋れるわけではないけれど、習っていく過程で、違う国の人達と
知り合って会話したり、その人達から色々学んだ。結果的に通訳などまでいく
レベルまでなどには達しなかったが、英語を習っていなければ知りえなかった事
など沢山合ったはず。こういう経験をさせてあげたいのだ。せっかく、子供達は違う
言葉を話す私達の間に生まれたので、出来るだけこの恵まれた環境を生かして
あげたいと思っている。
ただ、言葉を何ヶ国語喋れます、というだけでなく、喋る内容のほうがもっと大事だと
思っている。
ここで、余談にはなるがスキポール空港のカフェで話した話を一つ。
そのウエイトレスは私達の方に来て「貴方は日本人ですか?」と聞く。「そうですが。」
と言うと、「子供達は日本語も喋れるの?」「はい。喋れますよ。」すると、彼女は、
「私の父が日本人で母がオランダ人です。でも、私は父の言葉である日本語を習いま
せんでした。今、父は日本にいるので、私は毎年日本にいくのだけれど、私は父の国
の言葉を喋れません。今になって自分で日本語を習っているのですが、とても難しい。
自分の言葉でもあるのに。どうして子供の時に父は日本語を教えてくれなかったのか
と思う。だから、あなたたちが羨ましい。」と言って、何だか悲しそうな顔をして
向うに行ってしまった。