1、誕生
1998年10月27日

彼は、すさまじい泣き声とともに誕生した。
生まれる前は、可愛い子ならいいなとか、容姿のことを
考えたものだが、陣痛の痛みとともに考えたことは、
ただ一つ、無事にうまれてほしい!!ということだった。
そして、痛みの中で彼の姿を見たとき、手が足が目が鼻が・
・・あることがうれしくてたまらなかったことを今でも
覚えている。
これが母の喜びなのかも・・と感じたときだった。

ただ、今でも覚えているのは、陣痛の痛みの中、たった
一人だったことだ。これは、パパと不仲だったとかではなく 、
ただ、病院の方針なのか1番痛みの強いとき、厳しい態度の
先生と看護婦さんの言葉で、私自身まだまだ産まれないのだ
と思いこみ、一人でがんばってしまったからだ。
まあ、そのおかげで、思ったよりあっさり出産を迎えたのだ
が、あの死ぬほどの痛みを誰にも見せることができなかった
のは今でも私の心残りになっている。

出産時の立ち会いには賛否両論あるだろうし、私もぜひ立ち
会いを!と望んでいた訳ではないが、やっぱりダーリンには
一緒に居てほしかったな。テレビのように一緒に手を握って
励ましてほしかった・・・(でも、あの時手を握ってもらっ
ても痛みはかわらなかったか・・・・笑
1,ねない!    
病院を退院して実家に戻ったが、とにかく寝ない赤ちゃん
だった。ずーっとだっこし続け、やっと寝たぞ!と布団に
置くと、ぎゃーっと叫びだし、また初めからやり直し・・
と言う具合。よく、世の中を見ると生まれたての頃から外出
している赤ちゃんがいるが、こうへいの場合、外に連れて行
くなんて考えられなかった。
おかげで、産まれてからの数ヶ月なんてテレビ一つ満足に見
ることはできず、世の中から隔離されたような気になりブル
ーになってしまった。これが育児ノイローゼかも・・・と思
ったほどだった。

まあ、今思うとあまりにみんなで大事にしたから余計にとい
うのもあったかもしれない。だって、こうへいが寝たら電気
も消してテレビの音も小さくして・・まるで戦時中のような
状態だったんだもの。今思い出してもおかしいけど、やっと
眠りについたこうへいをパパが抱き上げたとき、腕の関節が
ポキッとなったその音で泣き出したくらいだから。
5ヶ月になった頃から離乳食を始めた。本を見ながらお粥を 作り
野菜を裏ごしし・・・と一生懸命作ったにもかかわらず全部 べーっとはきだすこうへい。
友達の子がぱくぱく何でも食べる様子がうらやましくてたま らなかった。でも、この食べないこうへいもヨーグルトだけ は好きだった。それもプレーンのみ。このころから渋かった こうへい!
2,食べない!



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