〜〜私の人生〜〜
--*第1話*--
私は1972年大阪で産声をあげました。
私の母はごく普通の母親で
父親は会社経営者(電気工業)です。
私が小学校の頃母と父はとても仲がよかったんです。
でも、父親に何処かに遊びに連れて行ってもらった記憶は
どんなにさがしてもありません。
弟と話しをして聞いてみたけど
弟も「遊びに連れて行ってもらった記憶はない!!」と言っていました。
今考えてみると子供の前では
仲がいいように見せていたのかもしれません。
でも、やはり見せかけの仲良しは続きませんでした。
私が中学校に入る頃母親が父親の目を盗んでは
家を出て夜遊びをし始めました。
父親が寝ている間に家を出て
父親が起きる前に帰ってくる
そんな日が毎日のよう続きました。
所がある日母が夜こっそり家を出て
夜遊びをして父が起きる時間に帰ってこなかった事があり
父にばれました。
もう〜〜その日はめちゃくちゃ大変でした。
親戚やいなかのおじぃ〜ちゃんおばぁ〜ちゃんまで出てきて
おおごとになってしまいました。
私と弟は朝の6時ぐらいに起こされ
私達の前で母親が攻められるのを見せられました。
(並大抵の責め方じゃなく母親をけなす。ののしるそれは、見るに絶えがたい事)
親戚のおばちゃんが「今日はあんたたち学校休むか?」
そう聞いてきました。
私はその状況に耐えられない
弟にもそんなとこ見せたくないと思い
私は「学校に行く、弟も連れて行く」と答えました。
私は弟を小学校に送って行きそれから中学校に行きました。
その日は学校に行っても何も手につかない。死にたいとまで思いました。
結局母が謝って離婚はしなかったのです。
一時仲が戻ったかのように見えましたが
まったく変わってなかったのです。
数週間は我慢していた母もすぐにまた夜遊びに行くようになってしまいました。
母の夜遊びに私は協力さえしてました。
「私がばれないようになんとかすればいいんだ」
「そうすれば母と父もうまくやっていける」そう思ってました。
私が母に「行かないで!」そう言ったら
きっと母はいかなかったかもしれません。
でも、父も頑固な人で父と一緒にいる母はあまり見たくなかったのです。
何かと言うと母に小言を言ったり
ちょっとでも機嫌が悪くなるとまったく話しをしようとしないのです。
1ヶ月以上口を聞かないこともめずらしくなかったのです。
機嫌が悪く口を聞かなかった時
お客さんが来るとすごくやさしい顔になり
母にも今まで口をきかなかったことがうそのようにやさしくし始めるのです
母もお客さんが来てくれたおかげで父の機嫌が直ったって
思っていると
客が帰ったとたんまた元に戻ってしまう。
そんな父でした。
だから父に気をつかって機嫌が悪くならないように頑張ってる
母を見るのはつらいものがありました。
だから「行かないで!父と仲良くして」その一言がどうしても言えなかったのです。
夜中に両親のケンカで目が覚める事はしょっちゅうでした。
そのうち私自身自分を責めるようになってしまったのです
「私達子供がいなけりゃ母と父は離婚してお互い楽しく暮らせるのではないか」
親のケンカを見るたびそう〜思いました。
「私がいるからいけないんだ」
「私がいるから離婚できないんだ」
「私のせいで・・・私がいるから・・・」
そんな事ばかり考えるようになってしまった私の頭には
「私がいなければ・・・死ねば・・・」
そんな事を考え始めるようになっていました。
ある日学校から帰ってくると家には誰もいなくて私一人でした。
「今だ死ぬチャンスだ・・・」
何故かそうとっさに思ったのです。
私はカミソリを手に持ち一気に手首を切り傷口を水につけました。
どんどん血が出てきて「私はこれで死ぬんだな〜」って思った瞬間弟が帰ってきて私を見てビックリして私の事を止めました。
一番見られたくない弟に見つかってしまいました。
弟は親に何も言わずに何もなかったように接してくれました。
私が中学校3年の時親は離婚しました。