History of Man's Child Care
Worker Network in Hyogo
〜 ひょうご男性保育者連絡会のあゆみ 〜
(2001年9月現在)
| 昭和56年4月 |
神戸市北区の私立明照保育園において初めて男性保育者採用。 全員で4名の小さな集まりで基礎がスタート。 |
年を経るごとに“なかま”は少しずつ増え続ける。 公立保育所だけでなく、私立保育園からの参加も増えて、特に若手園長の参加で活気付き、“なかま”の輪はグッと広がっていく。 |
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月に一回程度、私たちは集るようになる。 会場はたいていメンバーの誰かの家で行われる。 「次は誰のうちにする?」と、集まったときに次のことを決めていた。話題はほとんどフリートーク。一応、保育に関する悩み、相談、情報交換等が主流だが、趣味の話で盛り上がり、誰も止めないので脱線したまま終わり、という日も結構あった。 |
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| 平成5年4月 | “なかま”が増えたこともあり、会の持ち方が難しくなる。 連絡をとったり、他県の仲間と交流したりと、もっと組織立った会の運営が必要となってきたため、全国の例にならい、『KOBE男性保育者連絡会』が発足 |
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全国的に見てもひとつの自治体で連絡会のあるところは少ない。兵庫県では連絡会がない為、そのために孤立している男性保育者の話を耳にする。そこで、兵庫県内の近隣の他都市にも間口を広げ、大いに“なかま”を募ることになる。 小さいながらも、実践報告会や就職相談会などのイベントを企画し、広く呼びかけていく。そのおかげで、西は加古川市や高砂市、東は伊丹市、尼崎市、海を渡って淡路島の“なかま”もできていく。 |
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| 平成7年1月17日 |
“なかま”は復興に忙殺され活動は停止。安否の連絡は取り合いながらも、連絡会はちりぢりの状態になる。しかし、全国からの数多くの励ましや援助に助けられ、私たちは再び立ち直ることができた。(全国の“なかま”に心から感謝します。)
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| 平成10年11月23日、24日 |
そして、大会は大成功!!に終わった。(自画自賛) |
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そこでエリア拡大の意味を込めて、“KOBE”から“ひょうご”に改名し、『ひょうご男性保育者連絡会』となる。 同時に、西部方面に増えた仲間のために、『ひょうご男性保育者連絡会・西支部』も発足。 |
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| 2001年9月 | 総勢60名を数える中、さらに仲間は増えつづけている。 特に若い力の確かな増加がめだって増える。 |
| 現在 |