いまさら
なのかもしれない。。。トラウマという言葉を聞くと昔のトラウマが。。。と思う。
けれど、トラウマって、自分に甘えているのかな?なんて思ってしまう面もある。
きっと、同じ境遇に育っても気にならない人は気にならないものなのかもしれない。
私がしてきた経験も、トラウマになどなるほどの経験ではないと感じる人がいても
不思議ではないのであろう。もしかしたら、そう感じる人のほうが多いかもしれない。
私の母は、幼い頃から友達の間でも言われる程に評判の?とても厳しい人だった。
子供の頃のことなのに、いまだに何かある毎に思い出してしまう出来事、言葉が
わたしの中にはいくつかある。わざわざ思い出してどうするんだ、だからなんだと
自分でも思う。そんなことを考えるからますます溝が深まってしまうのかも、、、と。
子供の頃から母には、私が悪くなくても「あなたが悪い」「あなたにも悪いところがあった
からだ」のどちらかに結論づける。誉められた事などない、誉められるかな?と思っても
母にとっては出来て当然、更に上の事が何故できない。と考えられてしまう。
当時の私には、ある意味そんな言葉しか聞いた事がなかったのだからそれが普通
きっとそう考えていたのだと思う。それでもなんだかとても寂しく感じた事もあった。
友達の家に遊びに行って、お友達が学校での出来事等をお母さんと話しているのを見ると
とても羨ましく思ったものである。私は、学校での様子を聞かれたこともなかったし
話す時間もなかった。いや、お互いに持とうとしなかっただけなのかもしれない。
そんな感じだったので、母がいなくてもどうとも感じないようになっていったのだろうか。
幼稚園の頃、母に叱られ「もう、家には入れない」と言われ、はい、そうですか。とすぐに
家を飛び出しお友達の家に行き「ここの家の子にしてください」と言いに行った事もあった。
家族の絆というものは、この頃からあまり感じてはいなかったのだろう。
どういうわけか、私は家族ででかけるのが、この頃から嫌いだった。
小学校のころ
小学校低学年の頃の母は、大抵どこかご近所等の母の友人宅に入り浸り状態だったので
学校から帰ると誰もいない家の玄関外にカバンを置いて遊びに行くのが常だった。
私が小学校の中学年になった頃だっただろうか?母が仕事をはじめた。
もともと、家にこもっているのが嫌いな母でもあったし。仕事をするように
なってからは、帰りが夕方6時頃になることもあっただろうか?けれど
もともとウマが合わないと感じていた母だったので、特にどうという事も
感じなかったのだが、私が風邪をひいて学校を休んでも母は仕事に
行ってしまう。風邪をひいた時くらいとさすがに思ったことがあり
風邪をひいた時くらい家にいて欲しいと頼むと、祖母に電話をして
来てくれるように頼んでくれたのだが、年に数回しか会わない祖母に
あれこれ頼めるはずはなく、逆に気疲れしてしまったものだ。
学校で転んで右腕の筋を痛めえんぴつさえも持てなくなった。
家に帰り母に行っても、病院に行くほどでもない、湿布も必要ないと
勝手に判断された。その頃体育の時間はマットだった。
けれど、母に体育の見学願いをも書いてもらえず、殆ど片手で
マットをし、先生にはマジメにやらない!と叱られるはで
とんでもない思いをした事もあった。結局それでもひと月半くらいで
治ってくれたのだが、いまだに右腕を動かすと関節がボキっ!と
音をたててズレる音がする。痛みはないから問題ないが。。。
<つづく>