私の出産体験記
<結実の巻> ーその1−
<妊娠発覚まで>
2002年4月、私は40km以上離れた学校に異動になった。それは義務であり、採用から10年間のうち3年は遠距離勤務をしなければならなかったので、若いうち、早いうちに行っておきたかった。そしてその3年間のうちに子どもを産み、育休をとろうという計画だった。できれば平成14年度中に二人目を産みたかったので、最初はそのつもりだったがうまくはいかなかった。
私は障害児学級の担任になった。中3の女の子M一人という学級だったが、いつか障害児学級をもってみたいという思いはあったので、熱心に取り組んだ(つもり)。Mは人の心情を逆撫ですることがうまかったが、それでも可愛いところもあり、私はこの子を卒業するまでみとりたいと思った。また、15年度には小学校から自閉症の生徒が入学してくることになり、私はそれまで全く知らなかった自閉症の子どもに対する支援の方法をその夏勉強した。そして保護者の期待も少し背負いながら、来年度も障害児学級を引き継ぎ、自分なりに頑張っていこうと思い、この学校にいる間は子どもを産まなくてもいいかなと思いつつあった。そんな気でいたとたん妊娠が分かり、次年度のことを思うと校長をはじめ学校にたいして申し訳ない気になった。
<妊娠初期>
発覚当初、学校は運動会などで忙しかった。自分の仕事も英検・リスニングコンテストなどまかされていることが多く、動き回る毎日だった。それが原因なのか分からないが、不正出血や腹痛が続き、切迫流産と診断された。病院の先生からは「仕事休む人もおるんでよ」と言われたが、休むと困るので、薬を飲みながら通勤した。出血はすぐにおさまった。妊娠初期というと、つわりの時期である。私は前回はほとんどつわりはなく、どちらかというとお腹がすくと気持ち悪くなる「食べづわり」だったのであるが、今回もそうだった。職員室にあるエサならぬお菓子を失敬しにお菓子缶をあけに行く毎日だった。
<妊娠中期>
体調はよく、お腹もあまり目立たなく、まるで妊娠なんてしてないかのように忙しく働いていた。Mには毎日のように怒りとばしていて、「胎教に悪い」とよく隣の先生に言われていた。本当にそうだったかもしれない。生徒は気づく者は一人もいなかった。12月に嘔吐下痢症になり、今までつわりで吐いたことなどなかったのに、そのせいで学校で吐くはめになり、病院で点滴を受けた。かなりしんどかったのを覚えているが、周りの先生にもその時にはだいぶ心配をかけた。(普段が元気なのでよけいに)
<妊娠後期>
マタニティなどを一切着なかったので、後期になっても生徒は私の妊娠を知らず、他の先生が暴露しなければ3年生は卒業まで分からなかっただろうし、1年にいたっては最後の授業でようやく気づいてたぐらいだった。進学事務もだいたい手伝えるぐらい元気だったのでよかった。しかし、遠距離通勤はかなりきつかった。朝は高速を使うので楽だったかもしれないが、学校からの帰りは一般道だったので、家に帰りつくころにはダウン寸前で、そのおかげか体重はこの頃から増えなくなった。3月14日は卒業式。今後3年をもつことがあるかどうか分からないと思い、念願の袴を着ることにした。しかしお腹がかなり出ていたので、ドラム缶が歩いているようだった。Mともいろいろあったが、最後は涙・感動で見送ることができた。