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ものみの塔聖書冊子協会 |
1985年に起きた輸血拒否事件によって世論に論争を巻き起こした教団。信者は「エホバの証人」と呼ばれ、二人一組になって各家庭を戸別訪問する伝道方式をとっている。
会衆派の信者だったチャールズ・ティズ・ラッセル(1852〜1916)という商人が1870年頃にアメリカのペンシルバニア州ピッツバーグで始めた聖書研究グループを発端とするが、その源流には1831年に始まったウイリアム・ミラーの再臨運動が多大な影響を及ぼしていることを、大野キリスト教会の中澤啓介牧師は『ものみの塔の源流を訪ねて』という本の中で指摘している。ラッセルは独自の聖書研究の結果、1914年にイエス・キリストが再臨して世界は終末を迎えるという予言をし、自分たちこそが真のキリスト教であり、既成の教派は神によって滅ぼされる運命にある悪魔の教会であると攻撃して反感を買った。1914年に第一次世界大戦が勃発して予言的中かと評判をとったが、終末には至らず既成教会の反撃にあって存亡の危機に立たされることになった。結局、1914年は「天において」イエス・キリストが王座につき、人間の目に見えない形で最後の審判が始まったという解釈をとることによって教団は危機を乗り越えたが、ラッセルは失意のまま翌々年に亡くなった。 ラッセルの死後、教団の一部は分裂したが、C・T・ラザフォード(1869〜1941)が後継者として二代目会長となり、教勢を伸ばした。
この教団の特徴は、徹底した終末待望思想、三位一体の教理の否定、クリスマスその他諸行事の否定、他のキリスト教各派の否定、政府を初めとする既成権力組織の否定、旧約の律法(一部)の独自解釈による遵守、救いに与るための戸別伝道の義務、独自の翻訳による『新世界訳聖書』の使用などがあり、他のキリスト教各派や一般社会との間にさまざまな軋轢(あつれき)を生み出している。教団の運営はニューヨーク市ブルックリンにあるワッチタワー本部によってなされ、会長をトップとして、統治体と呼ばれる十数人のグループが実権を握っている。伝道者養成機関としてニューヨークに「ものみの塔ギレアデ聖書学校」を持っている。
伝道の方法としては、戸別訪問によって関心を示した人の家で「聖書研究会」を行うことから始まる。このとき、求道者は「研究生」と呼ばれる。一定期間が過ぎて、研究生が慣れてくると、次に「王国会館」と呼ばれる彼らの集会所に誘われ、そこで開かれる種々の集会で訓練を受ける。集会には「公開聖書講演会」「ものみの塔研究」「会衆の聖書研究」「神権学校」「奉仕会」などがあり、ここでものみの塔の教理や伝道方法を学ぶ。続いて実際に訪問伝道に同行して訓練を受け、地区大会などの機会に洗礼を受ける。信者になった後は、月当たりの訪問伝道の時間によって役職が上がっていくシステムになっている。そのため、多くの信者が伝道時間を確保するためにアルバイトや夜間の仕事についているという話もある。
信者は教団への絶対的な服従を求められ、聖書の解釈も信者独自では許されず、教団が発行する教科書や『目ざめよ』『ものみの塔』などの雑誌を通してしか聖書を学ぶことはできない。また、それらの書籍の内容に疑義を持つことも(実質的に)背教と受け止められ、事実、そのことによって教団から排斥処分された、北海道広島会衆(代表:金沢司氏)の例もある。