第10回「ウィクリフ訳聖書」

 古代から中世にかけてカトリック教会で用いられたウルガタ聖書はラテン語で書かれていたため、一般の人々は自分の目で直接、読み理解することはできませんでした。そのためにカトリック教会の司祭の中から、民衆が自分で読めるようにと自国語への翻訳を考える者が現れてきました。しかし当時はまだ宗教改革以前の時代であり、カトリック教会が絶大な権力を持ち、ローマ教皇の許可なく聖書を翻訳することは堅く禁じられていました。

 その禁を犯して聖書を最初に英語に翻訳したのは、イギリス、オックスフォード大学の教授であり、カトリック司祭であったジョン・ウィクリフでした。彼は晩年になってから、かつて司祭を務めたラタワースという町でウルガタ訳を英語に翻訳し、翻訳した聖書を持った伝道者たちを各地に派遣しました。

 この聖書の序文には、後にリンカーンがゲティスバーグでの演説に引用した有名な言葉が書かれています。「この聖書は、人民の、人民による、人民のための統治に資するものである」という言葉です。

 ウィクリフは英語への聖書翻訳の他にも、カトリック教会の教義への批判を行い、それは後の宗教改革にも大きな影響を与えています。

 カトリック教会は、彼の死後30年が経ってからウィクリフを異端と宣告し、その決定に従い、彼の遺体は墓から掘り起こされて火で焼かれ、その灰は川に捨てられたのです。これは何を意味しているのかと言うと、終末の日に復活すべき身体の元を無くすことにより、ウィクリフが復活できないようにするという宗教的な意味での究極的な死刑に処したということです。

 遺体に対するこのような処置は、現代の私たちから見れば、笑い話のようにも思えますが、当時の人々にとっては、私たちの想像を絶する、身の毛もよだつ恐ろしい刑罰だったのです。このことは、ウィクリフに対する当時のカトリック教会の憎悪を示しており、聖書を自国語に翻訳するという、今では当たり前のことが、当時はいかに大きな宗教上の罪であったのかを伺い知ることができます。



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