日本で最初に聖書が和訳されたのは、キリシタン時代(1560年頃)にイエズス会宣教師フォン・フェルナンデスが訳した四福音書だと言われています。しかし、この聖書は火災のために原稿が焼失してしまい出版には至りませんでした。
その後、ルイス・フロイスらの翻訳により、1613年(慶長18年)頃に、イエズス会が京都で新約聖書を出版しました。けれども、この頃からキリスト教への弾圧が強まり、この聖書が広まることはありませんでした。
幕末になって、宣教師ギュツラフは、マカオで3人の日本人漂流船員と出会い、彼らの助けを借りて「ヨハネ福音書」と「ヨハネの手紙」を翻訳し、1837年にシンガポールで出版しました。しかし残念なことに、この翻訳を当時のアメリカ聖書協会が検討した結果、協会が求める規定水準に達していないという理由で、3回印刷・出版されただけで打ち切られてしまいました。
1800年代後半になると、日本の開国やキリスト教解禁が近いことを察した宣教師たちによる聖書の和訳が盛んに行なわれるようになります。
ハンガリー人の医師で英国国教会から琉球(沖縄)に宣教師として派遣されたベッテルハイムは「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」「使徒の働き」「ローマ人への手紙」を翻訳して1885年(安政2年)に香港で出版しました。ベッテルハイムは、この他にも「マタイ福音書」「マルコ福音書」の翻訳を完成させていたことが近年判明し、英国聖書協会に保管されていた原稿から作成された復刻版が新教出版社より出版されました。
また、1859年の開国により来日したアメリカ人宣教師たちも、それぞれ聖書の和訳に着手し、ゴーブルは「マタイ福音書」を1871年(明治4年)に、ヘボンとブラウンは「マルコ福音書」「ヨハネ福音書」を1872年(明治5年)、「マタイ福音書」を1873年(明治6年)に出版しました。
この時はまだキリスト教禁制が続いており、それを承知で日本国内で和訳聖書を出版することは、まさに命がけの仕事でしたが、彼らはそれを神から与えられた使命であると信じて遂行したのです。
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