第8回「聖書の写本」

 ウルガタ訳聖書はローマ・カトリック教会の公認聖書として、各地の修道院で書写が行なわれました。修道院には、写本を作るための写字室が設けられ、聖書の写本が次々と生産されました。ここで、修道士たちは一つ一つ文字を書き綴っていったのです。

 1冊の聖書を書き写すのは大変な作業でした。羊皮紙(子羊や羊などの皮をなめして薄く延ばした紙)に書かれた文字は、訂正が必要な場合には削り落として書き直すことができましたが、何度も間違っていては作業が進みませんし、間違いに気づかずに、そのまま完成してしまう可能性もあり、非常に忍耐と神経の緊張を必要とする作業でした。

 このような厳しい筆者作業を可能にしたものは、修道士たちの信仰心だったと言えるでしょう。修道会の規則により、彼らは全ての私有財産を放棄し、積極的に苦難の道を歩むことを誓っていましたから、つらい作業も、魂の修行の場として忍耐したのです。

 やがて、写本製作の担い手は、修道院だけでなく大学へ、そして写本を製作する専門工房へと広がってゆきます。このようにして、手書きされた写本は、現在のように大量生産される書物とは違い、当然のことながら非常に高価で貴重なものでした。当時の平均的な写本の値段は、現在の価格に換算すると安くても数百万円、高価なものは1000万円以上にもなります。まさしく家一軒の値段と変わらないような値段でした。ですから、現在のように誰でも聖書を所有するということはできず、教会で一冊、場合によっては地域の教区で一冊を共有するということもあったようです。個人で聖書を所有できるのは、高位聖職者や国王、貴族のような一部の特権階級に限られていました。

このような写本の時代が、15世紀になってグーテンベルクが活版印刷技術を発明するまで続いたのです。



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