入籍*結婚
私たちのアメリカでの生活もはや8ヶ月が経とうとしていた。実際に一緒に生活してみて良い部分悪い部分を含め、お互いに今まで見えなかった新たな発見がたくさんあり、それを認識しあったなかで、それでも私たちは、お互いをより必要と感じ、大切な存在であるということを日々の生活において実感していた。最初は、一時的なホームシック、生活のギャップで精神的なダメージが大きかった私も、前向きに生きようとする気持ちの変化とともに、徐々にこちらでの生活のリズムをつかんできて、これまでのたけちゃんに対する自分の態度を反省しつつ、思いやりの心、相手をいたわる気持ちを大切にこの人にずっとついていこう………いつの日からかそう思えるようになり、自己嫌悪の塊の自分から脱出して、少しずつそんな自分のことが好きになり始めていた。
実際こっちで生活してみて、ふたりでこの先一緒に暮らしていくには、いちいち些細なことで感情的になっていては、良い関係は保てないというのが次第にわかってきた。周りに知り合いがたくさんいるわけでもないし何かあったとき、ここには逃げ場はない。喧嘩でもすればお互い傷付き合い、エネルギーを使い切って疲れてしまうだけである。お互い仲良く平和に暮らしていくためには多少の妥協も必要だということを私はここにきて学んだのであった。
そんな私たちが真剣に結婚を急に意識しだしたのは、1997年、年が明けて最初の頃だった。このままだらだら同棲生活をつづけるよりも、この辺でお互いの関係にけじめをつけたほうがよいのではと二人とも思うようになったからなのであるが、ほかに同棲を続けるにあたり、幾つかの問題が浮上してきたからだ。一つはビザの問題、もう一つは親の問題である。私はアメリカに来るにあたり、学生ビザで入国したのであるが、もちろん来た当初から、学校に通う気などさらさらなかった私は、法律的には不法入国者で、そのために保険に入ることもできず、毎日おびえた暮らしをしなければならなかった。捕まればすぐに強制送還。そうなればアメリカに再び入国するのが困難になるばかりか、たけちゃんとの関係がだめになってしまう………私が最も恐れていた、一番避けなければならないことだった。それともう一つは親のこと。いつまでも同棲生活を続けていれば、親も日本に住んでいる限り、いろいろ世間体などもあるだろうし、海外で生活しているだけに余計に不安に思っているに違いない……とこちらも何かと気をもんだ。
映画やドラマのワンシーンにあるようなロマンチックなプロポーズなどはなかったにせよ、双方の親からも認められ、私たちの結婚話は急ピッチに進んだのであった。
1997年、3月20日私たちは一緒にシカゴの日本領事館にて婚姻届にサインした。これでやっと正式な形で夫婦になれた……私は自分の苗字が変わったその日の感動を今でも忘れない。 この日から私たちの本当の意味での新たな出発が始まったのだ。 私にとって最高に幸せな瞬間だった。
結婚式
私たちはアメリカにいたので、日本での結婚式の日取り、準備は当人たちなしで、何度かの親同士の会合のみですべて取り決めが行われた。基本的には親任せであったのだが、親たちに経済的負担をかけたくないという理由から式はできるだけ地味に簡素に、披露宴など行わず、親戚だけのお食事会のみで済ませたい、というのが一応の私たちの希望であった。しかしながら、親心というのはやはり違うらしく、我々の予想に反して、“一生に一度のイベントだから……。”と正式な形で式も披露宴もして欲しいと言い出した。特にうちの父親はこの結婚式に相当気合が入っているようだった。たった一日の日のためにお金を費やすのは不経済だと考えていた私としては、当初、あまり乗り気ではなかったが、なんと言ってもスポンサーはあちらなので、我々はただ親の意見に従うことにした。ただし、略式の派手でない結婚式にという条件で……。
好都合なことに、たけちゃんの親戚もすべて熊本出身ということで、私の地元熊本で式は行われた。私たちの強いかねてからの要望で神前結婚式。ウエディングドレスを着るのも憧れていなかったわけではないが、アメリカに住んでいるせいだろうか? 私たちは二人とも日本的なものにとてもこだわっており、日本ならでわの、伝統的な形式で、白無垢に高島田、紋付はかまで式を挙げたい……という希望の方が強かった。アメリカ留学のため成人式で着物が着ることができなかった私は、とても着物姿に憧れており、一度でいいからきちんとした形で着物を着てみたいと思っていたので、一度だけのお色直しも黒の素敵で鮮やかなデザインのものを選んだ。おかげで質素ながらも、私の想像をはるかに越えた素晴らしい式を挙げることができ、双方の両親に心から感謝した。
式は両家の親族のみということで終始和やかな雰囲気の中で行われた。両親の満足気な表情を見ながら、私たちもいつも心の中にあった両親に対する罪悪感、わだかまりのようなものが解け、安堵した。友達を呼ぶことができなかったのは残念だったが、途中その友達らがお祝いに駆けつけてくれたときには、こらえていた涙がポトポトと流れてしまった。あの時つくづく人というのはいろんな人に支えられて生きているんだなあと改めて痛感したと同時に、私たちを支えてくれている人をこれからももっともっと大切にしていかないといけないと強く思った。3月の入籍の日は、誰の祝福もなく、私たち二人だけのさびしいものであっただけに、この日はいろんな人に祝ってもらい本当に感無量だった。
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