日本語教師
フランス人の友達、コリンから日本語教師をやってみないかという誘いを受けたのは、6月のことだった。たけちゃんと結婚して正式に配偶者のビザがもらえたとはいえ、私にはアメリカでの労働許可がない。アメリカで働いてみたいというのは私のかねてからの夢であったが、グリーンカードが取れるまでは仕方がない……そう思っていた。子供と教えることが何よりも大好きだった私。その私が、アメリカの教育現場に実際に携わり、日本語教師としてアメリカの子供たちに接することができる………私にとっては、夢のような願ってもないチャンスだった。想像するだけで楽しかったが、労働ビザなしでどうやって働けというのか? 非常に残念だがこの話はお断りせねばならないだろうな……そう思っていた。
コリンにそのことを打ち明けると、そのことなら大丈夫だという。彼女がいうにはそのランゲージプログラムを運営しているディレクターはビザなしでもパートタイムであれば何とか公にはばれないようにしてくれるというのだ。私は翌週アポをとりディレクターと会うことになった。
彼女の名前はエヴァ。ポーランド人である彼女は5ヶ国語を自由に操る才女だ。とても大きな家で一瞬入るのをためらったが、ベルを押すとすぐに地下にある彼女のオフィスに通され、面接が始まった。最初は教えた経験があるかどうか、どういう教育法で教えていたか、子供は好きか、歌やゲームを授業で取り入れるかなど、私の教育方針について細かく聞かれ、私はその一つ一つの質問に丁寧に答えた後、もうすっかり私を雇う気でいるらしい彼女におそるおそるビザのことを尋ねて見た。すると彼女は“パートタイムで、お給料が現金払いでよいのであれば大丈夫。そのことなら心配しないで”と言う。“今はこっちの学校は夏休みだから、あなたには秋から教えてもらうわ。それまで、いろいろと準備をしてもらうことになると思うけどいいかしら?”
こうして私の夢は現実のものとなり、秋からのクラスに向けて教材集め、教材作り、などを着々と始めた。またあの時の自分に戻れる……そう思うと本当にわくわくした。結婚式で日本に帰国した際、英語を教えていた時に使っていた教材をごっそりもってきて、それを今度は逆に日本語のクラスで使うことにした。まだ見ぬアメリカ人の生徒たちのことを想像しながら教材を作ったり、レッスンプランをたてたりしているだけで、毎日がとても楽しく、秋が来るのが本当に私には待ち遠しかった。
授業開始
さていよいよ授業開始。私は3つの小学校で教えることになった。学校の専属講師としてではなく、エヴァの経営するランゲージプログラムから派遣されるという、派遣社員ならぬ、派遣講師である。私はかつて教えていた時のように、たくさんの教材を抱えきれないほど両手に持ち、授業開始1時間前からレッスンの準備にとりかかった。子供たちはすぐに私のクラスに興味をもってくれ、回数がますごとに彼らの日本や日本語への関心が高まっていることがうかがい知れ、私もそれなりの手ごたえを感じた。日本語をどれだけ覚えてくれるかということよりも、どれだけ関心を示してくれるかということの方が、私にはむしろ大事なことのように思えた。再びあの生き生きとしていた頃の自分に戻り私も本当に充実した日々を送った。
アメリカ人 VS 日本人
日本で教えていた時に常日頃感じていたのは、子供の性質というのは、親や学校だけに影響されているわけではなく、地域性にも大きく反映しているということである。つまり、教育熱心な親の多い地域などでは競争意識も高まり、子供も親の顔色をうかがっていつも神経質になっている子供が多いのに対し、親も競争心を煽ることなく自由奔放に育てている家庭の多い地域では子供も子供らしくのびのびと育っているということである。それはここアメリカにおいても同じであった。いろいろな地域でさまざまなタイプの子供に接することができるというのは本当に良い体験だった。私はカセットデッキを持っていって日本の歌を紹介したり、簡単な数字、色から日常会話に至るまで、毎回レッスンプランを作って、ゲームなどを通じて教えた。日本の子供はカードゲーム、なぞなぞ、記憶ゲームなどの知的なゲームを好むのに対して、こちらの子供は単純なボール、動作やジェスチャーをつかったゲームなどをより好む傾向にあるというのも興味深かった。日本の子供だと2週連続同じゲームを取り入れようものならが“先生〜、それ先週もやったよ〜”とか“え〜またそれ〜”などと厳しい声がとぶが、こちらの子供は毎週でも同じゲームをやりたいらしく“先生、今日もボールゲームするんでしょ?持ってきた?”などといってくる。もちろん、ボールゲームといってもただボール投げをして遊ぶわけではなく、投げる時に質問して、受け取る時に答えるなどの、ボールと会話のキャッチボール、いわば、勉強の手段として使うわけだが、そういう単純な遣り方を彼らは好むのだ。走ったり、とんだり、というのも好き。とにかく、座ってじっとしていうことよりも、身体を動かしながらするお勉強が好きらしい。
ポケモン
アメリカでもすごいポケモンブームだった。カードはもちろん、ペンケースからTシャツまでポケモンであふれていた。中にはポケモンがきっかけで日本語を習って見たくなったと言う子もいたほどだ。ほかにもドラゴンボールなど日本の漫画が大流行。どちらかというとバイオレンス系の漫画が人気があるらしい。
ランチ
アメリカのランチにはびっくりした。うわさでは聞いていたけど、とにかく質素。サンドイッチ一つにミルクかジュース。そしてバナナやりんごなどのくだものが一つと、あとはオレオなどのクッキーを持ってきているだけである。サンドイッチといっても日本のサンドイッチのようにハムや卵やレタスなどがはさんであるようなものではなく、バターにジャムやピーナッツバターなどをぬっただけのもの。日本人より体格のいいアメリカ人の子供がこんなもので足りるのだろうかと思ってしまう。たまにランチを持ってきていない子がいてその子らは学校のカフェテリアで買うらしいが、それがまたひどいのなんの…。一口ぐらいで食べられそうなちっちゃいタコスに小さいミルクだけ。1ドル50セントとかいってたけどこんなものお菓子ではないか、と思ってしまう。アメリカの親や学校は栄養のことなど考えないのだろうか。でもなんといっても普段マクドナルドなどのハンバーガ―などを主食とするような人たち。(そう、アメリカ人はグルメではありません。)生徒に聞くと週に2,3回はマックでディナーだとか……。ちなみにこれ余談ですが、アメリカでは2人に一人が太っていて、4人に1人が肥満だという統計が出ています。
クリスマス
日本で教えていた時も、生徒や父兄からお中元やお歳暮をよくもらったが、アメリカ人も意外にも律儀で、クリスマスにはお花やチョコレート、ほかプレゼントをカードを添えて持ってきてくれた。物よりも気持ちというか、一個人の先生としてきちんとリスペクトしてくれたという表れののようで嬉しく思った。私の似顔絵入りのカードなどは今でも私の大切な宝物だ。
P.S.
結局、私は1997年から妊娠3ヶ月の2000年春までの2年半に渡り、アメリカ人の子供たちに日本語を教えました。私にとって非常に貴重な体験となり、今でも、そしてこれからもずっといい思い出となるでしょう。幸いなんのトラブルもクレームなどもなく無事、この仕事を終えられて良かったと、今になってほっと胸をなでおろしてます。10年後、20年後の成人した彼らに会って見たいな〜…どんな大人たちになっているのでしょうね。