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ミレニアムベイビー誕生

Icon 出産の記録
10月6日出産予定日当日の夜遂におしるしが…。子宮口が3cm開いていていつ陣痛が始まってもおかしくない、と先生に言われていたのでいよいよだなと思い、ドキドキしながら陣痛が来るのを待つ。が、待てども待てども来てくれない。結局、3日後の次の検診まで何も起こらなかった。ノン・ストレステストで赤ちゃんの心拍と陣痛の波をチェックする。体重はこの2週間で3キロも太ってしまい、今までで体重は13キロ増だ。案の定、私の小柄な体型に対して赤ちゃんが大きくなりすぎていると言う。“胎盤の機能が低下してきているようだから今すぐ入院してください。誘発して人口破水しましょう。” そして、事態は思わぬ方向へ…。

私たちは正直、動揺した。誘発、そして人口破水…。私たちが全く予想していなかったお産のスタイルになりそうである。たけちゃんは会社を休み、即入院の手続き。こちらでは、立会い出産は半ば強制なのだ。日本から手伝いにきていた母も立ち会うことになった。

朝10時、私は最初から分娩室に入り、まず幾つかの質問に答え、書類にサインする。その後は点滴をうたされ、身動き取れない状況に。人口破水したあとは、誘発による陣痛の波が定期的に来る。最初は緩やかに、そして次第に陣痛の波が大きくなり痛みが増してくる。普通のお産だったらポジションを替えたり、マッサージなどしながら痛みをある程度和らげられるのだろうが、点滴で動けないのが辛い。のどが渇き、唇も乾燥するが、水も飲んではいけないという。たけちゃんと一緒にラマーズのクラスで習った呼吸法を試みる。持ってきたラジカセで音楽も聴いてみる。が、全く効果なし。

必死に痛みと闘いながら、5時間ぐらい耐えていただろうか。先生が巡回に来て私に言う。“いつまで、頑張っているんだ?無痛にして早く楽になればいいのに…。” 私は初めから、自然分娩を希望していたのだが、先生のこの一言で私の気持ちは揺らいでしまった。誰だって、痛くて苦しんでいるときにこんなことを言われれば、楽な方を選びたくなる。私はすぐに、“無痛でお願いします”と言ってしまった。意志が弱い…。

背中の脊髄に麻酔を打たれる。それからは、もう天国だった。まさに、ミラクルペインキラー。こんなに楽ならもっと早く使えばよかった…。私は陣痛の合間に眠ったりしながら、この調子だとお産も楽勝だろうな、などと思っていた。たけちゃんと私の母親もその間にサンドイッチなどをカフェテリアで買ってきて食べている。う〜、おいしそう…。私は、朝からずっと何も食べてないのだ。さっきまで陣痛がきていて痛みでそれどころではなかったが、無痛にして楽になってからは、おなかがすいて死にそうだった。でも、飲み食いは一切してはいけないという。無痛による副作用で吐き気を催すからだ。

時は緩やかに流れた。時計の針はすでに8時をまわっている。今か今かと待っているがなかなか子宮口が全開にならない。今日中に生まれるだろうか?もうここまで待ったのだ。 どうせだったら、 翌日の10日の方が10月10日2000年と語呂合わせがよくっていいね〜などと話している。

そして11時半。いよいよ、全開になり、陣痛の波に合わせて、看護婦さんにリードされながらいきみを開始。たけちゃん、私の母も、“ワン、ツー、スリー…”と一緒にカウントする。何度も何度も試みるがなかなか出てこない。苦しくって、異常にのどが渇く。誰かに助けを求めたくても、誰も助けてはくれない。自分ひとりで乗り切るしかないのだ。赤ちゃんのために頑張らなければ…と自然に力が入る。すると看護婦さんが“赤ちゃんの頭が見えてきたわよ”、と言い、たけちゃんが覗き込む。“ほら、あなたたちと同じ、黒髪の赤ちゃんよ。” 私はその瞬間、たけちゃんの目にうっすら光るものを見た。私もたけちゃんのその姿に思わず目頭が熱くなる。よし、もう少しだ。頑張ろう!と、また皆でカウントする。しかし、いきみ始めてから、もうすでに2時間が経過していた。これまで何十回といきんで、もう身体に全く力が入らなくなってしまった。頑張っても頑張っても、赤ちゃんが出て来る気配は無い。私はついにギブアップ宣言を出した。私の体力はすでに消耗しきっていて、これ以上頑張っても無理だろうと思ったからだ。看護婦さんは先生を呼び、急遽、吸引分娩になった。2度、3度と最後の力を振り絞って精一杯いきむ。すると、ついに“オギャ〜”という産声が…。たけちゃんがへその緒を切る。

2000年10月10日午前1時32分。体重7パウンド9オンス(3449g)身長20インチ(51cm)こうして、15時間半の末、無事女の子を出産。ティファニー舞花と命名する。

Icon それから…
私は前々から、自分のお産の時も、ドラマや映画でよくあるような、赤ちゃんとの涙と感動のご対面…みたいなものを想像していた。看護婦さんが赤ちゃんをくるんですぐに、私のところに連れてきてくれたのだが、私は感動どころか、痛くて痛くてそれどころではない。無事に生まれてくれたんだな…と思いながらも身体全身が震えて赤ちゃんをまじまじと見る余裕などなかった。下はかなり裂けていて出血がひどいとのことだった。先生が縫合しながら、私が気が失わないように必死に何か話し掛けているが、私はそれに答えられるエネルギーはなくあいまいな返事をしたりしていた。私が苦しんでいる中、母親とたけちゃんは生まれてきたばかりの舞花を見て舞い上がっているらしく、写真などを撮っていたりしてかなりのハイテンション。二人とも私のことを心配している気配など全くない。二人ともいい気なものだ。人の苦労も知らないで…。とりあえず、二人は家に帰り、私は病室に移り休むことに。

アメリカの入院は2日間だけ。産後はやはり、痛みが続き、寝る暇もなく、最初の授乳で朝の5時に起こされる。この時私は、もうろうとした意識の中、はじめて我が子の顔をまじまじと見た。こんなに小さな赤ん坊がもうおっぱいを吸い付くすべを知っているのだ。私は今までに味わったことのないようななんとも不思議な感覚にとらわれた。この子がつい数時間前まで、私のお腹の中にいたなんて…。

授乳が終わると、私は自分が空腹であるのに気づき、食べ物を注文することにした。ここの病院はメニューがおいてあり、朝、昼、晩と自分で電話してオーダーすることになっている。どうせ、保険屋が払うんだ、と思い、私はここぞとばかり、大量にオーダーしておなかいっぱいになるまで朝食を食べた。ブルーベリーマフィンにアップルパイ、スクランブルエッグにソーセージ、そしてフルーツの盛り合わせ…。病院にしてはかなりいける。その後、看護婦さんを呼んでトイレへ。やはり、痛くて歩けない。私のベッドからトイレまでは10歩ぐらいの距離なのに、かなり遠く感じる。ゆっくりゆっくり時間をかけて歩く。最初の2回までは看護婦さんが付き添ってくれるがその後は自分で行かなければならない、と言われた。

私は入院中、一度トイレで気を失った。緊急用のボタンを押し、5,6人のナースが車椅子や酸素マスクを持ってトイレに駆け込んできた。アンモニアの匂いをかがされ、私のほっぺたをたたき、それはそれは大騒ぎだった。それ以後、私はトイレに行く度にナースコールを押しつづけた。アメリカ人は多分、骨格のつくりとか、いろんな身体のつくりが東洋人とは違い、丈夫にできているのだ、と私は思う。皆出産したその日に、平気で歩いているし、シャワーだって一人で浴びているのだ。私には信じられなかった。



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