うっちぃ物語…錆びた記憶の彼方から〜その1

<半分位は記憶の彼方?の為、脚色してあることをご了承の上、お読み下さい…(笑)>

◎思い起こせば…大昔、うっちぃは引込み思案な子供だった…はず?。

あれは、3歳頃からだったろうか。物心がついた時には、すでにばーちゃんのバイク
(スーパーカブという)に乗せられ(あの頃も50ccは同乗は不可だったんじゃ?)、
いろんな場所へ(老人の集うセンターや塾など)連れて行かれてた。

近所の幼馴染みに何か言われると、何も言えず、黙って駆けて帰ってしまうような
(いじけた?)子でした。そうすると、ばーちゃんがその子にモンクを言いに行き、
また後日同じような目に…。(もしかして、いじめられっこだった?)
しかも近所の同級生は、女3人だったんだよね。この頃から女は…って意識が、
芽生えていたのかも(笑)。

◎さて、その後小学校に進み、幼馴染みの同級生と家が近いってことで、
毎朝一緒に登校してましたが、畑の中の田舎道ゆえ、なんどか誘拐されそうになったり。
お金もない(我が)家を狙ってたとは思えないので、ホント誰でも良かったのか?、
もしかしたら幼なじみの子<彼女の家は商売してたから>と間違えてたんじゃ…、なんて
今では思いますが。とりあえず今ここでピンピンしてるってことは、悪運が強い!って
ことの証明かな?(笑)

そろばん塾にもハイカラばーちゃんのお陰(?)で行かせてもらってたんだけど…。
夕立に降られ、自転車で、風雨の中自宅までまだ数100m手前の、よその家まで、
やっとの思いで泣きながらたどり着き、(今も覚えてるけど、息ができないくらい
激しい雨だった)そこん家の人が家に電話してくれて、迎えにきて貰った覚えが…。

そうそう、そろばんで思い出した。1年の冬くらいから通い始めたので、(九九もまだ
習ってないうちだったので)、九九の書いてある下敷き見ながら計算したり、暗算では
机の下で、指を使って考えたりという涙ぐましい努力をしていたんだよなぁ。

分室から本室の塾へ移った時にも、年上の男に砂入りのアルミホイルをバッグの上に
おかれたり(どうも私の方が年下なのに、級が上だったのが、おもしろくなかった
らしいけど、長くやってるんだから、進んで当たり前ってのがヤツはわかってなかった?)、
ついでにカチッと押しただけで、玉がはじかれる<ワンタッチそろばん>
という画期的なのを持ってたりしたので、何かとイジワルされてたんですね。
(これらの道具も全て新しいもの好き、ええかっこしいのばーちゃんのお陰でした)

★ここでひとつ。何でも強引に自分のやりたいこと、欲しい物を買ってくれて、
(押し付けられてたともいう?)、人より前への意識が強く、新しもの好きの
ばーちゃんに育てられてきたお陰で、私もきっと彼女の影響が大きかったんだという、
自覚症状は常にありました。(母は、全く正反対で、人付き合いがニガテな人でしたから、
ある部分では、女同士の面倒なつきあいは避けたいってのは母譲りなとこかも…なんて
思わないでもないですけど)

事実恋愛時代はそれが、自分にとってはプラスに影響していましたが、2年ほど前に、
ばーちゃんが実はO型(ずっとBだと思い込んでた)だったというのがわかって、
あ〜、良かった!(何が?)ってのと、ナルホド父と同じなのか〜、だからどっか
合わないんだよなぁとまさにいろんなことの辻褄が合った(?)と思ったものです(笑)。

でも、そうなると死んだじーちゃんがBだったということは…、やっぱ信じられない
くらいの頑固さは、じーちゃん譲りというわけで、こっちもまたハンパじゃない(爆)

自分でいうのも何ですが、私の忍の字は、ばーちゃんのせい(おっとお陰?)で、
大分鍛えられたと思います。そういう面では、(そろばん塾の年上男のような)バカは
相手にしないで、自分がどんどん進んで勝ってやる!っていう風に負けん気が
育まれたとも言えますね〜。あそこで泣いてたら、今の私にはなってなかった!

あらためてみると、昔から情けないヤツ(男)をけっこう見てきたんだ、私って。

まずは、序章ってカンジかな。

まだ、(この続きを)聞いてやってもいいかな、と思ってくださったら、
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