結婚して1年半。子供は大好きだから、いつかは欲しいと思ってた。
仕事はこれからって時だった。私はその時、たった3人、女だけのプロジェクトチームにいた。半年ほど前に最悪の業績を記録し、暗くて重苦しくて逃げ出したい毎日が続き、それでも3人で力を合わせてなんとか明るさが見えてきたそんな矢先だった。
遊びも今年のテーマは「カヌー」にしようと張り切っていた。友人がアメリカで買ってきてくれたカヌーウェアを着てゴールデンウィークから始めるつもりだった。3月にはわれわれ夫婦が幹事をするスキー計画もあった。
まさか、ねぇ・・・と半分祈るような気持ちで2週間を過ごした。
そして、薬局でこっそりと妊娠検査薬を買った。そう、まるでドラマみたい。週末まで待って夫がいる時に試した。あのドキドキは忘れられない。陽性を示す青い線が浮かび上がった。まずは単純に嬉しかった。夫も一緒に喜んだ。それからいろんなことを考えた。だんだんと気持ちがブルーになっていった。
まだ親になる心構えはできていなかったんだな。
病院で超音波の映像を見た。わずか2センチの赤ちゃんがいた。私にはマメにしかみえないが、もう心臓があるらしい。自分の中に別の生命があるって、感動だ。
そして、いよいよつわりが始まった。でも、テレビドラマのように「うっ・・・おぇっ・・・」っていうのはなかった。言いようのないだるさと、むかむかでイライラした。
味覚も本当に変わった。私はもっぱらイチゴだった。イチゴは我が家にとって贅沢品だったが、つわりだから仕方ない。そのうちグレープフルーツが好きになった。まともな食事を作る時は、トマト料理ばかりだった。あと、一度夫が作ってくれた酢豚は、お肉以外おいしく食べれることを発見し、肉なし酢豚も何度か食べた。大好きだったコーヒーは匂いだけで気分が悪くなった。大好きだったチョコレートをお土産にもらっても食べられなくなってしまった。
ところで、つわりの時、何が欲しくなるか、人それぞれで違うらしい。モモだった人、メロンだった人、あるいは揚げ物ばかり食べたくなったとか、牛丼が好きになったとか。つわりになって突然タバコが吸いたくなる人もまれにいるらしい。
営業だったので外で食べる昼食ランキング第1位は、立ち食いそば屋の「ざるそば」だった。
新入社員の入ってくる季節。私たちの事業部にも2人の新人がやってきた。少しずつ、つわりもなくなってきたので、お腹が大きくなる前にこの新人ちゃんを一人前にし、仕事を引き継がなければと力がはいる。
そんな矢先、私の前に立ちはだかった大問題。それは腰痛だった。私はもともと腰痛持ちだった。妊娠すると、大きくなったお腹を支えようと背筋にどうしても負担がかかり、腰痛になりやすいというのは聞いていた。でも私のお腹はまだ全然出ていなかった。さらに、痛さ具合が半端じゃなかった。ある日、新人1人を同行させて営業している最中、突然激痛が走り、左足が全く動かせなくなった。なんとか近くのベンチにたどり着き様子を見たが、良くなる気配がない。仕方なく、仕事を切り上げ病院へいくことに。ちょうど仕事が休みだった夫の運転で、産婦人科と整形外科のある私立病院に向かった。産婦人科で超音波を見てもらい異常のない事を確認するが、整形外科は設備が十分ではないと断られ、大学病院を勧められた。大学病院に電話をすると、今日は当直の先生が整形外科ではないため、来てもらっても湿布くらいしか出せないとのこと。仕方ない、明日もう一度。
病院って、本当に嫌い。そう思ったのは翌日の待ち時間の長さと、対応の悪さ。始めに整形外科で待つこと2時間半。その後5分の診察の後、精密検査(MRI、妊娠中でも大丈夫なんだって)は予約が必要で、それを見ないとなんとも言えない、とのこと。その後産婦人科の診察を待って、もうぐったり。
2週間後、精密検査の結果がでた。異常なし、とのこと。この痛さで異常がないと!・・・病院は何の役にも立たない。
その後、産婦人科で予約をしたにも関わらず3時間待たされたことで私は完全にキレてしまった。平日、半休をとり電車とタクシーでわざわざ来ているのに、腰痛は治せない上、3時間も待たされるなんて許せなかった。結局、受付に他の産院を探すことを告げ、診察をキャンセルして帰った。だいたい1度目の診察のときも、2人の研修生に説明しながら内診されたのも嫌だった。ニ度と東京女子医科大学病院なんていくもんかー。
そして、私は会社の人の勧めにより、カイロプラクティックに通うことになったのだ。
ここで、私は東洋医学というものに触れた。体の神経はいろんな所につながっていて、手首や足首のツボを押したり、電気で暖めながら筋肉をほぐし、ゆっくり骨を矯正しながら腰痛をなおすというものだった。確かに、ピンポイントで押されたツボは非常に痛くて効いている気がしたし、骨盤のずれが神経に影響しているという説明にも納得した。
毎日通えば1ヶ月で完全に治ると言われた。有休は有り余るほど有ったが、そんなに仕事を休むわけにもいかず、なにより保険が利かない為1回5千円というのもけっこうな負担だった。結局平日1回と土曜日の週2回ペースで通い、痛みをだましながら営業を続けた。
2週目に、やっと引継ぎが終わった。入社したばかりで担当を持たされる新人ちゃんも可哀想だと思うが、妊娠6ヶ月まで歩いた私もよく頑張ったと思う。最後は着られるスーツは2着だけだった。内勤にしてもらっていよいよ妊婦服デビュー。自分の部署以外では私の妊娠を知らなかった人がほとんどだったため、なんだか恥ずかしかった。
腰痛は、歩かなくなったこともあってほとんどなくなっていた。お腹が大きくなってくれば、また腰の負担も増えるだろうが、とりあえずは乗り越えたと思っていた頃、次なる困難が。
それは、ダニにさされたような2つの発疹から始まった。かゆい。布団、クッション、干さなきゃ。
ところが、それはすごい勢いで広がっていった。おしり全体にブツブツができて、その後お腹から首、手足にいたるまでかゆくなった。
妊娠中に発疹ができることはめずらしいことではないという。「2、3日で治りますよ」と産院でもらった薬を塗ったが、全然効かなかった。やはり専門家に聞こうと皮膚科に行った。「妊娠中は何があってもおかしくないからね」といわれ、少し強めの薬をもらったが塗ってもしばらくするとすぐかゆくなった。
腰痛も辛かったが、かゆみを我慢するというのも大変なことだった。かゆみのやっかいなことは、かけば一時の快感を得られることだ。どうやら、寝ている間にも体中をかきむしっていた様で、血がにじんでいることもあった。
2週間ほど続いたある日、トイレで同期と立ち話をした。「やっぱり、食べ物とか気を使ってるの?」と聞かれ、私は最近友達に勧められて飲み始めた青汁の話をした。青汁はおいしくないけどカルシウムを始め、すごい栄養があるって。同期いわく、「私も青汁飲んだことあるけど、あれって強いでしょ。私はブツブツができちゃったからやめたんだ」。 ・・・・!!って、私のブツブツももしかしたら青汁のせい?
それから1週間程でブツブツは少しずつ良くなっていった。それが青汁をやめたせいなのか、病院でもらった薬が効いたのか、はたまた妊娠中の自然な経過だったのか、私にはわからない。しかし、青汁が100円になっても再び飲む勇気はない。
赤ちゃんの性別に関して、多くの人が予想してくれた。なんとなく女の子という人もいれば、このお腹の形だと男の子と断言する人もいる。始めのうちは半々だったが、そのうち、圧倒的に女の子と予想する人が増えた。その理由は私の顔つきがやさしくなったから、という。それは単に仕事が楽になったからではないかと私は思うのだが。
そして超音波検査でわかった。女の子だ。
判断は男の子はモノがついてることを確認した時点で断定できると聞いていた。しかし、実際は子宮があるとか、陰部の形の違いなどでもっと確実に判断できるそうだ。
ある日、産まれた赤ちゃんが「名前違うよ、僕は”あかちゃん”って呼ばれてたよ。」と言っている夢をみた。そこで、一日も早くちゃんとした名前をつけてあげようと、早速考えはじめた。
最近、読めないような名前やかわった名前が多いようだけど、私たちはそんな今風な名前に抵抗があった。かといって名字がとてもありふれているので、名前まで一般的にすると同姓同名の人が増えてしまう。
ゆう、なお、みどり、とうこ、しおり、あかね、りな・・・。いくつか候補があがったが、最有力候補は「みのり」。私たち夫婦はいつのまにか、お腹の子を「みのりん」と呼び始めた。
ちなみにこの名前、出産前の評判は今一つであった。おもしろいことに、多くの人が名付け親になりたがったり、自分の名前から1字くれようとするのだ。「みのり」を気に入っていたわれわれ夫婦は複雑な心境だった。
実は、夫が5月に転職をし、私たちは住みなれた川崎市中原区から足立区にある北綾瀬という駅のそばに引っ越していた。そこは、環状7号線、いわゆる「環七」沿いの家で、非常に住み心地の悪い家だった。というのも、排気ガス、騒音に加えて、ダンプが通る度に家が震度3くらいで揺れた。治安も悪く、近くでは強盗事件があったり、北綾瀬警察署と加平インターの間にある我が家の前を、サイレンをウォンウォン鳴らしたパトカーが毎日のように通っていった。借り上げ社宅だったので、文句は言えなかった。
そんなとき、夫に異動の話が持ちあがった。店舗勤めから本部への異動で、本部なら勤務場所は渋谷になる。当然、北綾瀬から渋谷は通勤圏内だ。しかし、引越しを会社の費用負担ですることができるのこと。妊娠してから2度も引越しをすることになるわけだが、この機会を逃がしたら、次にいつこの家から脱出できるかわからない。結局、夫は異動を受け、早速家さがしを始めた。猶予期間は2週間。平日休みの夫と一緒に家探しはできない。そんなわけで、私は友達3人引き連れて、東横線沿いを中心に物件を回ったのだ。その中で私が気に入ったのは日吉の閑静な住宅街にあるマンションだった。治安のよさと何よりその静けさがよかった。後日夫が確認をして良ければ本契約をするということで、不動産屋で仮予約をした。
しかし、私たちはある大切なことをわすれていたのだ。それは、働きながら育児をする上で私の母の助けが必要なことだった。もともと夫の転職の際も、千代田線、常磐線方面で店舗勤務の希望を出したのは少しでも私の実家がある我孫子に近いようにと考えてのことだったのだ。
家探しは振りだしに戻った。日がないこともあって、夫の休みの日に私は有休をとり、渋谷と我孫子の中間点、北千住、町屋近辺の物件を探すことにした。そうしてみつけたのが、荒川自然公園のすぐそば、下町情緒いっぱいの町屋にある今のマンションだ。築12年の古いマンションだが、エレベータ、オートロック、トランクルーム付き、敷地内に駐車場あり、しかも割安ということで合格だった。
入居まで1週間強という強行スケジュールにも関わらず、引越しはとても順調だった。というのも身重の私を気遣い、引越し当日は私の実家はもとより、岐阜にいる夫の両親も手伝いにきてくれたのだ。私は指示を出すだけで、あっという間に荷積み、荷解きが終わった。改めてこの場にて、本当にありがとうございました。
一般的には、出産予定日の42日前から産休に入るのだが、お腹が大きくなってきて腰痛がひどくなってきたことと、有休が有り余っていたことから、9月の始めから休んでしまうことにした。育児休暇も入れて、最長1年2ヶ月。仕事を始めてから、初めての長期休暇だ。せっかくだから、楽しまなくちゃ。家事バリバリの専業主婦?資格取得や英語の勉強?映画のビデオレンタル三昧?うーん、楽しそう。
でも、実際休みに入ると、この生活、意外と難しい。最初の2,3日はぐうたら昼寝したり、のんびりテレビをみたりしていたが、どうも「ヒマ」というのが性に合わない。シドニーオリンピックがあったから少し助かったが、どうして昼間のテレビってこんなにつまらないのだろうか。
そこで、早速いろいろやってみることにした。このホームページもその一環だ。ビデオも週4〜5本ペースで借りて観た。しかし、やっぱり難しい。だいたい、こんなに人と会わない、話をしない生活も経験がなかった。マンション販売の電話さえ、ちょっぴり嬉しかった。私は確信を持った。私は専業主婦にはなれない。
このメリハリのない生活をかえてくれる「みのりん」の誕生を心待ちにし、出産を早めると言われる散歩に励んだ。
いよいよ臨月。何時産まれてもいいように準備はできた。ただ、ひとつ気になることが。それは、恥ずかしながら、便秘。ここまでずっと快調だったのに。プルーンを食べたり、繊維質の野菜をとったり。水分も頑張ってとった。でもだめ。10日程たったところで、生まれて初めて便秘薬を飲むことにした。1回2〜3錠。効き目は6時間から11時間後とのことで、期待に胸を膨らませ待つものの、だめ・・・。そこで翌朝4錠、さらに夕方3錠。
このころになると、気分が悪くて何も食べられず、まともに眠ることもできない。そして、思いつめた私の最後の手段。イチジク浣腸。これは効きそう。祈るような気持ちで浣腸初体験。この時の苦しみは、陣痛にも勝るのではないかと本気で思った。便秘薬でお腹はキリキリ。浣腸でトイレは近くなる。でも、、、だめ。涙がでた。
翌日は日曜日。恥も迷惑も顧みず、産院にSOSのTEL。看護婦さんに「なぜもっと早く言わないの!」と叱られ、半べそをかきながら先生に相談すると「それは辛いでしょう。明日市販のものよりずっと効く浣腸をしてあげますから。浣腸で陣痛が始まることもありますが、そうしたらそのまま産んでしまいましょう」と言われた。
・・・・こんな形で産まれる「みのりん」も可哀想だが、あと一日、この便秘の辛さに耐えなくてはいけない私はもっと可哀想だ。死んでやるー、便秘ノイローゼで自殺してやるー、とわめいた。
ところが、夜になってようやくすこーしずつ、待ちに待ったものが・・・・。それから、6時間ほどかかったでしょうか。嬉しかった〜。体重も1キロ減ってた。(但し、これは丸2日間ほとんど何も食べていないせいもあると思うけど。)
今になって、これは陣痛の予行練習だったのではないかと思う。ひどい人は30時間以上陣痛が続くらしいし。と、変な自信をつけたのであった。