第一章 帰郷


某月某日

 地元の医大付属病院に出向く。最初に予診があることに驚き、さらに予診を担当したのが実習中の医学生だったことに驚く。ここらへんはやはりできて 20年の新設医大(この言葉もだんだん死語になりつつあるが)とルーツを遡れば藩医学校の医大との違いなのだろう。

 以下実習学生との対話。
「今までの状態を教えて欲しいんですけど」
「あのー、紹介状にだいたいのことは書いてあると思うんですけど」
 同じことを長々としゃべるのが面倒なので逃げてみる。
 予想外の対応に実習学生が背後に控えている指導教官らしき医師を見遣る。指導教官がすかさず助け舟を出す。
「ここの病院のシステムとしてですね、紹介状だけでなく患者さんから直接状態を聞くようにしてるんですよ。ご了承ください」
 ならば仕方ないので今までの経緯を説明する。
 真面目に書き留める実習学生。

 病歴、家族歴ときて既往歴の話になった。
「今までにおたふくかかってますか?」
 唐突に聞かれたのでカルテ(練習用らしくコピーであった)に目を落とすと1.mumpsなどと書いてある。ほかにもいくつかの病名が英語で書いてある。
 このままいくと項目の棒読みだなと判断し、気を利かせることにする。
「おたふくはやってませんが、風疹と水ぼうそうはやりました」
「おたふく」と口に出した直後、ムンプスと言ってやれば面白かったかもと思う。
 実習学生は一瞬英語の病名と日本語の病名が対応しなかったらしく、おたおたとカルテの項目に丸印をつける。
「はしかは?」
「はしかはかかってませんがワクチンを打ってます」
「何かほかに病気は・・・」
「喘息の既往歴がありますね」
 既往歴を聞かれているのだろうと判断し、気を利かせる。
「何かアレルギーとかありますか」
「薬のアレルギーはないですが、喘息なんでハウスダストとダニはアレルゲンですね」
 これまた真面目に書き留める実習学生。

「今までに手術とか入院とかありますか」
「ありません」
 相変わらず項目棒読みだ。

下痢とか便秘とかありますか」
「へっ?」
 診察が進んで逆に緊張してきたのか実習学生の声が小さくなる。
「下痢とか便秘とかは・・・」
「ありません」

生理とか順調ですか」
「はっ?」
 声が小さくて聞き取りづらかったので素で聞き返してしまった。

「紹介状見るとコルヒチンとか飲まれてたようですけど、今までどういう薬を飲んでこられたんですか?」
 今までの投薬歴をざっと説明する。

 これで予診が終わった。少々しゃべり疲れたが、初診だとこんなもんだろう。
 待合室でしばらく待ち、本診を受ける。
 診察室に入ると、先ほどの実習学生のほかにレジデントらしき若手の医師が二人、中年の医師が一人いた。大学病院がちゃんと教育の場として機能しているんだなーと感心する。

「このY岡くんっていうのは君?」
 診察室に入っての中年医師(後で確認したところ助教授であった)の最初の一言は実習学生に向けてであった。
「関節のセツっていう字が違うよ
 カルテを見ると「関接」と書いてある。
「えっ、あっ、はぁ」
 実習学生が引きつり笑いを浮かべる。

「T波大の病院にかかっとられたそうですが」
「はい」
「S田先生?」
 いきなり聞き覚えのあるお名前が登場する。やはり医者の世界は狭いのか?
「S田先生の診療グループでしたけど、実際の担当医は診療グループの助手の先生でした」
 下っ端の、と言いそうになった。日頃思っていることはやはり口に出やすい。

 中年医師にも予診のときに話したようなことを話す。
「妹さんがSLEていうことじゃけど、どこの病院にかかっとられるん?」
ここです」
「・・・」
 中年医師は一瞬わけがわからなかったらしい。
「O大病院の第三内科です」
「何先生の担当かわかる?」
「さあ、ちょっとそこまでは・・・」

 目と口の乾燥の件で眼科にまわされたことを報告する。
「シルマー試験はどうでした?」
「11ミリでした」
 ここで中年医師は例の実習学生のほうを振り返り、
「シルマー試験て知っとる?」
「ぃぇ・・・」
 実習学生が再度ひきつり笑いを浮かべつつ首を振る。

「唾液線の検査はしとられんようじゃけど」
「それはですね・・・」
 唾液線の検査は痛いので、まず眼科で痛くない検査をやって異常があれば唾液線の検査をしようとしたこと、そして眼科ではぎりぎり正常だったので唾液線の 検査はしなかったことを報告する。
 気のせいか中年医師がにやにや笑っている気がする。やる気のないへっぽこ患者だったのがばれているのだろうか。
「食事ができるっていうことは、まあ、唾液線は大丈夫ゆうことですな」

 口内のアフタの件、陰部の潰瘍の件についていろいろ聞かれる。
「コルヒチンが出とるっていうことは、ベーチェット病を考えとるいうことじゃけど」
 口内のアフタも陰部の潰瘍も一過性のものだったこと、陰部の潰瘍は今度できたら皮膚科で培養検査その他をしてもらおうと言いつつ潰瘍ができなかったの で、検査しないままつくばを去ったことを報告する。
 だんだんやる気のない患者だったことがばれていくようだ。

 血液検査の結果が上がってきてから投薬開始ということで今回は薬は何も出なかった。

 最後に採血をして終わった。
 この病院はセクションごとに採血室があるらしい。このへんはT波大付属病院のほうがsystematicだ。
 しかし採血室に医師が詰めているあたりに旧設医大の人材の厚さを感じる。
 
 

某月某日

 母親の実家で法事があるため旅行に出る。実際に母親の実家に滞在するのは二泊くらいにして、数日間は東京を回ってふらふら遊んで帰る予定だ。
 
 

某月某日

 母親の実家に辿り着く。夕食は鯉のあらい鯉こく、あとはおひたしなど簡単なものだった。
 今でこそ肉だの海魚だのが簡単に手に入るが、昔は鯉やその他川魚が貴重な動物性蛋白源だった山の中だ。母親やその兄姉にとっては忘れられない故郷の味な のだろう。
 残念ながら鯉に限らず川魚全般が苦手なので洗いにも鯉こくにもろくに手をつけず、もくもくと野菜を食べていた。
 
 

某月某日

 今回の法事は母方の祖母の一周忌と曾祖母の三十七回忌であった。本当は三十三回忌をもって親戚付合いをおしまいにするらしいが、三十三回忌のとき は忙しくて親族皆が法事を忘れていたので祖母の一周忌と合同という形にしたらしい。

 「桜が散るのを人は無常だと言うが、桜が咲くのもまた無情である。いや、世の中全てが無情である」 という菩提寺の住職のおはなしをしみじみ聞く。

 お食事会ではお膳に鯉の煮付けがで でーんとのっかっていた。地元の仕出し屋に頼んだので伝統的な御馳走である鯉を使ったのだろうが、こう続くと食べるものがなくなってしまう。煮付けは ちょっと突いただけでやめ、茶わん蒸しやサラダなど他の料理を食べた。

 法事の片付けが一通り終わったところで、一族勢ぞろいで近くの温泉に打ち上げにいく。温泉の効能書きを見ると一応リウマチにもいいことになってい た。
 温泉はよかったが、個人的にはもう少し熱いお湯のほうがよかった。
 温泉のあと家に帰って夕食をとったが、おかずはお食事会の残りものであった。ここでも昼間の残りの鯉の煮付けが大量に出てきたのでかなりげんなりする。 しかたなくお供え用に作ってあった野菜のてんぷらをつまむ(筆者注・母親の実家のほうでは、ご飯、お吸い物、てんぷら、漬け物を足付き膳に盛り、仏壇に備 えるようだ)。

 そして夜中に数回吐き気で目を覚ます。昼間はお食事会で大量に食わされ、夕食ではてんぷらなどという胃にもたれるものを大量に食べたからだろう。
 
 

某月某日

 どうも胃がすっきりしないが、かなり強引に母親の実家を発つ。
 
 

某月某日

 十日あまりの旅行から帰る。あずさで東京に出て、ふらふら遊び回って東海道線まわりで岡山まで帰ってきた。
 さすがに疲れたのでしばらくは洗濯だの片付けだのをしてだらだら暮らす。


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